藤琴林鉄粕毛支線の隧道群 第1回 
廃隧道のある街
秋田県山本郡藤里町 藤琴

 藤里町は県内有数の長大森林軌道網を有していた県北の山間の町である。
その町域は、白神山地から流れ出る藤琴川と粕毛川の二つの清流に沿って南北に長いが、北部は無人の山間部である。
これら二河川に沿って築かれていた森林軌道は、町の中心部の藤琴で川と共に合流し一本となり、藤琴川が米代川に注ぐ二ツ井に運ばれていた。
そこには、県内の他の地域同様、生活と密着した林鉄の姿があったが、藤琴より上流の路線については、昭和33年に一帯と襲った水害により壊滅的な被害を受けたまま、復旧されることもなく、県内では比較的早く、トラック輸送に切り替えられた。
今回は、その藤琴地区から、粕毛線を素波里ダムまで辿ってみた。
ここもまた、水害によって廃止されたと言われる地域である。





 
 鉄道も高速も通らず、県内の交通網からは殆ど一本の県道だけで結ばれているに等しい藤里町。
その中心地である藤琴には、今では懐かしい存在となった商店街が生き残り、個人商店が軒を連ねる通りがある。
軌道もまた、現在では車道や住宅地となって痕跡を失っているが、かつてはここで二つの幹線が分岐していた。
一つは、粕毛川沿いに白神核心部へと深く分け入る粕毛線(大正9年竣工18,500m)と、藤琴川沿いに太良峡を越え太良鉱山の奥へと進んだ藤琴線(大正元年竣工14,700m)である。
現在分岐点はアスファルトの下に消えている。

写真は、粕毛線に入ってすぐの道。
幾らも行かぬうち、前方に高い土の壁が見え始める。


 

 崖の手前には、雪解けを集め深く青い藤琴川。
崖は、その流れが削り続ける、河岸段丘崖であった。
この様な段丘地形は、藤里町では広く見られる物であるが、これほどに切り立っているのは珍しい。

そして、余りにも唐突な場所に、軌道が通っていたという穴が、残されていた。
写真中央付近、…お分かりだろうか?


 何とも微妙な姿である。
存在感があると言えばあるし、崖の一部のように振る舞っているようにも見える。
当然、往時はここを渡る橋が架けられていたはずだが、此岸は河川改良によって橋台を失い、対岸にもそれらしい痕跡は見えない。
まるで、隧道の断面を見ているような不思議な眺めである。

ただし、見ている分には楽しいが、いつものように内部探索をしようとなると、此方からのアプローチはどうあっても不可能だ。
対岸の裏手がどのような地形になっているのかを知るまでは、予断を許さなかった。
地図上では、民家が軒を連ねているようであるが…。



 迂回のため、やや下流に架かる車道橋を渡る。
藤琴川の先には、藤里駒ヶ岳など、白神山地の主要な山々が白い頂を曝している。
見ているだけで、寒くなるような眺めだ。
この探索を行ったのは2月25日。
里でもまだまだ雪は深い。



 県道を通り粕毛方向へ500mほどすすむと、左前方に再びそそり立つ段丘が見えてくる。
道がそこへと登り始める手前、一本の舗装路が横切るのだが、この道こそが軌道跡である。
先ほど発見した隧道の坑門を求め、ここを右折する。
(写真は右折したところ。)



 いつも平日の探索である私は、道路工事などによく出会うが、この道が全面閉鎖なのはクリティカルな問題だった。
明らかに軌道跡を車道化したらしい緩やかな道の、隧道のある山懐へと入る直前の場所が下水道工事によって封鎖されている。
一集落道に迂回路など無い。
というか、この奥に民家は一軒しかなく、この家人以外が通ることも無いのだろう。
私は、困った。
遠目に見ても、工事は大規模で、脇を通れる状況にない。



 このように、探索本編以外で妨害されるのが最も腹立たしいのだが、強引に立ち入れば問題が大きくなりかねないので、付近にチャリを乗り捨て、雪の山林や民家の裏庭を通って工事区間を強引に迂回した。
怪しい者ですけど、お気になさらないでください。

こうして先へと進むと、すぐにお目当ての隧道は現れた。
今でも坑門へと轍が続いている。
そして、出口の光も既に見えている。



 損傷の目立つ坑門だが、川に面した側と異なり、コンクリートで覆われている。
粕毛線は、藤琴線と共に、最後まで2級の路線、つまりは森林鉄道ではなく軌道だったが、二ツ井藤琴間は明治44年に開設を見るなど歴史ある路線である。
この隧道にしても、大正9年から昭和30年代の廃止まで働いた訳で、軌道にしては立派な隧道となっているのも頷ける。

坑門の脇には、なにやら機材置き場のような物が寄り添っている。



 そこには、さび付いたスコップなどが僅かに残されていた。
隧道一帯の保線に利用されていたのだろうか?



 コンクリートで覆われているとはいえ、廃止から月日がたっており、確実に崩落の時が近づいている。
坑門付近には、隧道全体を囲うように、幅20cmくらいの亀裂が生じている。
やはり、坑門部が押しつぶされて最期を迎えるのか…。



 真っ直ぐの隧道は、全長80m程度。
奥へ進むほど内壁はしっかりとしており、地面に微かな轍もあることから不安感は少ない。
その路面だが、土っぽく、所々ぬかるんでいるが、長靴が必要なほどでもない。
なにやら、奥に積み上げられたブロックのような物が見えるが、資材置き場にでもなっているのか?

進んでみる。




 隧道の片側に沿って積み上げられたビニル製の袋に入った、キューブ状の物体。
全部ボックススライムだったら俺もここでゲームオーバーだっただろうが、動く気配はない。
まさか、こんな隧道の奥に隠されているなんて… ご禁制品??
足元の車一台分の轍も、ここで消えている。
民家の裏の隠し隧道で、一体何を?! と色めきだったが、実はこれ、マイタケの榾木というか、寝床らしい。
帰り道で、物産センターにも山となって積まれている場所を、発見した。

この隧道も、私有地かもしれないので、入るには覚悟を。




 出口が近づいてくる。
すると、内壁の様子に変化が現れた。
写真の通り、一回り断面が狭くなっているのだ。
これは、多分コンクリートの壁の厚さが、坑門部のみ補強されていると言うことなのだろう。
よく観察すると、どちらの坑門付近も、同様の施工が成されていた。




 出口付近には、僅かだが洞内にも植生が見える。
そして、その先は1m近い雪の壁。
まるでファインダーから覗いたように、藤琴の民家群が見える。

直接到達することは出来ないだろう藤琴側の坑門に、今最接近。



 雪の壁によじ登り、足元を見て仰天。

もう、その先には寸分の足場もない。
むしろ、今この足元も、雪庇になっているだけで、夏期は存在しないだろう。
もし、私の体重に負けて雪庇が崩れれば、ジエンドだ。

そうそうに立ち去る。
これは、寒気がした。



 命懸けで撮影した3枚の写真、その2。

川によって崖ごと浸食され、スッカリと坑門を失ってしまった隧道。
かつては、コンクリートの坑門もあったし、橋台も残っていたと思われる。
しかし、年々隧道は短くなりつつあるのだ。

浸食によって、隧道が今後どのように変貌していくのか、見守っていきたい。
私が生きているうちには、大きな変化など無いかもしれないが。



 命懸けで撮影した3枚の写真、その3。

対岸の穏やかな街並み。

街から鉄橋を渡り隧道へ、隧道から再び集落。

…そして、また隧道へ。

次回は、二本目の隧道にチャレンジ。




つづく

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2004.3.27