国道46号旧旧道 仙岩峠(雫石側) 第2回

公開日 2006.07.27
探索日 2006.06.03



赤から始まる探索

やっちゃったよ

 現在地点は仙岩峠。
明治9年に大久保利通内務卿が名付けた、秋田岩手県境上、海抜900mの地点だ。
ここまでは夏場なら車でも入れるのだが、この先岩手側に下る道はいよいよ本格的な旧峠道となる。
私も、この先に入るのはこの日が初めてであった。



 峠を離れるのって。
感慨深いものがあるよね。
こんなに美しい峠だと、尚更。
まして、楽ではあり得ない道へと踏み出すのだから、離れがたい気持ちは大きかった。
 次に私がまともな道に脱出できるとしたら、おそらく坂本川沿いの林道に合流するときだろう。
そこまで、最低でも5km、高低差にして500mもある…。
本当に、チャリで下りられるのだろうか……。
廃止後40年以上を経過しているぞ。



 肝心の峠からの下り口は、鉄塔直下の広場から100mほど戻った場所にある。
この写真の右の道が鉄塔の管理道路で、左の掘り割りこそ本来の仙岩峠である。
たったこれだけの深さでも掘り割りになっているのは、やはり馬車交通を踏まえてのことだったのだろうか。
まだ車の轍が続いているが、それもすぐ雪原に消えている。
ここには特に案内板などもない。



 新仙岩峠と一緒だ。
峠の岩手側にだけ大きな雪渓が残っている。
このような雪の残り方は奥羽山脈では往々にしてあることで、冬期間の強烈な西風が尾根の東側に巨大な雪庇を形成するのだ。

 とりあえず残雪の上は歩きやすいが、道がどこにあるのか全然分からないので、全く関係ない場所に下りてしまわないように、慎重に雪渓の切れ目を探しながら進んだ。
雪渓を横断してみると、幅は100m以上もあった。



 道だ。

 あんなに下かよ。

 ……しかたねーなー。

 下りるか…。





     アッ!


 ごふッ

 げほッ げほげほ……



 両鼻から鼻血を出す私。
鼻の頭が割け、そこからも止めどなく溢れ出る桜色。
口の中が苦い…。

 やった。
やっちゃったよ orz…

 何年ぶりかの、ハードコアな転倒  っつーか、滑落?
脳震盪寸前の衝撃に、しばらくテディベアのように地面に座ったまま、ただただ頬や顔面の熱さを、そこいらの雪代で冷やしていた。
辺りは、まるでかき氷シロップをぶちまけたようになった。
顔面大出血!!



 滑落の跡が鮮明に残る、仙岩峠大氷壁。
いやー。
馬鹿やった。
おばかばかばかばか。

 いやね。
滑るのは分かっていたさ。
だから、チャリのハンドルを腕で支えながら、自分は尻で滑って下りたのだが、地面に着いた時にチャリが思わぬバウンドをして。
次の瞬間にはハンドルが顔面に突き刺さってきたのよ。
だから、この怪我は、前にチャリを雄勝峠で突き落としたときの仕返しをされたんだと思うよ……。
まあ、あのときのチャリはとっくに廃車だけどさ…。



 さすがに、しばらくは身動きが取れなかった。
幸い、チャリも自分も駆動系にダメージはなかったものの、出血が止まらない。
そりゃそうだよ。
今もこの怪我、残ってるもん。
鼻割けたもの。

 ああ、この氷壁はもう、チャリを持っては簡単には戻れなさそうだし……。
下りるしかないな…。
いてててててて……。


 流血の坂道



 時間にしてみれば、たった4分しか休んでいなかったようだが、随分長い空白を感じた。
ともかく、両鼻穴にティッシュを詰め込んだまま下山開始。
これからはじまりだっつーのに。
なんて馬鹿なんだ。俺。

 とりあえず、雪渓の下端に沿って鮮明な道形があるので、これを信じて下りはじめる。
いままでで最悪のスタートだ。



 そこに続いている道は、早速にして九十九折りである。
道幅は2mほどあるが、道路中央が深く抉れた様子に、やはり車道ではなかったことを確認させられる。
 おそらく、この道は何百年も使われ続けている。
その長い歴史の中では馬車交通に供されていた時間など僅かで(明治〜大正まで)、それより遙かに往来の多かった人の踏跡が、このような凹みとして残ったのだと考える。
もちろん、流水による穿鑿を見逃すことも出来ない。



 かなりの角度で下っており、もう峠はあんなに遠くなっている。(鉄塔のそばが峠)

 あー、血が止まらね。
鼻血は止まったが、鼻の頭の亀裂はまだまだ乾きそうもない。
「アッチーー!」なんて展開になると、失血死しそうだ(笑)。



 何とも言えぬ感慨があった。
いままで、馬車道というものに足を踏み入れたことは、おそらく無かった。
私の中では、車道と歩道、この二つしか視野に入ってなかったし、馬車道という概念は知っていても、歩道に毛が生えた程度だろうと思っていた。
だが、この様子では、馬車道が歩道と車道のどちらに近いかと言われれば、明らかに、車道である。

 あー、これはー。 ありかもなー。
山行が的に、探索対象になりうるかも〜。
結構、面白いし、チャリに乗って走ることも出来るじゃん。



 困ったことに、九十九折りの途中で想定外の分岐地点が現れた。
真っ直ぐ行く道の方がしっかりしているような気もするが、ここは踏み跡のしっかり付いた左の道を選んだ。
…でも、正面の道はどこ行くんだ? 

