広大な三陸海岸の一角にあり、その男性的な荒々しい景観から「海のアルプス」とも称されることのある北山崎海岸は、岩手県下閉伊郡田野畑村から普代村に続く、全長8kmの海岸線一帯を指す。
この南端にあるのが北山漁港のある北山浜と、矢越崎である。
北山漁港から矢越崎を越え、さらに南の机浜に至る約1kmの道には、幾つかの隧道が描かれており、その現状を確かめるべく、我々3名は2005年8月末に実踏調査を行った。
そこに存在した隧道と道は、我々の想像を遙かに超越した、凄まじいものであった。
現地へは、北山浜から入った。
主要地方道44号線から、標識に従って北山漁港への1車線の舗装路に入ると、約700mほどで漁港のある海岸線に下り、すぐに地図上に描かれた一つめの隧道が現れる。
しかし、想像していたようなものではなく小柄だが普通のトンネルであり、全部で3本ある隧道の残り2本についても、期待薄であると感じた。
トンネルの名前は「北山トンネル」といい、銘板によれば、1979年に田野畑村によって建設されている。
車でそのまま通ろうとしたら、何とトンネル内には幾艘かのボートが置かれており、元々広くないトンネルは乗用車が通るににギリギリの幅しか残ってはいない。
全長は40m足らずで、ソロリソロリと通っても、すぐに通過できてしまう。
しかし、このトンネルを抜けた先が、凄まじかった。
抜けた先は…
さながら、異界だった。
南側の坑門。
北側に増して、面白みはない。
だが、この隧道の真の凄さは、
カメラを 引く と明らかになるのだ。
どわー!!
すっ、すごい。
まさしく、獄門。
地獄の入口の門のような、圧倒的迫力である。
しかも、至って平凡な坑口がこんなに浮いている景色も、まず無い。
道自体も、トンネルを出た先で狭いコンクリの駐車場と小さな波止場で行き止まりとなっている。
その先は、徒歩だけが許された道となる。
北山トンネルの先の行き止まりに車を停め、そこから歩き始める。
とはいえ、そこにはありきたりな「遊歩道」の姿は、全くない。
まさに、「海のアルプス」の危険な“登山道”の姿である。
入口には、写真のような注意書きが書かれている。
高波注意と、落石注意だ。
イラストは可愛らしいが、実際に高波や落石に会えばひとたまりもない。
おそらく、一般の遊歩道を期待してここに来た者は、いきなり面食らうはずだ。
まず、どこへ歩き始めればいいのか。
それが分からない。
東北自然歩道の優しげな標柱が、確かに海岸線を指し示してはいるが、道らしい物はどこにもない。
そこには、玉石の傾斜した海岸線が奥に続いているだけだからだ。
しかも、すぐ先には背後にある垂直の壁にも劣らぬような崖が、打ち寄せる波を砕いている。
そこに隧道の存在を想定できねば、先へ行くことなど出来なさそうな景色である。
しかも、まだ隧道は見えない。
それでも歩き出すと、一人の漁師風の男が、海岸線に打ち上げられた巨大なコンブを拾っていた。
黄土色のコンブは、食卓のイメージからは余りにもかけ離れた巨大な物体であり、ヌメリ気のある姿は、異星から飛来した生物の死骸のようだ。
時間を追うごとに強まる風濤が、潮の匂いを浜に満たしている。
この日は、台風が太平洋沖を通過中であり、時速55kmで現地に再接近中であった。
道はどこにあるのか。
実は、隧道が前方の岩場の手前の山際に口を開けているのだが、最初それに気がつかず(素で見過ごすほど、見つけにくいのだ!)、行く手に幾重も重なり合う岩場の影にあるのかと、仲間を置いて単身探しに行った。
結果的にそれは無駄足であったが、ときおり波濤に洗われる砂浜を、波の引いたのを見計らって、岩場の裏まで走り抜けるのは、たった10mほどであったがとても怖かった。
この日の波は、大人一人くらい余裕で洗い流す迫力があった。
