東北鉄道鉱業線 岩上隧道 後編
未成線の未成隧道
岩手県岩手郡葛巻町


 日本有数の人口稀薄地帯である北上山地を、馬車鉄道にて横断せんと企てた、東北鉄道鉱業線。

おそらくは、国有化されることもなく、戦中の不要不急の路線として撤去されていたのでは無かろうか?
かりに、鉱山という軍事的重要な立地が考慮され免れたとしても、やはり、モータリゼーションの荒波の飛沫となってかき消されたに違いない。

そんな心配など、杞憂も杞憂であった。
この鉄道は、完成にさえも至らず、微かな地表の凹凸や、朽ちかけた橋台の跡、それに、不気味に口を開ける未完成の隧道など、役に立たぬものばかりを里山に残して、消え去ったのである。
その痕跡が広範にわたって存在している事実から、長大だった計画の片鱗を覗かせるのみ。

いま、その数少ない現存隧道の一つに、私は足を踏み入れる。




 坑口は、馬淵川(まべちがわ)の河原に、さりげなく口を開けていた。
県道とは対岸にあって、それと注意していなければ見逃すに違いない。
県道から坑口までは、林道と、歩くがやっとの細道を経由し、たどり着ける。

そして、短い切り通しの奥に開く坑口は、切り通しの崩壊によって積もった土砂により、八分方埋没している。
苔生した瓦礫に立って、坑口を覗き込む。
すると、急な斜面の下に、本来の洞床が、水没するでもなく、静かに横たわっているのが見える。

私は、照明とカメラだけを手に、暗く静かで冷たい洞内へと、足を踏み入れた。






 底に立つ。
坑口が狭いために、光は奥に全く届いていない。
僅かに日光が差し込む範囲には、壁を中心に分厚く苔が繁茂している。
おそらく、この写真に写り込んだ、怪しく緑に光る岩も、その正体は苔なのだろう。
肉眼では、このような色では絶対に見えなかったので、出来上がった写真を見て、かなり驚いたが。

そして、手持ちのライトで照らした程度では、奥行きはつかめないが、ゴツゴツとした岩肌が、かなり続いているようだ。
洞床には意外に水たまりはなく、ひっきりなしに天井から滴り落ちている水滴も、音も立てず地面に消えている。
意外だったのは、その断面の大きさだ。
一般的な鉄道の単線隧道の断面の大きさをイメージできるだろうか?
この岩上隧道もまた、同程度の断面が、ある。

 坑口の様子。
ご覧の通り、埋没が進んでいる。

光が届く範囲は、一面に苔が生えており、緑色に見える。




 この岩上隧道は、かつて貫通していた時期もあり、鉄道工事が未完の内に終わった後も、しばらくは村人が近道として利用していたそうだ。(『鉄道廃線跡を歩く]』より)

この事実から想像される内部状況は、素堀ながらも、それ以外に取り立てて特徴のない平凡なものである。
単に、出口の一方が塞がれているに過ぎないと、予想していた。

しかし、光の下から、奥へと歩みを進めた私が目にした光景は、遙かに想像を超えたものであったのだ。


いざ、奥へと!




 異変が現れたのは、坑口から20mほど進んだ地点であった。
それまでの、ありきたりな半円形の断面から、突如として、えもいわれぬ、異様な断面に変化したのである。

その断面の形を一言で表すと、「鍵型」である。
すなわち、円と台形を組み合わせたような形状だ。

写真でも、その一部が写っているが、洞床となっているのは台形の底の部分であり、身長より少し高い2mほどの高さの両側が、内側に向かって張り出しているのだ。
天井までは、5mは優にあり、崩壊によるものとも思われるが、さらに高い部分も見られる。
カメラのフラッシュが届かないほどに、高いのだ。

このような、奇抜な断面を持つ隧道は、かつて例がないだろう。
なぜ、このような断面なのだろう。




 圧迫感を強く感じる狭き通路をさらに20mほどで、今度は大きく洞床が盛り上がっている。
崩壊によるものではなく、どうも、元々このような形だったようにも見えるが、はっきりとはしない。





