道路レポート  
八久和林道
2004.7.29


 

 八久和林道は、山形県東田川郡朝日村上名川の国道112号線より南に別れ、八久和川に沿って約12km、八久和ダムを終点にする林道である。
その景色は、2003年に完成したばかりの月山ダムの雄大な湖面あり、迫り上がるような梵字川の峡谷美ありの、変化に富んだものであり、「山行が」的欲求に対しても『旧道』『廃道』『廃隧道』『水没隧道』などと、完璧に応える貴重な路線である。
殊、本路線の上流、紅葉橋から八久和ダムの4kmは熾烈な廃道として知られており、挨拶代わりの轍を刻むべく、私は出発した。

果たして、名にし負う廃道とは、如何なるものなのか?





上名川 米の粉の滝ドライブイン前
2004.7.22 10:10


 八久和林道は、2003年に完成した月山ダムの工事によって、大きくその姿を変えている。
国道からの入り口も、以前の道ではなく、立派な青看付きの分岐となっていて、林道の入り口とは思われない。
その新旧の入り口だが、旧入り口は、写真の米の粉の滝ドライブインの向かいにある。
また、現在の入り口は国道で八久和川(このあたりの下流までを梵字川と呼ぶ)を渡った対岸にある。


 そして、これが旧道の入り口である。
それと知らなければ、まず素通りしてしまうだろう。
月山道路に繋がる高速コーナーの途中に、忘れ去られたようにある分岐だ。

当日は気温がぐんぐんと上昇しており、午前10時の時点で25度を超えている。
入り口から明らかに藪道な様相に躊躇いを禁じ得なかったが、このすぐ先には隧道が存在するとの「山形の廃道」さま情報があり、捨てておけない。


 いきなりこの様子である。
この程度なら慣れっことはいえ、ただ立っていても汗ばむような暑い最中、藪に入るのは気が引ける。
まあ、暑くなくても藪は嫌だが。

チャリごと進入すると、意外に藪は浅く、乗って進めないこともない。
しかし、前日まで各地で土砂災害を引き起こした大雨の影響は確実に残っており、一見ドライな草の路面も、殆ど湿地のように水を溢れさせている。
あっという間に、足元がびしょ濡れになる。

我慢して進むと、思ったよりもすぐ、結果が現れた。


 草むした砂利道の先に岩山をくり抜いた道が続く。
これぞ廃隧道といった、貫禄ある素堀のお姿。
「山形の廃道」さまでこの隧道を初めて見たとき、「綺麗だな」と素直に思った。
筆者さんの、廃隧道への愛に満ちた優しい文面もそのような印象づけの大きな素因になってはいたと思うが、普通、素堀の廃隧道を見たときの印象は異なる。
今まで山行がでも多く紹介してきたが、素堀廃隧道=“おどろおどろしい恐い場所”
そんなイメージを私は感じてきたし、その通りに紹介してきたはずだ。

しかし、この隧道。
なんか、安らぐ。
思わずチャリを 脱ぎ捨て た。

 



 その気になれば、ものの数歩で隧道に辿り着き、そのまま10歩で通り抜けられよう。
チャリであれば、さしてペダルに力を込めずとも、そのまま通過も出来ただろう。
隧道は、前後が明らかな廃道であることと結びつきにくいほど、よく残っている。

しかし、逆にこの穏やかさが、私の闘争本能を鎮めさせ、チャリを置かせた。
もっとじっくりと、隧道を味わいたいと思ったのである。

見るべきころなど殆ど無い。
いたって質素、簡素な、ただ岩山をくり抜いただけの隧道である。
ただ、静粛な冷気が岩盤から滲み出て、私の汗を鎮めるばかりだ。







 自然のままの坑門に、扁額代わりの山百合。

恵みの雨を蓄えた地山は日光に輝き、そこにある緑は、生気に満ちあふれている。
隧道は、有史以前からそこにあったかのように、森に融け込んでいる。

現役の最後の頃には、おそらくダム工事のダンプ達が連日ここを通い、路傍の草も、木々も、岩肌も、全てが灰色となっていただろう。

現在の道が完成してわずか数年。
森は、人の残した傷跡を、その一部として優しく包み込んでいた。




 短さの割りに滴る水は多く、洞床は水溜まりになっている。
傍にある国道の喧騒も、洞内までは届かない。
緑のフィルターを通して洞内に入り込んでくる光は、とても柔らかく、心地よい。

