おそらく、日本でもっとも有名な廃道の一つである。
多くの廃道ファンや国道ファンが、畏敬を込めて、こう呼ぶ。
清水国道 と。
清水国道の歴史は古く、明治の初期にまでさかのぼるのであるが、これは後にしよう。
それよりも、先に現状から説明したい。
清水峠は、群馬県と新潟県の県境(上越国境)上にあり、列島の中央分水界をなす、海抜1,448mの峠である。
この道は国道291号に指定されているが、峠の前後あわせて約28kmが「自動車交通不能区間」となっており、俗に言う“酷道”のひとつである。
これはおそらく、全国でも最長クラスの国道における自動車交通不能区間であるが、それでも群馬県側の大半は登山道になっていて、多少健脚であれば誰でも歩くことが可能である。
そして、素晴らしい景観を誇る清水峠に立つことも出来る。
だが、新潟県側の大半の区間(約12km)は廃道になっていて、
ここ何年、或いは何十年の間、誰一人として通り抜けた人がいない。
…そういう道だということに、 なっている。
今回は、いつも以上に大袈裟なことは言っていないつもりだ。
「フリー百科事典wikipedia」の『清水峠』の項にも、「徒歩での通行も事実上不可能」と書いてあるし、私が個人的に巡った様々な情報サイトや調べた書籍等にも、やはりこの新潟側の清水国道を踏破したという話は、ない。
極端な話、「私は通りましたよ」という生の声を一度も見聞きしたことがない道だ。
ただ、4年余りの工事を経て明治18年8月に、国道8号として馬車の通れる幅3間(5.4m)の峠道が開通したという記録。
同年9月に峠で行われた開通式には、皇族の北白川宮能久親王をはじめ、内務ク参議山縣有朋、司法ク議定官山田顕義、元老院議官林友幸、土木局長三島通庸など、錚々たる顔ぶれが揃ったという記録。
そして、開通翌月の大雨で道が決壊し、そのまま冬を迎えてますます崩れ、翌年以降も回復されぬまま遂に廃道となったという… 思わず「それ本当かよ」とツッコミたくなるような、伝説的廃道譚が語られ続けている。
この無謀な失敗道路の全く恥ずべき峠の名が、歴史の闇へと早晩消えてしまわなかった理由は、野蒜築港などと並び、日本最初期の国家的土木事業であったからだろうか。
或いは、皇籍にある人物が開通式典に参列した威光ゆえ、葬り去ることが出来なかったのか。
車道は消えたが、名前は消えるどころか、今日なお国道の地位にあり続けている。
碓氷峠や箱根峠と並んで著名な… 少なくとも廃道好きにとっては、日本でもっとも名の知れた峠の一つとなっている。
誰一人、現実の姿を知らないにもかかわらずだ。
無論、私を含めて。
清水峠はそんな、幻を絵に描いたような国道である。(不可能国道)
知りたい。
関東移住一年目の2007年。
この年の攻略目標に、清水峠の名前があった。
清水峠は、「塩那道路」「奥只見シルバーライン」などとともに、『私が生涯に体験したい道』のひとつであったが、如何せん秋田からだと往復する労力が大きく、なかなか現実的な攻略目標となり得なかったのだった。
この具体的な攻略計画を練りはじめたのは、2007年の5月頃だった。
前述の通り、清水峠の自動車交通不能区間は、全長28kmもある。
(右図中のルート上にある数字は、区間の概算距離である。)
これを一日で歩き通すことは、廃道という現状を考えれば現実的ではなく、また登山道化している部分(群馬側)については自転車で走破したという報告も散見されることから、攻略は2回に分けることとした。
第一次攻略は、自転車にて群馬県側から清水峠を目指し、「上分岐」からの下山ルートに登山道として利用されている「居坪坂」を選択する。
そして「下分岐」から再び国道に合して清水集落へ下る。
これを第一次攻略計画とする。
一次攻略 計画ルート 元の画像
第一次攻略にて「上分岐」「下分岐」の実情および、全体的な地形の険しさ、また季節的な藪の生育状況等を確認した上で、次の第二次攻略を決行することとした。
第二次攻略は、新潟県側の清水集落を出発地とする。
ここから「下分岐」までは自転車で移動、そして全長12kmの廃道区間を攻略し、「上分岐」から前回のルートを逆に辿って「清水峠」に至る。
下山は「謙信尾根」を選択する。井坪坂と謙信尾根はともに登山道として現役の道である。
これを第二次攻略計画とする。
二次攻略 計画ルート 元の画像
この第二次攻略は、最低でも24kmを歩く必要があり、日帰りが難しいと思われたので、清水峠にある避難小屋での夜営を想定した。また、山行がファミリー(?)最強の男に協力を要請した。
古くからの読者ならば知らぬ人はあるまい。
男の名は、くじ。 (同行は森吉林鉄シリーズ、粒様神の谷計画、和賀シリーズ、原町林鉄、木戸川林鉄攻略など)
現役のロッククライマーとして岩手県を軸に、東北各地の沢や滝を詰めまくっている男だ。
ヤツならば、上越国境の地にも伝説を生むに違いない!!
一次攻略は9月27日に計画され、晴天のうちに完遂した。
そして月が明けた10月7日。
くじ氏と私は、清水国道最強の廃道区間へと挑んだのだった。
本編は、この第二次攻略の模様を綴ったものである。
第一次攻略もまた波乱を含む内容であったが、多くの読者にとって最大の関心事は、まずこの「廃道区間」であろうから、先に紹介することにした。
今回は、“次の二つの章”をもって導入編とし、次回から本編をはじめたい。
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