抹消されし道 2005.10.10 9:24
5−1 抹消されし道
9:24
苦労して辿り着いた、国道289号線、現道。
そこには、往来はなかった。
当然だ。
上りも、下りも、封鎖されているのだから。
霧とともに落ち続ける雨のなか、道は濡れそぼっていた。
遠くには、再生の槌音が。
ただ、再生されぬ道も、あるのだ。
この先、私は監視の目をかいくぐり進入した抹消予定区間を、単身探索する。
それには非常に大きな不自由を伴った。
一つは、工事中のきびたきトンネル(おおよそ100m後方、先へ進むほど距離は遠くなる)内部から私の姿が発見されないようにするため、
道幅のなかでも、もっとも山側を歩く必要があった。
これは、きびたきトンネル工事現場と私の居る片見トンネルとの間にある第一片見橋上に張り出した藪によって、道の山側が死角となると考えられるためである。
そしてもう一つの制限は、静かに、歩くと言うことだ。
この二つの制限により、私は写真を撮ると言うことについても、なかなか自由にアングルを選ぶことは出来なかった。
以下のレポートでは、そのことをご理解いただきたい。
ノロノロしていると発見される危険が増すことになるので、静かにかつ速やかに探索を行う。
早速、片見トンネル内部へと進入だ。
トンネルは、新聞記事によれば延長66m。
短いトンネルだが、照明は設置されていたようだ。
坑口傍には照明制御板があり、天井にも取り付けた跡がある。
しかし、現在は照明自体が取り外されている。
また、見慣れぬ三色燈が内部に設置されていた。
工事車両に何かを伝えるものなのだろう。
現在は、全く人の気配はない。
銘板によれば、片見トンネルは1988年3月の竣功。
やはり延長は66.0mとある。
トンネル開通から、今年で…17年目。
…結構、経っている。
この甲子道路、実は全国でも有数の「難産」なのである。
この甲子峠越えが国道に指定されたのは1970年、当初から不通区間だった甲子峠を打開すべく新道の計画は国道指定からすぐに始まったようで、1975年にはすでに、第一工区(L=5833m)が着工されている。
そして、この第一工区というのが、私が探索した区間そのものなのである。
つまり、西郷村真船の旧道との分岐地点からはじまり、多くのトンネルを掘って、甲子温泉までの区間が、第一工区である。
やっとこの工区の工事が終わったのは1995年だ。
現在事業中の甲子トンネルを含むサミット区間は第二工区で、会津側の第三第四工区は平成に入り順次着工完成している。
この甲子道路事業は、着工からすでに足かけ30年を経過し、なおも事業中なのである。
そしてその最終的な開通は、平成20年(2008年)を予定している。
この途中中断を経つつも長く続けられてきた工事の、比較的前半に完成したこの片見トンネルは、すでにそれなりの歴史を感じさせる。
ただ、ここを一般車両が通れるようになったのは、銘板にある開通年からさらに7年を経た1995年から。
そして、ひとまず役目を果たし始めた片見トンネルに、不幸な事件が起きたのは、供用開始から7年目の7月。
2003年7月、時ならぬ猛威をふるった台風6号により、一つ隣にあった石楠花トンネルの内部に、補修不可能な亀裂が生じたのである。
地中の地滑りが、原因だった。
一時は復旧も思慮されたが、結局は断念。
亀裂発生直後の通行止め以来、ただのいちども、石楠花トンネルに一般車両が通ったことはない。
そして、代替ルートの選定からも漏れた片見トンネルと、その両隣の橋たちもまた、未来永劫に、その役目を終えたのである。
片見トンネル、全長66m。
今年で完成から17年。
うち、供用されていた期間は、わずか8年である。
この区間は、気持ちが良いほどの直線である。
南から順に、きびたきトンネル、第一片見橋、片見トンネル、第二片見橋、石楠花トンネルとが、線形的にまったく不満のない直線で結ばれている。
故に、隠れるようなスペースがないのには緊張させられた。
また、乾ききったトンネル内は足跡がよく反響したし、私が選んで歩いた路肩部分の側溝の蓋は、踏むとぺこぺこと耳障りな音を出した。
