隧道レポート 君津市二入の廃隧道 後編

所在地 千葉県君津市二入
探索日 2010.2. 6
公開日 2010.10.7

現在地は、二入(ふたいり)隧道(仮)の北口。

今回の主目的であった隧道探索はほぼ終わったが、出口の向こうにはなお廃道が続いている。

どこへ向かっているんだろう。

新旧地形図を比較してみることで、意外な可能性を知ることが出来る。

それは、この道が「房総スカイライン」の原形なのではないかということだ。

これは当初からは思っても見ない事だった。

だが、ここまで私を運び、そして今も足元にあるのは、かなり規模の大きな車道の跡。
それは間違いない。
あんなに大きな隧道まで掘って…。

この道が、房総半島縦貫を志した一大産業・観光有料道路「房総スカイライン」構想(君津〜勝浦)の一部分として活用された可能性がある。
今となっては過ぎたることかも知れないが(房総スカイライン着工は昭和48年、開通は同54年)、私にとっては大変夢のある話に思われたのだ。
(個人的に、有料道路の前身が無料の道路だったりするのがワクワクする。無論その逆も)

私はぜひ、この廃道の終わりを見たい!



二入隧道(仮) 北口



2010/2/6 7:01 《現在地》

隧道北口は、南口ほど巨大という印象はない。
しかそそれでも十分に大きく、天井は必要以上に高いように思われる。
そして、ここから見える外は平坦な地形のようだが、竹林になっていて見通しは効かない。
竹は枯れても分解が進みにくいので、炭のような枯竹が坑門付近を埋め尽くしていた。
いかに強靱な竹の根も、隧道内にまで入り込んではいなかった。

そして、左側の壁に深く刻まれた凹凸は、自然に出来た物なのだろうか?
水が流れるような場所には見えないが、人工的な物には見えない。
どこか生物の口腔内を思わせる…、ここが坑“口”であるだけに…なおさら異形の趣を深くしていた。




目測全長70m前後の隧道を振り返る。

洞内には、サイズ比較のためチャリを置いてある。
チャリの右に見えるのが、防空壕らしき横穴である。
坑口周辺の壁が緑がかって見えるのは一面に苔が生えているからで、房総の湿潤な気候の賜物である。

この北口も道路トンネルらしくない遺跡めいた風景で、とても印象深い。
これだけサイズが大きいのに、車が通っていた風景は想像しにくいのも不思議。
明治以来の姿なのか、戦後に拡幅されているのかも、はっきりしない。
改めてみても、謎の多い隧道だ。

ちなみに探索当時は、この坑口に至るまでの道に通行止めの表示や柵は設置されていなかった。
もしかしたら現役の君津市道であったりするのかも知れないが、詳細は不明である。
平成16年の「道路施設現況調査」に、本隧道の記載はないようだが…。




ちょっと離れて、坑口の全貌を捉えようとしたらば…

ムぉッ!

もうひとつ、穴があるじゃありませんか…!

隧道とは、別の方向に向かっている感じもするが…。




奥行きナシ!

隧道でナシ!

興味もナシ!

ということでこれはスルーだが、防空壕としては狭すぎる(横幅1.5m、高さ1m、奥行き2m)ので、倉庫だろうか?
近くに田畑も樹園も無さそうだが…。

謎である。





さて、そろそろ隧道を離れて、先へ進むことにしようか。

坑口前の竹林を見通すと、竹の密度の少ないところが道の跡と分かる。

と同時に、30mほど先に一台の放置自動車が見えた。
哀しくなるくらい、竹の枯木に覆い隠されている。


…むむむ。

なんか、きもちわるい。




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隧道〜房総スカイラインまで


7:03 《現在地》

竹林による浸蝕といった表現が相応しい、廃車体の姿。

道の中央ではなく、し路肩が広くなっている場所に停めてある。
背後は山林なので、やはり不法投棄されたものだろうか。
これが軽トラなどの事業用車ではなく、時代は感じさせるものの、当時としてはオシャレな車と思われるフォルムが、より一層この風景の異様さを増している感じだ。

