笹立隧道 その2
地中に眠るバイパス
山形県鶴岡市 湯野浜

 入り口を確認しただけで、帰れれば、それが良かった。
もし、それに気がつかず、探索を完了していたなら、それが幸せだった。
(「山形の廃道」を知らなければ、実際、ここで引き返していたかもしれない…。)

そう。

まだ隧道は、あった。
それは、足元の下であった…。





 入り口から見えていた5mの最奥部。
足元に、人為的な形をした朽木が見えていた。
そこに近付いてみると、それは、隧道の支保工であった。
僅かな隙間から、大きな空洞が、覗いていた。
そこが、入り口だった。

 瓦礫の斜面は、暗い洞床に続いていた。
わたしは、意を決すると、この斜面を、ゆっくりと下り始めた。
チャリは、麓に置いてきている。
愛用のリュックを担ぎ、築92年の、洞穴へ、降りていった。




 下っていく途中、ほんの数メートルの距離なのに、えらく長い時間に思えた。
正面を見ると、そこには、滑らかに削られた白い岩壁が、異様な美しさのまま、暗闇へと続いていた。
暗闇の向こうには、何がある?
少なくとも、明かりは見えない。
崩落し、閉塞しているのだろう。
すぐにでも、そういう結果が明らかになることを、期待していた。





 洞床に立った。
足元は、たっぷりと水を含んだ砂地であった。
踏みしめると、水が染み出してくる。
 まじまじと洞内を観察してみる。
意外に断面は大きかった。 一時期車道として供されていたというのも、頷ける広さだ。
ただ、それを否定したくなるような現実もあった。
足元の砂地には、まったく、轍がなかったのだ。
轍は、何もタイヤ痕ばかりではない。車が通る道には、2本の並行する轍が生まれる。
しかし、ここの路面は、まったく水平である。
それどころか、足跡一つ、なかった。

 猛烈な心細さが、こみ上げてくる。
しかし、「山形の廃道」のfuku氏も、この同じ景色を、写真に収められているではないか。
ここはまだ、未踏の世界などではないのだ。
そう自身に言い聞かせ、恐怖心を、追い払う。



 振り返り見上げれば、そこにはまだ、ほっとするような日の光が覗いていた。
しかし、入って3mも進んでないのに、この閉塞感は、一体なんだ!
一人旅を長く続けてきた私は、これほどにも臆病であったか?
自問してみても、異様な空気が絡みつくこの隧道内は、明らかに、いつもの廃隧道とは一線を画していた。
一つに、この入り口の狭さからくる「簡単には出られない」というイメージが、原因にあるだろう。
もう一つ理由があるとすれば、それはいま、私が愛車から離れ、一人山中にいるということである。

 チャリから離れた私は、今、本当に、一人であった。






 ここで、この入り口の状況の断面図を見ていただきたい。
だいたい、こんな感じである。
坑門上部の崩落の規模は、あの大切疎水道より大きいが、状況としては非常に似ている。
やはり、コンクリートなどで固められていない坑門というのは、洞内よりも早く風化してゆくものなのだろう。
これまで「ええカッコしい」と馬鹿にしていた、内部は素彫りのままなのに坑門だけが補強された状態にも、一理あるのだと思った。





 勇気を振り絞り、先に進んでみた。
ここで、今回始めて実践投入した「大型懐中電灯」を装備した。
単一電池4本を利用することから、その重さがネックになったが、廃隧道探索での光量不足は、その成否に直接影響するだけに、我慢して持ってきた。

 数歩踏み出すと、そこからは地底湖のように水没してしまっていた。
みたところ10mほどだが、水深が結構ありそうだ。
せっかく装備してきた長靴が耐えられるだろうか?
不安はあったが、とにかく長靴を履いてきたことの成功は確信した。
仮にここで長靴がびしょぬれになっても、ここまではいてきた靴が、まだあるのだ。
この先の旅を、乾いた靴で行えるなら、それでよい。
 強気になった私は(長靴ごときで強気になれる私って、スゴイ?)、少し荒々しく、ばしゃばしゃと水音を立て、つきすすんだ。