今のところは、接近してくる何者の気配もない。
このまま無事、探索を終えられるのか。
次は、もう一つのアプローチルート案であった、第二片見橋である。
第二片見橋は、第一片見橋と全く同じデザインなばかりか、新聞記事によればその橋長までも、全く等しい(63m)。
しかし、それが跨ぐ谷の地形は、地形図で読んだとおり、こちらの方が遙かに険しいものがあった。
こちらを、アプローチに据えなかったのは、正解であった。
たとえ橋の真下まで接近できたとしても、橋に登ることは、おそらく成功しなかったと思える、そんな地形であった。
片見の名を冠した三つの道路構造物を経て、ついに道は、全ての元凶であるところの、石楠花トンネルに至る。
ただ、黙って口を開けている石楠花トンネル。
内部では、どのような修羅場が展開しているというのか。
見たところ、坑口には何ら通行止めの処置はない。
通常ならあり得ない坑口フリーの状態は、自身が一般者の立ち入りが想定されていない場所にいるのだという自覚を強くさせた。
トンネルの延長は、349m。
その先には、数時間前に私がこの企てに取り憑かれる原因となった、あの異様な光景が待っている。
いま、最大の緊張感と興奮が、私を包み込む。
5−2 元凶トンネル
9:27
落ち着きのあるデザインの、石楠花トンネル。
行き先に明かりは見えないが、それはトンネルがカーブしているためかも知れない。
もはや掃除されることもないのだろう、汚れが目立ち始めた第二片見橋から、その坑口へと、接近する。
石楠花トンネルのこの東側坑口は、美しい意匠が凝らされていた。
反対側には、見られなかったものだ。
銘板の隣には、誇らしげに「福島県章」が刻印されている。
そして、坑門山側にはさりげなく、かつ大胆に、シャクナゲと思われる花が、刻まれている。
このデザインは、安心坂トンネル西側坑口に白河城と思われるデザインが施されていたことに似ているが、県章についてはこのトンネル以外には見られないものだ。(きびたきトンネルにも見られなかった)
このトンネルは、甲子道路のなかでは第一工区の中間地点にある一トンネルに過ぎず、特別に長いわけでもなければ、難工事と伝えられているわけでもない。
ただ結果的に、歴史に名を留めることになっただけ…。
皮肉にも、もはや人々の目に触れることの永遠にないだろう、この東側坑口のみに、花と章が刻まれているのだ。
シャクナゲは高山に咲くツヅジ科の花。
その花言葉は、荘厳である。
言葉遊びは好きではないが、「かたみ」、そして「はな」。
ここは、道自身の弔いの道という、宿命を背負って生まれたのかも知れない。
馬鹿げてる。
石楠花トンネルは、1994年、全長349m。
偶然にも不吉と言われる数字の羅列。
このトンネルの開通の僅か1年後に、第一工区は開通を見る。
工区の最後に開通したトンネルだったのかも知れない。
坑口付近には、苔色が広がっていた。
ホコリが舞う、乾いたトンネル。
風は、感じられる。
目をこらすと、行く手の壁の一部が、淡く白んで見える。
カーブしたトンネルの先には、出口があるらしかった。
ブルーシートに乗せられた何かの工事資材を避けながら、道の端を静かに、かつ速やかに前進した。
今回ばかりは、SF501の使用はなし。
無灯火でいい。
この出口には、守衛が立っているのだ。
迂闊に近づけない。
20.30,50mと、順調に闇は深みを増していく。
乾ききったトンネル内に、不思議な水の音が、聞こえ始める。
遠い行く手の壁面には、何かが無数に反射している。
足元の側溝の蓋にも、何か奇妙な物体があった。
それは照明などではなく、何か電線に結ばれている物…。
トンネルが、不安定な地盤に取り残されていることを考えれば、何らかの測定機器かと思われた。
それが、以後等間隔に、並んでいた。
そのとき、また別の、異質な音が、届いた。
音は、背後から聞こえ始めた。
それは、乗用車のエンジン音に間違いなかった。
いままで、この道に達してからは一度も聞かなかった、恐れていた、音だった。
そして、音は、呆気なく、私の心情などお構いなしに、背後から、トンネルに入った。
このトンネルだ、すぐそこだ!
