2001年9月2日、田沢スーパー林道の3度目の実走調査を実施した。
足は、当然チャリ(愛車:ルーキー号)。
果たして、秋田県最強クラスの(最狂といった方がしっくり来るが…)長距離林道は、どんな辛いのか、ドキワクしながら、突入!!
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早速だが、通行止めの表示がある。 しかしこれはこの道の場合、驚きにはあたらない。 過去2回の通行時、いずれも、こんな標識がいたるところにあったし、実際、通行止めになっていたのだ。 この道こそは、万年不通で悪名高い田沢スーパー林道なのだから。 |
あっという間に舗装が終了。 “スーパー”な筈の林道は、初めから僅か、100mでダート化。 |
2Kmほど大又川に沿ってフラットかつ直線的なダートを進むと、鬱蒼とした緑のトンネルが続く。 この先、延々10Km以上もこのような森の中を進むのだが、通行止めの標識がまた現れた。 通行止 道路決壊のため、 関係車両以外、 通行禁止 どんな有様になっているのか? そそるぜーーーー! |
大又沢を幾度かこの様な橋で跨ぎながら、ひたすらに上流を目指すが、これが一本目の源内沢橋。 この辺りは、まだまだ路面もフラットだし、勾配もゆるい。 ラクチンだ。 |
朝日又橋。 この橋は前の源内沢橋に比べ、妙に広いことがお分かりいただけるだろうか? このスーパー林道に存在する橋のほとんどが、この幅7mほどの高規格で作られているのだ。 …もちろん、それを活用するような交通量は無いし、今後もきっと…。 しかし実は、この日は、5分に一台ぐらいは、車に遭遇した。 林道としては多いほうで、それだけ道が長いことを感じさせた。 分かっていても、この、沢登りの単調な長さは、辛いものだ。 ちなみに、橋の向こうに小さく見える白いものは、またしても通行止めの告知であった。 |
朝日又橋を越えると、徐々に道は、勾配を強めてゆく。 所々は、ごつごつと川原のように石の突き出た登りも出始め、体力的にも、負荷を感じ始める。 景色も変化する。 大又川のV字峡崖が両側の山並みとの高度差をどんどんと高め、もはや後戻りの出来ない奥地にきたと感じさせる。 通行止めの表示はこれまで3回。 前回ホリプロ氏と来たときとは、表示の内容が異なっているが、通行止めである事に変化はなさそうだ。 問題はどこまで、“開通”しているかという事だが…。 |
うかつにも、橋の名前を控えてくるのを忘れてしまった。 初めて通ったときには、控えてあったと思い、今回は見もしなかったのだが、勘違いだったようだ。 |
崩落による通行止めがあるという、番鳥沢が近づいてきた。 道は突如狭まり、路面の状況も悪くなるばかりだ。 既に入り口から10Kmを経ており、足にも負荷を感じ始めた。 やはりスパ林、楽に越えさせてはくれないようだ。 |
現れました、大崩落! しかも、想像していた以上の大規模崩落。 これでは、全面通行止めも止むなしか。 しかし、これを見た瞬間、既に私の頭の中にはここを突破するルートを探す事でいっぱいになった。 この規模の崩落は、安易に挑めば、命が危ない。 それは、大げさではなく、いつか鳥海町の旧松ノ木国道で氏の恐怖を味わった事から来る実感だった。 ところで、左の写真には、キャベツ箱を積んだちゃりんこが写っている。 このチャリの主は…、一体?? ママチャリでここにきた人物がいたとなるとそれは…、俺を遥かに超える、バカチャリストだろう! 真中の写真において、既に私は、愛車と共にこの岩山に挑んでいる。 一見、恐怖の松ノ木旧道と同レベルの困難に見えたが、実際は、一つ一つの岩塊が結構大きく動きやすかった。 でも思わぬ落とし穴が! くつがぬげたーーーーー!! なぜか俺はこの日、仕事着の一部である、くたびれた革靴でこの悪夢の林道に挑んでいたのだ。 三枚目の写真は、靴を履きながら、上を見たところ。 すさまじい崩落である、その規模は、今まで見た中で最悪のものだ。 今にも新たな崩落が起こりそうで、気が気でなかったが、そのとき、背後に人の気配が! なんと一人のオヤジが、岩山を登ってくるではないか?! 俺の姿を目にとめると、にやりと笑い掛けてくる。 軽く会釈し、逃げるように歩を進めた。 あせった俺は、スネに数箇所、尖った岩塊による傷を負ったものの、かろうじて、追いつかれる前に、ここを突破できた。 危なかった!! しかし、このオヤジはそのとき既に、一息ついていた私に近寄っていたのだ! |
突破!! と同時にオヤジが、背後から急襲。 オヤジの証言。 この崩落は、去年(2000年)夏に起きたものである。オヤジは、その後俺を尻目に、さらに林道の奥へ進んでいった…。 徒歩で…。 (あのチャリは、なんだったか…) |
印象に残っていたこの場所に到達! おととし、ホリプロ氏とここに来たときには、この橋を渡って100mくらいのところで、路肩崩落によって、通行止めになっていた。 そこではやはり、なぜかオヤジがいて、そのオヤジが、 この先だば、いがいねぃやー。という、ガセ情報で、我々を惑わしたのだった。 それはいいとして、今年は、この橋よりさらに1Kmほど手前での通行止めであった。 この先は、おととしの段階でかなり激しく廃道かが進んでいたので…、峠までは、あと3Km程度だが…、廃道3Kmは、みじかくは無い。 嫌な気分になる。 |
1Kmに対し50m程度のかなり急なアップが続く。 この林道は、河辺町側のほうが全体的に平坦で、容易だが、それでも、廃道化したこの区間は大変辛い。 もともとの道幅は、5mを確保していたようだが、植物の侵食により、実際は2m程度に。 さらに、残った路面にも、深さ30cm以上の水路が穿たれ、かろうじて砂利が残っているとはいえ、普通に進む事は出来ず、幾度となく足止めされる。 |
いよいよやってまいりましたこの宣言!完全廃道!!景色的には、一向に変化のない廃道が続く。 進むほどますますひどいあれっぷりで、いいかげん嫌になりまくる。 右の写真は、見苦しいですが、私である。 全身、汗と、得体の知れない種子にまみれた姿を、どういうわけか、頭上より撮影。 すこし、怪しかったか。 |
太平山系の東端に位置する標高1069mの、大石岳は、一般的な登山道のない、未開の峰である。 この大石岳を、北側から望める場所は、この林道沿線でも、ほぼこの場所だけである。 あまり景色には恵まれない河辺町側の、一服の清涼剤である。 |
見えてきました。 田沢スーパー林道のシンボル(と私が思う)、黒崎森隧道だ。 結局、峠に至るも道は廃道であった。 西木村側も、不通なのだろうか? その疑問が解決する前に、まずは、この隧道に、3度目の挨拶をせねばなるまい。 きっとこの隧道は、再び私が訪れるのを望んでいたはずだから。 私は、ずっと、ここに惹きつけられていたのだから。 |
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