14:57 《現在地》
一旦起点へ引き返し、今度は古座川左岸の県道38号を下流へ向かう。
不通区間の先へと回りこみ、逆から攻めるためだ。
この迂回に使った県道38号も川縁を通っており、至る所から対岸を観察出来た。
その都度、対岸に道がないか探したが、始めて成果を得たのは、不通区間中間地点の月野瀬温泉付近だった。
そこには山水画を思わせるような巨大な岩峰がそそり立っていたのだが(この辺は古座峡と呼ばれる景勝地の一部だ)、その付け根辺りに、明らかに人工的と思われる“ライン”が見えた。
道なのか、用水路なのか、それ以外の何かか?
地図には歩道を示す破線さえ描かれていないが、改めて地図を見ると、その先には水田があり、やはりあれは道なんだと考えるに至った。
あとはそこが県道である証しを得られるかどうかだが、それは現地へ行っての宿題だ。 まずは行こう!
うっふん!ワクワクしてきた!
15:03 《現在地》
これで不通区間の迂回が完了。
3kmぶりとなる、県道228号との再会である。
県道38号との位置関係は、この“H”な青看をご覧頂きたい。
青看の“右下”の道が、破線になっている。
これは不通区間であることをアピールする、青看設置者なりの親切心なのだろうか。
行き先表示が無いだけでも、だいたい怪しい…。
“H”な青看は、1枚だけではなかった。
今度は県道228号の側に立っている青看である。
こちらはさらに怪しい内容になっている。
なんというか…、付け足し臭がひどい。
県道228号の不通区間は付け足し。県道38号のヘキサも全て付け足し。しかも3つあるヘキサの大きさが全部違うという、だらしなさ。
このヘキサの大きさのせいで、どうでもいい不通区間が妙に目立っているのもまた愛嬌だ。
これもほぼ同じ場所にあった青看。
青看は青看でもあまり見ない形式で、「規制予告」というタイプだろうか。
駅の表現方法が、普段の青看のルールとかけ離れていて面白い。
うねうねした川がお茶目。
“H”の中棒にあたる所に架かっている宇津木橋。
県道38号と県道228号が重用している。
そして、古座川町と串本町の町境である。
橋上から下流を眺めると、2.5kmほど離れた海まで見通す事が出来た。
旧地形図や「角川日本地名辞典」によると、この橋は昭和56(1981)年に、「県道のバイパス」として初めて架設されたらしい。
高瀬橋の翌年に完成しているのは、偶然だろうか。
偶然でないとしたら、県道228号の整備が当時盛んであったことの証しなのかも知れない。
15:04 《現在地》
宇津木橋を爽快に渡りきり、“H”の右岸側にある交差点にやって来た。
するとここにも立派な青看が設置されていた。
県道228号が、とても不憫な描かれ方になっている。
でも、これが身の丈にあった表現なのだから、仕方ない。
県道228号の東側区間へ入ると、即座にヘキサが出迎えてくれた。
この県道で初めて目にする単独のヘキサである。
ここが県道であることを証明してくれているが、果たしてこの元気は、いつまで続くのか…。
とりあえず、今のところは2車線&片側歩道の完成された県道である。
しかし、絶対に行き止まりだと分かっているからこその虚しさがあった。
薄れて消えてしまったままのセンターラインなどは、そんな虚しさの上乗せだった。
15:06 《現在地》
宇津木橋から300mほど来たところで、呆気なく道はしょぼくれて、ひびだらけの1車線道路に変わった。
そして、ちょうどこの辺りが古座川町と串本町の町境である。
宇津木橋を渡って古座川町から串本町に入ったのだが、また戻る。
しかし町境を示す標識が無いうえに、地形的にも境を感じさせるようなものは何もない場所だ。
ちなみに、平成17(2005)年の市町村合併まで、串本町ではなく古座町といっていた。
それまでは、古座川町と古座町という1文字違いの町が隣り合っていたのである。
しかも二つの町の役場は2kmと離れていなかった。
送付物の宛名などで混乱があったものと思う。
宇津木橋から600mほどで、突然大きな施設が現れた。
この建物と敷地はかなり巨大で、地形図上では「道が途切れた地点」から、川沿いに200m以上続いている。
いま重要な事をサラッと書いた。
地図の上では、ここで道が途切れているのである。
「県道が描かれていない」のではなく、「道そのものが描かれていない」。
だが、「地図にない道」が、今のところは山際に沿って続いている。
なんか、怪しいが。
更に進むと… なんということでしょう!
道に屋根がかかっています。
道に屋根がかかっているんですよ!
県道だったと思うんだが、いつの間にか施設に同化してしまっている?
でも、ここ以外には先へ進めそうな余地はないし…。
和歌山県の「道路台帳」で、本当にこの屋根の下が県道に認定されているのかを調べてみたいものだ。
ちなみに読者さまからの情報によると、以前ここにあったのは製材所だったそうだ。その頃から、こんなだったのか?
なお、現在地は上記の通りである。
この余りにも「公道らしさ」とかけ離れた「屋根下の道」が、
まさか本当に県道に続いていたとはな……。
いまもって、驚きである。
潜り終えた「屋根下の道」を振り返る。
一応は車道だが、軽トラより大きな車は、入口左の柱に接触して通れないと思う。
こうした直角カーブが、ここと、このすぐ先と、シケインのように2回連続していて、
そこまで抜けるとようやく――
平穏な? 川沿いの道になった。
忘れられないのは、ここですかさず出迎えてくれた1枚の看板だった。
これより先、才ノ谷までの道路については、水道管埋設のため、地主のご協力を頂き出来たものであります。
県道敷としては、幅一・五メートルで、それ以外は私有地となっております。
和 歌 山 県
古座川水道企業団
やっぱりここは、
県道だった!