隧道レポート(初期レポート集1)

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和田トンネル
役目を終えた、県都の門。
河辺郡河辺町〜秋田市
   国道13号線は、秋田市を出発し延々内陸を縦貫、果ては山形を越え、福島市にまで至る元一級国道の名に恥じない最重要路線だ。
栗子トンネルなどの大きなトンネルを初め多数のトンネルを有するが、実は秋田県内には、トンネルはひとつも無い。(山形県境の雄勝トンネルを除く)
しかし実は、ほんの数年前まで、たった一つ、秋田市の間近にあった。
それがここに紹介する、和田トンネルだ。

 この昭和36年竣工のトンネルは、僅か延長100m。
年代相応の狭隘なもので、昼夜を問わず交通量の多い国道13号線において、大きなボトルネックになっていたことは、想像に難くない。
前後にあった歩道もここで途切れるほどであったのだから。
 そしてまた、地理的な条件(このトンネルが越えた低い稜線は、秋田市と河辺町を分かつものであり、秋田市の門というイメージが強かった。)や、その古さが想像させる過去の事故歴、最後まで無灯隧道であった事などが災いして、県内有数の心霊スポット(「男鹿プリ」か”ここ”というほどの)とされてきた。
私もたびたび深夜にここを自転車で通ったが、短いとはいえ歩道も無い狭く埃っぽい無灯の隧道を、背後から大型車が来ていないことを確かめてから、進入するのは、気持ちよいものではなかった。
見込みを誤り、大型車に追い立てられた時など、そのまま巻き込まれて死ぬのではないかと恐怖したものだ。
…幽霊云々ではなく、事実上、怖い場所であったのだ。

 遅ればせながらと言う感じだが、最近になって、やっとここにトンネルを供さない、バイパスが完成した。
そして、そのバイパスは、あまりに旧トンネルに近い場所を巨大な切り通しで駆け抜けるものとなった。
すなわち、旧トンネルは、破壊され、消え去ったのだった。

 私は埋め立てからほぼ1年がたった、2001年夏、久々にこの場所に行ってみた。
以下はその時に撮影したものだ。


現在の峠を河辺町側から望む。
巨大な切り通しであるが、このぐらいなら、もともとトンネル化の必要が無かったんじゃあ?
河辺側の坑口は切り通しの中の、向かって左斜面の中に消えたので一切無い。


この遺構最大の見せ場が、この土に埋もれた“墓標”か…。
ちなみに、写真上部、うっすらとコンクリの帯が黒く見えるでしょ。あれが、トンネルの坑口でした。

そして、やっぱり気になって上ってみると…。
見つけました。
昔は手の届かない場所から、われわれを見下ろしてきた銘も、叢のなかでした。
見えにくいですが、「和田トンネル」の下に「昭和37年竣工」の文字がはっきりと見えました。

 この撮影に満足し、喜々として、この場所を離れる私でしたが、大変な忘れ物をしていたのでした…。

上ったその場所から、背後を見ると、旧道が。
あのゆんぼは、どっかで見たなー(笑)
道の左に見える標識は、「秋田市」です。

降りてまた一枚。
左端に見える斜面は、新道の切り通しです。

トンネルから秋田市側には、わずか500mほどだが、旧道が残る。
まだまだ元気だが、あのゆんぼの出入りにしか使われないと思われ、今後急速に草生していくでしょう。
ちなみに私は、ここに転がってみました。
道の真ん中に大の字で。
…国道13号線ではきっとできない芸当だったな。と、省みながら(笑)。
 この探索に夢中になっていた私は、ここに大変な落とし物をしていた。
勢いよくここを下り、御所野の街を越え、下北手付近でそのことに気づいた時には、炎天下であったにもかかわらず、超サムくなった。
とりあえず、どこで落としたかわからなかったが、トンネルまで戻ってみよう、となって…
戻ったら、あったよ。私のハンディGPSが。
…それだけです、文章にするとつまらないですが、実際に戻るのは、もっとつまらなかったです。
2002.2.26

秋田五城目隧道(仮名)
幻の長大隧道
秋田市仁別中ノ沢奥地
<後日追記>

 本文の記述は最新ではありません。
その後2003年5月に再調査の結果、従来の結論を覆す発見がありました。
よって、本文中には多数の誤りを含みます。
本来削除するべき稿とも考えましたが、調査の難しさと自身への戒めの為に、本文には手を加えずに公開を続けるものとします。