一番手前の岩場の裏にも、小さな浜があり、波をやり過ごすことが出来た。
その先には、もう進むことは出来ない。
波が穏やかならあるいは岬の突端へと接近する術もあるかも知れないが、「東映のオープニング」ばりに波は激しく岩場に砕けており、隧道がこの先にあるとしたら、探索を断念せざるを得ない。
その報告を持って、岩場一枚裏の仲間の元へと戻った。
今一度、緊張の猛ダッシュが繰り返された。
ここで、私は追い波に背後から襲われ、塩辛い海水に下半身をずっぽりぬらしてしまう。
思いがけず、波は早かったのだ。
一瞬だが、浮き上がる下半身。
私は確かに、さらわれるような恐怖を感じた。
この写真は帰りに、車を停めてある北山トンネルを、岩場の手前から振り返って撮影したものだ。
コンブが打ち寄せられた浜を、細田氏(奥)と、numako氏(手前)が歩いている。
断崖絶壁が浜から一気に100m以上も立ち上がっている。
地形図で調べたところ、北山トンネルの真上の崖が、ちょうど50mであるから、フレームの外にはその倍以上の崖が広がっていることになる。
しかし、その麓に立って見上げてみても、あまりの高さで天辺は見えない。
強烈な海風のため、殆ど根付く植物もなく、生き物の姿もない。
まさに、死の崖だ。
そんな崖の下に、隧道は口を開けている。
まるで、地獄のさらに底、冥界に続く洞窟のようだ…。
誰が、ハイキング気分でこんな場所に来るだろうか。
実際、この天気のせいもあろうが、探索中コンブ拾いの男の姿以外を見ることはなかった。
いま、3つある隧道のうち、真ん中のそれに、足を踏み入れる。
ご覧のとおり、二つ目の隧道は素堀りである。
もはや、車輌交通を考慮した気配はなく、単純に岩盤に穴を穿ち人が通れるようにしただけのものだ。
果たして、いつ誰が、この穴を掘ったのか。
今のところ、情報は得られていないが、岩盤は堅く、人力で掘り進められるとは到底思えない。
真っ暗の洞内は思いのほか静かで、窟に響く海の音も、入口付近にしか届いてはいない。
人の背に比較しても、このように小さな断面である。
赤茶けた岩盤は、鉄分を含んでいるのか。
堅く、完全な素堀とはいえ、崩壊している箇所はない。
足元は、堅い砂地になっており歩きやすい。
しかし、入った最初は出口の明かりも見えず、照明なしではとても心細く歩けないだろう。
出口が見えなかったのは、隧道内が奇妙に屈曲しているためだった。
まるでこぶのように出っ張った左カーブがあり、しかも全体が緩い登りになっているため、かなり近づかないと出口は見えない。
地形図によれば、この隧道の延長は100mほどだ。
断面の規模から言えば、短いとは思えない。
荒々しい外観の割に、内部に信仰などの気配は感じられず、そう古い隧道ではないのかも知れないという印象を持った。
登りの先に、出口の明かり。
この隧道を散策するときには、極力頭上に気を付けて欲しい。
身長170cm台でぎりぎりである。
ちょっと背の高い人であれば、普通に歩いているだけで頭を打つ可能性が高い。
ゴツゴツした岩盤は、流血する可能性もある。
果たして、恐ろしげな隧道の先に待つのは、
何 か ?
出口を見てびっくり。
なんと、いきなり海に向かって急降下である。
10段ほどの急な階段が、今にも波を被りそうな岩場に向かって、下っている。
下った先にも、道らしいものはなく、ただ岩場が続いているだけだ。
しかも、階段の下の方はコンクリの下がすっかり空洞になっており、どうやら元々あった地面が波に浚われてしまったようだ。
この分だと、本当に海が荒れると、階段まで波が来るのだろう。
怖すぎる。
でも、見てみたい気もする。
津波でも来たら、隧道の中を鉄砲水が通るんだろうな。
(一帯は、かつて津波の被害で30m近い波高を観測したことがある!)
