東北地方でただ一カ所だけの国道不通区間である甲子(かっし)峠。
福島県の中通り(なかどおり)地方と会津(あいづ)地方とを結ぶ、奥羽山脈越えの峠である。
現在、国道は会津側の下郷町からは甲子峠(海抜1300m)まで上れるものの、中通り側である西郷村からは海抜900mの甲子温泉で行き止まりとなっている。
この不通区間には、車道の代わりに登山道が整備されており、おおよそ4kmで通じている。
この登山道国道は、業界ではかなり有名であり、木の棒に真新しそうな国道標識が取り付けられ歩道の脇に設置されている景色を、あなたも何処かのサイトで見ているのではないだろうか?
山行がとしても、当然この登山道区間をチャリで乗り越す事を計画したが、決行日は生憎の雨でガスが酷く、結果的には挑む前に断念することになる。
しかし、私は読者の皆様に二つの約束をする。
ひとつ、私は今後必ずこの区間をチャリで踏破し、レポートをお伝えする。
もうひとつ、
本稿は、手垢にまみれた登山道おにぎり以上の衝撃を、皆様に約束する!!
旧国道 2005.10.10 6:05
1−1 福島県西白河郡西郷村 新甲子温泉
6:04
私は朝から憂鬱だった。
私にとってこの先に控える甲子峠は、「東北地方唯一の国道通行不能区間」として前々から訪れたいと思っていた場所であり、この日を待ち望んでいた。
しかし、朝一で現地入りしてみれば、ちょっと救いようがないような空模様である。
いままで、雨であっても数々の大物を仕留めてきた自負はあったが、甲子峠は自身にとって特別な意味を持つ峠なのだ。
とにかく突破できればいいという気持ちではなかった。
出来ることなら、視界不良の中で喘ぐのではなく、快晴の中絶叫したいものである。
正直気乗りはしなかったが、行き止まりの甲子温泉までは行ってみようと、西郷村真船地区のちゃぼランド西郷の傍に車を停め、チャリを降ろす。
ここから甲子温泉までは、将来は4.3kmのトンネルで甲子峠を貫く新道のアプローチ区間が開通済みであり、わずか5kmの道のりである。
有料道路である「那須甲子道路」と国道の分岐地点には、青看がある。
国道の行き先は甲子温泉であるが、順調に工事が進めば5年後には「会津若松 田島町」などと書き換えられる可能性が高い。
6:13
那須甲子道路の分岐地点から直線的な国道を1kmほど進むと、いよいよ新道と旧国道の分岐地点である。
当たり前のように、直進の国道には「
通行不能 Road Closed」の表示があるが、実はこれ、
少し前の状況としてネット上で見られるレポートとは異なった表記である。
少なくとも、『
3ケタ国道放浪記』さんの調査に因れば、1999年の時点ではこの青看の正面の行き先は「
3km先通行不能 Road Closed」というものであった。
(通行止めの標識マークも以前はなかった)
どうでも良いような違いに思われるかも知れないが、実はこの些細な変化は、
ある大きな事件によるものだったのだ。
ある大きな事件は、「福島民報」にも報じられたことがあり、私はたまたまそのニュースを知っていた。
だが、
いまだその問題が解決できていないとは思っていなかった。
つまり、一度は完成したアプローチ区間が、再び不通となっていることは、思いがけないことであったのだ。
いつもの山行がのスタンスとしてはここから右折する旧国道に興味があったが、むしろ私はこの、一度は完成したのに通行不能となった新道のほうに大きな興味を感じたのである。
全く珍しくもない道が、この先にはあるはずなのだ。
1995年頃から2003年までは、普通に甲子温泉への道として多くのドライバーやライダーが通っただろう道だ。
『3ケタ国道放浪記』の管理人さんもバイクで通っておられる。
しかしいま、その先に掘っているメイントンネルの完成を待たずに、アプローチ道路には、2年間以上も不通が続くような大きな事件が発生しているという。
なんだか、凄く、萌える。
そして、今日は10月10日体育の日、祭日である。
このゲートの先にある、新設されたのに不通となった区間を見られるチャンスなのではないか。
そう思った。
時間も、午前6時過ぎとまだ早い。
しかし、私のそんな淡い期待は、既に守衛が張っているという現実の前に、脆くも崩れ去った。
ゲートの前で熱心に写真を撮っているだけならば無関心を装っている守衛も、もしこの黄色いゲートに手を掛けたなら、即座に誰何の声が飛んでくるに違いない。
案内されている工事の名目は
「トンネル工事中 道路災害復旧工事 きびたきトンネル」などとある。
「きびたき」という聞き慣れないトンネルに、何が起きたというのだろうか?!
