道路レポート  
国道285号旧々線 笹森峠 最終回
2004.7.12



 造林地の苦闘
2004.7.7 10:00


 流石に一度は封印を誓っただけあって、五城目側の登りは危険極まりない廃道であった。
しかし、終盤を除いては、4年前よりもいくらか走りやすいと感じた。
まずは、順調に峠に到達したといって良いだろう。

さて、後は下りである。
この先中茂の林道へ下りるまでの旧道は、距離にして1kmほど。
高低差は100m弱だ。
4年前の印象としては、ちょうど旧道をトレースするように造林作業用のブル道が延びており、比較的容易に梺まで下りることが出来た。
そんなとこだ。

それで、今回もそれほど苦労はないだろうと考えていた。


 だが、余裕混じりで峠の切り通しから脱した私は、目の前の景色の余りの変わりように立ちすくんだ。

全然道無いじゃん。

いや、ゾクッと来たよ、背中に。
だって、この様子では、まず突破は無理だ。
経験上、分かる。
この藪の密度はチャリを押し戻すだろうし、なにより、造林地という広大な場所に、確実にどこが道であるという目印を見つけられないのだ。
引き返し…なのか?!
4年前は、たまたま造林作業の時期に当たったから、それで楽に突破できたということらしい。
確かに、あの当時でさえ、既にブル道には藪が覆い被さり始めていた。
それが、4年間の放置でこんなに成長してしまったのだ。

…最高に気が重いのだが、とりあえず、もう少しだけ進んでみるか…。

 ぎゃー。

叫ぶしかないよ。
酷い。
酷すぎる。
藪が密すぎる。

初めは腰までだったススキを主体とした藪も、10mも進めばご覧の通り、背丈よりも高い壁となって立ちはだかった。
周囲には、全く地表の見える場所はない。
広大な面積の杉が伐採されたまま再植林されるわけでもなく放置されている。
もはや、どこが道なのかを見晴らす事も出来ぬ藪だ。
頼りになる物は、持参した10万分の1道路地図に描かれている点線の、その線形だけと思いリュックを開けるが、地図がない! 忘れてきたみたい…。
近場だからと、あんまりにも気が緩んでいるじゃないか、俺。
アホ! 俺アホ!!

もう、手掛かりは記憶だけだ。
4年前、造林地をどの方角へ走った?!


 私が、もし冷静なら、この場面ではチャリをまず静かに置き、単身高台に登るなどして、周囲の地形を窺ってから、進路を求めたことだろう。
いま、私も机上で「どうするか?」と問われれば、迷わずそう答える。
とにかく、惰性で突っ込んできたこの藪の見晴らしはゼロ。
さらに、チャリ同伴の為に身動き極めて困難という状況では、頭なんて働きようもない。
しかも、蒸し暑すぎる!汗が目に入るし、チャリのハンドルを覆うゴムのグリップが摩擦熱で抜けた!

 
 ウワッー!! ヤバイ。


  戻れないかも…。
360度周囲は背丈より高い藪となり、もう葉っぱの生ぬるい肌触りとか、いちいちそんな物に不快感を感じている場合ですらなくなっている。
虫なんて、もうどうでもいい。
ああ、なんで入ってきてしまったんだろう。
4年前の「突破した」という経験が、私を考えない肉袋に変えてしまったようだ。

愚かしい。
愚かすぎる。


 10分経過。
50m程度進んだと思うが、未だ進路上に景色など現れない。
ただただ、地面の平坦な場所を真っ直ぐ進む。
平坦ということは、そこが道だったのだろうと信じて、進む!

進む! と書けば容易いが、容易には進めない。
写真の通り、藪はただの草藪ではなかった。
荒れ地に適した低木たちが、既に繁茂していた。
こいつらは木だから強度があるし、しかもしなやかで、全くもって質が悪い。
そして、タラの木やイバラといった棘のある奴らも少なくない。
写真の正面に私は進みたいのだが、このままチャリを押し込んでも絡みつくだけで進めない。

ここで遂にチャリを私は捨てた。



 私は、チャリを捨て、単身藪の奥へと進んだ。
それは、道を拓くための最後の作戦だった。
私は、特に難関だった藪にて、全身運動で藪を倒し、何とかチャリが引きずれるだけのスペースを設けたのだ。
こんな事が長く続けば、あっという間に私は萎びて死ぬだろう。
自身の、“1m進むのに要する運動量のマックス記録”を更新してしまったかも知れない。
この、激藪で。

