隧道レポート 新潟県道45号佐渡一周線 野崎トンネル旧道 前編

所在地 新潟県佐渡市
探索日 2013.5.29
公開日 2013.11.6

↑新潟港で船積みを待つ“ワルクード”
ボロいが外国にドナドナするワケじゃないよ。
↑佐渡汽船といえばコレ!
そのくらい有名な、海上国道の案内図。
↑湖のように穏やかな両津湾へと入り込んで行く船窓。
向かって左が小佐渡山地、右は大佐渡山地、中央の低地は両津の街を置く国仲平野だ。
↑ワルクードが初めて本州以外を走る!
だがその“船出”は見慣れた信号機による。
「ここもやっぱり日本だ。」
↑初日は自転車に跨がり、
両津湾に沿って大佐渡を北上したが、
現れる風景は東北的で美しかった。

私の記念すべき離島デビュー戦となった新島神津島決戦から2ヶ月後の2013年5月末。
離島第二戦の舞台を日本海に浮かぶ本邦第二の巨島「佐渡島」に定めた私は、初めてカーフェリーに“ワルクード”を積み込み、2泊3日の佐渡島決戦へ挑んだ。

このレポートは、当サイトにおける最初の佐渡島内のレポートなので、ごく簡単にではあるが、渡航の様子を紹介しておく事にする。
とは言っても、ぶっちゃけ佐渡島には“離島感”が乏しい。

本州と佐渡島の距離は最短でも31kmほど離れており、この距離は十分離島的であるものの、いかんせん、浮かんでいる島が巨大過ぎるのである。
新潟港を出港する前から行く手の水平線上には細長い島影が横たわり、佐渡海峡の半ばに辿りつけばその島影は大陸の如く水平線に横たわる。
かの太宰治がかつて作品「佐渡」の中で、雪をいただく島影を見て“満州”と勘違いしたという話があるのも肯かれるほどだった。

さて、ゆったりしたフェリーに2時間半(最速のジェットフォイル船を選べば約1時間)揺られれば、そこは佐渡島である。
青信号に押し出されるように、ワルクードは暗い船室から明るい両津の街へ出る。
島の玄関口である両津は、どう見ても“日本の典型的な地方都市”にしか見えず、近場に自転車を降ろして郊外へと向かえば、そこには見渡す限りの広大な美田が広がっていた。
それは紛れもなく「新潟」の、あるいは「日本の典型的な農村」の風景に見えたのである。もちろん、背景の山も怪しく尖っていたりはしない。

これは海の向こうにある、もう一つの新潟県なんだなと思った。
そしてこれが、佐渡三日間を通じての総感想であった。
海あり山あり街あり鉱山あり、佐渡はもともと広大な新潟県の風景の縮図のようであった。
そういう意味で佐渡島には新島や神津島のような“新天地感”も薄く、最初の島旅の行き先をここにしなかったのは正解だったかも知れないとも思った。


それでは、佐渡は面白くなかったのか。

そんな無粋な質問をする人もまずいないと思うが、敢えて答えるならば、答えは「NO」である。

「新潟県」といえば、全国の中でも屈指の道路が面白いエリアじゃないか?
そんな新潟県をもう一つ見つけてしまったのだから、つまらないはずがない。
特に、海と旧道、海と廃道、海と廃隧道の組合せだけで、3日間くらいはあっという間に過ぎてしまうのだ。
私の最初の佐渡島渡航は、ひたすら海岸沿いの廃隧道を巡る旅になったといっても言いすぎではない。





これから佐渡島のレポートをお伝えする度にこの地図が出てくると思うが、最初なので佐渡の全貌についても簡単に解説しておこう。

まず、佐渡の地形の概観だが、これは広い割に結構単純である。
島の中央に国仲平野という広大な平野部が広がり、そこは人口も多く、かつ穀倉地帯となっている。
島の北部と南部はそれぞれ大佐渡、小佐渡と呼ばれる山脈で、その名の通り大佐渡の方が高く大きい。

