山行が調査レポ 特別編 森吉様沢計画   <最終回/>
公開日 2005.8.28


 神のたき
 2005.8.17 5:15

6−1 朝靄の峡谷


5:15

 8月17日、午前5時。

ケータイ電話のアラームで目覚めた我々は、そうまどろむこともなく、速やかに本日の活動の準備を始めた。
簡単に朝食を済ませると、濡れた沢装備に再び足を通す。
大がかりな荷物はこのキャンプに置き去りのまま、いざ「神の谷」「幻の穴」への挑戦を開始するのだ。

 これまで何度も確認してきた地形図を、今一度確認する。
もう、道に迷うような場所はない。
ただ単純に、様ノ沢を1km下流に向かえば、穴の裏へと辿り着くはずなのだ。
あの穴が、果たして隧道だったのか、そうではないのか。 その答えがこの数時間後には、明らかになっているかもしれない。

 そう思うだけで、興奮した。
私が小刻みにふるえていたのは、濡れた沢装備が冷たかったせいではなく、武者震いというやつだ。

…たぶん。

6:00

 午前6時、いざ谷下へ向け出発。

まず始めに現れたのは、昨日も確認済みの落差5mほどの2段滝だ。
ここは、ロープこそ無いものの、手がかりとなる植物が豊富なので、問題なく移動できた。
もちろん、昨日は得られなかったこの身軽さこそが、我々にとっては一番の武器だった。
ほんと、初めのうちは羽根が生えたように感じられた。
いつだったか、孫悟空がピッコロと(以下略)



 そして、この写真が、今回初めてお伝えする、様ノ沢九階の滝付近の流れだ。

我々がテントを張った沢は様ノ沢の支沢だったのだが、本流も恐れていたほど水量は多くない。
少なくとも、深い淵が延々と続くような状況だったら、果たしてどのように突破しようかと考えあぐねていただけに、この水量の意外な少なさは、ほっとした。

 このまま下れば、いよいよ穴へ近づくことになるのだが、まずはその前に、もう一つ行きたい場所があった。


6−2 神の瀑


 我々が滝を下って降り立った二股には、常時滝の音が谺していた。

今下ってきた滝ではなく、もっと、谷全体の空気を振動させるような、轟音が。


 そう。


 二股から様ノ沢本流を、僅か30mほど遡れば、昨日、畏怖と供に見つめたあの滝が、あるのだ。


 いたって平凡な沢が、上流へカーブしながら続いている。
なぜか、谷全体が煙っていた。
それは朝靄などではなかった。





















九階の滝




九階の滝


 九階の滝である。

これが、その第一段の姿だ。

全部で9段あると言うが、あまりにも最下段のスケールが大きく(落差60m)、その上の合計8段(落差70m)など、全く窺い知ることが出来ない。

もはや、これ一段で十分なのだ。
この上に何があろうとも、もはやこれは完全なる交通の途絶。
別の世界である。
この断崖は、人が挑むことすら馬鹿馬鹿しく思えるような、圧倒的な威厳があった。
まさしく、地球の壁そのもの。

 まるでその滝は、空から落ちてきているかのような、景色だった。



 


 谷を一方向に流れる、霧混じりの突風。
重力に任せ落ちる水がしたたかに岩を打つ音は、絶えず谷に反響している。

 我々、しばしお口をあんぐり開けて、茫然自失。

 フラフラと滝壺へ近づくもの一人、仕舞いには身の丈より深くなりかけ、あわててストップ。

 神の谷の奥には、下流の谷すべてに睨みを利かせる、厳父が仁王立ちになっていた。
母の抱擁感を感じさせた赤水沢とは、あまりにも異なる、隣り合わせの谷の姿だった。

滝壺から続く淵は、底につもった砂によって思いがけず浅くなっていた。
この淵の長さだけ、この滝は後退し続けたのだろう。
一体、どれほどの長きにわたり、この谷に滝の音は響き続けてきたのだろうか。
削られた岩の一欠片に、どれだけの年輪が刻まれているというのだろう。



 もう、感無量です。
もう、いいんちゃう??

 

6−3 意外な谷の姿

6:14

 滝壺をあとにして、遂に念願の様ノ沢を下降し始める。

しかし、そこにあったのは、拍子抜けするほどに穏やかな、沢の姿だった。

いや、決して地形的に穏やかなわけではなくて、両岸のスラブはそのまま何百メートルも続いちゃっているし、もうどこにも逃げ場はないガチンコの谷底なのだけれど、流れるやや赤茶けた水は浅く、所々深くなっている場所もあるにはあるけれど、とても、一年前の鮮烈過ぎた「神の谷」の印象ではない。
沢底は相当に土砂が堆積しており、水辺の土に足を踏み込めば、余裕で臑まで沈んでしまう。
ヘドロではないけれど、泥っぽい。
草木一つ生えないような苛烈な場所も覚悟していたけれど、スラブも意外になだらかで、これなら全然、先まで行けそうな感じがしてきた。

これは意外に意外、 ちょろいかも?!