2003.5.10追記
 森林軌道は一時期林業の輸送手段の主役として、昭和40年代にトラックが台頭するまで、県内各地の沢筋に張り巡らされていた鉄道網である。路線図 それらは、いまや県内にはまったく現存しないが、その遺構は各地に残っている。
しかし、もともとが簡易な構造であったため、そのほとんどがもとの原野に帰りつつあるのだ。

 そして、それらのうちのひとつ、県都秋田市から、北東方向へ太平山地の奥地へと旭川沿いに伸びる路線があった。
現在その路線跡地の一部は自転車道路として余生を過ごしているのだが、現在ではほとんど忘れられた区間が存在する。
私がその存在を知ったのは、図書館の郷土資料コーナーでのことだった。
県内の森林軌道の変遷をつづったそれには、こうあった。

 …その路線の支線の一部は、ある時期において、隣り合う五城目町の最奥の林地にまで伸びていた。
(さらに、その先の北の又集落付近まで、それは伸びていたという。)
そして、境界の稜線は、500mを越える手堀りの隧道が貫いていた。 というのだ。

中ノ沢林道の険しい峠の道  現在、この山域は、中ノ沢林道が細々と峠越の道をなしているが(写真左)、狭隘な路線であり、主要地方道15号線の不通区間ともなっている。
そこに、素堀りの物といえ、鉄道の通う隧道が存在したというのだ。

これは衝撃であった。
そしてすぐに、現地調査に赴いたのだった。

   結果、判明したこと。
その隧道は、現存しない。
既に、出入り口とも埋没したか、あるいは、危険防止のために、廃止時点で爆破されたのだと思われる。
地形図を片手にした、徒歩での詳細な調査にもかかわらず、それらしい隧道は発見できなかったのだ。
 残念な結果ではあったが、隧道の南北にあったはずの路線跡は、ほぼ特定することができた。
特に、北側(五城目町側)では、集積所(駅)の建物のあったと思われる広場や、隧道入り口と推測される、細い平坦地につながる切り立ったがけも発見できた。
そのいずれでも、枕木の一つも発見できなかったのだが。(夏場の調査のため草がすごくて…)

 しかし、この場所に長大な随道が存在したことは事実であり、もし、それを拡張し利用する政策が採られていたらと思うと…、
将来、この地に主要地方道15号の新トンネルが改作される可能性もゼロではないと思うのだが…。

 在りし日の隧道の姿は、今となっては想像する他ないのだが、実は、それを手助けするものが残っている。
この写真を見ていただきたい。
杉沢林道沿いに残る隧道跡 その内部の状況
 中ノ沢林道は、光沢分岐点以北においては、杉沢林道と呼ばれるが、この路線もまた、森林軌道跡を概ね利用している。
そして、そこには一つの随道跡が残り、それは同林道から眺めることができる。
その景観は、長さこそ違えども、多分、「それ」に近いものであろう。
(写真では内部から撮影しているが、大変危険と思われ、お勧めしない。)

 この幻と呼んで差し支えないであろう、「秋田五城目隧道(仮名)」について、なんでも情報をお持ちの方は、ぜひともヨッキれんまでお知らせ願いたい!
2002.2.1

雪田隧道
のどかな里山の隧道
北秋田郡合川町雪田沢林道
   子供の頃、夏休みとかに田舎に遊びに行ったりした記憶を持つ人は少なくないだろう。
そして、そんな記憶のどこかにはきっと、薄暗いトンネルが残っていやしないか?
いまとなっては、どこと特定できないかもしれないが、父親と一緒に…あるいは一人で探険したその場所は、
そこだけひんやりと、蝉の音もとどかぬ、一種神秘的な場所でなかったか。

 そんな場所を、最近見つけた。
のどかな原風景。
里からそう遠くない、そんな砂利道にそのトンネルはひっそりと口を開けていた。
大人になった自分には、小さなトンネル…でも、小さな頃にはきっと、威厳をまとった怪物のように大きな存在に見えたことだろう。

 場所は、北秋田郡合川町雪沢。
小阿仁川の穏やかな流れに沿って、田畑が広がる田園地帯の一角、支流の一つ雪田沢に沿って、一本の林道が伸びる。
雪田沢林道は、上流で行き止まりとなる典型的なピストン林道に過ぎないが、入ってまもなくの場所に、まるで里と山を分けへだつかの様に、一本の短い隧道がある。
名称は不明。(ここでは便宜上雪田隧道と呼ぶことにした。)
この道の由来は、古くは県下随一の規模を誇った森林軌道網に属した支線であり、比較的攻略しやすい路線といえる。

 入り口は、なんともローカルな雰囲気。
県道24号線に接していて、入り口には小さな標柱がありわかりやすい。
周囲には田んぼに混じって、りんご畑あり。
こんな景色の奥に隧道が待っていると思うと、…わくわくするでしょ?