出口の階段の上から、行く手を見渡す。
早くも、3つめの隧道の入口が見えている。
階段の頭上は、崖がL字型に切り取られており、屋根のようになっていた。
太平洋を知らず、日本海岸の様々を見てきただけで、海を知った気になっていた私は、その蛙ぶりを痛感した。
これが、世界に広がる海の力か。
太平洋岸、おそるべし。
偉大な自然と、そこに挑まんとした人間の証しに、敬礼。
もはや、何を見ても歓声ばかりを上げている、私と細田氏。
二つの隧道に挟まれた小さな入り江は、小さいながらも、リアス式海岸のダイナミズムを体現している。
もう、私の海に関する貧弱な語彙では、この景色を言い表すことは、出来ない。
普段、山にいては、「何かを見つけてやる!」そう意気込んで、常に積極的に地形の裏を掻かんとしている我々だが、殊この海の景色の前では、まるで借りてきた猫のように大人しく、口をぽかんと開けて何も知らない観光客顔であった。
ポカーン
二つめの隧道の出口を振り返って撮影。
階段が直接隧道に繋がっている様子が分かる。
それは、鍾乳洞か何かの入口に見える。
よくぞまあ、こんな場所に隧道を掘ろうと考えたものだ。 ポカーン
また、隧道が貫通している大岩盤は、海に落ちつつ海食洞を形成しているのが見える。
最初に私が回り込もうとした半島の裏である。
3つめの隧道の入口は、磯にある。
入り江は渦巻く瀬戸になっており、その神々しくさえある蒼さに吸い込まれそうだ。
しかも、上の写真とはまた別の海食洞が絶壁の底に口を開け、それはまるで髑髏の眼窩の様だ。
ちょっと、この偉大な景色への感動は、最初に森吉粒様沢スラブを見たときに劣らぬレベルだ。
車を降りて、たった数分歩いた先に、このような景色が待っていたとは…。
おそるべし、岩手。
3番目の隧道、最後の隧道へと、いざ進入する。
地図上では最も長く描かれている隧道だ。
この隧道もまた、素堀の狭いものだ。
内部に勾配があり、途中で屈曲があることも共通している。
異なるのは、こちらは150mという長さのせいか洞内の湿度がとても高いということ。
フラッシュを焚くとその違いは明らかだった。
壁一面は濡れており、水が滴り落ちている箇所も少なくない。
入って少し行くと屈曲があり、その先に行くともう、前を向いても後ろを見ても外の光は目視できなくなる。
写真は、その直前で振り返って撮影。
大した距離ではなくても、断面が非常に小さいため、遠くに見えるし感じられる。
洞内には、少し広くなっている場所もある。
足元は、堅く締まった砂地である。
あまり歩く人も居ないのか、吸い殻や空き缶などのゴミもない。
予想外のことに、この隧道には中程に一箇所だけ、頑丈にコンクリートで覆工された10mがある。
地質的なアクシデントが起きやすい場所なのだろうが、隧道の中にもう一つ隧道があるかのような、奇妙な景色だ。
コンクリは、まだ打たれてからそう古くないように見えた。
洞床には、写真の通り、歩道部分と通水部分を分けたかのような場所もある。
右の高い位置は明らかに人為的な盛り土であり、左半分は水が流れた痕跡もある。
しかし、この日は水は通っていなかった。
観光客のためにわざわざ掘った隧道とは思えないが、かといって、この道を生活のために通る人がいるかと問われれば、過去に関しても疑問符は付く。
一般に、海岸線には津波を避けるために集落はなく、人が住むのは丘の上だ。
今日では、巨大な防波堤や防潮水門によって、再び港湾部にも集落が戻っているが、明治・大正・昭和それぞれに甚大な津波被害を受けている海縁部には、かつて人も道もあまり近づかなかった。
せいぜい、漁港があるくらいだ。
コンクリ部分を過ぎれば、出口はもう少しだ。
再び、波の音が聞こえ始める。
今度は穏やかな場所に出そうな気配。
いま、全ての隧道を完遂する。
矢越崎の付け根にあるやや広い砂浜に出た。
前方には、一際おおきく海に突き出した、矢越崎の姿。
また、海上には、筆先のような突起岩が浮かんでいる。(島の奥の大きな山が矢越崎突端)
振り返れば、大人しそうな坑口の姿。
ああ、ここまでの坑口が凄すぎたから、感覚が麻痺してしまった。
素堀だし、これでも十分におぞましいはずなのだが…、大人しくさえ見えるではないか。
その内部は、気の弱い人ならば固まってしまうような不気味な細穴であった。
道はこの先、矢越崎を九十九折りで登って下って越えると、反対の机浜に至り県道に合流するが、我々は車の取り回しの都合があり、全ての隧道を完遂したことで満足しここで引き返した。
写真は、我々の終点の浜で語らう仲間達。
背後は、最長の隧道が潜り抜ける、大岩盤だ。
穴も写っているが、見つけられますか?
地形図によれば、あの岩山の標高は、ジャスト100m。
北山トンネル直上の岩盤が50mだったから、その倍もあるわけだが、もうどうでもいいくらいのそのスケールには、圧倒された。
自分で道を拓きながら探索するようなアグレッシブな事をしたければ、やはり包容力に勝る“山”の方がいいが、先人が苦労して作った道のありがたみを“海”の不自由さは、際立てる。
特にこの三陸海岸では、地形的に歩けない場所が圧倒的に多い中で、決して整備されているとは言い難いこのような小さな歩道の存在が貴重であり、後世まで出来ればこのままの姿で遺していきたい景観遺産である。
そこに道があってこそ、味わえる景色もあるのだ。
これにて、北山浜の隧道群の紹介を終える。
次回があるとすれば、それはさらに凄まじいものになる予定だが、
“余りの事”に写真がまともに存在せず、レポできるかは微妙である。
完
2005.11.28