次に道路網としては、東西を国仲経由で貫く国道350号が一番の幹線であるが、これが通らない大佐渡と小佐渡の海岸部では、主要地方道佐渡一周線が重要な幹線となっている。
もちろん、これらの道の他に多数の県道や市町村道、林道があって、海岸部と国仲とを結んでいるが、国道350号と佐渡一周線をおいて佐渡の道路網を語ることは不可能だろう。鉄道は皆無だ。
ところで、佐渡が日本の離島で(北方領土を除いて)2番目に大きいと書いたが、その広さは855km2である。これは大阪府や(島嶼部を除いた)東京都の半分くらいだが、より分かり易い広さの表現として、その海岸線の5分の4くらいを忠実になぞっている佐渡一周線の長さを知る事も有効だと思う。
佐渡一周線の全長は、約167kmある。
この数字は、日本の主要地方道&都道府県道の中で最長だという。

最後に、自治体についても紹介しておきたい。
これも凄くシンプルになった。
現在、佐渡島の全土が新潟県佐渡市に所属している。
平成16年に島内全市町一市七町二村が合併して誕生した佐渡市の人口は、平成25年現在で約6万人である。

以上が佐渡のごく簡単な概観だ。
いよいよ、本編で紹介する探索の内容に入っていこう。





今回紹介するのは、県道45号佐渡一周線の旧道の一つである。
もっとも、この路線名になったのは平成5年と最近であり、旧道が活躍していた時期は別の路線名だった。

それはともかく、見て頂きたいのは図中の“○”で囲った、「野崎鼻」という小さな岬がある場所だ。
この部分の道路は、昭和28年と現在との間で、明らかにカーブの形やトンネルの位置が変化している。
旧道どころか、現在の地図には描かれなくなった廃道、そして廃隧道の存在が、まるで手に取るように窺われるではないか!

なお、佐渡島にはこういう場所が、両手の指が一杯になるほどもある。
その中で、敢えてこの野崎を最初に紹介することに、実は論理的な意味は無い。
探索したのも3日間の佐渡滞在の最終日であり、我先にとここを目指したわけでもなかったし、“一番凄い場所”でも、たぶん無い。
しかし何となくこの風景を、私の佐渡における 「廃道ことはじめ」 にしたいと思った。

佐渡島小佐渡海岸、旧羽茂(はもち)町野崎鼻。

佐渡の人々の暮らし通うた道々を、これより少しずつ紹介していこう。



野崎鼻における、廃隧道の発見と接近


2013/5/29 13:04 【現在地(マピオン)】

初日は快晴、2日目は晴のち曇り、そしてこの最終日は案の定という感じで、朝から雨に降られた。
たった一度の滞在で佐渡の四季とまでは行かないまでも、晴雨の風景をどちらも体験出来るとは、恵まれていたと言うべきなのか…どうなのか。
ともかく、この日の舞台は小佐渡の海岸線であり、帰りのフェリーの時間が近付くまで、ベースのワルクードを移動させながらめぼしい所で自転車を降ろしての、旧廃道巡りを行った。

さて、この写真に写っているのが小佐渡海岸であり、県道佐渡一周線であり、野崎鼻である。
現県道は申し分のない2車線の快走路であり、野崎鼻にさしかかっても些かの迂回もなくトンネルに直進しているのだが、岬の突端の方に目を向けると、やっぱり旧道があるようだ。




旧道があるってだけじゃねーぞダロ?!

突出タイプの封鎖坑口らしきものが、あからさまに見えているじゃねーか!


