唐突だが、次の文章を読んで欲しい。 地名とかは後で説明するから、まず最後まで目を通して欲しい。
大字山浦 大久保間
西浦部落より下の平耕作地中央(現在学校の真中)を通り通称風速より千曲川に添って袴腰下より牛喰を通り大久保より鴇久保への道路に接続した。中川原の堤防のあった時代は千曲川の本流がこの道沿を流るる為少しの増水にも交通不能となった。更に袴腰下には千曲川へ突出した岩山がありそれは隧道で越した。其東口は低く梯子で登り降りした位で危険があった。一方千曲川増水の場合は袴腰の南を越えて通った。何れも幅員は二、三尺位で通行には不便で牛馬の通行は全く不能であった。
『川辺村誌』より
ここに隧道の存在が記録されている。
この引用した文献は、昭和32(1957)年に川辺村誌編纂会が発行した、『川辺村誌』である。
川辺(かわべ)村は、かつて長野県北佐久郡にあった村で、昭和29(1954)年2月に現在の小諸市(小諸市の位置)の一部となる合併により消滅したが、解村の記念事業としてこの村誌を残した。
引用した文章は、村内の主要な道路のあらましを区間ごとに説明した部分にあり、曰く、大字山浦から大字大久保の間の袴腰下と呼ばれた地点に、千曲川に突出した岩山を越える隧道があったそうだが、なにぶんこの村誌自体が古いため、その現存の有無は全く分からないし、今の地図や、地名をキーワードにした検索結果において、知られている隧道の中に該当するものは無さそうだった。
また、この隧道――固有名称不明のため以後これを「袴腰下の隧道」と仮称する――について、これまでのところ他の文献の言及が一切見つかっておらず、かつ歴代の5万分の1地形図にも記載されたことがないため、私もこの村誌を読んで初めて存在を知ったのである。
もし他の文献をご存知の方がいたら、ぜひ教えて欲しい。極めて情報に乏しい隧道なのである。
少し余談だが、川辺村誌は国会図書館にも所蔵がなく、長野県立図書館など長野県内のいくつかの図書館にのみ置かれている些かレアな本だ。
そんな本のコピーを私が所持している(交通に関するページだけだが)のは、以前探索しレポートを執筆した宮沢3号隧道の机上調査のため小諸市立図書館へ行った時に複写していたからだが、当時は忙しくて複写したページの一部だけを読んで放置していた。それからずいぶんと時間が経った今年(2024年)の春、トリさんから、彼女の出演しているテレビ番組で宮沢隧道を取り上げたいからと、この川辺村誌の内容について照会があった。それで腰を据えてコピーを読み返したところ、上記の隧道に関する内容を見つけたというわけだ。トリさんありがとうだけど、情報提供料代わりにまた焼き肉は奢って貰うぞ。
とまあそんな重要でもない経緯を明らかにしたところで、いよいよレポートの本題、「袴腰下の隧道」の捜索に関する内容に移りたい。
引用した文章には色々な地名が出ているが、これらを参考にして探す…………前に、村誌の別ページに、隧道の位置に関する決定的な情報が記されていたので、それを見てもらう。(↓)
『川辺村誌』より
この手書きの地図は、村誌に付録として綴じ込まれていた「川辺村全圖」だ。
村誌刊行当時(昭和30年代初頭)の村内が詳細に描かれており、先ほど引用した文章に照らして「西浦」と「大久保」を結ぶ千曲川左岸の道を見ると、途中に聳える「袴腰」という標高764mの山の麓……いかにも「袴腰下」な立地!……に、
1本の隧道が描かれていた!!!
この地図は詳細に見えるが、手書きのため、地形図とは上手く重ならない。
重ならないが、地形や道の曲がり方などの特徴を根拠に対照することで、描かれた隧道の位置を再現することが出来た。
ずばり、次の地形図の“矢印”の位置に、隧道は存在したのではなかったか?(↓)
この矢印の場所、行ったことはないが、崖の記号が道沿いにたくさん並んでいて、いかにも険しそう!!