私は、冷静を装うことしか考えられなかった。
取り乱して走り出せば、怪しい。テロの犯人か何かと思われるのは一番まずい。
冷静に、さながら、ここにいて当然の人物であるかのように、振る舞うことを努力した。
と同時に、9割9分方誰何されることは当然としても、さらに窘められ、場合によっては連れ出され、最悪警察に突き出され…、そんな危険も感じたし覚悟もあった。
そして、この場所での最後になるかも知れないと私は、写真を慌てて撮った。
フラッシュもたいた。
どうせ、このトンネル内で車は灯りを付けて走ってくる。私の姿を気がつかないはずがない。
が、車は、呆気なさ過ぎるくらい呆気なく、通り過ぎて行った。
いっぺんに、全身の力が抜ける気がした。
しかし、単に、不審者有りという事実を持って、先にいる守衛なり現場監督に連絡しに行っただけかも知れない。
単独での対応を避けるほど、私が強力な不審者(?)に見えただけなのかも知れなかった。
発見されたことだけは間違いない。
大急ぎ谷に逃げ帰れば、逃げおおせそうだが…
このことで、私の肝は、余計に据わってしまった。
ここまで来た。
もうちょっとだけ…。
9:32
そして、これが私の撮り得た、最深の写真である。
東側から入り、約150m。
カーブの頂点までは進んだ。
そして、そこから先を見ると、鮮明に、無数の反射板が、壁面を囲っているのが、見えた。
よく見ると、内壁も一段狭まっており、鋼鉄製の支保工に反射板が取り付けられているのだと思われた。
崩壊の危険性があるトンネルを、工事用に一応は補強し残しているのだろう。
しかし、この代替線の工事が終わったとき、おそらくは…。
ここからは、肉眼で守衛の姿が見えた。
これ以上の接近は、不必要な刺激をもたらすだけだろう。
撤収だ。
今にも走り出したい気持ちにもなったが、あくまでも、平静に…冷静に…。
歩いた。
出口の光は、思いのほか、遠く感じられた。
もう、遭遇はごめんだ。
神経が持たない。
5−3 一度は身を隠し、そして。
9:34
第二片見橋へと、戻った。
そう。
先ほどは説明を忘れたが、この石楠花トンネル坑口には、トンネル信号も設置されている。
これも、安心坂トンネルと同じだ。
349mという延長は、さして長いとは思われないが、十分すぎるほどの安全対策が施されていたようだ。
これらの機材などは、再利用できる物は、おそらく他に回されるのだろう。
数年後、再びこの場所を訪れてみたい。
果たして、どのように変化しているだろうか。
そして、第二片見橋から片見トンネル、さらにその先のきびたきトンネルまでを一望する。
やや早足で引き返す私の背後に、ふたたび、悪魔の音が。
先ほどと同じ、エンジン音。
振り返ることは、しない。
私は、覚悟を決めた。
今度こそ、人数を集め、不審者をとっちめに来たに、違いなかった。
どう言い訳するか、考えたが、そんな答えは纏まる前にすぐ背後で車の音は…
とまらず、またも私の脇を、ゆっくりとした速度で通り過ぎていった。
運転士が僅かに見えたが、こちらを見てもいなかった。
…完全に、スルーだった…。
この気持ち悪さは、一体何?
で、でも助かったようだった。
で、その車のテールランプは、間もなくきびたきトンネルへと消えたのだが、直後、不思議な光景を見る。
トンネル内で、テールランプは突然右に曲がったと思うと、そのまま、右の壁(山側の壁だ)に消えたのだ。
つまりは、トンネル内分岐。
きびたきトンネル内部の、現在工事中であるトンネル内分岐に、その車は消えていった。
9:38
とりあえず、気持ちを落ち着かせなければ。
再び我が安らぎの地、第一片見橋直下橋脚元。
私は、とてもとてもやりたいと思っていたことを、見事に成し遂げた。
その喜び。
と同時に、完全なる成功ではなく、廃止される区間にも、工事車両は往来していた。
そして、発見されたに違いない。
己の詰めの甘さへの、憤り。
だが、結果的には成功だったのだ。
特別に、大きな騒ぎを起こすこともなく、また工事の妨げになることもなく、私は、為したいことを為した(ようだった)。
とりあえずは、そういうことで、休 憩 …。
9:41
そして、私は最後の最後に、きびたきトンネルの坑口にも接近してみることにした。
寝た子を起こすような愚行かも知れないが、もう二度と、このような現場には巡り会えないかも知れない。
少しだけでも、見ておきたかった。
安寧の地を離れ、私は再び谷を渡り、橋の下の乾いた部分を、上り始めた。
これがこの旅路の、最後の上りになる、そんな気がした。