 視線を上に上げると、それはもう、一気に身が引き締まる思いがする。

写真は、今来た上流を振り返って撮影したのだが、稜線を見るたび、昨日の苦闘が思い出され、

いやいや、苦闘は今日も確実に待ち受けているわけで…。

正直、差し迫った穴の探索よりも、どうやって赤水沢に帰れるかという不安が大きくて。

やはり、ちょっと我々には荷が重い山旅であったのかも。


 倒木が累々と追い重なる天然のダム。
直径50cm以上もあるような杉の木が、無惨に皮剥にされた状態で沢中に散乱していた。
 見上るスラブの縁には、よくぞかような場所に生えたと思えるような天然杉が見える。
そんな杉達に、時たま訪れる嵐や台風が無情な裁断を下しているものと思われ。
ひとたび地山から引き剥がされた杉は、どれほどの巨木であろうとも、スラブの底まで転げ落ちるうちに砕け、さらに谷水によって皮を剥がれ、命を絶たれるのだろう。

 我々にとって過酷なスラブは、そこに生える植物にとっても、やはり過酷な環境らしい。



 それにしても、この倒木の量は半端ではない。
元々あった小さな滝も、完全に倒木達に覆い隠され、水の流れなど外からは見えなくなっている。

ここを歩くのには、神経をすり減らした。
皮の剥がれた倒木は滑り気があり、しかも体重をかけると転がり落ちるものもあった、木と木の間に足を落とすのも怖かった。

 私が、今回この谷に入るにあたり一番の参考にした、ある山人の94年の入渓記録によれば、これらの累々たる倒木と谷底を埋め尽くす土砂は、東北地方に歴史的な被害をもたらした91年の台風19号によってもたらされたものらしい。
それ以前は、どこまでも深い淵が延々と続き、尺ものの川魚が踊る、まさに神の楽園のような谷であったという。

 報告から10年以上を経ているが、なおも谷は清純さを取り戻しているとは言い難かった。
自然破壊は、人為的な行為というイメージがあるが、時に自然は自傷行為にも思える破壊を行う。
おそらくそれは、自然の持つ回春作用。破壊もまた、再生なのだ。

 遠い未来、この谷は土に埋もれ、森が根付き、そこにスラブを覆い隠す大森林が生まれるかもしれない。



 ようやく、土のない流れのある場所に来た。
まだ新緑っぽい枝のした、さらさらと流れ落ちる小さなナメ滝。
落差は数メートルしかないので容易なのだが、その下には意外に大きな滝壺が控えていた。

 この滝壺はなかなか深く、しかも両岸がスラブで切り立っていたために迂回が出来ず、腰まで水に浸かって進まざるを得なかった。

で、ポシェットの中もカメラが、水没…。


 かなり水を被ったデジカメは、慌てて気がついて取り出してみると、まだなんとか撮影が出来た。
ホッとしたのも束の間、なんか反応速度が遅いし、沈胴式のレンズの動きが妙にスローモーだ。

まさか、またやっちまったのか。俺は。


左の写真は、瀕死のデジカメがとらえた映像。

 6−4 連 鎖                       「ばよえーん!」

6:33

 RICOH機、ご昇天なさいました…。


 じわりじわりと内部に水が浸透していったらしく、水没から2分後には、遂に右の写真(上下逆さまに写ったよ)を最後に残し、ピクリとも動かなくなってしまいました。

 …やってしまった。

また、やってしまった。
思えば、余りにも無計画・無造作にポシェットにつっこんでいたよ。
一年前の教訓なんて何のそのだった。



 デジカメを失った私は、どうするかと言えば…。



 マダマダァ!!


 なんと、俺はまだ他にデジカメを2台も持ち込んでいたのだ!
あいにくテントに置き去りにしていたので、猿のように谷を遡り、速攻取ってきた。
そして、その2台の予備カメラのうちの一台、このたびの数日前に中古で買ったばかりのFinePix4800Zが唸りを上げる!
やっぱ、粒様ではFinePixに限るぜ!
去年この谷で寿命が尽きた先代FinePixF401の魂が、一年の時を越え、今私の右腕に宿った。

 フラッーーーッシュ!!



 見えてきたぞ!

