宮城県主要地方道42号線 栗駒ダム周辺隧道群  後編
栗駒観光の失われた5キロメートル
宮城県 栗原郡栗駒町
   主要地方道42号線の旧道は、深い峡谷に沿った断崖の道であった。
既に危険の為か封鎖されており、荒れるにまかされた道に、一つめの隧道が現れた。
川台隧道である。
これを突破すると、間も無く、再びゲートが現れた。




 
 ゲートを越えると、幾分路面は回復した。
そして、すぐに建物が見えてきた。
それは、栗駒ダムの管理棟であった。
いよいよ、栗駒ダムに到着したのである。



 このとき、愛車にはお土産が沢山付いて来ていた。
ちなみに、チャリに付いている青い袋は寝袋で、白いビニール袋は、リュックに入りきらなくなった食料品である。
余りお勧めできるスタイルでないことは分かっているのだが、私は昔から、巨大なリョックを背負いながら旅をしてきた。
チャリに固定できればもっとよいのだと思うが、サスペンションつきのチャリとは、荷台などのパーツの相性がどうも悪いようで…。
何か良いアイディアは、無いものだろうかと思う。



 管理棟はダムサイトのすぐ脇にあり、ここまでは反対側から車輌が入れるようになっているようで、実際停まっている車もいた。
そして、今来た廃道はご覧のゲート、というか、ガードレールでしっかりと封鎖されていた。
もう、二度と通すつもりのないことが良く分かる光景だ。



 昭和25年着工、同37年に竣工した旧称:玉山ダムである。
現在では、栗駒ダムと改称されている。
ダム高は57m、重力式コンクリートダムで、洪水調節に灌漑用水補給、それに鉱害防止が主な用途である。
今年の梅雨は、結局明けることなく(東北地方において)立秋を迎えてしまったが、決して降雨量は多くなく、貯水量にもまだまだ余裕がありそうだった。



 そして、この管理棟の脇をすり抜けて先へ進む旧県道に、二つめの隧道があった。
川台隧道と同じ昭和28年竣工の、玉山隧道である。
こちらはダムのおかげで現役であり、延長こそ大変に短いものであるが、その広い額も誇らしげに見える。


 それにしても、口径以上に高さのある“額”である。
独特の威圧感がある。

   玉山隧道

竣工年度 1953年  延長 18.5m
幅員   3.5m    高さ  4.0m

ダムへの通路として、現役で利用されている。



 くぐり抜けて、反対側の坑門の様子。
いたって普通である。
古さを余り感じさせない隧道だが、やはり前後の車道に比較して際立つ狭さであり、大型観光バスも通う県道としては甚だ役不足であったろう。

ダムを後にした。


 湖畔を1.5車線幅の舗装路で少し進むと、突如2車線の立派な道に変わったと思う間も無く、現県道とクロスする。
左が今来た旧道であり、右が現県道「新玉山トンネル」である。
2000年に開通したばかりの新玉山トンネルは延長1220m。
峠越えでは無い、河畔のショートカット用のトンネルとしては異例の長さといえる。
まして、この道は暫く先で行き止まりであり、いくら栗駒観光の主要ルートとはいえ、ちょっと欲張りすぎな気もする…。
まあ、余計なお世話だと思うが。


 旧道は、今度は現道より山側を、地形に沿って緩やかなカーブを描きつつ走る。
あくまで現道は直線的である。
この区間は1車線であるが、現役で利用されており、特に変わったものは無かった。
500mほどで、再び現道に飲み込まれる。




 現道を少し進むと、一本のトンネルが立ちはだかった。
これが、薄木トンネルである。
1990年の竣工であり、巨大な坑門はまるでキャンバスのように栗駒の自然をアピールする彫刻で飾られている。
どうもこういうのは、違和感があるだけでなく、好きになれない。



 私の期待する旧道は…。
仰々しい坑門に半ば隠されるようにして、アスファルトも剥ぎ取られた無残な姿で、奥へと伸びている。
すぐに舗装は回復したが、再び廃道の様相を呈している。




 どうやら、薄木隧道は近いようだ。
高さと幅の制限標識のコンビが、その接近を教えてくれる。




 薄木隧道である。

残念ながら、ここは通行不能である。
ガードレールの封鎖は問題ないとしても、落石防止ネットが本来の用途ではなく、侵入者を拒む鉄条網のように利用されている。
これでは、さすがの私も打つ手がない。
悔しい。
めっさ悔しいが、坑門の空気を満喫して、帰ることにしよう。



 坑門に出来る限り近付こうと、一歩を踏み出した私は、足元に何か、見てはいけないものの気配を感じた。
なにやら、見たくないものが、そこにある。
しかし、見たくないものから目を背けられれば、苦労などないのだ。
見たくないものこそ、見ないままでは進めないものだ。

…。
こっ、これは…。

Zoom Up ↓


 



 さて、坑門だよ。

坑門は深い切通の奥にあり、年中日陰なのだろう。
苔が生い茂り、じめじめとしている。
虫が多く飛び交い、決して居心地の良い場所では無い。
(居心地の悪さの原因は、もっと別にあるのでは無いかという気もしたが、敢えて触れない)



 落石防止ネットの隙間から奥を覗くと、約70m向こうの出口がやけに小さく見えた。
洞内は水没しており、反射した対岸の光が、幻想的な雰囲気を醸し出している。
天井からはひっきりなしに水滴が落ちており、廃止後僅か13年にして、廃ものとしての貫禄を身につけつつあった。
もう二度と開放されることのない隧道だと思うと、余計に侵入したくなったが、それは叶わぬ願いだった。
辺りを飛び交う得体の知れない虫たちに急かされるように、坑門を後にした。





 現トンネルをくぐり、反対側の旧道入り口についた。
ここはロードサイドパークになっており、旧道の入り口は駐車場にもなっていた。
その奥に、狭い旧道が山へ向かっている。



 坑門はすぐに現れた。
坑門の前まで白線も残ったままのアスファルトが伸びているが、坑門に近付くほど叢から顔を出す広さは狭くなっている。
坑門の前は完全に水生植物の群生に覆われていた。
足元が濡れでしまうのは止むをえない状況だ。



 今回の一連の旧道探索において、最も気に入ったのが、この情景である。
薄木隧道西側坑門は、緑の海に今まさに飲み込まれつつある。
通せんぼするように立ち尽くす通行止めの標識だけが、そこが人の領域であることを主張している。
しかし、もはやその主張に意味は無く、このまま誰の目に留まることなく、いずれは朽ちて消えて行くのだろう。




 両坑門には扁額が残されていたが、控えめなサイズである上に、苔や汚れの為判読は困難であった。
この写真も、強く“廃”を意識させる眺めであり、お気に入りの一枚である。


   薄木隧道

竣工年度 1960年  廃止年度 1990年
延長  69.0m 幅員   3.5m    高さ  4.1m

他の二隧道よりも、7年ほど後の竣工であったが、最も初めに廃止されてしまったと思われる。
前後の線形に無理は無く、また強度にも問題はないとすれば、その狭さがネックだったのだろう。
現在では両坑門がネットによって封鎖されており、内部を伺う事は出来るが、侵入は不可能だ。





 こうして二つの廃隧道を持つ旧道の探索を終えた。
私にとっては遥か遠い宮城の端だが、宮城県に住む人であれば、市街地からも近いし、その廃道部分も長くは無く、比較的容易に探索できる廃スポットだと思う。
そういう意味でも、もっと露出しても良い場所と思った。
それが、この旧道にとって、良いことなのか…そもそも、意味があることなのかどうかも、私には分からないが。

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2003.8.12


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