私は、念のため当時の福島民報の記事のコピーを持参していた。
そこには、何が起きたのかが明確に綴られていた。
読者の皆様も、本稿の最後には、事実を知ることになるだろう。
私の関心は、もうこの段階で既に甲子峠の突破から、「きびたきトンネル」に移っていた。
しかし、正面からその現場へと接近することは、おおよそ出来そうにない。
そうなれば、裏側や、その現場の側面にガードの手薄な場所があるかも知れない。
私は、まるでスパイ映画の主役になったような気持ちの高ぶりを感じていた。
ただ、私の臆病な性格上、その高ぶりの8割方は、ストレスとなって私の動悸を速くした。
昔から、現場のオヤジに発見され叱られることに、異常な恐れを感じているのだ。
それなのに、私は性懲りもなく、こんな馬鹿な試みを繰り返しているのだが…。
ともかく、旧国道(現村道)が甲子温泉への正式な迂回路として指定されており、これを進むことにした。
入口には、国道時代からある交通規制案内板(たった80mmの降雨でストップ!)の他、奥にある甲子トンネル建設現場へのアプローチ道路としても村道が利用されている旨が案内されていた。
1−2 旧国道らしい景色
6:17
旧国道区間に入ると、まずは2車線の普通の舗装路だが、“びっくりマーク”こと「その他の危険」の標識が「これより先」などという、よく分からない補助標識を従えて出迎えてくれる。
しかし、漠然とではあるが、楽な道では無いのだろうなという予感は、する。
間髪入れず、幅員減少の標識と共に、知らないで来る人もいなさそうなのだが
「
この先、会津方面へは 通り抜けできません。」
というお馴染みの文言が現れる。
今更という感じである。
で、ここで振り返ると…。
冬期閉鎖のゲートと共に、新旧道分岐地点の青看板を、見ることができる。
この青看の甲子峠方面の標識は、
2003年の事件以前から変化がないようである。
しかし、実際には2005年10月時点、ここを右折して3km進むことは出来ない。
分岐から100mほどで、はやくも旧国道はその牙を剥き始める。
突然、思い出したように下り始めると、ヘアピンカーブで甲子川の渓谷へと落ち込んでいくのだ。
そして、何となくガードレールの外を覗き込むと…。
これほど狭いスペースによくぞ築いたものと感心させられるようなつづら折りである。
しかも、私はこの日このあとも何度かこのヘアピンを通過することになるのだが、午前7時の甲子トンネル工事稼働開始後のヘアピンは、恐怖の坩堝となっていた。
なぜなら、地中2000mから掘削されたばかりの、真っ白な岩石を荷台に満載したダンプカーが、ひっきりなしに往来するのだ。
唸りと煙を上げながらヘアピンを行き来するダンプには、静かな余生を送るはずだった旧国道が悲鳴を上げているような気がした。
折角、円滑な工事のために先行して開通したアプローチ道路が使えなくなっているため、仕方がなしにこの旧国道を大型ダンプが往来しているのである。
2段のつづら折りを下りきり、横に甲子川の清流が現れると、道はしばらく大人しくなる。
大型バスや貨物トラックは、この場所にある阿武隈川源流公園で通行止めである。
そんな道を、特例として工事用車輌が通っているのだ。
悪天候ながら、時間が進むとこの駐車場には中型の観光バスが停まり、高齢者を中心とした観光客の姿が見られた。
付近には静かな神社や剣桂と言われる巨木、ブナの森から染み出す清流など、飾らない名所が点在している。
我々オブローダーは道ばかりに興味が行くが、その周囲の景色は掛け値なしに美しい。
写真は、路傍の森。
この50mほど上部地中には、きびたきトンネルほか、多数のトンネルが貫通している。
