隧道レポート 見附市の栃窪隧道 前編

所在地 新潟県見附市
探索日 2011.5.17
公開日 2017.8.18


【位置図(マピオン)】

広大な新潟県の中央に位置する見附(みつけ)市は、県内で最も面積の小さな市であり、人口は4万2千人ほどである。
市の西部は平野で、美田や市街地が広がっているが、東部は東山丘陵と呼ばれる低い山地が、旧栃尾市(長岡市栃尾)との間を境している。

この見附市の南端部にある栃窪(とちくぼ)町は、東山丘陵の稜線東側にぴょこんと突き出したような市域であり、市の中心部との往来には、稜線を越えなければならない。
その稜線に掘り抜かれているのが、今回紹介する、その名も、栃窪隧道だ。

栃窪隧道は、市販の道路地図にも右図のようにしっかり描かれているし、『平成16年度道路施設現況調書(国土交通省)』にも、大略次のようなデータが記載されている。

トチクボトンネル
 昭和31(1956)年度竣工 全長230m、幅2m、高さ2m

地図を一見しただけで、栃窪町の人々にとっては大切な隧道だろうと思える立地だが、幅、高さとも、ちょっとびっくりするくらいに小さい。
その割に長さは結構なもので、これはぜひお目に掛かりたいと思ったわけである。
しかもだ。
道路地図や地形図を見ると、隧道の西口に続く道が、500mくらいにわたって、破線(徒歩道)で描かれている。

……こいつは、廃隧道の臭いがプンプンするぜぇ……。



栃尾側から、見附市栃窪町へアプローチ


2011/5/11 《現在地》

この長岡市小貫(こつなぎ)の県道栃尾田井線から、見附市栃窪町へ通じる市道が分岐している。直進は県道で、左折するのが問題の市道だ。

分岐地点に案内標識はないが、左折側に「見附市山の家」と書かれた手製の看板があった。「山の家」がどこにあるのかは確認していないが、見附市と書いてあるから、栃窪町にあるのだろう。

とりあえず、まだ車も問題なく通れそうなので、このまま車で左折する。




栃窪から流れてくる谷に沿った、どこにでもありそうな1車線道路を2kmほど進むと、道は谷底から離れ、明るい東向きの緩斜面に入った。
すると間もなく、ものすごい姿の廃屋が目に飛び込んできた。
いきなりの廃屋登場にギョッとしたが、直後にはちゃんと人が住んでいそうな家屋も現れ、無事に栃窪集落到着となった。

なお、ここはもう見附市に入っている。
長岡市から見附市に越境した場所には何の標識もなかったが、地形的にも何ら特徴のない川沿いの地点だった。



《現在地》

ここが、見附市栃窪町だ。

この地の景色をひとことで現せば、いかにも新潟県らしい棚田の美しい山村だ。
地形図を見ると、約300mの範囲内に20軒ほどの家屋が塊村状に点在しており、
周囲には区画整理のあまりされていない水田が広がっている。
そして、集落内の道は全体に狭く、すれ違いできない場所が大半である。

身も蓋もない表現になるが、市の中心部から遠いうえ、地区の人口が少なく、隧道のある山に
阻まれてもいるせいで、見附市の行政サービスがあまり行き届いていないという、予想通りの印象を受けた。

なお、見附市は昔から市内の大字には一律“町”の字を付している。
こういう命名の法則を持った市は他にもあるが、そこに山村風景とのギャップを感じるのは定番である。



段々になった水田を貫いて、一筋の道が続いている。
その進路に見えてきたのは、地図に描かれた通りの小高い尾根だ。
この栃窪町を見附市の主要部分から隔絶している、東山丘陵の主稜線である。

栃窪隧道は、あの尾根を貫いている。



《現在地》
道は狭いが、車が通れないような場所はなく、道なりにどんどん奥へ進んできてしまった。
本当は集落が始まった辺りに車を駐めて、いつも通り、自転車へ乗り換えてから探索をスタートしたかったのだが、集落内の道が狭すぎために、駐車場所を見つけられないまま進んできてしまったというのが真相である。(注意しないとハマりがちな“探索あるある”だ。)