 ちなみに愛車は転倒しているが、スタンドがないためだ。
入り口で力尽きたわけではない。

 入り口から1Kmほどで姿を現す待望の隧道。
現役で使われており、古そうだが、しっかりしたつくりに見える。
森林軌道時代からは拡幅されたのだろう。

 写真右に写る、林道らしい私製の標識もいい味を出している。
文言は、 「トンネル 出入口上部 崩土注意
確かに、雪庇のように張り出してしまった上部のがけは怖い。

 内部の様子だが、比較的乾いていた。
また内壁は、総金属補強で、しっかりしていた。まっ茶にさび付いていたが。

 反対側から撮影。
まるで、壁のように立ちはだかる岩脈を貫いている様子が、私に、「里と山を分けへだつ」との印象を強く与えた。
手前の橋とトンネルが、砂利の林道とマッチしていて、とても美しい。
現役で活躍する道らしい、生き生きとした、好きな情景だ。
廃道や旧道の情緒とはまた違う、さながら矍鑠とした老兵のような味わいがある。

 林道の奥では、こんな清流が来るものを楽しませてくれる。
このあたりの沢はどこもこんな滑らかな河床で、涼しげ。
気取らない行楽に最高の、まさに、里山的だ。

 こんな人知れないマイナー林道だが、隧道あり、清流ありと、お勧めの一本であった。
しかし、肝心の隧道の報告が少なくて面目ないです。(あまり写真とってなかった。)

 HPへ掲載後、現地に詳しい下野爺さまから、さらに詳しい情報を多数いただきました。
下野爺さま、ありがとうございました!

 それによりますと、
1955年ごろ、やはり森林軌道用の隧道として、既に存在していた。
当時は、やはり素掘り。
それと隧道を迂回しておくに進む沢沿いの道があった。
 また、この森林軌道についても興味深い情報をいただいています。
路線は、上小阿仁村沖田面から始まり、二ツ井町天神に続いていた。
この隧道があるのは、支線のうちの一本であった。
少なくとも雪田と天神には、鉄橋がかけられていた。
停車場(駅)は、天神、三木田、雪田、大沢田、沖田面などにあった。
 他にも、下野爺さまには、そそられる情報をいただきました。
近いうちに実走し、レポートさせていただきたいと思ってます。
 重ね重ね、情報提供ありがとうございました。
2002.1.28
2002.5.30追記

萩形はぎなり林道の素掘り隧道
県内唯一?!の素掘り現役隧道
上小阿仁村萩形
   コンクリの被覆で覆われた近代的なトンネルの姿は、現代の車社会の象徴的な交通建造物だと思う。
かつて、トンネル堀りが、人力に頼っていたころ、岩を掘ったままの姿で開通とされたトンネル、俗に言う“素掘り”のトンネルは、あたりまえに存在した。
これほどに、人が交通の利便に傾けた情熱を感じさせる建造物はほかにない。

 ほとんどの素掘りトンネルが姿を消した平成の世で、いまだに現役として活躍する物を見つけるのは、困難だ。(観光目的のものは除く)
秋田県内で、私が見つけた現役の素掘りトンネルはこの一本のみである。

 秋田県土のほぼ中央に位置する広大な山岳地帯の、中枢。
北秋田郡上小阿仁村の山中、小阿仁川最上流域萩形地区に残るこの隧道の延長は、僅か20m程度。
素掘りのまま現在でも、林業関係車両や、山菜取りや渓流釣りに訪れた人々に利用されている。
「萩形林道」は、ほぼ隧道のある場所から始まり、太平山の深い峡谷の奥まで続く、多くの支線を含み極めて難度の高いピストン林道である。
途中、今は廃村となって久しい萩形集落跡や、萩形キャンプ場を擁する。