地形的には、隧道の在処地としての期待感を駆り立てるものがあったが、今の道もそのまま隧道があった場所を通っているように見えるので、隧道はとうの昔に撤去されてしまっていたという結末も、残念ながらありそうだ。
チェンジ後の画像は、村誌とだいたい同じ時期、昭和26(1951)年版の地形図であるが、縮尺の関係なのか、やはり隧道は描かれていなかった。
村誌の地図を見る限りは極端に短いものではない気もするが、宮沢隧道の調査でかき集めた歴代5万分の1地形図に描かれたことがないために、今まで知らずの隧道だったわけだ。
家にいてもこれ以上の解決は難しい。
現地へ出発だ!
現地に赴くと、すぐさま「穴」を発見!
2024/3/28 16:28 《現在地》
現地探索は、村誌の記述にしたがって、西浦から大久保までの区間を自転車で辿りながら隧道を探す方針だったが、別の探索に予想外の時間を食い現地到着が遅くなったため、想定した隧道擬定地の傍まで車を乗り付けてピンポイントに隧道を捜索する計画変更を行った。
だからまだ車に乗って移動中。
写真は小諸市山浦にある千曲小学校前の市道風景である。
地形図では「西浦」という小地名が書かれており、村誌の記述の冒頭「西浦部落より下の平耕作地中央(現在学校の真中)を通り」というのが、この辺りだろう。
かつてここは「下の平」と呼ばれ、耕作に使われていたらしい。
地形としては千曲川左岸の低い段丘上に広がる平地で、南側の一段高い段丘面「上ノ平」集落と対になっている。
正面には小諸市全域を見下ろす浅間山(2568m)が聳え立ち、その巨体は手前のあらゆる地物を矮小化させていた。
この市道、残念ながら路線名が分からないが、かつて隧道があったとされる道の後裔だ。
対岸は小諸市の中心市街地だが、地形の問題から川沿いの道がないせいか、この市道を抜け道的に利用する地元車がとても多いことを、この探索中に知った(ラッシュアワーだったこともあるが)。ちなみに私がこの道を利用したのは今回が初めて。
多い交通量に対応し、学校前の道は2車線+片側歩道が確保され、村誌から読み取れた川岸のいかにも危なげな道という印象は、今のところ皆無である。
16:31 《現在地》
小学校前を過ぎるとすぐに市道は下り坂となり、かなりの勢いで千曲川べりの低地へ下り込む。
同時に進路が北から西になり、背景より浅間山が消えて、千曲川左岸を崖混じりの急斜面で圧する御牧ヶ原台地の突兀とした輪郭が見渡される。
末端に隧道が穿たれていたとみられる「袴腰(はかまごし)」という山は、この台地の末端にある出っ張りで、左の斜面上にあり、山頂と水面の比高は200m近い。
「袴腰下」がこの辺り(この写真に見える道全体がそうか)を指すことは、地形的にも間違いなさそう。
そんな袴腰下を通過する市道は、引き続き2車線が確保されており申し分ない。
とはいえ、川べりに護岸が発達する以前は洪水の度に洗われていたと思われる所を通っている。
村誌の記述「千曲川の本流がこの道沿を流るる為少しの増水にも交通不能となった。」のである。
その証拠か、広い平地でありながら建物や耕作地は見られず、一部が雪捨場として使われているに過ぎない。
雪捨場に車を止めて、徒歩の姿で一帯の捜索をスタートした。
一目瞭然に、現在の市道上に隧道はない。あればストビューで見つけていただろう。
沿道の崖地に、隧道や旧道の痕跡を探すことをはじめる。
写真は、学校がある段丘面から袴腰下の低地に下ってくる市道を振り返って撮影した。
村誌の記述の順序では「通称風速より千曲川に添って袴腰下より牛喰を通り
」の、“通称風速”と呼ばれた辺りだろうか。
変った地名だが由来は分からない。
地形図を見ても分かるが、ここには袴腰山から伸びた稜線が千曲川に衝突して断たれていた出崎の地形で、先端には鋭い岩場が連なっている。
市道はこの岩場を素直に回り込むように付けられているが、川を抑えられなかった前時代ならば、隧道で岩場を潜り抜けた可能性もありそうな地形だ。
ということで、さっそく注目して見ているのだが……
ジィーーーッ
あ!!!
16:33
かっ 片洞門じゃねーか?!