この美しい自然と道路との共生を目指し、甲子道路(新道)は秋田と宮城県境の鬼首道路(国道108号線)同様、「エコロード」として整備中である。
大人しくなった旧国道だが、再びその本性を現す。
甲子川の谷間が狭まると、道は進路を求めて急速に高度を高めることになる。
鋭角なカーブが連続し出すと、、2車線は呆気なく1車線に変わり、すぐに大型車にはぎりぎりな幅となる。
そこには、見慣れない標識が。
転落したら、“そんな呑気な表情”では済まないことになりそうである。
しかも、さりげなく「
ガケ下100m」って、それは脅しととってよかですか。
崖下100mは、あまりに高く覗き込もうにも水面が見えなかった。
対岸の峯は江森山1119m。
その中腹より上は、濃厚なガスがかかり見えない。
甲子峠は海抜1300m。
とてもではないが、登山日和とは行かない。
道は、またすぐに下り始め、今にも滑り出しそうな急勾配で再び谷底へと降下していく。
ここを頻繁にダンプが往来しているが、整理員が所々に配され、一般車両との調整を行っていた。
私は、雨に濡れたおばちゃん整理員に、一度止められたが、無線に向かってこんなことを言うのを聞いてしまった。
「自転車は止められないから、行かせるよ。」
オイオイ…、大丈夫なのかよ…。
そう内心訝しがる私に対し、おばちゃんは言う。
「ダンプ来るから、ゆっくり気を付けて行ってね。」
逝きそうだ〜。
案の定、狭いところでダンプが何台も来たし。
1−3 “廃”者 復活
6:42
旧道に入り2.5kmで、再び谷底にあった旧道は、分岐する。
ここは、支流の縞石(しまいし)沢で、旧国道は直進であるにもかかわらず、封鎖されている。
橋に仕掛けられたチェーンとバーによる簡易なゲート、そこに掲げられた案内によれば、旧道では災害が発生しているために通行止めだという。
では、甲子温泉への交通はどこへ誘導されるのか?
その答えは、左の道にある。
この道は、かつて新道の建設に伴って建設された工事用道路だ。
甲子温泉までの新道が完成した1998年頃に一時は役目を終えたようだが、今回の新道再封鎖によって、再び国道の往来を引き受ける事となったのである。
最近舗装し直されたように見える、綺麗な元工事用道路。
ここから約700mの急な登りの先で、新道の石楠花トンネルと縞石橋の間に出る形になる。
つまりは、ある事件による通行止め区間は、新旧道分岐地点と石楠花トンネル間と言うことになる。(下図参照)
なお、写真で工事用道路の上を跨いでいる小さな吊り橋は、水管である。
ここまでも、旧道に沿って古い石垣や吊り橋が見られたが、いずれも甲子温泉の水道管(あるいは送湯管)用のものだ。
私は、引き続き旧国道を進む選択をした。
通行止めにはなっているが、さすがに村道に落ちぶれた旧国道は祭日返上で工事中ということも無いだろうと、進入することにした。
1−4 過激な線形
6:43
縞石沢を縞石橋で渡ると、すぐに災害発生場所と思われる崩壊があった。
案の定、この日は作業をしていなかったが、法面が崩壊した形跡がある。
そこに、落石防止ネットをかけ直している作業が行われているようだ。
特に路面には問題が無く、通過する。
数百メートル進むと、特異な光景が目に飛び込んできた。
待避所を兼ねた1.5車線路の行く手には、極めて短いスノーシェードがあり、その先の道は、遠目に見てもあからさまな急勾配である。
一目見て、かつて国道では遭遇したことのない急勾配ではないかという、予感がした。
なお、この場所の法面も大規模な改修工事中のようであった。
来た!
