緊急レポート  
国道46号旧線 仙岩峠 廃後29年目の春 <前編>
2005.5.21


 仙岩峠と言えば、秋田県民で知らないものはない、本邦最重要の峠の一つである。
それは、秋田県と岩手県を隔てる奥羽山脈にあって、秋田・岩手両県の県庁所在地を最短で結ぶ国道46号線の要衝である。
全長2544mの仙岩トンネルを含む8つのトンネルと20以上の橋で構成された、国道46号線仙岩道路は昭和51年の開通以来、峠を意識させないほどの快適な奥羽山脈越えを、提供し続けている。

一方で、一つのトンネルも介さずに、ガチンコで山脈を越えていた旧国道は、現道開通間もなくより秋田県側の大部分が通行止めとなったままで、田沢湖町道「仙岩峠線」と雫石町道「国見ヒヤ潟線」という名も与えられてはいるものの、実質的には廃道である。
峠の標高は、奥羽山脈を超える峠の中でも、旧一級国道としては最も高い890m。
藩政時代より重要な峠であったこの地に、初めての車路が開通したのが、昭和38年。
それが今日の旧国道であったが、わずか15年で廃止されてしまった最大の理由は、この海抜から来る猛烈な積雪であった。
一年間のうち、11月末から6月までは、積雪のため通行できなかったという旧国道。それが観光道路であったならばいざ知らず、幹線国道としてはあまりにも、力不足であったのだ。
そのことは、開通から僅か4年後の昭和42年には、新道建設の調査が始まっている事実からも、窺い知れる。

おおよそ主要な国道らしくない、高山然とした旧国道の有様は、廃止から29年を経ようという今日でも、多くの廃道ファンを魅了してやまない。
当「山行が」でも、道路レポートのNO.4として紹介しているが、今回約2年ぶりに旧国道を通ってみたので、気づいた変化を中心に、レポートしてみたい。




2005.5.19 16:57



 私は、この仙岩峠旧道を4度完走したことがあるが(いずれもチャリで)、そのうち写真などの記録を残しているのは3回。
道路レポートとして紹介した事のある2001年9月(上の写真の左=青い枠を使います)
特に紹介しなかった2003年6月(写真は中=黄色い枠)
そして、今回最新の2005年5月(写真は右=赤い枠) である。
いくつかの場面では、この3回の写真を比較しながら紹介するので、枠の色でいつの写真かを判断していただきたい。
このレポートは、2005年の探索にて感じた、以前との変化を中心に構成するので、仙岩旧道の全体像については、2001年版の道路レポートを参照されたい。(未完である上に、古い文章を読まれるのは少し恥ずかしいが…)

旧道の秋田県側入り口、峠の茶屋前の様子。
この4年間で大きく変化した部分は無い。
ただし、4年前はちょうど旧道に光ファイバー線を埋め込む工事をしており、工事車両の通行が旧道にも十分あった。
おそらくは、廃止以来旧道が最も利用された時期だったろうと思う。




 秋田県側ゲートの様子。
過去4回で、ただの一度も、このゲートが開いていたことはないが、開いているのを目撃したという証言もある。
どうやら、旧道沿いに存在する高圧鉄塔の点検時など、ごく稀に開かれるらしい。
ここでの注目は、U字型のコンクリの位置がコロコロと変わっている点だ。
4年前は存在しなかった同物体は、2年前にゲートを遮る位置に、今回はゲートの脇を塞ぐように設置されていた。

現在の位置が、最もレベルが高く、2輪といえども担ぎ無しでは超えられない。(バイク突破不可能)
また、今回は新しく「通行止め看板」が増えていた。




 秋田県側の旧道ゲートから、県境である仙岩峠までは、約7km、高低差は550mほどである。
その長い登りは、ほぼ中間地点である「瞰湖台」を境にして、大きく異なる印象を与える。
前半である瞰湖台までの3kmは、スパンの大きなつづら折りを8つ連ねる急峻な登りであって、この区間の高低差は300mにも及ぶ。

写真は、最初のカーブから、三つ目のカーブを望む。
かなりの高度差が見て取れるだろう。



 三つ目のカーブは、急斜面に少しでも大きなカーブを組み込むために、道が深い掘り割りとなっている。
その両側はコンクリートや、防護ネットで覆われていることを、まだ緑の薄い今回ははっきりと確認できた。
2年前は6月中頃であったから、もう既に緑は濃く、道幅も本来の半分以下しか現れていなかったのである。

この先も、ヘアピンカーブが続く。
しかし、一つ一つのカーブで大幅に高度を上げていくので、景色の変化が頼もしく、退屈はしない。
あなたが旧廃道のファンならば、もうこの辺りで、早くも仙岩旧道の虜になっていても、おかしくはない。




 4つめのカーブは、六枚沢の深い谷に張り出した一際きついコーナーである。
ここは、7年前の段階で既に道幅の3分の一ほどが崖下に落ちていて、これを塞ぐように、写真のガードレールが設置されていた。
それは4年前、2年前共に変化がないように見えたが、今回、遂にガードレールが倒れていた
この倒れたガードレールは、工事現場などに見かける、重しで立てているだけの簡易なものであって、おそらくは昨年特に多かった台風などの影響で、遂に押し倒されたのであろう。
倒れたガードレールを踏みつける覚悟なら、4輪車も依然通行は可能であろう。


 つづら折りは6つめのカーブで終了し、今までとは違う方向にカーブを切る。
この先瞰湖台までは1km足らずだが、なお勾配は緩むことなく、チャリでの探索では息も上がってくる。

