といっても、お持ちでない方が殆どだと思うので、昭文社さんには悪いけど一枚だけ拝借して…。
実は、この地図は一昔前ではなくて最近の物なのだが、廃止されて久しい線路が記載されてしまっている。
どれかお分かりだろうか?
図中央やや左上の「新日鉄」の文字の下に、細い線が左右に伸びている。
右に辿っていくと…二手に分かれたと思ったらそのままトンネルとなり、さらに内部で合流するという荒技に出る。
しかも、その先が長い。
3セクのリアス線の釜石トンネルよりやや低レベルを掠めて、地中を延々と南進。
次に地上へ出るのは、平田地区の埋め立て地である。
そして、線路はブツッと途切れてしまう。
実はこれが、新日鉄の社線(鉄道)であった。
そして、現在は使われていない。
特筆すべきは、なんと言ってもその長さ、地図上で図ったところ隧道は2.4kmくらいある。
これ、釜石に行ったときには是非立ち寄らねばなるまいと密かに心に決めていた物件であった。
そして、遂にその夢が叶ったのであるが、現時点での「山行が」が攻略した中での最長廃隧道だった。
かなり古い地図にも記載されていたりする隧道だが、詳しいのはこちらのサイト。
それによれば、隧道名は「山手東側隧道」。 変わった名前だ。
そして、さらに驚くのは、竣工は昭和元年だという。めちゃくちゃ古い。
その古さたるや、当時はまだ国鉄釜石線はなく、「社線」と呼ばれた鉱山鉄道(昭和46年廃止)が内陸の釜石鉱山と市街地を結ぶのみであった。或いは社線と一体となった路線だったのかも?
隧道開削の目的は、製鉄所(新日鉄?)から生ずる鉱滓を平田湾に投棄するためだったと言うが、実際にどれほど利用されたのかなどは、ちょっと分からない。
海に鉱滓を投棄というのも、いま考えれば酷い話だと思うが…。
まあ、この隧道が現役だった当時には、工業イケイケの時代だったから、許されたのか…?
釜石が鉱業都市として最高にノリノリだった時代に、パワー溢れる私企業が開削した隧道であるが、その長さは同時としてはかなりに物だったのでは?
昭和元年に2000mオーバーって…まあ、既に何千キロも坑道を掘りまくっていたヤマの男達にはどうって事無かったのか?!

この山手東側隧道だが、ひとつ懸念があった。
それは、坑門の一方側、釜石駅側はいまでも新日鉄の敷地内であり、容易に立入出来ないということだ。
つまり、私が遙々仙人峠を越えてやってきた此方側からは進入できず(人目に付くのは避けたいのだ)、反対側の坑門がある平田地区へと回らねばならない。
隧道内で、万が一新日鉄側の監視カメラや巡回などが稼働していれば、探索続行が出来ないだけでなく、大事になりかねない。
すなわち、静かに速やかに、忍者の如きの探索が、重要となるだろうと考えたのである。
写真は、釜石側の新日鉄工場。
いまでも稼働していて、いくつもの煙突から白煙が上がっていた。
隧道は、この敷地内に口を開けているはずなのだが、国道からは見えない。

国道45号線に合流すると言うことは、遂に太平洋に着いたと言うことだ。
そのまま、国道45号を仙台・大船渡方面へ南下する。
すぐに急な登りとなって、隧道が底を貫いている筈の小高い丘を越える。
その頂上、岬の突端にあるのが、釜石大観音像だ。
直立白亜の像は海の方を向いていて、その後ろ姿は何とも心癒される物がある。
「ちょっと、これからオタクの足元を失礼しますよ。」
心の中で念じているうちに、道は平田地区への急な下りに転じる。

国道から木々の合間にちらりと見えた平田の埋め立て地。
かつて隧道が現役だった当時は、ここにも新日鉄の工場が広がっていた様だが、いまは草ぼうぼうの荒れ地だ。
現在一帯は民間に払い下げられているらしい。
隧道から繋がる軌道も撤去されていると聞くが、果たして。