あと、海岸線には場違いなほどに“こんもり”とした、笹林のようなものも…。

濡れた藪…… もういやだよ……。

これ以上、濡れらンないよぅ…。
(もうパンツまでぐっちょり濡れています)




13:06 《現在地》

しかし、こうあからさまに見つけてしまったからには、行くしかない。
それにここは、天気がよいときにまた来ようなどと気軽に転進出来る場所ではないのである。
フェリー代金分は、ガッツリと廃道の成果で回収させていただきたい!!
濡れるは一時の苦しみ、濡れぬは末代の悔いだ。

トンネル前の三叉路。
初心者にも最も分かり易いタイプの旧道分岐がある。
おサボり常習犯らしき営業車の姿も、また定番に属するものであろう。




ちなみに現道のトンネルは野崎トンネルといい、工事銘板によると、竣工1990年(平成2年)3月となっていた。
これは県道佐渡一周線が誕生する3年前であり、その当時の路線名は県道(主要地方道)「両津赤泊小木線」である。この両津赤泊小木線は、現在の佐渡一周線の前佐渡部分にほぼ対応していた。
また、この旧路線名は机上調査をするまでもなく、今でも各所の橋の銘板などに残っている、お馴染みの名前であった。

ということで、これから探索する旧道は平成2年まで現役だったはずであるが、状態は予想外に悪かった。




旧県道に入り込もうとする私を、すかさず通せんぼした、簡単な脱着式のバリケード。

おそらく本州にある廃道に較べれば、圧倒的にまだまだオブローダーの侵略を受けた事のない、ウブなるバリケードであろう。

とはいえ、この前の島である新島などに較べれば、それなりにスレている感じもある。
つうか、普通に本州にあるのと同じような封鎖である。何も変わりはないのである。(笑)
そして、それを前にしたときの私の行動にも、何も変わりはなかった。(ワル)




ワルサをしたほんの20秒くらい後に、私は自転車を乗り捨てる決断をした。

あまりに呆気ない自転車旅の幕切れであったが、それには納得の理由がある。

誰も次の画像を見て、「自転車で行け」なんて言わないと信じたい。




藪密度150%!!


ここに身を潜らせれば、海の中を泳ぐのと大差ない速度で浸水しそうだったが、

今の私に失うもの(=乾いた部分)は無い!

征こうじゃないか。迂回する道は無い。

(反対側からアプローチ出来る可能性を考えなかったが、それも結果的に正解だった。)




勇ましいことを言いながら、

当然のように少しでも濡れたくない私は、

少しでも藪が浅い“ヘリ”の部分を選んで歩こうとした。

そこには確かに道路であった名残としてのガードレールがあり、私は「道路さんごめんなさい」と唱えながら、 ガードレールと、その支柱の上を、歩いた。

もちろん、普通ならばバランスを崩してどちらかに落ちるのだろうが、 ここの笹藪は只の藪ではなく、まるで壁に等しい質量を持っていたから、 それを片手で支えにしながら、錆びたガードレールや支柱の上を歩いて、濡れを避けんと足掻いたのであった。

だが、

“メキッ”

という音とともに、足元に不意な揺らぎを感じた私は、

それ以上そこを歩くことを止めねばならなくなった。



ということは…


入らねばならぬと言うことだった。

………ゴクリ。






…ゴソゴソ ゴソッ






アハハハハハハ八八八ノ ヽノ ヽノ ヽ

俺はこの藪の中で、この日使っていたサブカメラ(完全防水仕様)のレンズフード(付属品)を亡くしたが、

全く探しに戻ろうという気にはならなかった。


え?  この藪を越えるところを「動画」で見たいデスって?



↑どうぞ、ご覧下さい。

レンズフードをどっかへ吹っ飛ばしながら、肉体言語で藪と語らう生き様を。

とても苦しかっただけに、この藪が終わる瞬間の意外な「明け方」は、なかなか印象的だった。






キメたぜ…。

来たぜぇっ!


海も陸もないほどに濡れた私を迎え入れる、
今までが嘘のように穏やかな、隔絶された廃道へ。

も う 、 逃 さ ん ぞ。