06:26 【現在地:トモロ橋下】
全長1.2kmの廃道区間のほぼ中間にて、地図には描かれていない分岐路を発見。
この道は頭上に現国道の橋が跨いでおり、どうやら繋がっていそうだ。
やむを得ず置いてきてしまったチャリを回収するため、一旦戻ることに決めた。
道は幅2mほどのコンクリート舗装路で、非常に急勾配である事が幸いして全く藪化していない。
まるで現役の道のようにも見えるが、先に進むとそれはないことがはっきりと分かる。
いや、進まずともコンクリートの路面の裏側は洗削によって1m以上も空洞になっており、この様子から重量物が通行できない事は明らかだ。
道は橋の下を潜り、そのまま真っ直ぐ20mほど登ったところで、呆気なく行き止まりとなった。
脇には巨大な集水地があり、これに見合った巨大な導水路が斜面に設置されている。
内部へ入ったわけではないので分からないが、集まった水を逃がす場所が地上に見えないことから、或いは先に紹介した廃道脇地下集水池に繋がっているのかも知れない。
当てが外れ、このコンクリ舗装の道は現道に通じてはいなかった。しかし、鮮明な踏跡が行き止まりから右方向に伸びていた。
この踏跡こそ現道へ通じる「オブ道」(同業者の探索路のこと)と考え、進んでみることに。
おわわわ…。
出ちゃった。
これはイイ廃墟ですね。 (…そうか?)
なんだか、凡な感想だけど気味悪い。
どうやら、私が現道へ通じていると思った枝道だが、実はそんな都合の良いものではなくて、この建物へ来るためだったようだ。
そして、おそらく、旧道崩壊で出入口を失ったため廃墟になった…。
つまり、隧道内の廃車に続いてまた、「取り残されたもの」っぽい…。
しかし、木造のこの建物、普通の形ではない。
上の写真が道路の終点から最も近い部分だが、そこから左手の山上のほうへ回廊が通じていて、その先にも同規模の“はなれ”と思しき建物が見える。
一帯は完全にジャングルのようになっていて、建物の中にも植物が進入している様子が見て取れる。
個人の邸宅とは思えぬ姿から、旅館か民宿だろうかと、この場ではそう思った。
だが実はこれ、調べてみると(ネット上ではあらぬ方面で有名らしいが)、伝染病患者などが治療を受けていた隔離病棟の廃墟だという。
正式には、町営の「東伊豆町隔離病舎」といって、昭和33年に開設されたらしい。
もっとも、当時は隔離病舎や避病院は法に乗っ取った正式な施設であり、基本的にどこの町にもあった。
特段恐れるような対象でない筈だが、一般の廃墟以上に色々と想像してしまえる怖さがあるのは事実だ。
気の弱い人には気の毒だが、現道へ戻るためにはこの廃病棟の軒先を十数メートルほど歩かねばならない。
(そういう施設だと知らなかったのに)何となくこの廃墟は私の気持ちを沈ませ、5分ほど吐き気が止まなかった。
心霊現象ではなくて、あくまでも気の持ち様だが。(すまない、廃墟慣れしていなくてな)
で、踏跡はそのまま緑濃い急斜面を上り、先ほど潜った橋の袂へ辿り着く。
写真は登り切る直前で、前方に見える白いトラスは橋に平行して架けられた水管橋のもの。
で、現道に脱出。
これで確定したが、先ほどの廃墟は旧道以外のどんな道とも繋がっていなかった。
現道とは目と鼻の先であるが、廃墟ファンの踏跡があるだけで、もともと道があった感じではない。
しかし、それもそのはず。
あの病院が運営されていた当時、こちらの道は自動車専用の有料道路だったのだから。
伊豆は戦前から首都圏有数の観光地であったが、快適な自動車道や鉄道が相次いで開通した戦後になって、一挙に訪れる人が増えた。
元々は、美しい海に面した狭い国道を見下ろせる場所に建っていた病棟だが、海への眺望がまず奪われた。
昭和42年、東伊豆道路有料道路の開通である。この道はサマーシーズンとなればよく渋滞したが、目の前を自分とは全く無関係の観光者達が、大量の排気ガスと騒音を連れて通り過ぎる事を、病院関係者はどんな気持ちで見ていただろう。