この隧道の由来は、よく分からない。
本林道の終点にある八久和ダムの建設(昭和32年)頃には、既に車道が通っていたらしい。
名称も不明であるが、ここは素直に「八久和一号隧道」としておこう。



 “一号”と付けたのには、当然皆様が想像するとおりの理由がある。
徒歩のまま、隧道を潜り抜けて進む。
結果的にそれは正解で、この先、チャリを通さぬ難所となる。



滝の落つる道
10:14

 道は、八久和川の断崖絶壁に張り付いて月山ダムに向かう。
現道がわざわざ長大橋をもって迂回した区間である。
濁流を成す谷底までの高さは50mくらいあるだろうか。
ガードレールも無い廃林道は、危険極まりない。
足元も、頭上もだ。

写真は月山ダム方向を望み、現道の猿子渡橋が大きく視界を遮る。



 振り返れば一号隧道の姿。
此方側はやや印象の異なる姿である。




 また、そのまま谷側に視線を向ければ、隧道の裏にいくつもの橋が見えている。
これは、国道の大綱橋(赤いアーチ)と、山形自動車道小綱川橋(奥の巨大橋)である。
小綱川橋は橋高75mを誇り、高速道路で最も高い橋である。(完成時)
また、大綱橋のさらに下に旧大綱橋もあるが見えない。
これは後述する。

人跡稀な山間に、その時代時代に合わせた規模の橋が架け渡されている光景は、ここが古くから交通上の要衝であったことを意味している。





 廃道を打つ無名の滝。

谷が集める水は、容赦なく廃道を叩き、その路面に堆積物を残す。
その堆積物に草が茂り、いずれは森に還してしまう。
谷間の道は、あっという間に消えてなくなってしまうのだ。

頭上30mはあるオーバーハング気味の岩盤から落ちる幾筋もの滝が、路上を一面湿地と化しており、長靴無しでは濡れを免れない。

無論私は漢濡れである!




 水辺を好みそうな植物が埋める廃道。
振り返って撮影しており、左の岩盤に滝が幾つも落ちている。
また、落石の無い訳もなく、植生に隠れ見えないが、路面上はスイカ大の瓦礫の散乱している。
間違いなく難所であるが、その心地よい緊張感と、清冽な水しぶきが堪らなく、もう少し歩いていたいとさえ感じた。

先へ行こう。



 さらに大きな滝が存在した。
二段となり飛沫を上げる瀑布が、路上に滝壺を創る。
飛沫が圧風と轟音に乗って、ぶつかってくる。
輝きの中にいくつもの虹が見えた。

マイナスイオンを全身に受け、リフレッシュ。
デジカメもリフレッシュ… は無理で、この滝の落ちる区間は思うように撮影出来なかった。

道を洗うような滝の姿に、この時は快感すら覚えていた。
この数時間後、最悪の状況に遭遇することも知らず。



 滝壺の様子。
足元はぬかるみ、踝まで沈む。
路面の見えている場所はないが、砂利が敷かれていた形跡はある。
ダム工事の途中まではこの道が使われていたはずで、廃止後10年以内だと思うが、そうは見えない。



 現道の猿子渡橋が頭上に近づくと、その橋台のある岩盤を貫くふたつめの隧道が現れた。
便宜上「八久和2号隧道」としておこう。
次回、ダム下最後のこの隧道を突破し、さらに上流をお見せしよう。


 ダムあるところに、廃道あり!
目まぐるしく変化する八久和の道は、面白い。

 







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