廃道レポート
国道343号旧線 笹ノ田峠 その4
2004.10.4
長い峠の道中もいよいよ道半ば。
古き歴史の峠は、大きな変容を遂げていた。
だが、その前に大きな試練が…。
標示合沢を越えて
2004.5.19 12:50
分岐点を右に進むと、なお草むした、しかし路面は良く締まった道が続いた。
2分くらい標示合沢に沿って進むと、道はU字のカーブで対岸へと渡る。
そこには地形的には橋が架かっていそうなのだが、見たところ緑の広場になっている。
しかし、なんと言っても目を引くのは、ひしゃげてあちらの方向へ向いてしまった標識である。
そこには何が記されているのだろうか。
それは、白看であった。
「陸前高田市」
「RIKUZENTAKATA C」
写真は、正面が陸山高田市、右が大東町である。
何か経緯があるのであろうが、この場所での境界線は不自然に稜線を反れて、標示合沢をそれとしている。
約1km北方の黒森山より北も、2km南方の宝境山より南方も、丁寧に境界線は稜線をなぞっているのだが。
それにしても、この白看のルビを読んで初めて、「りくぜんたか
た
」と、濁らない読みを知ったのであった。
陸前高田側からは緑の広場にしか見えなかったが、実はそこには橋がちゃんとあった。
橋の袂は若い植林地となっており、先の分岐からここまでの道に轍が残っていたのは、植林作業のお陰であろう。
となると、この先の道の安否が心配される。
何はともあれ、この旧道で初めて出現した橋梁である。
残念ながら、橋名などを知る手がかりはなかったが、白看を含め予想外の嬉しい遭遇であった。
別アングルから撮影。
シンプルな小橋だが、欄干のデザインは時代を感じさせる。
おそらくは、昭和初期に建設されたものか。
今は役目を終え、静かに佇んでいる。
そして、橋の大東町側は、鬱蒼とした杉林に呑み込まれている。
再び、旧道は廃道となったのであった。
白看は、ここでも健在であった。
ここから峠までは、地図上で2kmほど。
高低差は100mほどである。
まだ先は長いのだが、早速のこの有様に、いよいよ覚悟を決めさせられた。
第三区間 廃道
12:54
旧国道には、もはや往来はなかった。
法面は崩れやすい岩肌で、剥がれ落ちた瓦礫が路面を覆い尽くしている。
さらに、その隙間から日陰大好きッ子の植生が現れ、足元不明瞭で走りにくい。
比較的新しいように見えるガードレールが、廃景に浮いている。
そして、廃道のセオリー通り、最も困難なのは日陰と日向が移り変わる部分である。
そんな場所はこの写真の通り、樹高が低くなり、進路を妨げる。
さらに、植物学ではマント群落と呼ぶそうだが、ツタ植物が突出している。
まさに、歩くだけでも嫌な、チャリ同伴ともなればさらに苛めくゾーンである。
この廃道では、こんな嫌な場面が繰り返し現れた。
またも、不思議な光景が現れた。
なぜか2重に設置されたガードレール。
一つは谷へと滑り落ち、もう一つは基礎が空中に浮いている。
傍らには、大量の砂利がこんもりと。
まるで、これからこの崩壊地を修繕しようとしていた、その途中で放棄されたような景色だ。
途切れることなく路肩を守るガードレールと、まったく手を加えられた気配のない山側斜面との対比が、未供用道路のような印象を与える。
しかし、この道はかつて確実に国道として現役だったのだ。
砂利国道だったに違いない。
勾配はきつくはないが、確実に高度は上げている。
標示合沢の対岸には、現道のアスファルトと、それを守る広大なコンクリート法面が目立っている。
さきほど私が通った怪しい段差は、ここからもよく見えた。
その後も、緩急織り交ぜての廃道は続いた。
進めなくなるほどの致命的崩落はなく、かといってチャリに跨って進めるほどでもない、なかなかのハードワーキングである。
相変わらず、ガードレールもときおり二重になりながら、私を導いた。
みたところ、内側のガードレールは路肩の弱った部分を守るための補助的なものであったようだ。
この区間に現道が開通し、旧道が放棄されたのは、ループ橋よりも古く、昭和50年代後半か。
