福島県道12号 主要地方道原町川俣線 八木沢峠旧道 第3回

公開日 2006.12.25
探索日 2006.12.11

峠への総決算 「旧道区間 その4」

入ってから、キタ!まで10秒の道


 スローライフなつづら折れが何とも心地の良かった第3区間を終え、三度現道へ遭遇。
だが、ここで互いは挨拶を交わすそぶりもない。
ただ、出会っただけ。それだけである。
現道は、旧道を気持ちいいくらいに、突っ切っている。
また、逆に旧道も現道に媚びへつらうこともなく、己が線形を全うする。
旧道はただいま6連続ヘアピンと4連続ヘアピンの合間の区間、現道の方も数式によって導き出された“完成された峠道”の中途である。

 互いにいまは、峠に夢中!

 休憩3分を挟み、午前9時07分出発。
旧道最終区間である峠路への直登、第4区間突入!



キター! 

 テンション、上がりだー!!

ぜんっぜん 予想外!!
さっきまでのあの大人しいニャンコはどこへ行ってしまったの?!
つづら折れ一個にしてこの高低差は、なんなの?!
熱いぞ。イイ意味で期待を裏切った!
まだ、これしか来てないが、最終区間は、何かが違うぜ!!



 4つのヘアピンが待ち受ける峠への最終区間。
いま頭上に見えているのは2つ目のヘアピン付近だ。
その切り立つ路肩は城壁の如き石垣となっており、しかも、ガードレールもあるにはあるが、それより外側に見えているのは、頑丈そうな駒止。
おそらく、開通した当初はガードレールが無く、石積みの駒止のみだったのか。
上段の車が弾いた砂利は容赦なく下段に降り注いで来るという、流血上等の熱すぎる峠道だ!



 第3区間とは同じ道の続きだとは思えぬほど、本格的な山岳道路と化してきた旧道。
心地よい雑木林に包まれた、浅い笹の旧道を行く。日陰には今朝方積もったらしい雪がほんの少し残っていた。
既に標高は450mに達し、なんだかんだ言っても第1回のスタート地点より300mの登攀を成し遂げている。
峠まではもう80mほど。

進むにつれ、林間に見えるガードレールが下ってきた。
1つ目のヘアピンは近そうだ。



 第2区間の終盤と並び、全線で最も薮が深かった場所の一つ。
1つ目のヘアピンカーブの頂点部分だ。
この様子だと、夏場は相当に苦しいだろう。
増水時に沢が氾濫し旧道上に肥沃な土を運んできてしまうようで、周りとは植物の勢いが違う。
写真でも、ここから先に道があることは確認できないが、線形を信じて強引に突っ込むと、辛いの激藪は20mほどだった。



 冒頭の地図に戻って見ていただけると分かるが、この4連ヘアピン(つづら折れ)は実に美しい線形をしている。
華麗なカーブを重ねながら、普通の方法ではとても車道を通せない斜面に対し、正面切って立ち向かっている。

 最初のカーブから見上げると、稜線にも近い高所に宙ぶらりんになったガードレールが見えた。
あそこは3つ目と4つ目のカーブの間である。
最終区間の高低差の殆どが、この一連のつづら折れで攻略されることになる。
この景色を見ていると、最近忘れかけていた、峠というものへの素直な感情が、甦ってくる。



 ほぼ一定の勾配を維持しながら、しんなりした落ち葉の道は、順調に次の切り返しを目指す。
ガードレールよりこちら側に生えた木々の太さが、約30年という時を代弁する。
道の真ん中にもこんな木が育つには、あとどれだけかかるのだろうか。
しかし、既にその萌芽は現れていた。



 偉大な工法 つづら折れ


 少し進む度、見上げるのが楽しみだった。
いや、この道はどこもかしこもみな絵になる。
わくわくしながらチャリを進めると、次の段のガードレールはどんどんと近付いてきた。




 思うに、つづら折れほど、山チャリストに明確な道程里を提示してくれる道はない。
上を見たとき、そして下を見たとき、それぞれに数えられる数字が用意されている。
西へ進むとき、東へ進むとき、それぞれに新しい高さ(眺め)が用意されている。