窓ガラスの失われた窓から車内を覗き込んでみると、これまた凄まじいくらいの“廃墟ぶり”で、シートにシダが生えているのが特に気持ち悪かった。
憐れなり。




坑口や廃車体がある場所は水のない沢に面しており、これを土堤で渡ってから、再び登り坂が始まる。
竹藪が奔放に路上を占拠しつつあるが、その密度はまだ浅く、しかもヤブ蚊のいない時期なので、あまりストレスはない。
枯れ竹を踏み割る軽快な破裂音を響かせながら、幅4m前後の未舗装路を快調に進んでいく。

なお既にこの辺りから、頻繁な車の走行音が、右上方より届きはじめている。
右斜面を高低差30mほどよじ登れば、そこに「房総スカイライン」が通っており、音はそこから来ていると思われる。




沿道の所々には、「昭和46年度」の表記を持つ「土砂流出防備保安林」の標柱が立っていた。

保安林としては現役のものと思われるが、竹林の様子を見る限り、手入れは全くされていない。
だが、昭和46年といえば房総スカイライン着工の2年前であり、そのくらいまでは普通に車が通る道路だったのだろう。




房総半島のなかでも、この小糸川流域は孟宗竹(タケノコ)が近世から既に特産品として江戸に運ばれていたくらいで、竹林が多い。
その多くが集落の近く(裏山的な場所)にあることから、初めは人が植え育てたものと思われるが、現在はほとんどの場所で放置され、その奔放な拡大は社会問題化している。

現道のアスファルトでさえ突き破るくらいの竹の生命力を持ってすれば、未舗装の廃道などご覧の有様になるのは当然だ。




「はちみつレモン」の空き缶発見。

この缶のデザインは私も大いに見覚えがあるが、調べてみるとこれが売り出されたのは昭和60年代初頭とのこと。
他にもいくつかの空き缶を見つけたが、極端に古いものも新しいものも見あたらなかった。




ふと路肩に明るさを感じて木立の向こうを見透かすと、そこは広大な採土場のような空間だった。
まだ時間が早いせいもあり、遠くに見える国道を走る車の他に動くものは見あたらないが、自分で思っていた以上に高度感がある景色に驚いた。

確かに振り返ってみると、道は二入集落の初めからずっと緩い登り坂だったわけで、このくらい上ってきていても不思議はない。
となると、いよいよ尾根の「スカイライン」は近いはずだが、まだこの時点では走行音が聞こえるだけだった。




道は意外に急な山腹を削って、小刻みな蛇行を繰り返しながら、ほぼ一定の勾配で上り続ける。
山側には隧道内に露出していたものと同じ土色の岩盤が露出しているが、特に土留めなど工作物はない。
路肩も同様である。
周囲の林相は竹林から雑木林へと変化しつつあり、尾根の上の方はより明るく見える。

この道の道幅や勾配は自動車道で間違いないのだが、ガードレールや石垣、或いはコンクリートの擁壁など、現代的な道路の諸要素が全く抜け落ちている。
それがまた正体を曖昧にしているのだが、いずれにせよ、県道や国道ではないローレベルの道である。





出た。

残念なゴミの山とともに、「房総スカイライン」が出現した。

まだ合流するには至らないが、頭上20mほどの斜面上にガードレールが見えている。


それにしても酷いゴミの山というか、川。
スカイラインから投げ捨てられたゴミは、空き缶やペットボトルだけではなく、中の詰まったゴミ袋からテレビ、洗濯機などの家電製品まで、非常に多彩である。
当然のことながら、全くもって美観を損ねている。
あまり真新しい感じのものが見えないのは、いくぶん救いなのかも知れないが、残念と言わざるを得ない。

房総スカイラインも、結局は房総半島縦断の夢を果たせず、現在有料道路として存続する全長10kmほどを作っただけで「事業完了」となったのだが、その背景には房総の自然を都会人の搾取から守りたいという、住民の根強い反対運動があった。
そして、そんな彼らが心配していたことのひとつが、ゴミ問題だった。