遂に、遂にあの洞穴が潜む領域に接近した。

上流側からの接近はもちろん初めてだが、地形図によれば、写真の前方遠くに写っている稜線の直下が、件の穴のある落差20mの滝だ。
もう、ここまで来れば滝の落ち口までは、問題なく行けるだろう。
相変わらず、水の流れは穏やかすぎるほど穏やかで、ときおり倒木のダムや淵があるものの、我々が逡巡するほどのものではなかった。
予想外の好ペースで、我々は目的地に、到達しようとしていた。

 それに、今回は強力な助っ人、自衛官氏がいる。
彼の人工登攀技術があれば、かなり急な地形でもアプローチが出来る期待があったし、彼自身もこのときを待っていたはずだ。
去年、彼は大雨のため無念の撤退をしていた一人なのだから。



 今までの中では最も深いプールが現れた。
中央部分は底が見えないほど赤茶けた黒さをしており、おそらく足は付かない。

縁はどうかといえば、縁も急なスラブが直接落ち込んでおり、足場が乏しい。
ギリギリで砂っぽい底の地面が見えていたが、あの色からすると、足は付かない可能性もある。

 ちょっと、怖いな。
流れは弱く、溺れる心配はないだろうが…、やはりこの時が来てしまったのか。

 行くしかないのだな。


 フローティング!!



 そう叫ぶと(嘘)、私は身につけていた秘密兵器の救命胴衣に己の命運を託し(大袈裟)、おもむろに進水した。

すると、案の定足は付かない。
ふ、深い!

一瞬ギョッとしたが、さすがは正規格の救命胴衣だ、首までしか沈まないので、平泳ぎや立ち泳ぎなど出来ない私でも、自然に犬かきで前進することが出来るではないか。

ウホッ、全然怖くない。
むしろ、たのしー! 泳ぎ楽しー!!


 なお、自衛官氏も同様の装備を身につけていたが、かれは縁にギリギリ歩けるスペースを見つけ、際どく突破されてしまった…。
まあいい、今のうちに救命胴衣を確かめておくのも、悪い選択肢ではなかっただろう。
これでますます大胆に行動できるってものだ。



  げっ!



「アクアパック」の中に、
水がチャプンチャプンいってるよ。





 しんじられ〜〜ん!

アクアパックとは、米国製の完全防水機密パックであり、透明のためそのまま水中写真を撮ったりも出来るという代物だ。

そう、昨年の粒沢計画では、私の不注意で口を完全に閉じていなかったために、本来の機能を発揮できずに破棄されかけた逸品だ。

だが、今年こそは汚名返上と、完全に密閉して登場したはずなのだが…、

まさかまさかまさかの、完全浸水。

FinePix2台から、勢いよく水がこぼれてきます。
え、駄目なんじゃないのこれ?
電源はいるの?

 


 逝ってるぅー!



予備カメラ2台とも、ご昇天なさいました。
これにて、持ち込んだカメラは全機全台大解放、ジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリ…。

完全に来ました。
キターーー!
俺のデジカメ、僅か30分で3台逝ったー。

 アクアパックめ、アメリカのどぎついPL法で訴えてやる!!

そう息巻いた俺は、念のため一度だけ気密テストをしてみた。
すると、あ、あ、あ、

 穴が開いているー!
去年から穴が開いていたというのかー!








 …はい。

もう、読者さんも付いてきてないでしょ?

やっちゃいました。

ここまで来て、まさかのデジカメ完全故障。

これにて、撮影続行不可能!


 バカバカばかばか、おれのポカー!



 断 章
 2005.8.17 7:35

7−1  結 論 

7:35

 それでも、我々は進んだ。

そして、その直後、我々二人が断念を決意する景色が、現れた。

そこは、まだ、穴が見える場所ではなかった。

穴までは、おそらくまだ100mほどはあっただろう。

だが、もう、それ以上足が前に行かなかった。

カメラを失ったせいではない、どうにも、とりつく島がなかったのだ。

どうしようもない景色が、眼前にはあった。


 水面下の深さ未曾有の黒い淵が、滔々と流れていた。

その淵の入り口は、落差5mほどの滝になっており、滝を降りたが最後、淵に入らないすべは絶対にない。
淵の両岸は、まるで刳り抜いたかのようなオーバーハングになっていた。
一度淵に降りたら、もう登ってくることは出来ないに違いない。
むろん、十分な装備と、確実な技術があるならば、この谷をなお前進することも出来たかもしれない。

 しかし、ここで我々は、命を投げ出す決心は出来なかった。
肌で感じたのである。
我々素人の力でどうにかなる地形ではないということを。

 穴の潜む落差20mの滝の上は、信じられないほどの深い淵が、見える範囲にずっと続いていた。
滝の落ち口など見えやしない。
もし、この流れに身を任せたら、どうなる?

 浮いていることが出来たとしても、流れに抗えず流れていったなら、滝にのまれるは必至。
そんな姿が、リアルに想像できた。
淵の入り口が滝のため、下りの一方通行になっているというのが、致命的だった。
迂回が絶対に不可能な垂直の壁が稜線まで続いているのも、決定的だった。


 無理だった。

少なくとも、我々には無理。

おそらく1年修行しても無理。

限られた山人達の世界なのだ。

上流からのアプローチは、不可能という結論で、我々は、この地をあとにした。


 越えねばならぬ本当の苦難が二人を襲ったのは、帰り道でのことだった。

だが、もはや私のレポートするべき闘いは終ったと思われるので、これにて終了。




 様ノ沢

 上流アプローチは不可能という結論。









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