 この出っ張りを過ぎると、再び洞床は下降し、狭くなる。
さらに、鍵型から、単に幅1.5m、高さ5mほどの長方形の断面となる。

今度は、極端に狭いし、天井だけが異様に高い…。

ゴツゴツとした岩肌は良く湿っており、ときおり水滴が落ちている。
洞床にも、殆ど土はなく、岩場となっている。
まるで、地中の裂け目のような、特異な断面である。
坑口付近の、ありきたりな断面とは、あまりにもかけ離れている。
共通しているのは、高さくらいなものだ。




 本隧道には、コウモリが多く棲息している。
そのことは、度々紹介している『鉄道廃線跡を歩く]』にも、筆者が聞いた話として触れられているが、事実であった。
ただし、私が探索した4月末では、まだ冬眠中だったのか、活動しているものはただの一匹もなかった。
ほんの鼻先までライトを照らしてみても、僅かに身を捩る者も居たには居たが、殆どが、ピクリともし無かった。
ちょうど、人が通る目線の高さにコウモリ達がたわわに実った“仮天井(鍵型断面の突起部分だ)”がある。
私も、奥へ進むときはまだ目が暗さに慣れていなかったせいもあり、存在に気がつかなかったのだが、帰りは見つけてギョッとした。
だって、壁一面に実っているのだもの。
しかも、やや体格の大きな(右の写真の個体で、上から下まで10cm程度ある)種である。
これは…、夏場に侵入せんものなら、それこそ蜂の巣を突いたような騒ぎになること必至である。
探索する人は覚悟して!






 おおよそ坑口から50m。

変化に富んだ断面が、また変化する。

今度は、天井が一気に下がる。(ここで幅2m、高さ3m程度か)
そして、僅かに左にカーブする。
ここまで来ても、出口の明かりは全く見えず、閉塞地点が近そうである。



 振り返ってみる。

幅に対して、高い天井が際だっている。
延長は短いのだが、こんな有様だから、坑口の光は全くと言っていいほど届いておらず、ライトを消すと足元も見えない。

さて、この隧道における、未だかつてない奇妙な断面についてだが、その大部分は崩壊などによるものではないようだ。
私の推論に過ぎないが、特徴的な鍵型断面は、底設導坑方式による掘削の途上での断面ではないだろうか。
隧道を掘るときに、一気に完成形の断面で掘り進むことは稀であり(ただし、近年有力なシールド工法は全断面掘削工法である)、通常は先導坑と呼ばれる、一回り小さな断面の穴を、隧道予定位置に掘り進む。
この先導坑を、最終的な断面の底部に設置するのが、この底設導坑方式である。
アーチ部から掘削する頂設導坑方式というのもあるが、本隧道奥の天井が低い部分は、底設導坑と推定される。

つまり、未完成の隧道ならではの断面特徴というわけだ。
これは、大正末期頃の土木工事の作業過程を今に伝える、貴重なものではないだろうか。



 行き着く場所は3m四方にも満たない狭い平坦部である。
その奥は、隧道を出口側から埋め戻した際に流入した土砂の壁なのか、或いはもとよりこれ以上は掘削されていなかったのか、這い蹲らねば進めない急な土砂斜面が天井間近に登っていく。
後頭部が触れる位置にある天井も、全く成型された気配はなく、尖ったでこぼこが並ぶ。
昔は通行できた隧道を故意に塞いだのが事実だとしても、もとよりこの出口は、私が侵入した葛巻側の坑口よりも遙かに小さく、未完成なものであったのではないだろうかと推測する。
人が通り抜けることは出来ただろうが、決して安全な通路ではなかった筈だ。
また、工事に従事した者の中には相当数の朝鮮人労働者がいたとも伝えられ、仮に現在も隧道が存続したとしても、心霊スポットだ何だと、地元にとっては迷惑なレッテルを貼られていた可能性もあるだろう。

まあ実際の所は、迂回する県道が快適に整備され、また、隧道が直接結んでいる岩上集落が、おそらくは廃村となったことが、隧道が埋められた最大の理由と思われる。
現在は大きく川岸を迂回している県道だが、将来トンネルが掘削されるとしたら、その時こそ、岩上トンネルとして生まれ変わるのかも知れない。



 閉塞部分の土砂は、他のどこよりも粒が小さく、砂っぽい。
やはり、自然の崩壊ではなく、土砂で埋められた証だろうか。
残念ながら、ほんの少しも外へは通じていなかった。




