進むほどにその深さを増す積雪。
そこは、既に雪山そのもの。
雪山が、山チャリにはまったく不向きなのは、周知のとおりである。
それでもなお、旧国道を、旧秋田峠を越えるという私の目的は、くじけない。
ついに、まったくの新雪の旧道に、足を踏み込む。
嫌になるまで雪山の恐ろしさを思い知るのは、間も無くだった。
旧旧国道がある。 秋田峠がまだ生まれる前、意外に新しく昭和の中ごろまでは、現役の道であった。 その道は、末期ごろには、路線バスが通った時期もあったという。 名は、笹森峠。 この旧旧国道を、かつて一度だけ通り抜けた。 かつて、路線バスが通ったとは、とても信じがたい、泥濘の獣道であった。 せまい切り通しの峠は、峠の名の如く、背丈以上もある笹に覆われ、廃止されてからの時間の長さ感じさせずにはおかなかった。 もはや、そこは国道の痕跡は認められなかった。 そんな旧旧国道は、この雪の中どうなっているのだろうか? 気になったが、それを知るすべを、私は持たなかった。 |
何処までもまっすぐな現道。 この道をこのままたどれば、ものの5分ほどで峠に至るだろう。 しかし、ここを以って私は、苦難の道に入る。 右に写るのが、旧国道の入り口であるが。 やはり…。 | |
やはり、まったくの新雪状態である。(涙) 川堤の旧道で予感していた恐怖が、今まさに現実となった。 この先の旧道は、過去に何度も通り抜けていたし、峠までは、せいぜい2km程度である。 しかも、途中一度、現道と合流するはずだ。 廃道といってよい道だが、それほどの隘路ではない。 …もし、この雪が無ければ 気楽な、撮影ツーリングになるはずだった。 |
現道を左に見あげつつ、ゆったりとした勾配で登ってゆく旧道。 左のフレームの地図を見ていただければお分かりのように、旧道は、かなりの遠回りをしている。 この区間の序盤は勾配はゆるいが、後半に一気に上る。 積雪は、30cm程度。 誰一人、先行者は居ないようだ。 入り口からの数メートルを漕いだところで、完全にタイヤの駆動力は失われた。 それは予想通りだったが…、この先は延々、押して進むことになりそうだ…。 うんざりというのが、正直な気持ちであった。 そして、引き返すべきではないかと、真剣に葛藤した。 どうせ、この先は現道に一度合流するのだ。 それならば、合流までは現道を進み、最後の、峠部分の旧道だけをやったらいいじゃないか。と、思った。 しかし、既に雪の道を、数十メートルだったが、押して進んでしまっていた。 振り返っても、もう現道は白いベールの向こうに消えていた。 先へと進むことにした。 |
さらに進むと、現道との高度さはますます広がり、それまで見えていた現道の電柱も、視界から消えた。 脛の中ほどまでの、やや長めのブーツを履いて来たが、積雪はそれを優に超えており、指先に感じる冷たさは、切り裂くような痛みを伴った。 一歩また一歩と進むと、普段はあまり疲労を感じることの無い太ももに、どんどん疲れがたまってゆくのが感じられた。 そんな時、前方に黒い部分が現れた。 それは、アスファルトであった。 僅か10m程だったが、チャリに跨り、喜々として漕いだ。 そこは、沢水が旧道上を濡らす場所であった。 思い出した。 そういえば、この区間の旧道は、こんなふうに、路面上に水が流れ、そこに苔が生え、夏場でも(のほうが?)滑りやすい、危険なゾーンだった。 私がこの日見た景色は、旧道のそれではなく、単なる雪道のようであったから、そんなことをも、忘れてしまっていたのだ。 |
次第に、歩みが遅くなる。 疲労もあるし、進めども進めども変わらぬ白い世界は、やる気を殺ぐ。 気がつくと、足を雪中のアスファルトに摺るようにして進んでいた。 その方が、疲れにくいような気がして。 それにしても、チャリが、重い。 雪だるまの様に、雪を蓄え、必要以上に重くなったチャリが憎い。 海氷を割って進む舳先のような前輪はよい。 しかし、後輪が巻き込んだ雪は、チャリの露出した駆動部に降りかかり、必要以上に、抵抗が増す。後輪憎い。 時折脛に当る、空転したペダルも憎い。 チャリが憎い、。お荷物だ。 そんな身勝手なことを、感じながら、またも停止。 数十メートル毎に、立ち止まり、息を整えた。 そうしなければ、極度に疲労が蓄積し、息絶え兼ねない恐怖があった。 大げさでなく、いや、こんな文章を書きながら「少し大げさ」と思っている自分が居るのだが…。 しかし間違いなく、このときは、私はそう感じて、じっくりと体力を温存しつつ進んだ。 それだけの、私にとっての極限状態であったのだと思う。 左上は、振り返って撮影した写真。 | |
時折見えては、その遠さが私を失望させた現道の法面。 一面の杉林はまだ若く、上小阿仁村側の天然秋田杉の林とは対照的だ。 |
想像していたのよりも、ずいぶんと長い。 何度も何度も、カーブを曲がるたびに、祈るように先を見るが、変わらない雪道が続いている。 しかし、勾配がかなり出てきた。 この分だと、まもなく、一度現道と合流するはずなのだが。 とにかく、少しでも早く現道に出会いたかった。 どうにもならない苦痛、痛みや疲労が、体の末端部から、次第に私を殺しにかかっていた。 命の危険を、感じ始めていた。 |
このあたりの夏場の景色を、必死に思い出してみた。 かつては狭いながらも2車線の幅があったはずのアスファルトの両側から、藪が遠慮なく道路上に枝を伸ばし、路面を覆う朽ち葉には、雑草だけじゃなく、木の芽も出ていたっけな。 なんとも薄暗い、森の旧道だったはず。 そんな場所が、雪に覆われると、こんな風になるのか。 夏場以上に、ここに数年前まで国道が通っていたことなど、信じがたい景色であった。 雪の下に、確かに感じられる硬いアスファルトの感触だけが、旧国道の証のように思えた。 それにしても、いい加減、辛くなってきた。 | |
突然、白と黒だけだった無色の世界に、不自然に鮮やかな緑がチラリと見えた。 一瞬、驚いたがそれは、いつの間にか目前へと迫っていた現道の橋の一部であった。 しばし、安堵感に包まれる! |
地点で現道に別れを告げてから、24分。 やっと、旧道部分、約800メートルを突破した。 地図を見て、やはりそれだけの距離しかなかったということを確認したが、なんとも、恐ろしい雪山であった。 チャリが如何に雪道に不向きであるかを、思い知った800mであった。 が、まだ終わりではない。 まだ、峠までは、1km以上あるのだ。 私の苦難など露知らず、峠の国道に水しぶきと共に消えてゆく車たち。 いつも、山の静寂を打ち壊す奴らを、私は嫌いっている。 しかし、このときばかりは例外的に、頼もしく、いとおしくさえ、思えた。 写真のトンネルは、五城目トンネル。 旧国道は、このトンネルに続く橋の袂で、現道と、いったん合流する。 | |
旧国道の旅は、続く。 更なる苦難が待ち受ける峠に、いま挑む。 以下、次回! |
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