通行量の多い道だけど、みんなこれ気付いていたの?
緻密な落石防止ネットのせいで、その裏側に封印された崖の凹みは見えづらい。
草葉が生い茂る季節であれば、なおさら見えにくいはずだ。
今回、隧道を探して普段あまり目を向けない部分を注視したから見つかった感じだ。
おそらくこれは、この崖を巻いて通っていた道が作った片洞門の名残である。
こうして岩場を穿った道の延長線上ならば、隧道があったというのもますます信憑性が高まる。
あとは、それが現存しているかどうかだが……。
この地図は、小諸市が公開している大縮尺(1/2500)の都市計画基本図からの引用である。
この位置に、旧道時代の片洞門らしき岩角の切り取りが発見された。
規模は小さいが、隧道発見への期待感を昂ぶらせるには十分な発見だった!
ということで、この片洞門を起点に、「川辺村全圖」に描かれていた旧道の存在をイメージしながら、改めて西方向(大久保方面)へ移動を開始。
16:35 《現在地》
すると、片洞門が終わった直後、その延長線上にある岩崖の根元に……
!!!
穴がある!
それも異常に細長い?! なにこれ?
人工物なのかどうか、ちょっと測りかねる異形の穴だ。
そして、これもまた落石防止ネットによって完全に封印されてしまっている。
近寄って、内部を確認することができない。
16:36
できなくないだろ!
ぬこになれ!!
なった。
なった結果、ネットの下のごく狭い隙間を通り抜けたが、着ていた羽毛入りのジャンパーが針金に引っ掛かって破れ、羽毛が溢れ出た……。
16:37
こうしてネットの裏に侵入した私は、さっき発見した片洞門にも足を踏み入れることが出来たが、すぐ隣の市道をバンバン車が通り過ぎるせいで、動物園の檻に入れられた珍獣の気分だった。
ぬこだったらいいけど、四十半ばの怪しいオヤジが破れたジャンパーで檻に(自ら)入っている姿は、千曲小学校の関係者に見つかったら間違いなく不審者メール発令となるだろうな。
で、肝心の穴は……
ネットと崖の隙間を、片洞門の末端から10mほど東へ進んでいくと、足元の高さに見えてくる…。
16:37
あった。
やはり奇妙な横長すぎる断面を持つ、とても天井の低い穴。
立地は片洞門の続きであるが、路面的な連続性は感じられず、自然地形の可能性が高い気がしたが、覗き込んでみると……
左右両方向に、空洞が続いているではないか!!
どうやら確かに人工的な穴ではあるのだが、崖の地表すれすれの位置に並行して掘られている形状は、おそらく水路跡の穴であると思われた。
チェンジ後の画像は左方向に続く穴の内部で、高さ約1m、幅も約1m、蛇行しながら伸びる、乾ききった素掘り穴。
明らかに、道路トンネルを企図したものではないサイズ感で、前述した片洞門がある岩の中(道路より少し低い位置)へ伸びている。
私が複写を持っている範囲内の村誌に、この穴についての言及はなかったが、最新の地理院地図にはちょうどこの位置の地中に水路トンネルが描かれている。
すぐ近くの西浦ダムより島川原発電所へ導水するもので、現在は東京電力リニューアブルパワーが稼行する現役の施設である。
これらの施設は、もとは昭和12(1937)年に東信電気が開設した古いものらしく、以下は私の予想だが、穴の正体は旧導水トンネルの跡だと思う。
いつ、どのような経緯で掘り直されたという情報はないが、年代を考えればそのようなことがあっても不思議ではない。
結論、これは探している隧道ではない。
16:41 《現在地》
と、頭では理解しているのに、身体が言うことをきかず穴の中へ這入っていき、30mも進んだところで、写真のような断面の変化があって、ようやく引き返した。
この地中に眠っていた石組みの小さな橋台らしき構造物だが、まさに現在の市道の直下に埋設された旧道時代の暗渠の跡と推測された。
発電用の旧導水路か、そこから分岐する余水吐きのような小水路を跨いでいたのだろう。
位置的には地上の片洞門の辺りだと思うが、隣に現在の市道を整備する過程のどこかで、拡幅や勾配緩和の目的から路下に埋め立てられたと見られる。
本題の隧道ではないが、なかなか秘密めいた旧道の遺構に出会った感じがして、興奮してしまった。ぬこ大興奮!!