そして、外出を制限され、トンネルと海に四方を挟まれた僻地に置かれざるを得なかった患者さん達は…。
写真は、脱出地点脇に口を開けるトモロトンネル。
06:32
ひとまずトンネルに背を向け、チャリを回収しに黒根崎へと戻る。
トンネルの前には橋が架かっており、先ほど下を潜ったのもこの橋だ。
平行して水管橋のトラスがある。
橋の名前は「トモロ橋」。
「ともろばし」と「トモロ橋」の銘板があったが、これから言うと正式な名前がカタカナと言うことだろう。
トモロとは随分変わった語感である。
町誌ににその名の由来について特に記載はなく、不明なままだ。
トモロ橋附近から海側を見ると、それはもう素晴らしい眺めだった。
遠くに見えるのが出発地の稲取港と半島で、すぐ傍に見える小さな岬が黒根崎。廃道の入り口である。
岬の上に小さく白く見えるのは、旧道の終点となっている小公園の建物で、ちょうどあの高さの海岸線に例の廃道が隠されている。
しかし、上から見たのでは全く見えない。
あの藪だものな、それも道理。
チャリもあの中に隠されている。
だが、走る車窓に見とれるのはドライバーと同乗者にとって命懸けで、こんな穏やかでない標識が建っていたりする。
こんな所で事故に遭うと、誰かに「やっぱりあそこは心霊スポットだものな」とか言われかねない。
トモロトンネル前から現道を600mほど歩くと、最初に現れる交差点。
ここが旧国道との接点となっている。
黒根崎へと下るには、右折する。
この交差点だが、今回のレポの導入部で触れた、超短命の国道「稲取白田バイパス」との接点である。
現役当時にどのような交通誘導がここで行われていたのかよく分からないが、写真の通り、こんなに奇妙な接し方をしている。
無料で通れるバイパスだけを通行したいドライバーは、この交差点へ一瞬進入し、そのまますぐに来た方向へ戻る感じで抜けなければならない。
もっとも、このバイパスが無料の国道として重宝されたのは昭和57年1月31日の開通から、4月1日に現国道が無料開放されるまでの、わずか2ヶ月間だけであった。
伊豆東道路が無料開放されたとあっては、もはや迂遠に過ぎたバイパスなど、殆どの通過交通が無視する。後は近在の生活道路や、災害時の迂回路として利用されるに留まった。
で、バイパスを黒根崎方向へ下っていくと、すぐに跨道橋を潜る。上は現国道だ。
2車線さえ無いが、この辺りは全て元々あった町道を無理矢理に国道指定した区間なので、やむを得ないだろう。
それでもつい大きな文字にしてみたりとツッコミたくなるのは、私が意地悪さんだから。
この辺りの拡大図は右の通り。
緑のラインが今通っているバイパスだ。
ここから黒根崎の旧道分岐地点までは約420mで高低差90mを埋める、激烈な下り勾配となる。
3つのヘアピンカーブを連ねた九十九折りで下っていくのだが、一応2車線分の幅があるとはいえ、異常な急勾配のせいか狭く感じる。
おそらく20°を超える勾配で、歩いて下るのもつま先が疲れる。それに、後でチャリを連れてきて登り直さねばならないことを思うと…。
なお、数年の間しか国道ではなかったこのバイパスだが、沿道にはたくさんの県標柱が立っている。
過去にこの道が県道になった時期はないはずだから、国道指定の短期間のうちに設置されたらしい。
標柱の形式が全て同じなのも、それを裏付ける。
私も現地でこれらを見たとき、「ここはどの県道の旧道なのか?」と地図と睨めっこして不思議に思ったが、なんと国道だったとは。
調べてみるまで全然予想できなかった。かなりレアな存在と言えるだろう。
6:48
真っ直ぐ前に海が見える坂道をひとしきり下ると、ガードレールの下にも道が見えてくる。
そこは、見覚えのある光景。
約1時間15分ぶりに旧道の入り口へ戻ってきた。
このくらいの時間で、さらっと隧道3本とも貫通して先へ進むつもりだったのだけど… 甘かったな。
06:50
で、2分後にチャリ回収成功。
え? 早すぎないかって?
最初来たときにはあんなに悪たれ吐いたというのに、あれ実はヤラセだっただろって?