自己新記録の勾配20%の標識である。
しかも、それが元国道にあろうとは、思わなかった。
水路だ!
遠目には極短のスノーシェードに見えていた構造物は、なんと道を跨ぐ水路だった。
その源を見上げてみると、ガードレールが見えるではないか。
どうやら、この先は上り勾配20%の九十九折りと言うことらしい。
なんツー国道だ。
そんな新鮮な喜びを感じる。
20%の勾配と言うことで、どれほどかと心してかかったが、チャリで走行した印象としては、急勾配は急勾配だが、本当に20%もあるのだろうかという感じであった。
今まで様々な林道で目撃して体験してきた「15%前後」と表示された勾配のほうが、より厳しかった印象がある。
もっとも、この20%勾配がもし長かったら、相当に泣きが入ることは間違いないだろう。
つづら1段目のヘアピンカーブ。
全体が20%上りだとすれば、カーブの前後の道の相対的な角度差は40%(36度)もある計算になる。
以前は、国道であったばかりか甲子温泉に至る唯一の道だった。
観光バスも通っていたのだろう。
しかし、さすがに大型バスは無理そうで、同様に甲子トンネルの工事用道路としても利用できなかったのではないだろうか。
この1段目のヘアピンカーブのガードレールの外に、何気なく続く小道を見つけた私は、チャリを道に置き、歩いて辿ってみた。
20mほど先に、なにやら吊り橋のような物がちらりと見えた。
そこには、やはり吊り橋があった。
しかも、二本並んでいる。
そして、そのどちらもが、人間用のものではなく、麓から旧道に沿って続いてきた水管を通すためのものであった。
それは分かったのだが、目の前の吊り橋を、どうしても渡ってみたい衝動に駆られた。
金属製のパイプが通っているくらいなので、大して揺れることもないだろうし、もの凄く狭いが、強度も十分にあるだろうという読みだ。
パイプの両脇に、何とか歩幅程度の足場があり、この木の足場に踏み出した。
谷は両岸とも垂直に切り立っており、15mほど下には、透き通った冷涼そうな水が波濤を散らして落ちている。
すなわち、滝がある。
また、上流には古びた落差5mほどの砂防ダムが見えている。
橋の対岸には、引き続き管が続いているようだが、私は橋の上で渡れることに納得し、引き返した。
なお、この橋は案の定大して揺れなかったが、想定外に怖かったのは、普通吊り橋を渡るときに一番の手懸かりとする縦のワイヤーが、2m置きくらいにしか無いことだった。
お陰で手懸かりが少なく、特に主ワイヤーと足場との高低差が大きい橋の両端付近では、バランスだけで渡る必要があった。
橋の中程から下流を見下ろすと、殆ど真下に落差4m程度の幅広の滝が見える。
擂り鉢状の谷の中に猛烈な水の破壊音が轟いており、水しぶきさえ舞い上がってくるように感じた。(実際はそれは雨だったと思う)
ことさら印象的だったのは、滝壺の青さと、想像されるその深さだ。
2段目のヘアピンである。
こうして上から見下ろすと、まるで“ねじりこむ”ような道である。
いいものを、見させてもらった。
国道らしからぬ無理な道造りに、ホクホク顔の私であった。
ちなみに、路傍には営林署の古びた標柱が見られ、この道がもともとは林道由来であることを連想させる。
(国道に指定されたのは、1970年とのことである)
6:58
無理くりな20%九十九折り2段をこなすと、その惰性で厳しい上りがひとしきり続く。
チャリだと、嫌でも息が上がってくるわけだが、強制的にストップさせられるゲートの存在は、少し停まる理由造りが出来て嬉しかったりもする。
ここで、縞石橋からの通行止め区間は閉じられる。
国道時代の閉鎖ゲートがまだ生きており、閉じられていた。
1−5 甲子温泉の一軒宿
7:02
出発から約1時間、旧国道を中心に約5.5kmの道のりだった。