この仙岩峠の旧道の景色と切り離せないのが、この写真にも存在感を誇示している、無数の鉄塔である。
奥羽山脈を横断する高圧送電線が、二つ、絡み合うようにして峯と峯を点々と繋いでいる。
そのうちの一つは盛秋幹線といって、その名の通り秋田市と盛岡市を結ぶ、東北電力有数の幹線鉄塔である。
鉄塔の管理道路としての姿が、仙岩旧道の余生の姿の一つである。
もう一つの姿はと言えば、近年旧道の舗装アスファルトの下に埋設された、光ファイバー線の通り道としての姿だ。
秋田県と岩手県の情報通信を担う重要なインフラを支える、旧道なのである。
峠道としては使命を終えた旧道だが、今も我々の生活と無関係ではないのだ。






 この旧道は、道路標識の宝庫でもある。
「おにぎり」こそ残っていないものの、元々あった標識の殆どが、設置されたままで朽ちかけている。
そのうちのいくつかは、他の峠では余り見られない貴重な標識である。
特に、ここに写真はないが、黄色いびっくりマークの標識(警戒標識の一つで「その他の危険」に対する注意)は、相当数残っている。
また、最近は余り見かけない「徐行」の標識や、速度制限の下に付けられた補助標識の「中・高速車」などは、もはや廃止されて久しい表示方法だ。

この写真の標識もまた、仙岩旧道ではお馴染みの通称「くしだんご」である。
そのうちの一つは、4年前とは明らかに変化していた。
確実に、朽ちは進んでいるようだ。




 そして、瞰湖台まであと一つのカーブまで来ると、そこで初めて、田沢湖が視界に入る。
この“目撃”は、田沢湖を取り囲む外輪山と湖面と現在地と位置関係によって当然起きる事象に過ぎないのだが、ここまで汗を掻き登ってきた者には、何物にも代え難い祝福に感じられることだろう。
はじめの頃は瞰湖台に立って、初めて湖が見えることに気がついたものだが(周りも見えないほどに汗だくになっていたせいもある)、今回は冷静に見え始める瞬間を待ち受けることが出来た。
そして、瞰湖台直前のここからの景色が、視界を遮る邪魔な電線が少なく、もっとも良いかもしれない。

今回、ぱっとしなかった空模様と、夕暮れ時に仙岩峠に挑むという初めての体験が、かつて無い光景を私にもたらした。
それは、湖面だけを照らし出すかのように、幾条も雲間から差し込む、後光。
湖と地上の温度差が生んだ必然の景色なのだとしても… ただ純粋に、美しい。
神々しいまでに壮麗無比。

現道では決して味わえない峠の一景に、ますます旧道を好きにならずにはおられなかった。


17:36



 さて、登り口から3kmと少しの位置にある通称:瞰湖台である。
ここから先は、カーブの数も減り、稜線に近い崖地にへばり付くように建築された道で、稜線と共に峠を目指す形になる。
景色はここでがらりと変わり、道が荒れてくるもの、いつも、この先なのである。

瞰湖台と言う呼び名も、廃道上の一スポットに過ぎない現在では、殆ど誰も知らないだろう。
私も、なぜここを瞰湖台と呼んでいるのか、根拠を思い出せなくなってしまったのだが…たしか、7年前にはまだ、木製の白い標柱が立っていて、そこに「瞰湖台」と記されていたようにうっすら記憶している。
現在では、そのような標柱など、全く残ってはいないが。

観湖台では、振り返る方向に湖が見える、見返りの景となっている。
きっと現役当時に峠を下ってきたドライバーは皆、この景色が突然眼前に現れるわけだから、田沢湖の奥深い景色にため息を漏らした事だろうな。
秋田県に入れば、田沢湖が見える。
こんなに分かり易い観光PRの出来る峠道は、そうはない。
ここが、国道でありながら現役当時には「南八幡平パークライン」という観光愛称まで付けられていた事も、頷けるのである。


 現在時刻は、17時36分。
これまでで、最も遅い到着である。
でも、私は一度、夕暮れ時に旧道を走ってみたいと、前々から思っていたのである。
それは、現役当時であれば当然あった景色だろうし、私が今まで見た事のない仙岩峠を見る事が出来ると思ったから。
そして、そんな期待を抱いた私を、天地は裏切らなかった。
期待以上の絶景で、私を祝福してくれたのである。

この景色を語るに、言葉は、

いらない。



 瞰湖台の主役は言うまでもなく、その眺めであるわけだが、脇役は、この写真の「峠の茶屋」であったはずだ。

カーブの突端、背後は断崖絶壁という位置に、ぽつんと平屋が建っているが、現在は旧道入り口に移転している峠の茶屋の前身である。
崖っぷちにある点では、この旧店も一緒だが、店構えは現在の立派な2階建てとは比べるべくもない。
レトロな看板に囲まれた、古きおみやげ屋の姿も、雨風にさらされ続けるうちに、いよいよ廃屋らしき鬼気迫るムードとなってきている。
2年前にはまだあったファンタの看板も、いずこかに消え去っていた。

また、ガラス戸の消えた窓から内部を覗いてみたが、2畳にも満たない小さなお座敷と、土場、そして別の部屋には厨房らしき場所、トイレなどが確認できた。
狭いように見えて、意外にいろいろな部屋があるようだった。
壁には、「おでん200円」「山菜そば200円」「コカコーラ100円」の文字。
おでんや山菜そばは、いまも峠の茶屋の名物料理となっている。




次回の後編では、峠までの様子をお伝えする。


あなたは、未だかつてない景色を目撃する事だろう。


後編へ

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