 閉塞地点より振り返る。

僅か60m強の隧道であるが、なかなかに個性の強い、大物であった。
なによりも、これまで触れたことがなかった、建設途中の隧道の有り様に興味を惹かれる。

人力での掘削工事が連日続けられ、やっと先導坑が貫通したという矢先に、工事が永久に中止されてしまったのだろうか。
それでも、放棄後もしばらくは地元の人々によって使われていたのだとしたら、貫通すらせず、結局埋め戻されたものが幾つもあるという同線の隧道としては、幸運な方だったのかも。

…所詮は、人が生み出した土塊に過ぎぬ。
そこに、幸運も不運もない。
有るのは、物言わぬ窟のみではないか。

そういう冷静な視点で見ても、やはりこの隧道の持つ断面の特徴は、看過できないはずである。






 さて、山行がとして私が皆様にお伝えできることは、隧道内部の情報だけではない。
しつこいくらいに引用してしまって申し訳ない『鉄道廃線跡を歩く]』には、「埋め戻され場所が特定できない」と記されている、小鳥谷側の坑口であるが、藪が浅いことを良いことに、発見してしまった。

正確には、坑口の擬定地であるが、限りなく、“クロ”である。
県道からは直接見えないが、おそらく坑口の手前は長い築堤が続いていたのであろう。
その築堤の突端部分だけが、県道からも確認できる。

左の写真が、私が坑口跡と考える地形である。
一帯は集落に面した山際の杉林である。



 おそらくは坑口が有った場所は、今も窪んでいる。
さらに、地中の冷気が僅かに地表に通じているのか、この標高としては一帯で唯一、残雪が取り残されていた。

この雪が消えても、そこに坑口が残っている可能性は限りなくゼロに近いだろう。
また、埋設面であろう斜面は緩やかなもので、そこに杉の木こそ植えられていないものの、遠からず森の地表と完全に一体になるだろう。

ここを歩いた人がいたと言うことも、壮大な鉄道計画の熱狂も、地形と共に消えさりつつあるのだ。



 坑口から未成線跡は僅かに築堤となって残る。

名前端集落の端っこにある数軒の民家が、築堤の下に見下ろせる。
しかし、築堤は三方を田んぼに囲まれて、突如消えている。
おそらく築堤は高度を下げつつ、このまま馬淵川を渡る橋に続いていく予定だったのだろうが、この先しばし一切の痕跡を認められなかった。
もしくは、もともと田畑と被る区間の施工には着手していなかったのかも知れない。

ちなみに、わずか67mの隧道がショートカットした馬淵川の流長は1km以上あり、驚くほどに両坑口が水面との間に作る高度差は大きい。
築堤上は、民家の屋根以上に高いのだ。



 短い築堤の突端からの眺め。

この写真の方向に築堤は延びる予定だったのだろうが、全く痕跡はない。
立ち並ぶ民家が馬淵川の川面の眺めを遮っているが、川はすぐ傍にある。
名前端集落の中心は対岸にあり、県道もまもなく橋を渡っていく。
おそらく、鉄道もここを渡る計画だったのではないだろうか。

隧道と、高築堤。
そして橋梁。

本当に… ここに鉄道を建設しようとしていたのだな…。




 最後に、県道側から見る築堤の様子。

田んぼを挟んで県道の傍にあるが、ぱっと見は鉄道の遺構ではない。
私も最初は別の場所に坑口を捜索し、見つけられないままに立ち去ろうとしている矢先、なんとなくこの地形に違和感を覚えて立ち寄ったのが正解であった。
違和感の原因は、良く覚えていないが、今写真を見ても、築堤にはちょっと見えない。

なお、築堤の斜面にはゴツゴツとした岩が無数に含まれており、隧道を掘削した残土が築堤に利用されているようだ。
その他には、人工的な痕跡は、見られなかった。


山行がによる、東北鉄道鉱業の岩上隧道に関するレポートは、とりあえず以上である。
今後は、他の痕跡についても、隧道を中心に捜索して参りたい。
しかし、当方居所からは遠方であるゆえ、近隣にお住まいの方からの情報提供が頼りであるから、どうぞよろしくお願いします。


皆様のご協力で、東北有数の規模を誇る謎の未成線の全容を、解明させてください!!








2005.6.11


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