全国津々浦々にある大峠。
岩手県大船渡市立根町(たっこん)と越喜来(おっきらい)の間にある海抜321mの大峠もまた、その一つだ。
この峠の直下には国道45号がトンネルで通過しており、トンネルの名前は旧町名を取って三陸トンネルという。
それゆえ、私はつい最近までこの旧道の峠も三陸峠だと信じていた。
その間違った思いこみを敢えてレポートのタイトル名にしたのは、これからお送りするレポートが大峠だけではないためだ。
近接し、異なる時代に存在した三代三本の峠道を一挙にレポートしたい。
そして、この三つの峠を総称し、便宜的に三陸峠と称する事にしたのである。
右の地形図の断片を見ていただきたい。
いかにも旧国道だろうと思われる位置(三陸トンネル直上)に大峠が記されている。
そして、今回現地に赴いて色々と知る前には、この大峠に対して新しい峠道だと疑わなかった新峠も記載がある。
だが、地形図には記載がないものの、実際にはさらに古い道筋に古峠と呼ばれる場所が存在していた。
新峠と古峠は、おそらくモータリゼーション以前の古い時代の峠であろう。
特に新峠については他に辿り着いたというレポートも見られず、なんとなく私をそそるその名前もあって以前から引っかかっていた。
今回、私はこの三つの峠、三陸三代の峠を連続して攻略する計画を立てた。
次に計画の概要を述べると共に、三代どころできかないこの地の峠道の変遷を簡単に説明しよう。
この地には、大きく分けて5つの峠道が変遷してきた。
■古峠 藩政期に幕府公認の街道として整備された奥州浜街道(仙台〜青森)
■新峠 江戸末期の嘉永年間(1848-54)に、古峠から付け替えられた道
■大峠 昭和36年までの二級国道111号
■三陸隧道 昭和36年に開通し、現在までの国道45号
■新三陸トンネル 平成4年に自動車専用道路として開通した大船渡三陸道路(国道45号バイパス)
上記を二つのグループに分けるとしたら、古峠・新峠までは近世の道であり、それ以外は近代より現代に至る道である。
しかし、この二つのグループを結びつける、新峠から大峠に代替わりした時期が不明である。
もしかしたら、新峠にその謎を解く鍵があるかも知れない。
三つの峠に連続して挑む今回の計画の中で、その最大の目的は新峠といえた。
越喜来を出発してから、旧国道で大峠を目指す。
次いで新峠への分岐を発見し、これを登り詰め新峠越え。
さらに古峠を越えて大船渡市立根に下る。
その後は、三陸隧道を経て出発地に戻ってくる計画である。
しめて4つの峠越えをこなさねばならない。
一つの山塊を軸にした長い峠巡りの旅が、今始まる。
2006年4月8日午前9時33分、私は越喜来の外れの小出という分かれ道にいた。
ここは越喜来湾に注ぐ浦浜川の渡河地で、短い国道の橋が架かっている。
そして、直前に越えてきた羅生峠とこれから挑もうとする三陸峠の底である。
現在の国道と旧国道とは、早くもここで分かれていた。
右の地図の通り、一度分かれた道は約2kmの登りの末、小峠という場所で合流する。
小峠こそが大峠の入口であるが、まずはこの旧国道部分をお伝えしよう。
現在の地形図では、狭い車道として描かれている区間である。
新旧道の分岐地点は、浦浜川を渡る橋のすぐ大船渡寄りにある。
目印は交通安全の大きな標語塔。
ただし、巨大な青看が示しているのはすぐ先にある別の分岐地点である。
旧国道は、この標語塔のT字路を右折である。
羅生峠を下り始めてから霧雨が落ち続けていた。
私は、すでに下半身が濡れそぼち、4月上旬の海風が容赦なく熱を奪っていく。
出発の時点で、すでに寒さゆえ立ち止まれない程だった。
一切の着替えは、なぜか持っていなかった。
あの苦闘は、すでに約束されていたのだ。
一車線だがそれなりに道幅のある舗装路に入るが、100mも行かぬうちにすぐに旧国道の峠口は分かれる。
古い消防器具倉庫が目印のこのT字路を、左折である。
そう、左折。
勇気を持ってここを左折せねば、小峠への道は永遠に辿れない。
昭和36年に大峠に三陸隧道が掘られたことで、国道は代替わりを果たしている。
その付随区間である小峠〜小出間はおそらくそれよりも以前に付け替えられていたと想像される。
しかし、ある時期までここが国道だったことは、紛れのない事実である。
二又の角に苔生した地蔵や石碑の群を見つける。
風化が著しく、ここに無ければ自然石と区別が付かなさそう。
赤い羽織が雨に濡れている。
寄り添う紫陽花は、この冷たい雨にもきっと春の気配を感じ、あの瑞々しい新芽を身体の中に準備していることだろう。
私は、黙礼し峠路についた。
生活の道として僅かに往来を感じさせる半鋪装の小径。
この道にこそ似つかわしい軽トラの廃車体が、路傍の笹藪にその姿を覗かせていた。
まずは小峠、高低差は80m。
楽な峠路であって欲しい。 先は長い。
間もなく鬱蒼と茂る杉林に道は呑み込まれた。
整然と立ち並ぶ杉の木々は、もはや植物であることさえ忘れてしまった、一工業製品のよう。