 この地区の山チャリには、多くの困難が伴う。
一つはなんと言っても、あまりに人里から奥地(上小阿仁村中心部から30Km以上はなれた地区が大半だ)であることによる、補給面や時間的な制約だ。
さらに、萩形地区全体が巨大なピストン林道であり、ルートの自由度が低いことも気持ちを滅入らせる。
また、太平山系中枢部の地形的な難渋さは、言うまでもなが、それでありながら、延長3Km以上の困難な支線が多く存在し、パーフェクト狙いの山チャリストにとっては、全くもって“足が”痛い。
もう一点…、山蛭の脅威を忘れることも出来ない。

 一日100Km程度の林道走破が可能であることが、この地域に挑むための条件だと感じる。
山チャリストにとって確かに魅力的な林道群ではあるが、安易に萩形に挑むことは、あまりにハイリスクだと実感している。

 あなたがこの隧道をチャリでくぐる時には、それがまだこの地区の始まりに過ぎないことを考えて行動して欲しい。
無事に帰るには、またここを通らねばならないと言うことを十分考え、体調と相談して、侵入して欲しい。



馬場目林道分岐点から見た、隧道。


内部の様子。地下水多いです。

反対側の様子。大迫力?!

いよいよ始まる萩形林道。覚悟はいい?

このくらい高地まで登る支線もあります。(黒様森林道)

ダムのところにもトンネルがあるが、こっちもオンボロだ。
 
* 多くの地図帳では、この隧道のそばにもう一つ、隧道が描かれているが、実在しない。
 多分、撤去されたものと思われる。
2001.7.24

后坂きみまちざかトンネル群
新旧トンネルのオンパレード?!
二ツ井町荷上場
 羽州街道は言うまでもなく古来からの道だが、この羽州街道が米代川の太い川筋と両岸にせり立つ山並みにどうにも阻まれる場所がある。
現在の二ツ井町にある后坂だ。

 この后坂は、難所であり、また名所であった。
現在でも、この地の逸話にあやかった、二ツ井町主催の恋文コンテストなどが催され、有名な観光スポットである。

 ここを通う道は、羽州街道の道筋を元に開削された国道7号、そしてJR奥羽本線がある。
この2大秋田幹線道が通う地であるから、ここを貫くトンネルの歴史も深いものがある。
…といいつつ、私にはこの手の(歴史)情報が欠落しており、また得ようという努力も不足している。
よって、具体的にどのくらい古いのかは、ちょっと勘弁してほしい(笑)。
 でも、新旧入り乱れるこのトンネル群を見れば、誰でも歴史の深さを感じるだろう。

 ここに現存するトンネルは、全部で5本!
北側から、JR奥羽本線の「きみまち坂トンネル」。
国道7号線の「きみまち坂トンネル」。
旧・奥羽本線の廃トンネル。
県道322号線(旧国道)の「后坂隧道」。
さらには、歩道用の「后坂歩道トンネル」。

 これだけそろうと、圧巻である。
「山形の廃道」サイトの管理人fuku氏によると、「后坂隧道」に至っては、明治22年竣工のものであるらしい。(ただし、昭和27年に大規模な改修を受けている。)

 ちなみに、トリオが最も印象に残っているのは、歩道トンネルである。
丑三つ時、ずぶ濡れの体で、このトンネルの中ほどでした食事の、わびしかったこと…。
つらい、辛すぎる過去だ…。


后坂隧道。
年季はいってます!!

左から、国道7号、旧奥羽本線、県道322号線のトンネルです。

悠々と流れる米代の川面です。
背景は、七座ななくら山。
県道322号線からの眺めです。
 
2001.5.3

秋田市外旭川の名もなきトンネル
あの五百刈沢隧道よりもマイナー?!
秋田市上新城秋田北IC付近
 五百刈沢隧道を、苦労して発見したかつてのチャリ馬鹿トリオには、もう一つの探し物があった。
それが、五百刈沢隧道のすぐ近くで、これまた負けずにひっそりと地図に描かれた、もう一つのトンネルである。
後日行われた捜索は、こちらも難航した。
そして、遂に発見するも、こちらには残念なことに、銘板がついていなかった。
よって名前は不明である。

五百刈沢隧道よりも短く、元々電灯もない。
また、心持ち広く、乾いた道であり、探険ムードは弱い。

 以前、図書館で昭和30年代頃の古地図を見て気付いたことだが、このトンネルの少し左側の山中をもう少し長いトンネルが通い、そこを、土崎の臨海工業地帯からの手押し軌道(確か、採油用だったかな?)が走っていたようだ。
そのトンネルを探してみたが、見つからなかった。(地形的に存在しえたような場所は見つかったが。)
当時の事情を詳しく知っている人が居たら、是非ご一報いただきたい。

