ルートレポート 国道285号線 秋田峠旧道 その2
2002.12.9


 進むほどにその深さを増す積雪。
そこは、既に雪山そのもの。
雪山が、山チャリにはまったく不向きなのは、周知のとおりである。
それでもなお、旧国道を、旧秋田峠を越えるという私の目的は、くじけない。
 ついに、まったくの新雪の旧道に、足を踏み込む。
嫌になるまで雪山の恐ろしさを思い知るのは、間も無くだった。

 
旧旧国道との分岐点
2002.11.14 10:10
 旧旧国道がある。
秋田峠がまだ生まれる前、意外に新しく昭和の中ごろまでは、現役の道であった。
その道は、末期ごろには、路線バスが通った時期もあったという。
名は、笹森峠。

 この旧旧国道を、かつて一度だけ通り抜けた。
かつて、路線バスが通ったとは、とても信じがたい、泥濘の獣道であった。
せまい切り通しの峠は、峠の名の如く、背丈以上もある笹に覆われ、廃止されてからの時間の長さ感じさせずにはおかなかった。
もはや、そこは国道の痕跡は認められなかった。

 そんな旧旧国道は、この雪の中どうなっているのだろうか?
気になったが、それを知るすべを、私は持たなかった。
旧国道との分岐
10:14
 何処までもまっすぐな現道。
この道をこのままたどれば、ものの5分ほどで峠に至るだろう。
しかし、ここを以って私は、苦難の道に入る。
 右に写るのが、旧国道の入り口であるが。
やはり…。
 やはり、まったくの新雪状態である。(涙)

 川堤の旧道で予感していた恐怖が、今まさに現実となった。
この先の旧道は、過去に何度も通り抜けていたし、峠までは、せいぜい2km程度である。
しかも、途中一度、現道と合流するはずだ。
廃道といってよい道だが、それほどの隘路ではない。
 …もし、この雪が無ければ
気楽な、撮影ツーリングになるはずだった。

 
新雪の道
 現道を左に見あげつつ、ゆったりとした勾配で登ってゆく旧道。
左のフレームの地図を見ていただければお分かりのように、旧道は、かなりの遠回りをしている。
この区間の序盤は勾配はゆるいが、後半に一気に上る。
 積雪は、30cm程度。
誰一人、先行者は居ないようだ。
入り口からの数メートルを漕いだところで、完全にタイヤの駆動力は失われた。
それは予想通りだったが…、この先は延々、押して進むことになりそうだ…。
うんざりというのが、正直な気持ちであった。
そして、引き返すべきではないかと、真剣に葛藤した。
どうせ、この先は現道に一度合流するのだ。
それならば、合流までは現道を進み、最後の、峠部分の旧道だけをやったらいいじゃないか。と、思った。
 しかし、既に雪の道を、数十メートルだったが、押して進んでしまっていた。
振り返っても、もう現道は白いベールの向こうに消えていた。

 先へと進むことにした。

路面が露出した沢部。
 さらに進むと、現道との高度さはますます広がり、それまで見えていた現道の電柱も、視界から消えた。
脛の中ほどまでの、やや長めのブーツを履いて来たが、積雪はそれを優に超えており、指先に感じる冷たさは、切り裂くような痛みを伴った。
一歩また一歩と進むと、普段はあまり疲労を感じることの無い太ももに、どんどん疲れがたまってゆくのが感じられた。

 そんな時、前方に黒い部分が現れた。
それは、アスファルトであった。
僅か10m程だったが、チャリに跨り、喜々として漕いだ。
そこは、沢水が旧道上を濡らす場所であった。
 思い出した。
そういえば、この区間の旧道は、こんなふうに、路面上に水が流れ、そこに苔が生え、夏場でも(のほうが?)滑りやすい、危険なゾーンだった。
私がこの日見た景色は、旧道のそれではなく、単なる雪道のようであったから、そんなことをも、忘れてしまっていたのだ。
 遠くになった現道
 次第に、歩みが遅くなる。
疲労もあるし、進めども進めども変わらぬ白い世界は、やる気を殺ぐ。
気がつくと、足を雪中のアスファルトに摺るようにして進んでいた。
その方が、疲れにくいような気がして。
それにしても、チャリが、重い。
 雪だるまの様に、雪を蓄え、必要以上に重くなったチャリが憎い。
海氷を割って進む舳先のような前輪はよい。
しかし、後輪が巻き込んだ雪は、チャリの露出した駆動部に降りかかり、必要以上に、抵抗が増す。後輪憎い。
時折脛に当る、空転したペダルも憎い。

 チャリが憎い、。お荷物だ。

 そんな身勝手なことを、感じながら、またも停止。
数十メートル毎に、立ち止まり、息を整えた。
そうしなければ、極度に疲労が蓄積し、息絶え兼ねない恐怖があった。
大げさでなく、いや、こんな文章を書きながら「少し大げさ」と思っている自分が居るのだが…。
しかし間違いなく、このときは、私はそう感じて、じっくりと体力を温存しつつ進んだ。
それだけの、私にとっての極限状態であったのだと思う。

 左上は、振り返って撮影した写真。


 時折見えては、その遠さが私を失望させた現道の法面。
一面の杉林はまだ若く、上小阿仁村側の天然秋田杉の林とは対照的だ。
 進めども進めども…
 想像していたのよりも、ずいぶんと長い。
何度も何度も、カーブを曲がるたびに、祈るように先を見るが、変わらない雪道が続いている。
 しかし、勾配がかなり出てきた。
この分だと、まもなく、一度現道と合流するはずなのだが。
とにかく、少しでも早く現道に出会いたかった。
どうにもならない苦痛、痛みや疲労が、体の末端部から、次第に私を殺しにかかっていた。
命の危険を、感じ始めていた。

 さらに雪はふかくなり…
 このあたりの夏場の景色を、必死に思い出してみた。
かつては狭いながらも2車線の幅があったはずのアスファルトの両側から、藪が遠慮なく道路上に枝を伸ばし、路面を覆う朽ち葉には、雑草だけじゃなく、木の芽も出ていたっけな。
なんとも薄暗い、森の旧道だったはず。
 そんな場所が、雪に覆われると、こんな風になるのか。
夏場以上に、ここに数年前まで国道が通っていたことなど、信じがたい景色であった。
雪の下に、確かに感じられる硬いアスファルトの感触だけが、旧国道の証のように思えた。

 それにしても、いい加減、辛くなってきた。

 突然、白と黒だけだった無色の世界に、不自然に鮮やかな緑がチラリと見えた。
一瞬、驚いたがそれは、いつの間にか目前へと迫っていた現道の橋の一部であった。

 しばし、安堵感に包まれる!

 現道合流点
10:42
 地点で現道に別れを告げてから、24分。
やっと、旧道部分、約800メートルを突破した。
地図を見て、やはりそれだけの距離しかなかったということを確認したが、なんとも、恐ろしい雪山であった。
チャリが如何に雪道に不向きであるかを、思い知った800mであった。

 が、まだ終わりではない。
まだ、峠までは、1km以上あるのだ。

 私の苦難など露知らず、峠の国道に水しぶきと共に消えてゆく車たち。
いつも、山の静寂を打ち壊す奴らを、私は嫌いっている。
しかし、このときばかりは例外的に、頼もしく、いとおしくさえ、思えた。

 写真のトンネルは、五城目トンネル。
旧国道は、このトンネルに続く橋の袂で、現道と、いったん合流する。



 旧国道の旅は、続く。
更なる苦難が待ち受ける峠に、いま挑む。

  以下、次回!


未完ですが、終了いたします。

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