産業遺構レポート  田瀬ダム コンクリートプラント跡  <最終回>
公開日 2005.7.4



 最上部の遺構
 

4−1 ベルトコンベヤ積み込み場?


 掘り割りの直角カーブを経て、ベルトコンベヤ跡らしき通路(右の写真は振り返って撮影)を登り切ると、山腹の小さな平地に出る。




 そこは、この遺構群の中でも最も高所で、残雪の量も多かった。
一月に来たときには、掘り割りにはまだ40cm以上の雪が積もっており、さらに視界50m以下という、吹雪にも近い降雪があった。
その状況下でこの平坦地に辿り着いた我々は、一瞬気が緩んだのかも知れない。
その地面には、予想だにしない危険が、潜んでいたのだ。

 この遺構は、3月中旬でもなお、ご覧の通り雪の下にあり、コンクリート製の基礎が残っているようだったが、詳しい形状は不明である。
大体、半径10m四方程度の狭い範囲に、コンクリートの基礎が隠れているようであった。
おそらくこの地点からベルトコンベアが始まっていたのではないだろうか。

 右の写真で細田氏の足元にある、雪の消えた小さなスペースだが、ここが魔のポットである。
一月の訪問時には、積雪のため全く周囲との区別が付かず、何気なしにここを踏んだ細田氏の体が、一瞬揺れた。

そこは、深さの分からぬ小さな溝に薄氷の張った水が湛えられたプールになっており、細田氏の体重で薄氷が割れてしまったのだった。

我々には何が起きているのか分からなかったが、細田氏の紅潮した表情から、その恐怖を感じ取ったのである。

 これは、冬場の廃墟歩きでの危険度が特に高い事例であり、以後注意せねばらなないと肝に命じたものだった。

4−2 選別場跡?


 そして、このコンクリートの基礎のある平場のすぐ南側の斜面には、左の写真の巨大な施設の痕跡がある。
これは、一連の遺構の中でも最も規模が大きなもので、高さ20m、幅20m程度の、段々になったコンクリート製の基礎である。
下から見上げるとかなりの迫力で、全体が急であるために、覆い被さってくるような圧迫感を覚える。
また、各段には既に腕よりも太く生長した木々が生えだしており、遺跡として過ごした年月の長さを感じさせる。

 これが何であるかだが、おそらくその形状から、選別場の跡と考えられる。
鉱山であれば、選鉱場となるべきもので、砂利のサイズごとに選別する機能を有していたと思われる。



 ただし、これが選別場であったと仮定して不思議なのは、最下段は狭い平場に過ぎず、しかも周辺には何ら遺構と呼べるものは見あたらない。
最上段からは、今まで我々が辿ってきたとおり、ベルトコンベヤが稼働していたと思われる、一連のルートが確認されたわけだが、問題は、ここに供給された砂利は、どのようにして搬入されたのかと言うことである。
また、通常の選別場では、上段から順次下段へと素材を流して、選別するわけだが、この遺構の場合、むしろ最上段にのみ、広いスペースがある。
どのような方法で選別し、素材の流れはどのようになっていたのか…?

我々の発見できた遺構だけでは、解明しきれなかったのが、心残りである。


 次に我々は、地点の橋脚群の内、唯一窪地から離れて、西へと延びていた一列の末端を確認すべく、選別場跡から進路を南西に取った。

 ここにも、僅かばかり道の跡とも思われる平場があり、はじめはそこを辿っていたつもりだが、まもなく不鮮明となり、結局勘を頼りに歩くことになった。
ご覧の通り(写真左)、かなりの密度の藪となっており、夏場には視界が全く効かないと思われるから注意。


 林内は、このようになだらかな地形になっている。
どこへなりとも行けそうな錯覚を覚えるが、油断するとあっと言う間に方向感覚を失うので、慎重に行く先を選ばなければならない。


数分間林内を歩くと、いよいよ最後の遺構が現れる。




 



4−3 貯水槽跡?


 田瀬ダムサイトのほぼ真北に位置する緩い稜線上に、ぽつんと佇む貯水槽らしき遺構。

ここもまた、周辺には道の跡も見あたらず、他の遺構と関連性があるのかさえ分からない。
ただし、新しい遊歩道がすぐ下側にあり、鉄塔の傍から尾根伝いに歩くとすぐに、この場所に着くことも出来る。

槽は、斜面にあり、低い側から天辺までの高さは4mほど。円筒形で、天井はない。
その半径は、2mほどである。
槽に登るための梯子などはなく、内部を伺い知るには一箇所だけ開けられた小さな穴から、覗かねばならない。



 金属のパイプが唯一の外との接点になっており(天井は開いているのだが)、内部に侵入することは出来ない。
パイプの向こうに僅かに見えた内部は、まだ雪が多く残っており、地面は見えなかった。
しかし、特別な構造物は何もないようである。

 この穴は、槽の東側、斜面の下側に向かって開いており、そのままコンクリート製の溝に導かれる形になっている。
このことから、これは水を蓄えておく為のものと思われるが、流入口はなく、雨水を蓄えて利用していたのだろうか?
また、水の行方についても、溝が僅か10mほどで突如消えているために、分からない。



 また、この近辺には数本の電柱が確認された。
今時珍しい木製の電柱には、碍子と共に、電線が張られたままになっているが、その電線はどこにも通じていないようだった。
遺構との関連性は不明ながら、周辺に人家などが一切無い事を考慮すれば、無関係とは考えにくい。



 貯水槽と思われる遺構の遠景。

 辺りは日当たりが良く、残雪は殆ど消えていた。
また、すぐ傍に展望台があるほどに、東側(宮守村方向)の眺望が優れ、北上高地の山並みの向こうには、民話の里遠野盆地が、隠れ里のように霞んで見えていた。

 春山歩きの気持ちよさが、新鮮な酸素と共に、我々の脳内を最大限に活発化させ、遺構の正体について活発な意見交換がなされたものの、洞察力不足と、事前調査の決定的な不足のため、この遺構についてこれ以上の発見はなかった。


 貯水槽から、東側に少しだけ下ると、遊歩道が我々のスタート地点である駐車場へと下っているのに出会う。
そして、この遊歩道からも、斜面を渡るように続く、高層橋脚の列が鮮明に見て取れる。
橋脚の間隔がかなり広く、また、貯水槽側に対して、かなりの登り勾配となっていることが分かる。

果たしてこの橋脚の列の終点は、選鉱場の下部なのか、それとも、貯水槽付近なのか?

