だが、この現在の姿に綻びが無さすぎるゆえ、この区間の旧道は極端に存在感を失っている。
ぶっちゃけ、意識をせずこの道を通行しただけで旧道の存在を予感できるなら、それは私を遙かに超えるセンスを持ったオブローダーといわねばならない。
もう一歩進んで古地形図と現地形図の対照を行ったとしても、冒頭で述べたとおり、ここに関してはあまり役に立たない。
この写真のガードレールの奥にある道が旧道だと言っても、ピンと来る人は少ないだろう。
かく言う私も、俄には信じがたいものを感じた。
トリ氏の情報がなければ奥へ入ってみようとは思わなかったような、“無臭の余地”である。
この旧道を不自然に感じる理由は、2つあるように思う。
ひとつは、一般的な新道と旧道の位置関係を踏まえると、このように一方を水域に他方を山域に狭められた場合は、旧道の方が水域側にあることが圧倒的に多いということだ。
だが、この場面では逆を行くことになる。
ましてそこに旧隧道を想定するならば、新道に期待されるよりも長い隧道を想定しなければならなくなる。
これは、イレギュラーなことである。
もうひとつ、これが最も強い違和感なのだが、旧道であるはずの部分は道というより、夏のゲレンデのようになっていることだ。
写真では、斜面が広く道らしくないせいで、そのもの凄く急な勾配が分かりにくくなっている。
だが、これはいくら古い時代の道は無茶が多かったと言っても、不自然すぎる勾配である。
道幅も、待避所といえるようなレベルではない。
本当にこの奥に隧道などあるのか、半信半疑で進む。
50mほど登ってくると、斜面が幾分緩やかになった。
写真は振り返って撮影したもので、中央付近にごく小さく現道のアスファルトが写っている。
私が「ゲレンデのようだ」と表現した理由も。分かってもらえるだろう。
この、“道らしからぬ場所”を登り経て、
いま私の足元には、
此岸を草生(くさふ)に、彼岸を樹木に覆われた、細い谷があった。
実は“ゲレンデ”の頂上は、この小沢に築かれた砂防ダムで終わっている。
現在地はその数十メートル手前であり、河床よりはだいぶ高い位置である。
!!
谷底に、
隧道!!!
ガサガサガサガサ
チャリを捨て、クズやススキが茂った嫌らしい斜面へと飛び込む。
クモの巣を顔面で激しく粉砕しつつ、3秒ほどで谷底の縁へ着く。
実は、不用意にもう一歩先へ踏み出すと、怪我をしてしまう。
そこには、藪深く目には見えねども、開渠となった沢が潜んでいるのだ。
渡る術はあるが、その前に改めて「見えたもの」の品定めだ。
此岸と彼岸のコントラストが大きすぎて、ここからではどうやっても隧道周囲の薄暗さは晴れない。
そのことがよりいっそう、この大正生まれの廃隧道の威厳を高めていたわけだが、実際近づいてみれば何のことはない隧道だった…
では済まされない“ガチ物件”だった!
スポンサーリンク
|
ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
前作から1年、満を持して第2弾が登場!3割増しの超ビックボリュームで、ヨッキれんが認める「伝説の道」を大攻略!
| 「山さ行がねが」書籍化第1弾!過去の名作が完全リライトで甦る!まだ誰も読んだことの無い新ネタもあるぜ!
| 道路の制度や仕組みを知れば、山行がはもっと楽しい。私が書いた「道路の解説本」を、山行がのお供にどうぞ。
|
|
|
|
|
開渠となった沢と、それを渡るごく小さなコンクリート桁橋。
あまりに無装飾&不用心であり、これが本当に国道52号を構成する一パーツであったのかは、疑念が残る。
欄干さえ無いというのはちょっとあんまりだし、沢自体が河床をコンクリートで固められた開渠であるため、この河川改修と橋の存在は不可分と思われるのだ。
もっとも、いまやその判定は、あまり重要な意味を持たない。
この橋の右岸(此岸)側は、大量の残土が堆(うずたか)く“ゲレンデ”を作っているのであって、本来の路盤は全く地中に没しているのだ。
この橋もまた、隧道とともに孤立した存在といえる。
無名の橋上より、振り返って撮影。
幅4〜5mのコンクリート橋は、まったく藪に没しており、目線の高さからだと、どこが縁かもよく分からない。
そして、その右岸側は“ゲレンデ”によって、5〜6mも地中に没している。
これでは、旧道の気配を感じられないのも道理である。
我々、嗅覚自慢のオブローダーであっても容易には嗅ぎつけぬ、ハイレベルな脱臭術である。
人智を越えたハゲワシの嗅覚でこれを見出したトリ氏に敬意を示したいが、本人はそう言っても喜ぶまい。
それはさておくとしても、こうして狭きところに秘匿されていた隧道であるだけに、いざ近づいて嗅ぐ香りは、濃密過ぎるものがあった。
下山隧道 出現!
なんと言っても目を惹くのが、重苦しいばかりの扁額の巨大さである。
まさしく異形の扁額なのであるが、決して不格好ではないから、“偉形”という言葉がしっくり来る。
そう思えるのは、ここに “絶妙な安定感” が存在しているせいだ。
この隧道は、坑門の大きさに対して坑口が嫌に小さい点に特色がある。
そのぶん、「スパンドレル」(←図)が広いので、ここに普通サイズの扁額を飾ったのでは見栄えがしないのだろう。
そんな昔の土木技術者の美的感覚をして築かれた坑門は、シンプルながら猛烈に格好イイ!
巨大さに耐えうる能筆ぶりで右書きされた「下山隧道」の4文字の隣には、小さな3文字が刻まれている。
達筆すぎて現地では読み取れなかったのだが、これについては次回触れることにする。
それにしても、狭い隧道である。
記録されている幅員はわずか4mであり、普通乗用車同士であっても離合はぎりぎり。
ひとたびトラックやバスが絡めば渋滞も必至であるが、昭和43年まではこれが「国道52号」であったというから畏れ入る。
竣功した大正12年当時であれば、扁額に劣らぬ大隧道だったことは、疑いのないところなのだが…。
下山隧道
全長 234m 幅 4.0m 高さ 3.5m 大正12年 竣功
(『道路トンネル大鑑』巻末リストより)
残念ながら、坑口は全面的に金網のネットで封鎖されている。
だが、経年の劣化によるものか、トリ氏や先人達のなせる技なのか、下端部に幾ばくかの隙間が出来ている。
相手はネットなので引けば撓むのであって、この隙間に身を潜らせることは、あまり肥えていなければ可能である。
もっとも、濡れた土に這う必要はあるので、人を選びはする。
わるにゃん
入った。
風通りのある、涼しく静かな洞内へ。
しばし、 囚われることにしよう。