 結局、私はここで、(予感どおり)両足をびしょ濡れにした。
深かったのだ。


 水没地を越えたとき、既に入り口の明かりはほとんど届かぬ世界だった。
振り返ると、30mほど向こうには、まだ白い光が覗いていたが、それは弱弱しく、とても私の先の暗闇を照らし出すものではなかった。
懐中電灯の灯りが頼りになったが、余りにも暗い!
電池も十分な筈なのに、この暗さは、なんだ!
 足元を照らし出すのがやっとで、先を照らしてみても、素掘りの岩盤にオレンジの光がうっすらと燈るのみである。
それによって生じるかすかな陰影を頼りに進むことを、余儀なくされた。
あぁ、ヘッドライトがほしい。
川口探険隊(古くてすまん)のような、明るいヘッドライトが、私も、欲しい。





 懐中電灯の頼りない灯りと、フラッシュをたいてデジカメで撮影した写真を確認しつつ、慎重に進んだ。
足元には、土が積もっていて、柔らかな感触がある。
そして進むにつれ、天井や壁面が崩れ落ちてきたらしい大きな瓦礫が、目立ち始める。
瓦礫を避けつつ、進む。
50mほど進んだだろうか。
 懐中電灯の灯りの先に、岩山が写った。
ここは洞内である、岩山があるということは、遂に、閉塞点にたどり着いたということなのか?
近付くにつれ、鮮明に見えてくる。
崩落した土砂は、道の半分以上を、埋め尽くしていた。
その先が、まだあるようにも見えたが、もう無いで欲しいとさえ思った。

 ここまでは、目には見えぬほど微弱でも、まだ入り口から届く明かりが、かすかに洞内を照らしていたはずだ。
ただ目が暗さに慣れてきただけかもしれないが、それは耐えられない暗さではなくなっていた。
しかし、この道の半ばほどを埋め尽くした崩落の向こうの空間はどうだ?
そこにこそ、真闇と呼べるものが、待ち受けているのではないか?

 もう、自身が臆病者であるかどうかなど、どうでも良くなった。
この恐怖に、負けたくないという気持ちが、沸き起こってきた。
どんなに恐ろしげな場所でも、物理的に不可能にならぬ限り、進んでやろうじゃないか。
いけるところまで突き進んでやろうと、決心した。



 遂に根性が座った私は、この崩落地帯の岩壁を、むんずとつかむと、ガッシガッシと登った。
その先は、やはり真っ暗…。
…と思ったが、意外にも、白い光が漏れ出していた。
正直目を疑ったのだが、距離感の掴めない暗闇の向こうに、点のようではあったが、さっき入り口に見た明かりと同じ色が、見えていた。
振り返ってみると、だいぶ遠くに、入り口の明かりが小さく見えた。
もう一度向き直る、遠くに見えるその明かりは、あまりにかすかで、たどり着けるものなのかは、半信半疑であった。
それでも、予想に反して完全閉塞ではなかったわけだ。

 一気に、現実感というものが蘇ってきた。
さっきこの岩山に飛びついた一瞬など、私は“暗闇”に“飲み込まれ”かけていたのではないかと、空恐ろしく感じた。
ふたたび、私の体を“正常な恐怖”が支配した。
「生きて、あの光の下に、たどり着きたい」 そう、思った。



 この崩落地点の写真を、画像処理によって明るくしたのがこの左の写真。
ここまでは、素掘りながらも概ねきれいな半円形を成していた断面が、ここでは跡形も無く崩れていることが分かる。
ひどい崩落である。
危険そうだ。






 その先は、やはり困難な状態であった。
かつて路面があったはずの場所には、人間大の瓦礫がごろごろしていた。
洞内でずっと、どうしても頭の中から離れない、嫌な想像をしていた。
「…もし、人の死体があったら嫌だな。」
「でも、あるかもしれないよな。」
「人の死体を隠すとしたら、ここなら、きっと、見つからないもんな…」