国道は平田で別れ、埋め立て地へと向かう。
区画整理もされておらず、街路樹が寂しげなメーンの舗装路と、そこから山際に伸びる直線の舗装路がある。
また、山際にも道が通っていた。
写真の山並みの裏手が釜石駅のある市街中心部であり、隧道はここを貫いている。
こうしてみても、かなりの距離が想定される。

正確な隧道の位置は、敢えて説明しないが、山際をくまなく探せばいずれ見つかる。
確かに、坑門前までレールなどもない。
背丈ほどもある草むらは、いくつもの踏跡が縦横無尽に走っていたが、そこを走り去る茶色の影を見たときは驚いた。
様子を覗っていると、それは散歩中の飼い犬で、飼い主も傍にいたのであるが、私は気づかれぬように、身を潜めた。
少しの後、私は再び行動を開始した。
そして、遂に怪しい場所が現れた。
最寄りの車道からは、100mほど草むらの奥だった。
ヒントは、白いフェンスの傍。

いかにも町はずれ。
いかにもアンダーグラウンド(それは言い過ぎ)
何やら怪しいムードの坑門の姿が、これまでにないほどの怪しさを伴って、怪しく現れてきたのだ。
何が怪しいって、坑門の姿もさることながら、脇にある廃墟の怪しさは何だ。
かなり近づかねば見えないほど、周囲の藪は深かった。

ガラスは既に割られており、建物自体は昭和40年代くらいのものかと思われるが、得体が知れない。
位置的には、隧道に付随する何かだと思うが、迷わず私は坑門へ向かうことにした。
流石に人の目はここまで届かぬと思われたが、これまでにないほど市街地に密着した廃隧道である。
万一通報などされたら、たまったもんじゃない。
急ぎ隧道へ身を隠したい気持ちだった。

うわー。
なんか、生々しい怪しさだな。
アメリカのちょっと古いホラー映画のムードだろ。
なんか、出来て来そうだ。
かなり、来てるな。
霊感とかそういうのじゃないけど、独特の何かを感じさせる坑門だった。
窓枠付きのオシャレな窓にガラスは既に無い。
可愛らしい教会のような三角の屋根も、飾り気のないコンクリだと逆に恐い。
酸性雨の影響か怪しい斑模様が、よりコンクリの迫力を増させている。
そして、それらを隠さんと枝葉を伸ばすねっとりした夏の葉っぱ。
時刻は16時40分、眩しい西日も届かぬ薄暗い坑門。
違和感ありまくりの、ファンシーな白いフェンスが塞いでいるが、異様な空間は容赦なく奥から私を捉えて離さない。
恐る恐る、近寄っていく。
この瞬間が堪らない?!

うわー。
…なんか、雑然としているな。
内部を覗くと、巨大なプロペラが、まるで山門の仁王像のように両脇で睨みを利かせている。
なんなんだ、こんなプロペラ見たことがない。
錆付き止まっているが、何のためのプロペラだったのか?
内部の換気用か?
昭和初年の物とは思えぬ巨大なプロペラは、この建物状の坑門と共に、後補のものと思われた。
他にも、フェンス越しに見た内部には、隧道奥から続く数本のパイプと、雑多なゴミが散乱していた。
僅かに空気の流れと、頬にあたる冷気は感じられるが、それは弱く、まだ貫通しているかどうかの判断は出来なかった。

フェンスから振り返ると、微かに路盤跡と認められる地形があった。
また、驚いたことに、レールも枕木もないのに、そこには一本の信号機が立っていたのだ。
背丈は1.8mほど。
赤と青と思われる二灯が上下に並んで取り付けられた、シンプルな信号機である。
よもやこんな発見があるとは思わなかったので、興奮した。

フェンスの隙間にレンズを通して撮影。
光は僅かしか届いておらず、あとは深き闇の帳に阻まれる。
見たところ水没はないが、泥の堆積があり、茶色いレールが半ば埋もれている。
!
レ、レールだ!
レールがある!
なんと、隧道内にはレールが見えた。
運行を停止して10年以上は経過していると思うが、レールが残存しているというのは予想外だった。
もっ、萌え萌えだぜー!
次回、
いよいよお待ちかねの内部探索へ。
衝撃の発見の数々は、間近だ!