 この道の現状は、元々は、五百刈沢隧道同様に、上新城地区の人々が、山を越えた外旭川側に作った農地での農作業の利便の為に村単位で作ったものであったろうが、機械の大型化や、その他の道の整備などで、ほとんど使われていないようだ。

 このトンネルを抜けた外旭川側は、眼前に秋田自動車道のすばらしい道が見下ろせる場所であり、追憶の世界から現世に引き戻されるようだが、ここは、面白い線形だと思う。

 凄い九十九折でしょう(笑)。この狭さにこの九十九!並みの林道以上じゃ!
しかも…、妙に勾配が緩くて、このくらいなら、直線でも良かったんじゃあ?
五百刈沢側の非情とも思える急勾配とは好対照である(笑)。


 外旭川側は、こんなに辺鄙な場所です。
正面の丘は、桍腰山(71m)です。 いなかーー。

 んで、最後にマップです。
ひっそりとした場所ですから(実は高速を通る車はうるさいが…)、あんまり騒いだらダメかもです。

オレンジが五百刈沢隧道の道。
赤いのが、今回紹介したトンネルのある道です。

2001.4.13

五百刈沢隧道
県内最狭の道路トンネル?!
秋田市上新城秋田北IC付近(五百刈沢集落跡)
 まずは写真を見て欲しい。

 不気味なこのトンネルは、秋田市郊外上新城地区に今もひっそりとたたずむ、五百刈沢隧道である。
山チャリトリオ発祥の地である大滝山に近く、それゆえに、かなり以前からこのトンネルを発見していた。
並みの林道よりも細い線で地図に描かれた道に、これまた小さなトンネルの記号を見つけたとき、もとよりトンネル大好きな俺は、保土ヶ谷と共に、このトンネルを探した。
しかし、まだまだ全然土地に明るくない我々の調査は難航を極め、なかなか見つけられなかった。

 幾多のあぜ道の行き止まりに落胆し、迫る夕暮れに諦めかけたとき、遂にこのトンネルは、我々の前に姿を見せたのだった。
鬱蒼とした杉林の奥に、明らかにそれとわかる小さな穴を見つけたときには、なんともいえない、会心の気持ちを持ったことを今も覚えている。
今から8年位前のことだ。
その当時は、トンネル内の明かりも故障しており、不気味なことこの上なかった。
二人は、奇声を発しながら、ここをすり抜け、まだ影も形もなかった秋田北IC付近に脱出したのだった。

 それ以来、このトンネルを、トリオで、あるいは一人で、何度も何度もくぐった。
深夜、どういうつもりか、トリオでとここをくぐったこともあったし、秋田道の工事で閉鎖されていた時は、もしやこのまま崩されるのではとヒヤヒヤした。
このトンネルには、なんとなく愛着を感じている。
それは、苦労して見つけたということもあるのだろうが、かつて、現在のように交通が発達していない頃には、この道がもっと大勢の人たちに愛されていた気がするから、だと思うのだ。 馬鹿なことだが、トンネルに同情しているといえるかもしれない。

