多くの地図には、その始まりと終わりしか描かれていない不思議な県道54号線。
そこは、一体どんな道なのか?
恐ろしい廃道なのか。
それとも、おぞましい不通区間なのか…。
なんとも頼りない急なのぼりを登ってゆくと、遂に舗装は潰え砂利道が現れた。
今回は遂に核心部の山越えだ。
<地図を表示する>
砂利道は早速森へと入った。 グネグネと蛇行しつつ、見通しの悪い杉の植林地の中を上ってゆく。 例によって勾配は急で、日陰とはいえ風も無い森の中、辛いアルバイトが続く。 路面の砂利は比較的しっかりとしており、それなりに利用者がいるようでもある。 また、一見林道となんら違わないようであるが、写真の「落石注意」の看板のような、他の県道と同様のモノが設置されており、それなりに県道らしいと感じられる。 |
砂利道に変ってから2kmほど進むと、初めて明るい場所に出た。 そこには、道のすぐ脇に小さな沼と湿地が広がっていて、ひときわ鮮やかな緑に包まれていた。 蝉の大合唱に混じって、カエルの太い声も聞こえて来る。 野生動物の宝庫といった感じのこんな場所に長居は無用である。 なぜなら、夏の山チャリストに嫌われる虫の筆頭と思われる“あのウザイ虫”が大量に出現するからだ。 あれは、なんともいえないずんぐりむっくりした胴体で、蚊より少し大きいくらいなのだが、とにかくウザイ。 別に血をすったり、噛まれたりしたという話は聞かないが、とーにかくウザイのだ。 心当たりは無いであろうか? あの、上り坂で喘いでいると、すぐに眼前に現れ、そうしているうちに一匹増え二匹増え、目の前を盛んに飛び回り、時には耳や鼻、果ては目にまで飛び込んでくる、あのウザイ虫を。 振り払おうとしてペースを上げると、馬鹿らしいほどに疲れる、あの嫌な虫を。 | |
あの嫌な虫は、多分人の呼吸に集まってくるのだと、私は考えている。 そこで、一匹に付き纏われ始めたら呼吸を抑えつつ、ゆっくりと通り過ぎるようにしているのだが、とにかく、厳しい上りで満足に呼吸できないのは辛い物だ。 そして、あのウザ過ぎる嫌過ぎる虫が、こんな場所には多いものだ。 というか、この道は多い。 実際、多かった。 これだけで、私にとっては夏場のチャリでの探索には向かない道といえる。 |
いよいよ峠も近付いてきた標高400m付近。 勾配はやや落ち着き、植林地のあいまに数軒の小屋が見えてくる。 それらの小屋は、どれも結構大きく営林署の小屋のようではない。 しかも、県道からもポツンポツンと距離を置いて数件が目に留まる。 ここまでは電線が通っているようであったが、人が住んでいる気配は無かった。 帰宅後、昭和50年代の地図帳を見ると、この一帯には北山という集落が描かれていた。 最近の地図からはその名はすっかり消えており、どうやらこれらの小屋は廃村の名残のようである。 | |
この写真のような分岐点が何箇所もある。 注意深く進まないと道を誤る恐れもありそうだ。 こんな山中でも、小さな田畑が未だ耕されているのを見ると、なんかホッとする。 しかし、それはあくまで部外者の無責任な感傷であって、実際この場所まで耕作に通う辛さは想像に難くない。 こんな景色の中、全く誰ともすれ違うことなく、主要地方道54号線の旅が続いていく。 最後までこんな調子なのだろうか…、まあ、結構楽しいが。 |
再び上りがきつくなるが、それは長く続かず、やっと稜線が見えてきた。 ずっと視界が開けなかったので、思わず近くに現れた稜線に顔がほころぶ。 稜線上が大江町との境だ。 ここまで、砂利道とはいえ、恐れていたよりもだいぶマシな道に、ちょっと拍子抜けしたような、でもホッとしたような気分。 でもなんか、楽しい。 | |
この県道の入り口から約6km。標高は450mほどの峠に至る。 稜線上には、たぶん林道と思われる道が東西に走っており、県道は峠で交差点を成していた。 どちらかというと、相手の林道の方が通行量も多いような風に見えたが、いずれにしてもここに標識など一切無く、どの道が何なのか、地図が無ければ迷うだろう。 いや、残念ながら手持ちのどの地図にも、この稜線上の林道は描かれていなかった。 しかし、線形的に正面の道が県道の続きだと考え、ひと休みののち、直進した。 |
交差点の先の道は、これまでとは全く違う景色になった。 なんか、造成地を走っているかのような、開放的な道。 道幅も十分で、側溝もしっかりと完備され法面も固められている。 明らかに、1.5車線に改良された主要地方道の姿なのだが。…未舗装であることを除けば。 緩やかなアップダウンを繰り返す直線的な道を、ハイペースで突き進む。 対向車はおろか、人っ子一人無く、貸しきり状態だ。 | |