再び広さを取り戻した旧道は、
現道に突き当たる。
そう。
この分岐地点で正面から下ってきて、右へ降りていくのが、現在の国道289号線だ。
いずれ、甲子トンネルが開通すれば、この道も国道から降格するのだろうが、現時点では新道から旧道へと続く道も国道という扱いである。
そして、写真奥に見える甲子温泉の一軒宿大黒屋の軒先を経て、あの有名な「登山道国道」に続いている。
大黒屋の駐車場にある登山道の大きな案内板に記載されている地図。
確かに点線国道の登山道が、点線で描かれている。
早朝から浴衣姿が駐車場を闊歩し、酔った声が響いてくるなど、所ならぬ賑わいを見せる甲子温泉大黒屋。
賑わいに誘われるようにして、冷えた体を引きずって立派で落ち着いた玄関をくぐってみる。
フロントにお願いしてトイレを借りた私は、支配人のおじさんに、チャリを押して甲子峠まで行けるかを聞いてみた。
最初は無理だと言われたが、詳しく聞いてみると、乗って行くことは出来なくても、押して進めないほどきつくもないらしい。
もっとも、チャリというのはいくらこの場所に精通した方にとっても想定外な筈で、自分の足で行く以外に確かめる術はないのであるが、ともかく、登山道としてはかなり整備されているとのことである。
天候が良ければ… と、悔やまれたが。
今日の私はもう、
甲子峠よりも、 きびたきトンネルである。
甲子山は麓からガスに包まれ、3キロ先の稜線を窺い知ることは出来なかった。
7:18
少し休憩したのち、私は折り返しに入った。
今度は、新道(現国道)を使って、きびたきトンネルを中心にする通行止め区間の上流側から、接近(と言うか進入)の糸口を探ることにする。
甲子温泉への分岐から、温泉の建物を右手に見つつ二階客室からは好奇の視線を浴びつつ、かなりの勾配の臨時国道を登っていく。
この道は、おおよそ500mで新道と旧道の高低差100mを詰める。
すなわち、そんじょそこらではない急勾配だ。
全体が20%勾配と言ってよい。
心臓をバクバク言わせながら登っていくと、木々の向こうに谷を跨ぐ巨大なアーチ橋が見えてくる。
これが、国道289号線甲子道路、甲子大橋である。
間もなく道は甲子大橋をくぐる。
その傍らには、橋を一望できる展望地がある。
エコロードは、出来るだけ地上への影響を減らす目的で、橋梁やトンネルを多用する工法だ。
故に、この甲子大橋の両側は、100mの地上部分もなく、即座にトンネルに入っている。
下流側は安心坂トンネル(供用済み)、上流側は言うまでもなく甲子トンネル(全長4345m:建設中)だ。
橋の上には、何台ものダンプや、頭上に黄色灯を付けた作業用バンが停まっているのが見える。
休日返上、夜間も警備員を配しつつの、突貫工事が続けられている。
道は甲子大橋を潜ると急角度のカーブで向きを変え、新道に取り付いている。
そこは、甲子大橋と安心坂トンネルの接点である。
何とも無理矢理な接続ではあるが、通行量が少ない道だけに許されるのだろう。
甲子温泉の利用客以外は、殆どここまで来る人はいない。
7:25
橋の袂を預かる守衛さんは気さくな方だった。
私のいろいろな問いかけに親切にお答えいただいた。
現在、甲子道路では二つの大規模な土木工事が行われている。
一つは、この甲子トンネルを中心とする、県代行の国道新設事業。
もう一つは、途中で私の行く手を遮ったきびたきトンネルの災害復旧事業。
この二つの工事は、それぞれ全く別の企業が請け負っており、相互にリソースの共有はないように見受けられた。
守衛さんが言うには、トンネルはあと1000mほどで貫通するそうだ。
順調に工事が進められているようで、いずれ奥羽山脈にまた新しい風穴が開くことになる。
そのとき、おそらく登山道国道は過去のものとなる。
次回、新道に起きた事件が明らかに!