5分後、チャリに戻った私は、いま作った藪の切れ目を、チャリと共に越えた。






藪マックス!
10:15


 15分経過。
峠から始まった造林地を、突破した。
造林地は、斜面も、道も、何もかも深い藪の底に沈んでいた。
そして、この造林地にアクセスするための、この先の道もまた、無事であるはずはない。

この区間、自身の瞬間最大藪記録も更新してしまったかも知れない。
最近は長い間敬遠していたが、やはり山チャリ最大の敵は、造林作業路だと再確認した。

 <造林作業路の辛い訳・ワースト3>
1.日向なんで藪が凄い。
2.元がブル道だから、面白みがない。
3.9割方、行き止まりである。

今回の道、上記「3」だけは当てはまらないが…。
いや、当てはまるかな、やっぱり。



 下りに転じているが、それほど急でもなく、余りの藪ゆえ漕がねば進めない。
もちろん、「漕ぐ」のは、藪の方だ。

藪を漕ぐやり方には、二つある。
一つは、チャリを前に先行させ、藪を切り開いて進む方法。
これは、藪が浅いときに有効で、下りでは特に有効。
もう一つ、この道のように、藪が腰よりも深い場合は、チャリを引きずって進むことにならざるを得ない。
この場合、チャリは完全にお荷物でしかなくなる。



 チャリに絡まって無惨な姿になった蕨や、その他雑多な植物達。
チャリの駆動部には色々な物が絡みつく。
あんまり絡ませると、「車輪が回るとペダルが回る」という奇妙な現象に遭遇することになる。
こうなると、漕ぎにくくて仕方ないので、車輪を外して掃除しなければならない。

この藪でも、その一歩手前までいってしまった。


 久々に見る「クワノミ」だ。
思わず紫の柔らかな奴を口に含んでみたが、子供の頃に「美味しい」と思っていたそれは、懐かしさをスパイスにしたとしても飲み込めない味だった。

うーーん、 こんなに不味かったっけっか?
甘いんだけど、パサパサで、美味しくはない。




 10時24分、まだ不快な藪道が続いていたが、下りの勾配はいよいよ角度を増し、沢に落ち込み始める。
やっと、脱出も近そうだ。

写真は、中茂側の下りでは唯一藪でなかった場所。
ここだけは砂礫の道ゆえ、植物が生えられないようである。
ここで、やっと一休止だ。

休みながら思った。
今回は、この中茂側の藪が原因になり、「封印宣言」だな。 と。
前回がなければ、絶対に引き返していたと思う。 そのくらい、あの峠の藪は酷すぎた。




最終難関、橋無き川
10:31


 10時30分。
やっと眼下に中茂林道が現れた。
あそこが、この旧道の向かうべき脱出点だ。
この先の道は、微かに覚えている。
ブレーキの軋むような猛烈な下り坂だったはずだ。
明らかに、元来の峠道ではなかったと思われる道であるが、それ以外に一切道の痕跡は認められず、いまさら別の「痕跡」を探す気にもなれない。
いま私が越えてきた背後には、もはや二度と立ち入りたくない激藪しかない。
そして、行く手にはやはり藪。
このプレッシャーは、とにかく不快なものであった。
元来峠とは、相互に行き来が出来る場所であるはずだが、この峠、この道に関しては、もう二度と引き返しはあり得ない。