 廃道化の一歩手前で、細々と光を通わすこのトンネルが、あとどれほど存在できるかはわからないが、最期まで、見届けたいと思う。


秋田北IC側入り口。
銘板の文字はしっかりと読み取れる。

内部の様子。
本当に狭い。車一台やっと通れる広さだ。
しかも急勾配。

反対側は、鬱蒼とした杉林だが、すぐに廃田や人家が現れる。

これは貴重な一枚だ。
はじめてここを発見した当時の写真。
当時は電灯が壊れていたことがわかる。
2001.4.9
2001.4.13更新

仙岩トンネル
奥羽山脈の物流大動脈
国道46号線 秋田県田沢湖町〜岩手県雫石町
 秋田県のトンネルといって、私が一番印象深いのは、このトンネルだ。
まだ秋田に住む前…小学生のころだったと思うが…オヤジの運転する車で、親戚の住む秋田へ何回か来た事があった。
まだ日本の広さとかも良く分からないころ、とにかく「横浜」から「秋田」は、自分の知る限り最も遠い、旅であった。
旅大好きの俺は、東北道の単調な車窓に良くあきもせず、胸ときめかせたものだが、いよいよ気分が最高潮に盛り上がるのが、いつも、この仙岩峠であった。
 当時からトンネル大好きだったからということもあるが、ただ漠然と「遠いところ、雪の深いところ、田舎」と認識されていた”秋田”が、いよいよ現実味を帯びてくるのがこの、峠、そしてその頂点に長々と横たわるトンネルであったからだ。
 その長さが、まず決定的に、印象に残った。
1Kmを超えるトンネルを、「長い」と認識していた俺にとって、その”2544m”は文句なしに長大だったし、一般道のトンネルということで、高速のおんなじような長大トンネル以上に通行に時間を要するのも、気分を盛り上げた。

 しかし、思えば、幼い俺に秋田を山奥の世界と思わせていた最大の原因が、このトンネルにあったことは間違いが無い。
多分、多くの秋田来訪者の「秋田は田舎イメージ」の定着に、一役かったであろうこのトンネル。
今では、秋田自動車道や、秋田新幹線といった高速交通がやっと秋田にも定着し、通行量も、そしてその存在感も幾分弱まった。
秋田のイメージも変わっていくことだろう。

 なにはともあれ、俺にとって秋田。いや、世界一印象深いこの仙岩トンネルを、ついに、チャリで通行することが出来た。
 果たしてこれが仙岩トンネルか?
いやいや、まだまだだ。
仙岩トンネルを頂点とする、国道46号仙岩道路秋田県側は、田沢湖町を出てすぐに、JR田沢湖線と平行しながら、出羽山脈に切れ込んだ生保内川沿いを登ってゆく。
その過程、次第に付近の山並みは険しさをまし、正面に屏風のように屹立する県境の稜線との高度差は如何ともし難いものとなって行く。
(それは、かつて存在した峰越しの旧道の苛烈さを、容易に想像させるほど、険しいものだ。)
また、この区間には、大小さまざまな橋梁やトンネルがあり、変化に富んでいる。
しかし、歩道がトンネルや橋の度に分断されるのは、イラつく。

 そうこうしながら、長い長い登りを、こなして行くとついに。
 これが、仙岩トンネルの秋田県側坑口である。
このときは、明け方に訪れたのでさすがに交通量は少なく、時折大型車が轟音とともに、鮮やかなオレンジを車体に纏って飛び出してくるのが、妙に現実離れした光景に見えた。
ここは、生身の人間がいるような場所か? まして、この穴の中に進んで、無事に出られるのだろうか?
そんな冗談のようなことを真剣に考えさせられるほどに…。
余りに無機質な、光景に見える。

 突入じゃイ!!!!
 長い長い2544m。

 歩道がとにかく狭い!
1mくらいスレスレを大型車が通過してゆくときなど、悲鳴の一つもあげたくなるほどの恐怖だ。
しかも轟音が凄まじく、飛行場のようだ。気違いそう!!

 トンネル内には、上り線下り線一箇所ずつ、小さな横穴がある。
この穴は、災害時のUターン場所らしいが、ここだけ白い電灯がうっすら灯っており、えらい不気味。
決して長居したい場所ではない。

 今回はじめて気づいたが、トンネル内の3分の2以上が、登り坂だった。辛い!
ま、逆から通れば、くだりの多いトンネルということだが。
写真からも、弓なりになった、トンネル内部の様子が見て取れるだろう。

 しかし、本当に長い。
いいかげん、嫌な気分が爆発しそうになってくる、圧迫感がものすごいし、空気も悪い、耳もおかしくなりそうだ…。
道がいよいよ下りに差し掛かると、やっと出口が見えてきた。
勾配こそあるものの、全く真っ直ぐなトンネルである。
また、後方から車の近づいてくる音がしてきた。
何とか追いつかれる前に脱出したい!焦る焦る。

 ……。

 脱出。

うそのように静かな山中だった。

秋田ではまだ、夜だろう。
しかし、ここは岩手県だ。
朝焼けの色が、にわかに東の空を染め始めていた。
余韻に浸るまもなく、その方角へ勢いよく、下ってゆく。 最高の気分だ!

 こうして、この日の仙岩追憶紀行は終わったのだった。


 …、と思ったのに、一時間後再び私はここにいた。
なんと買ったばかりのPHSをここに落としていた!!
見つかったから良かったようなものの…、  バカ〜。  
2001.1.6


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