残念ながら、地上部分にはそれらしい痕跡が無く、判然とはしない。
遊歩道付近で、橋脚の列は忽然と姿を消してしまうためだ。





 古ジュースの墓場
 

5−1 ダムが見える丘は、古ジュース達の墓場


 我々が最後に向かったのは、ダムサイトの直上にある展望台だ。
ここは、遊歩道の終点にもなっており、大変に見晴らしが良い場所である。
田瀬ダムの堤体傍の湖水は、なお凍り付いており、水位の変動が少ないことを伺わせる。

 近年、ダム機能の強化及び設備リフレッシュ工事が実施され、我々の探索時にはちょうど監査廊の改装工事の最中だった。
北上川を舞台に、日本最大規模の総合ダム開発計画として昭和初期から実施された北上川総合開発計画の端緒となった大ダムは、いまなお揺るぎない地位にあるようだ。

 ちなみに、写真に写るダム堤体上の道だが、実はこれ、県道である。
このような場所を県道が通っているのも、やや珍しい。



 展望台の基礎の部分もまた、ダムと同時期に建設されたと思われる、コンクリート製のアーチとなっていた。
かなり風化が進んでおり、アーチの内側には、真新しいコンクリートが僅かな地表を覆うように充填されていた。(写真の白い部分)
そして、このアーチの下の草が刈られている斜面には、遺構とは直接関係がないものの、沢山のレトロなゴミが落ちていた。



 揃いも揃ったり、レトロジュース缶の田瀬ダムコレクションである。

これだけの数が、ほんの1分ほどで集まった。
しかも、落ちている空き缶がみな、古いものばかりであった。
一体何年の間清掃されなかったのかと思ったが、それよりもむしろ、近年には誰もゴミを捨てていないと言うことを褒めるべきかも知れない。
いずれにせよ、展望台から簡単に目が付く場所に、これだけのレトロ缶が落ちているとは、全く持って予想外。
こういうものが大好きな我々は、思わずはしゃいで、写真を撮りまくってしまった。
そして、敢えて回収せず、この場に放置してきた…。



 さて、発見された缶の内訳だが、上の写真の左から順に、

アサヒゴールド缶
(昭和32年にビンが登場、昭和33年には缶が登場している)
コカコーラ缶
(色褪せが酷いが、右のコーラと同じデザイン)
コカコーラ缶
(日本で缶入りコカコーラが発売されたのは、昭和40年)
ミリンダグレープ(ペプシコーラがファンタに対抗して販売した果汁系炭酸飲料で、昭和40年頃が最盛期)
日水オレンジジュース
(この中では最も謎の存在。正体不明)
コカコーラ缶
(これのみは現在のデザインに酷似しており、そう古くないかも知れない)

 発見時に、もっとも我々の心を動かしたのは、初めて見るミリンダというジュースだった。
(今思えば、ニッスイオレンジジュースこそが最もレアだったぽいが…)
ミリンダやオレンジジュースは、タブが無く、缶切りで開けて飲む、最初期の缶ジュースの特徴を有していた。
また、含有物欄には香ばしい感じのする人工甘味料の名前が、堂々と躍っていたりした。


 さらには、すぐ傍にはなんと、乾パンの缶詰(写真右)まで落ちていた。

缶詰で乾パンを食したのは、一体誰なのだろう…?
観光客とは、どうも思えない気がする。
ダム工事の末期頃、工事を急ぐために突貫工事が行われたが、その時、宮城刑務所の囚人達40名も駆り出されたという。
乾パンとの関連性は一切不明ながら、この今は何の変哲もない草むらの斜面に、かつて、ダム工事の飯場があったのかもしれない。



 さらに捜索範囲を広げたところ、このような缶も見つけることが出来た。

左は、
ファンタグレープ缶
(スチール缶のファンタグレープは昭和43年から販売開始)
右は、
ミリンダオレンジ
(なんとこのミリンダはアルミ缶であり、ロゴもちょっと新しげ。もしかしたらミリンダ末期の製品か?!)

なお、この二缶は近接した場所にあり、くしくも果汁炭酸飲料の勝者と敗者が、その主力となったフレーバーで睨み合っているようだった。
 

 レトロジュース缶をひとしきり捜索した我々だが、じき山を下り、駐車場へと戻った。
そして、一つの探索の幕が下りる。

 残念ながら、完全には解明されなかったこの遺構群であるが、ダム建設用のコンクリートプラントだという考えは変わらない。
また、関連性は不明ながら、宮守村の柏木平付近には、かつてコンクリート製の塔が建っており、現在もその一部が残存しているとの情報もある。
コンクリート用の砂利採取が、田瀬ダム予定地より猿ヶ石川を10kmほど遡ったこの地域で行われた可能性もある。
他に、ダムサイト対岸にもコンクリート製の、現在は使われてなさそうなアーチが目撃され、一帯にまだ知られていない遺構がある可能性も少なくない。

 今後も、この地域の産業遺構については、継続的に捜索を続けていく予定である。













缶  じゃなくて


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