ついに行ったった、青ヶ島!!
青ヶ島は、東京都心から南へ遙か360km、黒潮の絶海に浮かぶ、伊豆諸島における最南の有人島である。
緯度的にも長崎市より南であり、私の訪問地における南極を圧倒的に更新する存在。
私は初めての島旅を同じ伊豆諸島の新島と神津島に得た2013年当時から、この地の訪問を夢見ていた。
これまでに行った全ての島旅は、ある意味において、この離島ビギナー向けではない島へ挑むためのトレーニングであった。そんな大仰な気構えさえ持つほどに、青ヶ島は私にとって“高嶺の花”だと思える存在だった。
それは旅人として、あるいは、オブローダーとしてもである。
このわずか約6km2(河口湖と同程度)、外周9kmの小さな島には、土木を愛するものを惹きつける魅力がある。
私はそのことを、この島を体験した幸運な数人の情報提供者によって、ここ10年ほどの間に何度か唆された。
そのために、私はいつか自転車と一緒にこの島へ渡ってみたいと思うようになった。
私が初めて行きたいと思った島は、実はこの青ヶ島である。
多くの特徴に彩られたこの島の一般的なプロフィールについては、既に多数の情報が巷にあるから、ここでは簡単に箇条書きで触れるに留める。詳しく知りたい方は、別途この島の名前を検索すると良い。でも、敢えて知らないまま読み進めるのも一興かもしれない。
- 都心から南へ約360km離れた太平洋上に浮かぶ、面積約6km2、外周約9kmの小さな島。
- 最寄りの島は八丈島だが、約64km離れている、文字通りの絶海の孤島。伊豆諸島では最南端の有人島。
- 東京都青ヶ島村を一島のみで構成しており、人口は約170人。同村は日本で最も人口の少ない自治体。
- 世界的にも珍しい二重のカルデラを持つ小型の火山島で、固有の生物や植物もある。
- 江戸時代の天明5(1785)年(今から230年ほど前)に最後の大噴火があり、多くの住民が焼死。生き残った人々は八丈島に避難し、以後数十年無人となった。
- 島には旅客船が発着する港と、ヘリポートがあり、海路と空路で訪問が可能。本土からの直通便はなく、船もヘリも八丈島との往復である。
- 有人島としては、日本でも有数の訪問が難しい島として知られる。(後述)
さて、私にとって青ヶ島訪問の最初にして最大の関門となったのが、渡島自体の難しさだ。
青ヶ島村公式サイト内の「アクセス」を見て貰えば分かる通り、船とヘリコプターという二つの手段が用意されているのだが、私の場合はどうしても自転車を持ち込みたかったので、後者は最初から除外した。(また、このヘリも1日1往復で9人乗りなので満席のことが多く、相当前から予約しておく必要がある(空席照会)を見ると、大抵いつも満席の「×」が並んでいるのが分かる。)
船で青ヶ島へ行こうとすると、「アクセス」にもはっきり書かれていることだが、「天候不良等による欠航もあり、就航率は50〜60%
」という、欠航の多さが難題なのだ。しれっと書かれているが、就航率50〜60%というのは、日本の離島でも相当に低いはず(最低?)。
就航している船は決して貧弱なものではなく、太平洋の荒波にも耐えうる460tの立派な中型船だが、青ヶ島の港湾施設の貧弱さもあって、未だ就航率の低さを克服できないでいる。
しかも、もともとの運行頻度が毎日2〜3便もあるならまだしも、基本的に週4〜5便なのである。
ある日に欠航すると、その日はもう渡島の手段がなく、翌日を待つしかない。その翌日がもともとの運休日だったりすることもざらにあるので、これは青ヶ島を紹介する人がよく述べるが、大袈裟ではなく、1週間くらい連続して島に渡れない(または戻れない!)ということが、船を使おうとする限りは現実的に起こるのが青ヶ島である。
このことが、しばしば“洋上の楽園”とまで賞される絶景の青ヶ島をして、年に900〜1800人ほどの観光客しか訪れない理由になっていると思う。
この島と外界を結ぶ交通事情は、ヘリの存在を無視してしまうと途端に前時代的なものとなり、これは忙しい現代人にとってなかなかハードルが高い。
また、地味に青ヶ島への訪問を難しくしているのが、ヘリも船も八丈島から出ているということだ。