いえいえ、そんなことはありません。
藪の入り口からチャリまで、距離はたったの50m足らず。
そこをチャリ同伴だと5分以上かかるけど、尻軽な独身なら2分少々。
回収したチャリは特に腐食してもおらず(当たり前だ)、蚊にも刺されてないし(当然だろ)、無事だった。
後はこいつの機嫌がどうなっているかだが…。
チャリ回収後、今度は今来た道を完全に逆に辿って、まず現道のトモロトンネルへ向かった。
残された旧道約600mと、そこに有るはずの隧道2本。これを効率よく攻略するのに、どちら側からアプローチするべきなのか。
どうせ酷い藪だろうし、これといった決め手はなかったのだが、先ほど気持ちの悪かった隔離病舎の前にすぐ戻るのが嫌だったので、一旦トモロトンネルを通り抜けて、旧道区間の白田側の端から、今までとは進行方向を逆にして挑戦することに決めた。
首尾良く通り抜けに成功したら、最後はまたこのトモロトンネル前に戻ってくることになるだろう。
写真は、稲取側から見る現道のトモロ橋とトモロトンネル。
トモロトンネル坑口とその内部。
内部は2車線の車道の他に殆ど余地が無く、ここを自転車で通り抜けるには圧迫感を強く感じる。
写真は車のないタイミングになったが、伊豆東海岸を縦断する唯一の幹線であるこの道の通行量は常時多く、大型車の混入率も低くない。
トモロトンネルの坑門に取り付けられた各種標識・銘板類には、なぜか統一感がない。
まず、最もトンネル名として信憑性があるだろう、建設当初の扁額(変わった場所に付いている)には、「トモロトンネル」とある。(右下写真)
だが、最近取り付けられたらしい大きな標識には、「友路トンネル」と書かれている。(写真左)
こちらの方が遙かに印象が良いのは確かだが、古い地形図を含めトモロ岬にこの字を当てているのは見かけない。
カタカナの気持ち悪さ(地名としての据わりの悪さ)に負けちゃったのか、国交省は。
なお、やはり当初から有る工事銘板(入ってすぐの側壁にある、写真右上)には、「日本道路公団築造」という文字がある。
日本道路公団と言えば、現在はNEXCO各社に分割され民営化したが、少し前まで日本の高速道路の代名詞的なものだった。
しかし、その設立初期には一般道路に毛の生えたような有料道路や観光有料道路を多数建設、所有していたことは、余り知られていない。
高速自動車国道が業務の中心となったのは、東名高速が出来て以降である。
余談だが、日本道路公団が日本で最初の自動車専用有料道路にて料金の徴収を開始したのは、昭和31年。この東伊豆道路の最初の開通区間である「伊東区間」(伊東市玖須美元和田〜伊東市八幡野、昭和47年無料化)でのことであった。
最初は今のような料金徴収のためのブースもなく、路上に徴収員が直接出て、走る車を停めて徴収したそうだが、前日まで無料であった道にて突然の料金発生に激怒した利用者との間で、トラブルが絶えなかったという話もある。
で、トンネルを無事通り抜け、白田側の坑口を振り返る。
ここからは、結構な勾配で下りが始まる。
なお、この辺りでも例の地震で大規模な土砂崩れが発生し、運転中の男性一名が亡くなっている。
相変わらず歩道が無く、路肩も非常に狭い道を、車に混ざって進んでいく。
東伊豆海岸は、廃道ファンのみならず、真っ当なサイクリストが熱視線を贈る素晴らしい景観の地であるが、そんな彼らを泣かせるのが、国道135号の北部(小田原〜熱海〜伊東)にある数多くの自動車専用有料道路による強制旧道迂回と、南部(伊東〜下田)に長蛇のごとく横たわる、無料開放されたが相変わらず歩道もない伊豆東道路の亡霊である。
伊豆東道路は、もともと伊東市から下田まで、途切れ途切れに4区間、全長48.3kmもあった。
そのうち最後に開通し、そして最後に無料化されたのが、この稲取区間だった。
上の写真の左側の、ゴリラの額のように切れ落ちた海崖を見て欲しい。
あそこにこれから向かう旧国道が眠っているのだが、なんと、最もこちら側の隧道である「白田隧道」の坑口附近が、ここからでも見える。
そこを拡大したのが右の写真で、ギリギリ坑口自体は見えないが、その上のコンクリート吹きつけがよく見えている。
葉の落ちた時期なら穴も見えるのでは?
振り返って撮影してばかりだ(笑)
トモロトンネルから200mほど進むと海側沿道にドライブインがあり、さらに進むとすぐ下に道が寄り添ってくる。
これが、旧道である。
7:25
白田側の旧道入り口へ到着。
インターバルを経て、いよいよ後半戦だ!
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