道路からゴミが撒き散らされるというのは、道そのものの問題と言うよりも利用者のモラルの問題なのだが、道路の周りのゴミの山を見ると本当にガッカリする。
人知れず“路傍”を探ることが多いオブローダーは、こういう景色を見ることが多いだけになおさらだ。





房総スカイライン合流地点


7:22 《現在地》

隧道出口から歩くこと20分(書き忘れていたが、竹藪を見たときにどうせ引き返すのだからと、チャリを乗り捨てていた)、距離にして500mほど進んだところで、ついに尾根に到達し、同時に房総スカイラインとの合流地点が現れた。

やはり、この廃道は房総スカイラインに合流していたのである。

この合流直前には、かなり高い鉄製の柵とゲートがある。
向こうは有料道路なので、何らかの方法で封鎖されているだろうことは予想していたが、単なる封鎖ではなく施錠されたゲートであるところに、まだこちらの道も完全に無視されているワケではないことを感じた。




地図から消えた廃道と、今を生きる房総の大幹線。

この2つの意外な邂逅は、私をかなりワクワクさせた。

この高いゲートの向こうでは、廃道など意に介さぬ人々が、平和に車を走らせている。
生きるためにはまったく必要ないそんな知識に自惚れる辺り、はじめて「山チャリ」をはじめた15年以上前から、私はたいして進歩していない。
楽しいんだから、しょうがない。

なお、柵の辺りは既に房総スカイラインの敷地であるらしく、「道路公社」の境界標がそこかしこに建っていた。
房総スカイラインは千葉県道路公社が建設した道で、現在も料金の徴収業務を行っている。
しかし路線としては歴とした県道であり、千葉県道92号「君津鴨川線」の一部である。




ゲートおよびその両側の柵は高いだけでなく、有刺鉄線で乗り越えられないようになっていた。脇にも隙はない。
そして向こうにあるのは有料道路で、全長10kmの途中には一箇所も信号がないため、法定速度以上の速度で車は駆け抜けている。
当初構想のごとく清澄山系を横断するのであればいざ知らず、それを諦めたこの道は、実質的に「スカイライン」という名の産業道路なのである。

はっきり言って、この柵はヤバい柵のような気がする。

でも、房総スカイラインというのは自動車専用道路ではないから、自転車も有料で通行できるし、歩行者に至っては無料で通行できるはずである。
まあ、途中まったく歩道など無いので、料金所で歩行者は止められるかも知れないが、法的にはなんら問題ないはずなのだ。




ということでスカイライン側に出るべく、

柵に沿って左の藪に分け入ると、

意外なものが……。




あ、あれは…




なんと合流地点の脇は、小さな墓場だった。


しかしあたり一帯は既に森と同化しており、

苔生した墓石の中には倒れているものもあったし、それを木の幹が支えているようなのもあった。

供花の一輪もない、物寂しい忘れられた墓地である。





墓石に刻まれた年号を見ると、明治末から大正、昭和初期までで終わっている。

かつてはこの近くに寺院でもあったのだろうか。

地形図によると、付近の集落はいま来た二入のほか、
ここから真っ直ぐ山を下った所に、東日笠もある。
おそらく後者の方がより“裏山感覚”で、ここに墓地を置いていたかもしれない。
集落を見下ろす所に先祖の墓を設けるのは、よくあることだ。


数メートルの隣ではアスファルトをバンバン車が駆け抜けているのに、
なんとも時の止まったような一角だった。




妙に脇に長いバリケードだとおもったら、実はこんな風になっていた。

ちょうどこの場所で道は2本に分かれ、左は今来た二入への道、右は東日笠へ下る道だったようだ。
右は調査していないが、元もと車道ではなかったようで、左と違ってフェンスで完全に塞がれている。
そして、この2つの道の間の出っ張った所に、小さな墓場があったのである。

冒頭の巨大な隧道の存在もそうだが、この墓場の存在によっても、これが単なる林道ではなく、集落同士を結ぶ生活道路だったことが感じられる。

なお、柵に一枚の看板が取り付けられているが、意外にも「立入禁止」などではなく、「ゴミの不法投棄禁止」だった。




こちらは千葉方向。
チャリを持ってきていれば、このままスカイラインを進んでしまっても良かったのだが(料金を取られるが)、今回は置いてきたので戻らなければならない。