地上へ戻って、隧道探しを続けるぞ!!
仕切り直し、本題である隧道擬定地へ……
狭い水路跡の穴から這い出してきた私は、もう一度ネットの下を潜って路上へ戻った。
最新の「現在地」は、車を駐めた雪捨場すぐ前の路上である。
ここへ来てすぐに幸先良く“片洞門”を発見し、現在の市道に沿う形で片洞門を作るような旧道……それは岩に寄り添う道であり、隧道を掘ることも想像できる道だ……が存在したことが裏付けられたが、肝心の隧道の方はまだ発見に至っていない。
隧道の擬定地は、冒頭に紹介した古い「川辺村全圖」と、上に掲載した「都市計画基本図」にある詳細な等高線と道の位置関係などから、“赤矢印”の位置を最も疑った。
これから、その場所を目指して歩いて行く。
現在地からの距離は150m足らずである。
16:47
市道を隧道擬定地へ移動中。
市道の山側には相変わらず落石防止ネットで完全防備された高い岩崖がそそり立っているが、片洞門の辺りと比べると少し間隔が空き、その隙間は盛土されたうえで街路樹が植えられている。
最初、片洞門に続く旧道の路盤であることを期待したが、あまりにも形が整っているので、後年の盛土と判断した。
旧道の路盤は、この盛土に埋れているのか、それとも普通に現在の道と重なっているのか、行方不明だ。
ここで山手を見上げると、何やらとんでもなく尖った巨大な岩塔が見えた。
大仏を後から見たような姿である。
袴腰山の山体の一部であろうが、どうしてこんなものが出来上がったのか分からない自然の妙である。
16:48 《現在地》
隧道擬定地まであと、70〜80m。
山側の崖地は市道からさらに離れ、間は植栽された平場になった。
依然として旧道に繋がるような痕跡がなく、少し焦る。
焦っても仕方がないが、このまま何もなく終わる予感が拭えない。
そもそも、現在の市道があまりにも坦々と進んでいくために、隧道なんて全く必要そうに見えないのである。
川側にしても、現在の千曲川は道から100mも離れた所を流れていて、高低差も小さく、地形に切迫感がない。
16:49 《現在地》
来ました。 隧道擬定地はここだ。
なるほど、確かに岩場が市道のすぐ傍まで迫っている。
その近さは片洞門があった場所ほどではないが、『川辺村誌』の記述「袴腰下には千曲川へ突出した岩山がありそれは隧道で越した」に照らして、仮にもし今の市道の位置を千曲川が流れていたとしたら、この岩場を越えるのに隧道を以てするのは、確かにありそうと思える地形ではあった。
……まあ、仮定を交えたうえでの、「ありそう」だが……。
どれどれ…… なんか見えるか?
ん?
んーッ?!
穴があるぞ!!!!!!
マジでやったか俺?!!
うっひょーーー!!
マジであるぞ、たぶん隧道であった穴が!!
これはトリさんに感謝だなwww トリさんの“つつき”がなければ川辺村誌をちゃんと読み返すことはなかったかも知れん。
市道から見て10mほど高い岩場の一角、下が土の砂面(盛土かもしれない)と接するところに、車も入れそうな大きさの開口部が見えた。
例によって崖の全体を落石防止ネットが覆っているが、そのネットを通して穴が見えたのだ。
私はそれを確認すると、電撃に打たれたように道から飛び出し、斜面を駆け上って近づいた。
斜面には、穴へ通じる道らしい形跡は全くなかった。
16:50
え?! え? え??
穴の中に、何か建っている?!?!
家が建っている!!?
笑って良いのか分からないが(たぶん良くない)、前代未聞じゃないかこれは??
普通に家?が建っているんだが……洞内に…。
そして、奥に出口の光は見えない。(風もない)
光は見えないけれど、建物が収まるくらいの奥行きはあるのだ。
穴の形状的にも、探していた隧道跡に遭遇している可能性は極めて高いと思う。
袴腰下の隧道(仮称)発見だ!!
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