大正と今の地形図を見比べていて気付いたんだが、やっぱり本来の明治道はここを真っ直ぐだな。
くっそ。 あとでやり直しだ……。鼻血のせいだ。 くっそ。
という訳でして、以下のレポはしばし江戸時代の街道ということになります。
次回から、どうにかこうにか明治の馬車道に復帰するので、おたのしみに…。


 それはそうと、このヘアピンカーブをよく馬車で上り下りしたものだな……。
まだ馬車のことはよく分からないんだが、要は牽引車なわけだろ。道幅はまあイイとしても、こんなカーブで脱輪しないのか?
というかさ、下りでお馬さんや御者に客車が追突しないの?

はい…。そもそもが馬車道じゃないんですからね…。イターー。

 峠からここまで500mほど。
途中少し勾配が緩む所はあったが、総じて急な下り坂が続いている。



 うわーー。
ここ、嫌だな〜。
この固い雪渓を、真横に渡って対岸に道が続いている…。
写真で見る以上に横断勾配が大きく、身軽ならいざ知らず、チャリを持ってゆくのには、かなり苦労させられた。
写真を撮り忘れたが(動揺してます)、雪渓はずっと下まで続いていて、一度滑りはじめたら谷底まで連れて行かれそうだったのだ。
…いちど、痛い目見てるしさ。ここは怖かった。

 で、ビクつきながらも何とか突破。
雪渓はここが最後だった。



 おおおー。
きれーーーい。
和むー。

でも、これでも馬車道じゃなかったんだよな……。


 穏やかな森に入ったと思いきや、思い出したように急なつづら折れが現れる。
それにしても、思ったよりも人が入っているようだ。
下草も少ないし、下っていく分には殆どチャリに乗ったままでも大丈夫。
うんうん、楽しいぞ〜。
この調子なら、思ったよりも楽勝だったか?



 運命の分かれ道  明治新道へ


 海抜750mの稜線上に着いた。
この尾根は現国道や旧国道が辿る竜川と、明治道・江戸道が辿る坂本川との間に屏風のように続く稜線で、仙岩峠を跨ぐ3線の高圧鉄塔は、この尾根も仲良く並んで越えていく。

 明治道と江戸道とが分かれるのも、この近くの筈だ。
ただ、現在の地形図には江戸道しか書かれておらず、一方で大正時代の地形図には明治道しか書かれていないという状況のため、分岐地点を特定する地図がない。

故に、このときはミスをしたのだ。
故に、ここは「自力発見」が肝となるのだ。

 ここで失敗してしまうと、おそらく江戸道にそのまま引きずられてしまうだろう。
それは、本来の目的ではない。あくまで、馬車も通ったという明治道を見たいのだ。



 大事な発見を強いられ緊張する場面だが、風渡る嶺の気持ちよさは何にも勝る。
写真は新仙岩峠方面。

 でも、高山然とした景色を楽しめるのは、ここまでであった。
この先稜線を離れるともう、地の底の釜の底まで下らされるかというような、そんな道が待ち受けていたのだから。



 尾根を越える3本の鉄塔。
一本目の鉄塔をくぐった先で、道は二手に分かれた。
正面は、残り二本の鉄塔が待つ稜線上を真っ直ぐ続く。踏み跡も鮮明だ。
右の道は、鉄塔の案内板が取り付けられていた痕跡はあるものの、踏み跡も不鮮明で、右の斜面へと下っていくようだ。

 普通なら、間違いなく正面を選んだだろう。
だが、私は迷わずに右へ進んでいた。
いまなぜ右を選んだのかと言われても、地形図さえ持っていなかった状況を踏まえれば根拠など無かったはずなのであるが……
結論から言えば、右の道が明治道で正解だった。

というか、たまたま馬車道に合流するような鉄塔作業路を選んだという、奇跡だ。


 正確を期して言うならば、私は分岐地点を間違っている可能性が高い。
本来の明治道と江戸道の分岐地点は別にあるのかも知れない。
というのも、右に曲がってからすぐに始まる下り(距離にして500m、高低差150m!)は、馬車道というには余りにも酷い勾配である。
ただ、道を大きく間違ってもいないと思う訳は、この奈落の急坂を下りきった地点ですぐに馬車道跡と合流した為である。
(レポ作成のために写真を見直していて気がついたが、400mほど手前だった、つづら折れでのアノ分岐が…実は怪しいかも…。)

そういうわけでした。
これによってロストした明治道の長さは、500m程度だと思われるが、リベンジせねばならなくなってしまった。


  そして、この推論が正しくても、間違っていたとしても。

 私はこの時もうすでに、あの恐ろしい谷へと吸い寄せられていたのだ。

 まるで亡霊のような無数の道痕に惑わされ、
    あらゆる者が行き場を失う …あの恐ろしい谷へと…。



  ……そこはまさに、 オブローダーの墓場だった……。