道を辿るには楽な景色だが、異様としか言いようのない森の景色は、不気味である。
かつての国道も、いまや杉を栽培するための作業道路となっていた。
雨も一向に止まず、気持は沈んでいく一方であった。
しかし、この区間で唯一のヘアピンカーブが、そんな私の目を少しだけ上向かせてくれた。
ゆったりとした路肩の跡に、ここが幹線国道であった僅かな証しを見る。
カーブの内側に一本だけ切り残された杉の木が物言いたげだ。
このカーブで、小峠まで道半ばとなる。
いま登ってきた道を林の下に見ながら、斜面に添って登っていく。
勾配は総じて緩やかで、走りやすい。
周辺の斜面はかなり急だが、杉の木が生い茂っているせいで眺望はまるっきり利かない。
国道45号も昭和38年以前にあっては、二級国道111号と呼ばれていた。
故に、いま辿っている道は、旧国道は旧国道でも、現在欠番のままになっているこの国道111号の旧道と言うことになるのだろう。
おにぎりの一つでもあれば歴史的発見なのだが…。
景色は突如豹変した。
ある程度登ったところで林が突如終わり、一帯はススキの茂る原野へと変わった。
さながら高原のような景色だが、これには理由がある。
このススキの原野は、将来の三陸縦貫自動車道の道路予定地なのである。
その先行開通区間で無料開放中の大船渡三陸道路の三陸ICはすぐ近くにある。
将来この道が延長されれば、旧国道はその側道のようになるだろう。
午前9時58分。
勾配は緩んだがさらに登っていくと、道の右側に巨大な資材置き場の入口があった。
立ち入り禁止にはなっているが、中には色々な道路標識がおかれているようだ。
ちょっとだけ、入ってみる。
すると、あることあること。
普段見慣れた標識から、かつてこの辺りで使っていたらしい案内標識まで、雨晒し野晒しで大量に散乱していた。
国道45号のおにりぎとか、欲しいな …って、ダメだよ持ってけば。
資材置き場を過ぎると、もうそこは小峠である。
国道45号の三陸IC(実はこれは仮ICであり、将来は正規のICを建設する予定)があり、旧国道も一旦は現道に呑み込まれる。
また、少し現国道を下った場所には「道の駅さんりく」がある。
写真は、合流地点付近からいま来た道を振り返って撮影。
小峠といえどもれっきとした峠であり、等高線を見ればここが稜線上であることが分かる。
しかし、地形の改変著しく、もはや峠という雰囲気は残っていないのが実情だ。
また、新旧道ともに、小峠から大峠へと進んだとき、ただの一度も下りはなく、やはり小峠は独立した峠ではない。
大峠と対比し、その道程里としての小峠だと考えるべきだろう。
午前10時07分。
三陸仮ICである。
左から来るのが一般国道で、そのまま直進すれば自動車専用道路の大船渡三陸道路へ入るようになっている。
自転車などの軽車両や特殊車両はこの自専道に入れないので、三陸隧道のある従来国道へと右折退出せねばならない。
(この交差点は、設計速度を無視して100km前後で車が往来する自専道に直接ぶつかっているのに、信号が無い!)
右に続くガードレールがそれだ。
旧国道もまた、ここで一度は現道に重なる。
正面の、いまだ霜雪のかかる高峰は、古峠の後背に位置する夏虫山(海抜717m)や大窪山(827m)だ。
間違いなく、ここが国道45号。
天下の往来、元一級国道である。
だが、無料開放中の自専道が並行開通した道の例に漏れず、さしもの幹線国道も沈黙と忘却のムードに包まれていた。
平成4年以前には、昼夜問わず道幅いっぱい往来があった道の、この静けさ…。
思わず旧国道だなどと納得したくなる。
だが、間違いなくこの道は現役国道。
将来、三陸道が延伸開通して無料でなくなるときには、再び賑わいは戻ってくるだろうか。
それは、いつだろう…。
現国道から三陸仮ICを振り返る。
桜の古木が変遷を繰り返す往来を見守っていた。
遠くに聳える影色の山は、越喜来半島の盟峰、大六山(海抜516m)であろうか。
となると、その左にずうっと続いている鞍部を越えるのが羅生峠だ。
また、手前の山肌にはV字の切れ込みが見えているが、まだあそこまで高速道路は延びていない。
桜の並木が点在する国道。
小峠から三陸隧道までは約2km、高低差は130m前後である。
順調に探索が済めば、帰りはここを下って来れるはずだ。
しかし、いまは敢えてこの穏やかな峠路を蹴らねばならない。
小峠より400m地点、この写真の場所に、右折する分岐が存在する。
大峠へ至る旧国道の再分岐地点だ。
……楽しめそうだ…。
あまりに素っ気ない旧道の入口。
果たして、私は三陸の大峠を攻め落とすことが出来るだろうか。
そして、歴史の結節点、新峠の真実を見極めることは出来るだろうか…。
しかしこのとき、私はそれらの峠よりも遙かに恐ろしい障害を、己が内に秘めていることに気づいていなかった…。
かつて遭遇し得なかった最悪の状況が、やがて私を襲う……。