道路レポート  
国道107号旧線 白石峠 その3
2004.5.27


白石隧道 ふたたび
2004.5.19 6:22



 思わず、その景色の美しさに息を呑んだ。

全身に沸き上がってくる感動は、むしろ私に、そのハイライトを遠延ばしにしようとするかのように、歩みを遅くさせる。
そして、切り通しの先に、隧道の姿がほんの少し見えた瞬間、私はそこに立ち尽くした。

ほんの一時だが、これ以上近づく必要がないのだと思えた。

白石隧道は、ここから見るのが、最も相応しいのだと、予感した。

だが、予感を必ずしも確信には当たらない。

また一歩、一歩と、再び私はその行き止まりを目指し始めた。




 自然石を丁寧に組み合わせて作られた、路の両脇の石垣。
これまで、三島通庸などが築き上げた古道で見てきたのとも異なる、男性的な力強さを感じる。
しかし、そんな石垣に根をはって伸び出した小さな命は、強い命だった。
私の胴体以上も太いケヤキが、その隙間を吹き出すように突き破り、天を目指し艶めかしい肢体を持ち上げている。

高校生の時に習った。
触っては堅い固体も、長い長い時間の中で見れば、柔らな液体と同様の性質を示すこともあると。
私はこの木を見て思った。
木の幹は堅いが、長い年月のなかでは、みずみずしい新緑の葉の一枚に等しく、柔らかなものなのだと。

柔よく剛を制す、と。



 石垣は、少しでも隧道の長さを短くすませようと山を割って、深く地中に割り込んでいく道を支えている。
驚いたことに、高いところでは石垣はビルの3階程度の高さにまで達し、おおよそ3mほどに一度、段を伴って積み上げられていた。
その段が、最大で3段にも及んでいる。
細かな斜面の起伏に合わせ、その高さは柔軟に変化し、石工達の仕事の丁寧さには感動を覚える。
切り通し内は、三方を阻まれた長い凹地になっており、何十年も降り注いだ落ち葉が膝丈近くまで降り積もり、その下はフカフカの土となっており歩きづらい。
水溜まりも、僅かにある。





 チャリを置いて歩くこと、二分ほどで、行き止まり。

やはり、上部工のみを残して埋め戻された隧道の姿だ。

これら石垣は、昭和初期の大改修時に築き上げられたものであろうか。
道幅は、現在の水準でも二車線と歩道を優に得られるほどに広く採られている。
これまで見てきた、どの幹線国道にも負けない、立派な道があったはずだ。
これほどの遺構を残しておきながら、大変に好ましいことだが、あたりにゴミなど人の踏み込んだ形跡が殆ど見られない。
切り通しは、何かに転用されるでもなく、埋められた当時のままの姿で、残されている。




 画竜点睛を欠くというが、隧道という目的物がないならばその手前の道に価値がないと言うスタンスでこの道を見れば、確かに得る物は少なかろう。
しかし、古道も愉しもうという、余裕のある探索者にとっては、ここはまたとない探索好地である。

普段、私は旅先でどれほど感動しても、そのレポートで人に勧めるような書き方は慎んできたし、安全上仕方がないことだった。
しかし、この白石隧道の古道は、あらゆる道路ファンに、実際にその目で見て欲しい道だ。
感想は、あなた次第。


 隧道の前に積み上げられた土砂の山も、落ち葉が積もり、かき分けるように登る。
さすがに、蚊などの虫が多いが、血ぐらいはくれてやる。
なぜか、私の血はまずいのか、殆ど食われると言うことがない。

写真奥の方に、点に見えるのが、愛車だ。
愛車から隧道までは、僅かな距離である。
だが、そこにあった感動は計り知れなかった。



 余りにも年月を経て、すでに自然の岩盤のように苔を纏い、土に馴染んだ擁壁。
限界まで稜線を割って入り込んできた切り通しの周囲の崖は、どこも皆険しく、頭上には幾重にも緑が覆い被さっている。

新緑の今でこの様子、盛夏には一日中夜の如きか。

燃えるような秋は、いかほどか。

銀雪に煙る冬は、どんなにか。


…また、来よう。





 明治18年に、岩手県下第一号の隧道として、ここに貫通した白石隧道はそれから80年余り、気仙地方の交通をそれまでより安全に、かつ迅速に導いた。
今は役目をとうに終え、森の香りに包まれ、元の土と落ち葉に埋もれ、眠る。

僅か180mほど向こうにある住田側の坑門とは、全く様子が異なっている。
こちらには、コンクリートによる補強は見られず、同じ隧道には見えない。



 朽ち木に隠された坑門上部には、やはり立派な扁額が収まっていたが、住田側の扁額にもあった縦書きが、ここにも認めれれる。
ただし、そこに記された文字は「明治四十一年三月改造」であり、昭和二年の改修よりも以前に、やはり扁額を差し替えるほどの大改修が行われていたことを示す。
推測だが、この明治41年の改修によって、初めて隧道は煉瓦による覆工を受け、坑門や扁額が拵えられたのではあるまいか。
そして、コンクリートを纏わない、この大船渡側の坑門は、その明治の姿を今に伝えるものなのでは無かろうか。



 落ち葉を掘り、その下の濡れた土を掻き出す。
今回の為に用意した、園芸用の小さなスコップの出番だ。
顔の前をちらつく五月蠅い虫たちに脇目もくれず、一縷の望みを託し、軟らかな土を退かしていく。
腐葉土は軽く、小さなスコップでも、どんどん掘れる。
5分ほど掘り、30cmほど掘り下げたところで、遂に埋もれていた開口部に出会った。






 だが、ささやかな私の野望は阻まれた。
上の写真で開口部と思った部分にカメラを差し込んで撮影したのが右の写真であるが、そこは地中に隠されていた別の壁があった。
日焼けのない煉瓦は、一体隧道のどの部分なのか想像も付かない。
或いは、此方側の坑門は既に煉瓦で全体が封じられているのだろうか。
さらにこの煉瓦の下を掘り進めば、或いは答えが出るだろうが、もう、よい。

白石隧道は、もう通れない。
それでよい。
私は、いつになく満足していた。




 土木作業の最中、鼻をつき合わせるように正面にあった扁額。

私と、白石隧道の、甘い逢瀬は、終わりだ。

気持ちが、口をついて出た。

そのまんま、「おつかれ」 と。


両側埋没という、「貫通・或いは進入をモットーとする山行が的」に不本意な結果にも、充足感を与えてくれた白石隧道は、東北に名だたる道路遺構であると感じた。
岩手県には、この管理と、簡素な保存を望みたい。



次回、
失われた道が、私を誘う  最終回。








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