当時の規格としては、こんな杜撰な工事も、山間部の国道では珍しくもない光景だったのか。
そんな綻びを内包したままに旧道は、素晴らしいワインディングを見せる現道頭上に、ひっそりと残る。
さらに高度を上げると、おそらく旧道上で最も良好な視界を得られる場所に出くわした。
ここからは、緩やかな曲線を描くループ橋や、そこへ至る計算され尽くした近代道路が一望の下である。
周囲の山がさして険しくも高くもないことが、むしろこのループに調和しているように見える。
平凡な里山に現れた、青天の霹靂のような眺めである。
現道が旧道のすぐ真下に寄り添ってくる。
再び、旧道切り取りの懸念が生じる。
今度は高度差がさらに大きく、本当に通行できなくなるかも知れない。
すぐ足元に接近した現道に、ハラハラさせられる。
まったく、苦労が絶えない。
廃橋から15分ほどを経過。
ほとんど押しの進行となっているが、ひとまず現道による切り取りの危機は去ったようだ。
つかず離れずだが、旧道もなんとか息を繋いでいる。
なお蜘蛛の巣にまみれながら、草むらを蹴って進む。
峠は、まだか。
まだ峠ではないが、このような小さな切り通しもあった。
余りにも道路構造物は少ない。
沢に橋を架け、崖にガードレールをおいた。
それだけである。
現道では、舗装は言うに及ばず、あらゆる斜面をコンクリで固め、路肩には側溝を、道路標識を、と、
国道として当たり前の景色が展開している。
この旧道は、旧国道と言うよりも、廃林道にガードレールと標識を足した程度だ。
鳶ヶ森の旧道も、いずれはこんな景色になりそうだ。
いい加減コメントも難しくなってきた。
とにかく、日陰藪と日向藪が繰り返し繰り返し現れたのである。
相変わらず、轍は見えない。
幾度目かの現道による切り取りの危機を迎えた時、遂に峠の視界が開けた。
正面のなだらかな丘のような稜線がそれで、現道は笹ノ田トンネルで貫通している。
旧道が目指すのは、トンネル頭上50mほどの、古街道筋とほぼ一致する峠だ。
まだ、1km以上はありそうだ。
なかなか、峠は遠い。
第三区間 脱出
13:11
大きく抉れた路肩。
それでも、ガードレールは、失われた道幅を伝えてくれる。
地図上では、もうそろそろ、現国道から分岐した町道に合流し、その町道が旧道と重なって峠を目指すはずなのだが…。
相変わらず、生きた轍は全くない。
この崩壊地を越えれば、何か変わるか?
変わった。
か細いながらも、今も現役と思われる轍が出現したのである。
蛇行を繰り返しながら、緩やかな登りはなおも続く。
だが、気持ちは晴れやかだ。
峠は、近い。
藪も、脱した。
路傍には、意外なゴミが落ちていた。
付近にあるべき支柱はなく、どこから落ちたのか不明。
どこか遠くから遺棄されたのか?
書いてある内容からは、ちょっとどの分岐のものだったのか分からない。
「水沢」は、恐らく国道の目的地である水沢市だろうが、「内野」というローカル地名は、ちょっと地図からも探せなかった。
ああっ。
舗装だ。
簡素なタイヤバリアが設置された分岐点。
この道は、国道ではなくて、国道の笹ノ田トンネル東口傍から別れて登ってくる町道である。
町道は黒森山にある牧場や、北の当摩地区への生活道路だが、ここから笹の田峠までは旧国道に重なっている。
他人のフンドシとはいえ、見違えるように立派に整備された旧道に、嬉々として飛び出す。
菜の花の薫るヘアピンの登り。
ゆったりとした道幅で、苦にならない。
通行量も少なく、快適だ。
そんな登りを200mほどで…。
あっけなく峠に到着。
そこには、古い峠らしいものは何一つ無く、開けた分岐点になっていた。
元もと峠らしい険しい地形ではなかったのであろうが、ちょっと期待はずれ。
旧道峠のわびさびは、残念ながら、無い。
さて、これにて長かった「第三区間」も終わりだ。
いよいよ次回は、下り初め。
進むほどに、廃止からの時間が経っているという性格を持つ、この峠の旧道探索。
次は…もっと辛いぞ。
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