隧道レポート 尾去沢鉱山 煙道  後編 

公開日 2006.10.05

煙道という道

 尾去沢大煙突 


 出発から50分。
我々はようやく大煙突の袂にやってきた。
人目を避けるため、そしてそれだけではない理由を持って、煙道を選んで歩いてきたわけだが、近いように見えてなかなか歯ごたえのある道のりだった。

 だが、それもあともう、この高さ2mほどの垂直な壁を乗り越えれば終わる。
何者かが足場として置いたと思われる細い廃材を伝い、おそるおそる2人は登った。

 そして、頭上に大煙突が口を開けた!











ズガーン!




 …ち、違うな、画像間違えた。 スマン…








漆黒の闇に浮かぶ月魄
音のない世界に 幽玄な光が投射される
瞼を閉じて 遥なる繁栄のときを 想う






尾去沢鉱山 大煙突
昭和20年9月落成
同41年廃止
高さ 60メートル



 大煙突は、ほぼ完全な形で現存していた。
同鉱山の繁栄を象徴し、また証明もした本邦随一規模の大煙突。
太平洋戦争終戦の翌月に落成したという、特異な事実。
非常時超増産体制にて年間103万トンという同鉱山史上最多の採鉱を果たした戦時中に、大煙突の建設工事も進められていたのだろう。



 →「大煙突内部動画」(公開中)



 大煙突からは、外へ出る事が出来る。
航空写真によれば、これより更に山上へも、もう一本の煙道が伸びているようだ。

 今度は、そちらへ向かってみる。
12時54分、再出発。



 大煙突の外へ出ると、そこはもう山の中腹。
江戸時代から掘られ続けた800km以上もの坑道を内蔵する大森山、その尾根の上に我々はいた。
つい先ほどまで中を歩いていた煙道が足元にある。
こうして見ると、半分以上は土砂に埋没していた。
やがて、遺構は遺跡になるだろう。



 均整の取れた美しいプロポーションを見せる、尖塔の如き大煙突。
近くに立つ細田氏と比較すると、その大きさが際だつだろう。
底面で直径6m、上端部分は3m、直径の逓減率は高さ1mにつき5cmだ。

 表面は全体的に黄色みを帯びているが、その原因は分からない。
先ほど見たように、内部は総煉瓦張り(目地は耐火粘土?)で仕上げられているが、その厚みは意外なほど薄かった。
それが全体のシャープな印象に繋がっている。




 コンクリートを打設する際にあてがわれていた矢板の継ぎ接ぎが、鮮明に残っている。
遠くから見たときの独特の美観の助けとなっているように思われる。

 なお、天辺に上るための金属製梯子は取り払われているが、その基礎の部分は残っていた。
流石にこれはイタズラ防止のために早くに取り払ったのだろう。
もし上れと言われても、絶対に嫌だが。




 煙道の上に立って、出発地点の精錬所廃墟を見下ろす。

 正直、足が竦んだ。
雨に濡れた足場のコンクリートも滑りそうで怖かったし、特に谷側の斜面は非常に急で、もし墜落したら谷底真っ逆さまだ。



 枯れ山の煙道 上層部


 大煙突の30mほど山上を、もう一本の煙道が通っている。
この煙道は、大煙突に通じる煙道と途中で分岐していたものだが、我々が煙道内部を歩いてきたときには、分岐はなかった。
すなわち、早くに廃止された煙道ということになるだろう。
大煙突よりも、さらに100m近く上手まで上っていた、この旧煙道を、最後にお伝えしたい。

 辿り着いた旧煙道は、いきなりの惨い崩落で、侵入不可能。
すこし地上部分を迂回して進むことにした。



 私と平行して斜面を登る細田氏。

見ての通り、かなりの急斜面。
一面の禿げ山は、一切の遮蔽物もなく、下界からは丸見えである。
そして、当然こちらからの眺めも絶佳。
鹿角市の中心地である花輪方面の家並みや、岩手県境の四角岳方向の山々が広く見渡せる。




 崩れかけた煙道の内部から見上げる、大煙突。

 ただ、美しい。



 大煙突からこれだけ離れた。
だが、まだ行く手には煙道が続いている。

 いつの間にか雷雲は散り散りになって、その合間から光が射していた。
遠くの山裾には、鏡のようにキラキラと輝く一角が見えている。
かつて鉱滓を投棄するために作られた広大なダムで、松子沢沈殿地という。



 もとは、周辺の他の山と同じように美しい緑が広がっていた、大森山。
だが、幕末頃から大規模化した鉱業によって慢性的煙害を被るに至り、北側山腹の大部分が砂漠化してしまった。
枯れ木の根さえ残っていないのは、大雨の度に土砂が流出してしまったから。
火山地帯か、はたまた火星の表面か。 そんな世紀末的絶滅風景が広がっている。
空の青さが救い …か。




 南側に隣接して、大森山と並んで鹿角盆地に裾野を下ろす水晶山。(写真奥の山)
この山が、あっちの山のような緑を取り戻すには、どれだけのかかるだろうか。
かって、水晶山の地下にも、赤沢鉱山という衛星鉱山があった。
そして、赤沢鉱山とこの辺りを結ぶ通洞があった。
大正初期の地形図には、この目の前の尾根を貫通する200mほどの長さの隧道の記載があるが、これまで私の捜索を2度、退けている。
おそらく、現存しない。




 これまで見てきたどの煙道よりも痩せ細って見える、旧煙道。
 再び開口部を見つけはしたものの、これって……。

 入って平気?!

 だって、めちゃめちゃ傾いてますよ?!



ギャー!

 こえー!!

「こえー こえー!」
と恥ずかしげもなく連呼しながら洞内を歩く。
でも、壁には絶対触ろうとしなかったね。
ヤバイよ。この傾き方は。
山が動いているんだよ。きっと。



後(写真左)と、前(写真右)

金属のフレームを使って強度を稼いでいたようであるが、この構造は鉄筋コンクリート造りだった下部の煙道とは明らかに異なる。
壁の厚みも明らかに薄く、より古い時代の、大煙突竣功以前の煙道だったと考えると辻褄が合う。

ちなみに、金属フレームの正体は廃レールだった。坑内トロッコ用の、か細いレールだ。


 終着地点にあったもの。

それは、ご覧の建造物だった。
馬蹄形の断面を持つ、煙突にしては低いそれ。煙突の代わり?

煙突には、排出する煙の温度を下げる効果と、排煙が地上に影響しないようにする効果がある。
その効果をより発揮させるために、市街地に近い場所などでは煙突の高度化がなされるわけだが、逆に言えば、煙が地表近くで排出されても大きな影響のない場所であれば、高い煙突は不要と言うことになる。




 そう考えると、こんな山中の荒れ果てた僻地まで煙道で誘導されてきた煙なら、十分に冷めているだろうし、高い煙突で排出する理由はない。
つまり、この煙突になりきれていない低いモノは、これでも機能を十分果たすと考えられた、排煙口なのではないだろうか。
元々は高い煙突がここにもあったのだという推論も成り立ちうるが、周囲にそれらしい残骸がないことや、壁の薄さなど、これより高い構造だったとは考えにくいのである。

 私の結論としては、これは大煙突竣功以前に使われていた、旧煙突ということになる。



 もはや、これ以上先に、なんら人の来たような痕跡はなかった。
更に山の上部へと一面のガレ場が、広がっていた。

13時08分、一時間以上に及ぶ煙道探索を全て終了。
我々は、帰途についたのである。




大森山海抜400m付近より、尾去沢鉱山跡地および、鹿角盆地を臨む。