 足元のいろんな形の瓦礫が、私には、気持ち悪く思えてきた。




 中間地点くらいだったろうか。
150mは来たと思う。
未だ、正面に見えるかすかな明かりは、かすかなままである。
それは、間違いなく外の光であったが、果たして、外に出ることが出来るのか、不安だった。
 足元には、それまでの岩塊に混じって、いくつか木製の物体を見つけた。
かなり大きく、長い。
たぶんこれも、入り口にあった支保工と同様のものの残骸ではないかと思うが、周囲にはなく、ここだけに何本かあるのは、不思議であった。
余り詮索したい気分でなかったので、先を急いだが。




 最もひどく崩壊していたのは、ちょうど中央部と思われる50mほどの区間であった。
そこを過ぎると、ふたたび、平穏になる。
丁度その場所から撮ったのが、左側の写真である。
これでは確認は困難なので、さらにその一部分を2倍に拡大したのが、その右の写真になる。

うっすらと、出口の明かり(らしき)ものが写っているのが、お分かりいただけるだろうか?
こんな明かりを頼りに先に進むというのは、生きた心地のしないものだ。
しかしもう、来た道を戻るのは、かなり欝だ。
絶対に、脱出しちゃる!





 実は、ここで紹介した以外にも、多くの写真を撮影したが、光量不足で、まったくといって良いほど像を結んではいなかった。
だが、写真撮影以上に何度もここで行ったことがある。
それは、デジカメでのビデオ撮影である。
音声付の動画を撮影できるのだが、まるで、実況中継のように頻繁に録画していた。
やはりそこにもほとんど映像はなく、延々と音声が続いているのだが、声を出して実況することが、一人でいることの心細さを、幾分緩和してくれた。
また、実況で取材という目的をはっきりさせることも、探索続行の勇気に繋がったとおもう。

 とにかく、恐ろしい場所なのである。
築90年の廃道は、並ではなかった。
もう、二度と一人では行きたくないかも。




 出口に近付くにつれ、深く泥が堆積していた。
最も深い場所では、30cm以上あったようで、一時、足をとられ身動きが取れなくなったほど。
やはり長靴の上まで泥に沈み、もう、汚れと濡れについてはどうでも良くなってしまった。
そうそう、書き忘れていたが、さっき、入り口付近で長靴の中まで浸水したあと、両足は切るような寒さに凍えていた。
なんか、足の先の方が棒にでもなったような感触であった。
その事実すらも、この隧道のインパクトに霞んでいたのだが…。



 そして、遂にたどり着いた、出口。湯野浜側坑口である。
洞内侵入から10分強。
この暗闇から開放されるチャンスが訪れたが、しかし、坑門はものの見事に、崩落している。
埋もれている。
その狭さ、善宝寺側の比ではない。

 抜けられるか?




 出口を塞ぐ崩落に取り付く。
その高さは、隧道の高さと同じだけある。
取っ掛かりはたくさんあり、登ることはそう大変ではなかったが、狭い。
外の明かりが、目に飛び込んでくる。
出口のすぐそばまで積雪しているのが、内部からも分かる。
何本もの小さなツララが、漆黒の闇と外の世界との境界線を成していた。

 私の体重は、50キロしかない。
今はそのことに感謝だ。
なんとか、リョックがつかえながらも、この最も狭い場所で高さ30cmほどの隙間を、突破した。






 生きて、この笹立隧道の通行に成功した。
この廃隧道の状況は、私がこれまでに挑戦したものの中で、もっとも、通行が困難であった。
特に、精神的に。
 それに、この閉塞状況は、限りなく「完全」に近く、いつ、本当に埋もれてしまうか、分からない状況である。
出口に立って、岩の裂け目のような今来た道を見下ろし、まじまじとそう思った。




 さらに、探索は続く。
湯野浜側は、果たしてどんな景色なのか?

そこにも、相当の驚きがあったのだが…
                           


続く

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2003.2.10