私は、登っていく途中で、橋の上から投棄されたと見られる物体に遭遇した。
物体は、上面が50cm四方ほどで、高級感のある黒い色を纏っていた。
年代物のビデオデッキ…、もしかしらた、私の家にあり未だに愛用しているSONYのベータマックスかも知れない。
そんな、淡い期待を込め、その冷え切った骸を引き上げてみた。
それは、最強の8ビットパソコンと呼ばれ、DOS/Vが猛威をふるい始める以前までは、それなりのシェアを有していた名機。その初代。
シャープ電気製、「X1 Turbo」であった。
誇らしげに、白くペイントされたロゴ。
高級オーディオ機器を連想させる、ダブルフロッピー(5インチ!)の威容。
全体が黒で統一された、シャープなデザイン。
1984年に発売されたX1Turboシリーズは、88年に最終機が発売されるまで、足早にその春を謳歌した。
テレビが見られるパソコンとして、ホビー用途PCに金字塔を打ち立てたマッシーンだ。
しかも、仲良くホワイトの筐体も、棄てられていた。
この場所に、これらを捨て去った主は、間違いなく第一片見橋から投棄したのだと思われる。
すなわち、1995年から2003年の間の出来事だ。
短命だったX1Turboの墓場が、極めて短命な道路であったと言う偶然。
そして、広大な藪の中で私に発見されたという、偶然。
全ては、仕組まれた遭遇だったというのか(←大袈裟)
懐かしい人にはとことん懐かしいだろう、特徴的なキーボード。
ふと、頭の中にホリプロ氏の顔が浮かんでは消えた。(←彼は存命です)
彼は、最期までTVゲーム界の名機「PCエンジン」の名を叫び、共に殉じた。(←彼は存命です)
名機を愛した男の残照が、消え去りゆく道への哀れを誘った。(←マジ彼は存命ですから)
5−4 渡り鳥の名を冠した、トンネル
9:50
きびたきトンネル。
きびたきは、「黄鶲」とも書く、夏に日本に飛来する渡り鳥である。
体は小さく、すずめなどと同程度しかない、可愛らしい鳥だ。
この場所に、この名前のトンネルが掘られた理由はわからないが、石楠花トンネルや安心坂トンネルのような、凝った坑口の意匠は見られない。
やや旧態依然とした、いかにも無骨な、デザインである。
竣功年を確認できなかったが、もしかしたら片見トンネルよりも古いかも知れない。
第一片見橋から片見トンネル、石楠花トンネル方面を振り返る。
これがすなわち、今回廃止が決まった区間のほぼ全体像と言うことになる。
廃止延長は、きびたきトンネル内の廃止部分も含め、約600mだという。
旧道から100mも高い位置に、これだけの新道が築かれそして棄てられる。
新道として全体が完成する以前にその一部が廃止されるというのは極めて異例なことであると、例の新聞記事も冒頭に記していた。
確かに、この異例さ故に、私は取り憑かれたのだと思う。
きびたきトンネル。
内部にはいるのは、遠慮しておく。
約100mほど先では、工事用の照明が輝き、ダンプの唸りが聞こえてくる。
この奥からトンネルは分岐し、今私が居る場所の右手山側の地中を、地表に一度も顔を出さずに蛇行しつつ、おおよそ900mも伸び、地形的に不安定な地帯を越え、石楠花トンネルの先あった、あののっぺらぼうの坑口に繋がるのだ。
その工事は、一応2006年度中の完成になっていたように思う。(現地の工事案内標識による)
エコロードという観点からは、当初からこのルート選定なら極めて優良だっただろう。
しかし安全面から、S字に蛇行する新きびたきトンネルが、人の命を脅かすことにことにならなければいいのだが。
9:38
望遠で撮影した内部の様子。
当初のきびたきトンネルは、全長約400m。
その、かなりこちら寄りから、分岐の工事は行われているように見える。
しかし、残念ながら具体的な分岐地点の様子や、反対側の光は、見えない。
これについては、開通を待つしかない。
と、ここまでで私が自身で知り得た情報の全てだ。
ただ、帰宅後に次の写真を入手した。
この二枚の写真は、きびたきトンネルの改良工事を実際に行っている山崎建設株式会社のサイトから拝借した物である。
上の写真は、2003年のもので、おそらくこの工事が始められた直後、トンネル分岐地点を形成している様子だろう。
下の写真は、2004年のもので、やはり分岐地点であるが、新洞が相当に奥まで掘り進められている様子が分かる。
私が最後に立った坑口が、明るく見えている。
完成後のこの場所に、いかなる分岐地点がお目見えするのか。
興味は尽きない。
日本の道路史に残る、特異な事象であった。
その探索を、これにてひとまず終える。