 辿り着いた2つ目のヘアピンカーブ。
このカーブの外側の崖は特に高く、下段や現道へと一挙に落ち込んでいる。
最初に見上げて「キタ」場所だ。

 左の写真は、駒止め。
石積みだと思っていたが、それはコンクリートの表面に擬石の化粧を施していただけだった。
なかなか凝った真似をしおる。
 写真右もその続きにあったガードレールだが、その外側に鉄網が設置されている。
前区間でも支柱だけは見ていたが、本来は鉄網とセットで転落を防いでいたようだ。
ガードレールの発明以前は、転落防止柵も多彩だったようだ。



 9時12分。
カーブの内側だけ見ているとまるでスイッチバックだが、驚くほど広い余地が外側に用意されており、大型車もハンドル捌きで何とか通過できたろう。
道幅の広さは相変わらず現道級である。



 カーブを過ぎると間もなく、裏返しの道路標識が見えてきた。
回り込んでお顔拝見…

 最近では珍しくなった標識の一つ「警笛鳴らせ」だった。
さきほどのヘアピンは確かに見通し最悪で、現役当時は事故が絶えなかったかもしれない。
補助標識は掠れた右向きの矢印で、合わせると標識の意味は『これより先 警笛区間』となる。
「この先では積極的に鳴らしてくれよ」
そんなところか。



 さて、つづら折れを一段終え、ここからは中盤戦。
上にも下にも道がいる、そんな中間職。
早速問題発生。
下からの厳しい搾取と、上からの圧政……



 って、

あそこあんのかよ…。





っはっはっはっは!

最高!

昇天しそうだ。 いや、ネタでなく、凄いぞこの景色。
道としてのグレードが普通じゃない。

俺が死んだらここに埋めてもいいよ。



やっほ〜!

こんなすっげー景色が、こんな場所(失礼)にあったとは……………


 脳内分泌物質が……

アッ…
……でちゃった。



 ある意味潔いほどの自然破壊。
つづら折れがある斜面に関して言えば、稜線のすぐ下から谷底まで、その全てが道路敷きないし、その法面である。
そう言って良いほど各段は物理的に近接している。
だが廃道後、ここには斯様に美しい自然が戻っている。
はたして、今日的な手法で建造された快適な峠道たちは、廃止後たったの30年でこれだけ森に馴染めるだろうか。

 答えは、否だ。

見て欲しい、道の傍の法面を。
巨木が、ふんだんに残っている。
残されたのだ、道がその合間を貫いたにもかかわらず。
当時の施工者達は、木を残した。
これこそが、森へ委ねられた道の美しき余生、その秘訣なのだろう。
道を覆う落ち葉の絨毯は、それを証明してくれる。
どんぐりとか、木の実もたくさん落ちている。
すべては、成熟した木々の贈り物だ。

 元来の植生や、土壌などの違いもあるから、一概に決めつけることは無理がある。
しかし、根こそぎ森を剥ぎ取り造られた道は、廃道後に長い間、雑草だけが繁茂する場所となる。
やがては木々も根付いていくが、痩せた土壌では、その前に致命的な崩壊を迎えることも少なくない。
放っておいては災害になるからと、人様はそこに累々の砂防ダムを造り、治山工事を始める。
お金はかかるし、川も汚れる。生き物も減る。

 “美しき”廃道に、 敬礼!



 さっき下から見上げたばかりの大崩壊地点。

 危なかった。

 ぎりぎり、チャリ一台分の平地が残っていた。

もともとがつづら折れは重力に逆らった道なので、経年と供に崩壊が起きることはやむを得ない。



 スリリングな崩壊地点。
ギャーとかウワーとか言うこともなく、私は神妙な表情でここを通過。
よくもまあこの急斜面に何段も何段も道を重ねて作ったものだと、感心することしきりだった。

 これを抜ければ、いよいよ最後のヘアピンカーブである。



 午前9時29分、首尾良く4番目のヘアピンカーブへ到着。
私が「ヒーヒイ」言って苦労しなければ面白くないという読者さんには申し訳ないが(笑)、今回は気持ちいいね!
たまにはこんな道があってもイイ…よね?!

 思えば、こんな景色に魅せられて旧道を走り始め、それから廃道や廃線へとエスカレートしてきたのが、私なのだ。
ここはまさに、原点回帰的峠道。



 峠はもうすぐそこにある。

 だが、驚きはと感動は、まだまだ尽きない!!


  次回、 最終話。  (MOWSONもね)