右手には左沢から寒河江市、さらに山形市方面へと延々と繋がる広大な盆地が遠めに見える。 秋田で言えば、出羽丘陵を走っているような景色。 なんとなく、懐かしい眺めだ。 | |
この区間を象徴するような景色がこれだ。 廃道ではないので、ちゃんと利用者がいるようであるが、地図で見てここを通ろうと思う旅行者は少なそうだ。 地図上に不吉に細く描かれた線に怖気づく者も居るだろうし、そもそも未開通のように描かれている地図さえ多い。 また、経路上にこれといった集落も無く、距離も長くないこの道に、これといった存在意義も感じにくいのが正直なところだ。 やはり気になったのが、どうしてこの道が主要地方道に、指定されたのかということだ。 さっぱり、分からない。 |
道がやや下りに転じると、幅広の道が元の林道に戻る。 写真で言えば、右の道から来て、手前に進むのが県道である。 このあたりには、大鉢という地名がどの地図にも記されており、かつて集落があったのだろうが、県道からその痕跡を発見することは出来なかった。 叢の中に、改良工事竣工時に立てられたと思われる、木の杭が残されていた。 それは、改良工事区間の終点を示す物で、平成6年に竣工し、この工事の延長は760mであったということが分かった。 また、ここで初めてこの道の正式名称である「主要地方道貫見間沢線」の名が、小さく記されていた。 人知れず改良され、しかし活用されること無く、人知れず埋もれつつあるこの道は、どこか滑稽である。 |
大江町側の下りも砂利道で、県道らしからぬ道である。 しかし、写真を比べてみると分かるが、路面の状況からは幾分、西川町側よりも通行量が多いように見える。 一度下りに転じてからは堰を切ったように下りが続く。 さて、手持ちの地図ではまたしてもこの一帯に、小柳という地名がふられている。 しかしここにも集落などの痕跡は無く、集落があったがために地名があったのだと思うが、これが過疎というものか。 思えばこの県道、既に三つの失われた集落を経てきた。 いまでこそ何も無い山中の道だが、主要地方道に指定された当時はまだ、過疎に苦しみながらも生きながらえる集落を結ぶ、必要な生活道路だったのかもしれない。 |
地点から2kmほど下ってくると、初めて左側の視界が開け、これから下ってゆく月布川の流れが視界に入った。 この先の区間が、くだりのハイライトであった。 | |
当路線を通して唯一の崖道である。 一応県道としての礼儀なのか、比較的新しい路肩補強の痕跡があった。 しかしガードレールなどは無く、急な下りとのコンビネーションは危険である。 | |
いよいよ谷底、すなわち終点であり、目指す貫見の集落が近付いてきた。 ますます勾配がきつくなり、今回は下りだったから良いものの、逆に辿る気には決してなれない道だ。 さらには、道はご覧の様に狭くなり、しまいには九十九折となった。 あっという間に下ってしまったが、ここのくだりの勾配は本当に面食らった。 相当に線形を改良…、いや別路線をもってしかこの勾配は改善できないだろう。今後改良されるとしたらの話だが。 |
で、息もつかせぬ超絶な下りのまま、終点となる貫見集落にたどり着いた。 この写真が、いま下ってきた下りの入り口である。 | |
ぎょぎょっと、変な物が写りこんでしまったが、肌色の物は私の指である。 それはさておき、主要地方道54号線は、立っている場所から奥に向かい、30mほど向こうに見える塀の切れた場所を右に入るのである。 そうすると、上の写真の場所だ。 もう慣れっこだが、やっぱり標識一つ無い。 起点でも終点でも、この道の扱いは、余りにも小さい。 | |
貫見集落は、主要地方道27号線(これが「大江西山線」だ)が月布川沿いのバイパスで迂回している。 先ほど下り立った集落道は、旧県道27号線だ。 そして、300mほどこの旧県道を54号線がなぞっている。 いよいよ旧道と現道の合流点、いや、県道54号線と27号線の合流点だが、そこには…。 もう何も言うまい。 写真の通りである。 これが、主要地方道54号線15km足らずの全線で唯一の“ヘキサ”であった。 果たしてこの標識で54号線に入った人が、地図なしで無事に西川町に抜けられる可能性は、限りなく0に近いと思うが…。 そんな県道でした。 …えっ。 もう終わりかって? はい。終わりです。 このコーナー「道路レポート」は、私が個人的に印象に残った道を紹介するコーナーですので。 インパクト無かったかもしれないけど、勘弁してください。 私は、好きです。 こんな道。 |