八丈島へは飛行機でも行けるが、自転車を持ち込みたいなら、ここでも船一択となる。
東京竹芝桟橋から八丈島まで約11時間、そして八丈島から青ヶ島まで2時間半、合計すれば半日を優に超える長い船旅が“片道”となる。
さて、このような渡島事情の難しさを述べたが、今回初めて青ヶ島行きを企てた私が、その洗礼を免れ得たかと問われれば、答えは「△」だ。
このレポートを書いていることからも分かると思うが、訪問自体は果たされたのである。
しかし、洗礼は受けた。
私は、春の気象海象の穏やかさと、探索に適した涼しさを考えて、2016年3月を決行の時期に選んだ。(余談だが、この前年も計画していたが、スケジュールが調整できず断念した) 右図は、2016年3月の「あおがしま丸」(八丈島〜青ヶ島)の運行予定表に、私の計画を書き込んだものだ。そして画像をタッチ(カーソルオン)すると、実際の行動を表示する。
簡単にまとめると、当初の予定では3月2日の12:30から4日の13:30まで49時間青ヶ島に滞在して堪能するはずが、不運にも2日の船が欠航となったため、4日の12:30から翌5日の13:30までの25時間へ、滞在時間が半減したのである。
本来、私のような金欠な旅人は、移動賃のコストパフォーマンスも大切にしたいところだが、そんなことを言っていられない状況だった。
表に書き込んだ就欠航を見て貰えば分かると思うが、この「4日に渡り5日に戻る」というのも、なかなか綱渡りの訪問だったのだ。
仮に現地で5日の船を見送って7日まで滞在しようと企てたとしたら、9日まで島に閉じ込められる形になっていたのである。
当然、船が欠航するほどヘリも満席になるので、飛び込みで利用することなどは、ほとんど不可能である。そういう島と割り切るよりない。
まあともかく、私は25時間だけ青ヶ島を探索できた。
そろそろ、青ヶ島の“道”の話、本題に入ろう。
左図が、最新の地理院地図に描かれた青ヶ島の全体図だ。
右下にスケールを表示したが、やや南北に細長いココナッツ型の島影は、長径3.5km、短径2.5kmほどである。周囲に広がる海と較べるまでもなく、ごく小さな島だ。
そして、等高線の粗密から如実に分かる、圧倒的火山島感!
それもそのはず、本島は水深1000m近い海底から立ち上がる巨大な成層火山の山頂付近である。七合目より上くらいが海上にある。
島の南側半分は、「池之沢」という名の大きなカルデラ(凹地)になっており、その中央に中央火口丘としての「丸山」がそびえている。
カルデラをぐるりと外輪山が取り囲んでいるが(最高峰「大凸部(おおとんぶ 423m)」もそこにある)、外輪山の外側斜面は北側を除く三方が海まで直接落ち込んでいる。
残る北側にはやや広い北向きの緩斜面があり、島唯一の集落(西側の「西郷」と東側の「休戸郷(やすんどごう)」がほぼ繋がっている)や役場がそこにある。
島を囲む海岸線は、激しい海食のため全方位とも絶壁で、そこに入り江や砂浜、流出河川、沖積地はなどは全くない。
その海崖絶壁の南西側に、青ヶ島で現在使われている唯一の港である、「三宝港(さんぼうこう)」がある。
島には青ヶ島村が管理する多数の村道と、東京都(八丈支庁)が管理する1本の都道が存在する。
その名は、一般都道青ヶ島循環線。東京都が定めた愛称は「青ヶ島本道」。管理番号(路線番号)は236。(どうでも良いが、自宅の最寄りJR駅前を通る豊田停車場線のネクストナンバーだ) この都道は昭和42(1967)年に認定されており、平成25年度時点の総延長は6347m。起点終点がともに青ヶ島三宝港にある、路線名通りの循環路線である。
ところで、これ(↓)を見てくれ こいつをどう思う?
すごく…旧道です…
そしてたぶん…、廃道です。
ただでさえ、情報の多くない青ヶ島の都道。
だが、島の玄関口である港の目の前には、地図を見ればどんな初心者オブローダーでも気付けそうな、あからさまな旧都道が!
(しかもなぜか、地理院地図は今なお都道の色を塗っている)
その攻略こそ、島へ上陸した私が最初になすべき訪島の挨拶に他なかろう!