九十九折りの記憶が確かならば、この辺から下りたと思うのだが…。



   九十九折りは確かにあった。
そして、この勾配の凄まじさも、色褪せぬ物だった。
いまの私のチャリでは、とても静止できぬほどの急斜面で、しかも廃道である。

いつ転倒するかと気が気でない激坂激藪を突き抜けて、脱出したのが、この場所だった。

引き返すことは、もはや無理。
引き返す必要も、もちろん無い。

だが、不安は消えない。
突破は間近だが、最後の難所が、ありそうな予感がした。
4年前は遭遇しなかった、難所が…。




 九十九折りの途中の一カ所だけ草の生えない広場より、眼前の藪道と、その行く手の朧沢の谷を望む。

私の嫌な予感とは、この沢に果たして橋があるのかということだ。
4年前の記憶には、橋など無い。
が、渡渉した覚えもないから、恐らく橋はあったのだろう。

しかし、もうそこに現役の林道が見えているのにもかかわらず、一切の侵入者の気配がないという、この状況は…。
嫌な予感がする。





 沢底には、草ッ原が広がっていて、またも視界は失われた。
さらに、ルートファインディングの唯一の頼りであった記憶も曖昧で、あるべき轍も無く、道の痕跡は何もない。
或いは痕跡もあるかも知れないが、余りの藪密度のために発見は不可能だ。
もう、これ以上ここをさまよえば正気に差し支える。
沿う判断した私は、強制的な突破を決心した。
あとは、林道まで直線距離で30mほどだろう。
対岸の丘の上に、林道はあるはずだ。
川など、渡渉してやる!


 突入!!

沢の音が近づく。
 湿っぽい草藪。
ヒルたちが好みそうな、緑の葉っぱ。
全身がぞわぞわする。

発狂しそうなほど、嫌だよー。



 なにやら、最近は藪ばっかりやってる気がする。
なんで、私の行く先々には藪があるのか。
まともな道を走っている時間より、藪に嵌っている時間が長い気がする。
もはや、山チャリではなく、藪チャリ。
もう、これ以上エスカレートしたくないし、出来そうもない。

ああ、つまらない道だ。
峠までは良かったんだけど。
中茂側は、最低点数だ。
なんの面白みもない。
俺は、マゾじゃないんだぞ、マッタク…。




 橋だよ。
橋があるよ。
でも…、 こんなんチャリでどう渡れと?
チャリで。



 結局、平均台の要領でこの橋を渡った。
もちろん、チャリを担いでだ。
幸いにして、濡れなかった。

いまは丸太一本だけの橋だが、その両側には基礎らしいコンクリ塊が埋め込まれているのを見つけた。
それらは、風化していないことから、おそらく架設道路時代の橋台かも知れない。
しかし、両岸に続く道の痕跡はなく、謎だ。
なんなんだろう、このコンクリ塊。

考えるのは後だ。
とにかく、水際は虻や蚊が凄まじいラッシュを掛けてくる。



 もう、周りをよく観察して、通りやすい部分を通るというだけの気力がなかった。
正面突破である。
河原の土の斜面を強引にチャリを引っ張りながら登る。
あえぎあえぎ、泥まみれで登る。

そして、登り切ったとき、遂に林道が目の前に現れ、安堵した。

10時42分、突破である。



中茂林道から国道へ
10:42



   道でない場所を強引に突破して、私が出てきたのは山小屋の残骸を一纏めにしたような廃材の脇だった。
林道から、私の発生地点を撮影した。 突破の瞬間、足元に蛇がいた。
長い赤と茶のまだら模様の蛇だった。
ソイツは、私がギョッとすると、クネクネと体躯を滑らせ、山の中へ消えていった。

蛇を見送って、チャリを見ると、チャリは無惨な草まみれの状態だった。
このチャリで、残りの旅を続けるのかよ。

もう、二度と来たくない。




 砂利の中茂林道は、まだまだ朧沢沿いを南下しているが、私は中茂集落へと北上する。
この林道は、小阿仁森林軌道が由来になっており、フラットな走りやすい道だ。




 私が越えてきた山を振り返る。
だが、至る所に伐採地が斑を成し、どこが私の通った場所だったのか、もう分からなかった。
もう、いい。

笹森峠は、中茂側から行く場所ではないというのが、私の結論である。



 少し走ると、数軒の民家が寄り添うように山間の盆地に集う中茂の集落である。
県内では珍しい僻地集落だが、どの建物もカラフルなペンキが綺麗に塗られ、寂しい印象はない。
むしろ、明るいイメージだ。

江戸時代の紀紀行家菅江真澄も、旅の途中、この中茂に宿をとり、冬の笹森峠越えをしたようである。



 中茂より先は広い舗装路となる。

その緩やかな下りは、平行する朧沢を右に左にと変化させながら、私に束の間のウィニングランを楽しませてくれた。




 10時59分。
国道285号線に戻る。
これで、笹森峠の道は完全に終了だ。

辛い峠であった。
やはり、封印は伊達ではなかった。
再度封印することになったし。

現道は約4kmの道のりで超える秋田峠だが、旧旧道の笹森峠は7km近かった。
その数字以上に、道は艱難辛苦に満ちあふれていた。

さらばだ、笹森。永久にさらば。






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