現在地は集落の西端付近で、栃窪隧道まで残り350mほどの地点に来ている。
地形図の通り、ここで道は二手に分かれていた。
どちらの道を行っても、ほぼ同じ距離で隧道前にて合流するように描かれているが、道路状況は右の道が良いようだ。
車ということもあり、ここは無難に右の道を選んだ。

右の道は.、一度下った後で急坂を上り返し、上りきった杉林の中に数軒の民家があった。そこを過ぎると遂に砂利道となり、そのまま道なりに100mほど緩やかに下ったところで、ようやく駐車スペースを見つけた。
次の写真は、そこで撮影した。



8:55 《現在地》

ようやく先代愛車“ワルクード”を駐めることができた場所は、先ほどの分岐地点で分かれた道が再度合流する地点だった。
すなわち、隧道前である。
私はここへ“右”の道を通って来た。

選ばなかった道がどうなっていたかについては、さっそく自転車を出して確認してみた。

右の写真がそれで、車でも無理矢理通れないこともないが、やや荒れているという状態だ。
だが、こちらの道は不自然なアップダウンや迂回がなく、ほぼまっすぐ水平に隧道へ近づいているので、おそらく栃窪隧道とセットで建設された道はこちらだと思う。

片道300mのやや荒れた地道を自転車で軽く一往復してから、車の地点へ戻った。
そしていよいよ、栃窪隧道との初対面だったのだが……。




あっ… (察し)



はい。

完全に廃隧道です。ありがとうございました。


つうか、大丈夫? 開口してるか?

……思っていた以上に、やばい感じ……。

少なくとも、探索の7年前の平成16(2004)年度までは、行政の資料に記載された、
公式には廃止されていない隧道だったはずなのだが…。 こ れ は 一 体 …。



9:03 《現在地》

坑口前の道の状態が、既に平成の世に生存した隧道に通じているものではないと感じる。
今は浅い草藪のようだが、これは芽吹きの時期だからであって、盛夏には丈余のススキやアシに阻まれるだろうということが、足下の激しく泥濘んだ枯れ草の量から容易に想像できた。

この時点で、自転車を持ち込むことは一旦中止した。
まず、隧道がちゃんと開口していることと、それが通り抜けられそうかどうかを確かめてからでも遅くはないはずだ。
ただでさえ、隧道の向こう側の方が道は荒れていそうだというのに……、この段階でこれは…。



あー… 冷気キテるー…。

すーずしーい…

どうやら、ちゃんと開口はしていて、しかも冷気を蓄える程度には奥深さもあるようだ。
遠目に黒く見えていた部分は、もしかしたらただの日陰かも知れないと思っていたが、近づいてみると、なるほど確かに坑口の闇だった。

……平成16年の資料に記載されていたというのが頭にあるだけに、この光景はやはり予想外過ぎるが……。




う〜わ… 完全な素掘隧道だわ…。

坑門工なんて洒落たものは、ありゃしない。
ここまで来てはじめて、草の裏側に隠されていたゴツゴツとした岩盤が見えた。
岩盤はそのまま隧道の奥へと続いている。
高さ、幅とも2mというデータがあったが、確かにそのくらいの極小断面っぽい。  …狭いのは、嫌だなぁ。

それに、ただでさえ狭いのに、坑口前に土砂が堆積していて、半分くらい塞がれている。
故意に埋め戻したにしては適当すぎるので、上部の土砂が崩れて自然にこうなったのだろう。
なんか金属製バリケードの残骸や、スノーポール(雪国の路肩に立っている赤白のポール)のようなものも見える気がするが、埋もれていて判別が不可能だ。

そんなわけで、現状では隧道の通行を規制するようなものは、何も見当たらない。
察しろ! ってところだろうが…。




じゃ、 じゃあ、


いきますよ…




強烈なのキター!!

オブローダーが絵に描いたような、ヤバい廃隧道ヤツだ。

まるで鉱山の廃坑道みたいに、大量の木造支保工が残ってやがる。

この木造支保工というのが、個人的に昔から苦手なんだよなぁ。

コンクリートと岩と泥だけでは醸し出せない、死体染みた有機的な気色悪さが加わるから…。



えっ!

マジかよ。貫通してんのか…。


(普通に、嬉しいとは思えなかった…)





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