新旧地形図を見るまでもなく、いままで辿ってきた道は、この先ではスカイラインに呑み込まれている。
そしてその旧道の起点は、図らずも房総スカイラインと一致している。
それはここから3kmほど先の、東粟倉地区である。
レポートは省くが、向こう側にも僅かに旧道が残っていた。

こうして、房総スカイラインの一部区間が、明治以来の古い車道を改築したものであったことが確かめられたのである。





振り返って、分岐地点。

房総スカイラインの料金所は起点である東粟倉にしかないので、
もしこのゲートが開いていれば、料金を払わずに済む抜け道になっていたところだが、
そうは問屋が卸さないのであった。




廃道を突き詰めたので、満足して来た道を戻りはじめると間もなく、ちょうど朝日が真っ正面に来ていた。
これが竹叢に没してしまうまでの数百メートル、眼を細めて歩く景色はとても清々しく、改めて廃道がときおり見せる優しさと美しさに酔ったのだった。


さて、こうして往復1kmほどの“朝の廃道探索”は幕を閉じるのだが、その後の簡単な聞き取り調査も成果を上げ得ず、解決できないままになった問題は以下の通り。

1.なぜ隧道はあれほど大きな断面を有し得たのか。

2.隧道は明治期に開鑿された当初から、現在のサイズだったのか。

3.廃止の経緯はいかなるものであったのか。

このうち最後の問いだけは、高確率で房総スカイラインの開通が廃止の直接の原因であろうと推測できるが、残りは今ひとつはっきりしなかった。
まあ、あらゆることに明確な理由を求めようというのは無理があることで、単に「大きくても良いかなぁ」くらいでがつがつ掘ったのかも知れないが、やはり理由を探してしまう。
今後再聞き取りの予定もあるので、ご期待いただければと思う。






遅い朝日を待つ “房総の大石隧道” こと、

二入隧道(仮)





美しい景色に誤魔化しつつ、本編最後がちょっと投げっぱなし過ぎたので(笑)、少しだけ補足したい。

あくまで間接的な資料に過ぎないのだが、地形図を見てみたい。
既に紹介した昭和27年版の地形図と、それよりもよりも古い明治36年版の比較である。
これをするとことで、今回辿った尾根上の廃道の意義が、少し明確になるように思われる。



まずは新旧どちらでも良いので、右下の方にある「二入」の文字を見つけて貰いたい。
それが見つかると、同時に隧道も発見できるはずだ。

ここから隧道を通って北へ北へと、「東日笠」の裏山を通り、「東粟倉」まで辿り着く尾根沿いの道が、今回辿った廃道である。(その北側2/3が「房総スカイライン」になっているのは本編の通り)

この尾根道の描かれ方は自体は新旧の地形図で変化無いのだが、その“重み”が異なっていることに、お気づきだろうか。

新…すなわち昭和27年版にあっては、小糸川沿いに「県道」の太い二重線の道があり、これが幹線道路となっている。現在の国道465号線のルートである。

しかし、旧…明治36年当時の場合、この小糸川沿いには細かい道があるだけで、むしろ尾根道の方が上等な描かれ方をしている。
したがってこの時代までは、尾根道が東粟倉から二入を通り、さらに南方の大岩を経て、南に鴨川、或いは東に大多喜方面へと達する、房総横断の幹線ルートであったと考えられるのである。
この状況はもっと古い明治19年作成の迅速図式地形図でも変わらず、ただ隧道が存在せず、私が踏破を断念した隧道脇の急坂道が街道として描かれているという違いがあるのみだ。(これは「歴史的農業環境閲覧システム」で見ることが出来る)

つまり、時代こそだいぶ離れているが、房総横断の幹線という意味では、尾根の上の道こそ国道465号の「旧道」だったと言えそうだ。
またそれが今「房総スカイライン」として復権しているというのも、因果めいている。


以上のことは、隧道の“巨大さ”と関係があるかも知れない。






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