山手東側隧道  その3
北東北最長廃隧道?
岩手県釜石市
 
 草ぼうぼうの埋め立て地の隅、怪しい姿の坑門が口を開けていた。
そこはかつて、製鉄所で生じた灼熱の鉱滓を、海へと捨てるために掘られた、全長2000mを越える隧道だった。
高炉の火が消えると、やがて隧道も廃止された。

そして、時は流れて、今。







 入洞から13分。
振り返ると、入り口は本当に小さく小さくなっていた。
おそらく、1kmほどは歩いただろう。

そして、この辺りで洞内の様子は一変する。

両側の壁が1mずつくらい左右へ後退し、隧道の幅が一気に増すのだ。
さらに、足元のバラストや枕木の様子にも変化があった。

 枕木は、キノコやカビに侵された木製のものから、コンクリート製に代わった。
乗せられているレールの錆び付き方に違いはないが、洞内に点々とコンクリの反射があると、その印象は大分違う。 また、それまでは半ば土に埋もれていたバラストだが、枕木と共にはっきりと姿を現し出した。

この辺りまで来ると、人が訪れている気配、例えば足跡やゴミなどが、さらに希薄になる。
まだ振り返ると点となった入り口が見えるし、前方にも何やらうっすらと謎の明かりが見えるが、それでも、かつて無い長大隧道に挑んでいるという実感が湧いてくる。
釜石という都会の地下にあって、人の営みを感じさせない地下世界だ。

ここは、人が歩くような隧道ではない。
人の速度では、ただただ坦々と、巨大な空洞が続くという印象だ。





 「突如こうなったのだ」と言えば、科学的でないと笑われるかも知れないが、急激に洞内の靄が濃くなった。
手持ちの強烈なLEDライトの光路には、霧の粒子、極小の水滴の一つ一つが浮き出して見える。
闇の中、光線がまるで、レーザーのように伸びる。
そして、驚くほどに光は届かない。
ひんやりしているからかそれほど湿気を感じないが、その湿度は確実に100%を越え、飽和した水滴がそこら中に浮遊している。
この状況が最も苦手なのは、私の唯一無二の取材道具であるデジカメだ。
フラッシュを焚けば、たちどころに世界はホワイトアウト。
ご覧の通りである。

困ったぞ。

いや、マジで。





 初めて隧道がカーブした。
ゆるやかに左へと曲がっていくレールに沿って歩けば、自然に視線は内側の壁に張り付いていく。
その先に、何が見えるのか?
ずっと見え続けてきた朧げな明かりの正体は何なのか、と。

そして、カーブの先にあったのは、思いがけない光景であった。






 隧道全体では、恐らく中間地点に近いのではないだろうか?
2kmを越える“これまでで一番深い闇”を覚悟していた探索だったが、よもやここで日の光に出遭うとは思わなかった。

立坑の直径はおおよそ5m。
天井から立坑の上端までの高さは、おそらく10mほどだ。
円筒形の巨大な立坑の天辺には灯りとりのような窓が二つ開いており、そのまま外に繋がっているようだ。
入り口を塞ぐようなものは見えないが、立坑の壁には一切の足がかりはなく、登ることは出来ない。

長い隧道の最も深い部分は、最も地かぶりも多いと思われるが、この隧道については例外で、僅か20mほど上には地表が接しているらしい。
果たして、どこへと通じているのか…、興味があったが、時間が無く地上部の探索はしていないことを付け加えておく。



 もう一度地図を見てみて欲しい。
この立坑は、南側から立ち入って初めて現れたカーブの場所にあったから、地図上で「嬉石町」と書かれた辺りの地下と思われる。
現在の国道からはやや離れるが、旧国道の蛇行するルートのそばだ。
確かに、この地点の地かぶりはそれほど多くない事が、等高線からも分かる。
もっと細かな地形図などで見てみても、やはり結果は同じだ。

私が気になったのは、なぜこの隧道がこの様な不自然な線形となったのか、である。
昭和初年の竣工というと、技術的な制約があったのかも知れないが(現に昭和中期の南リアス線釜石トンネルは、すぐ上を真っ直ぐ貫いている) 、その可能性を排除して考えれば、敢えて地かぶりが浅い海岸線に沿って掘った理由が何かあると思える。
それは、何か?

そんなことを考えさせる遺構が、この後さらに出現する。



 立坑の明かりは隧道のほんの僅かな地面しか照らさない。
数メートルも離れれば、人工の灯り無くしては歩けぬ闇に逆戻りだ。

この立坑のもたらす地上の明かりは僅かだが、より隧道をドラマティックにしている。
心理的な影響も当然大きく、坦々と闇が続く以上に、激しく私の心を揺さぶった。

すぐ傍に見える、おそらくは地上の光。
戻るべき、愛しい光だ。
しかし、そこからは何一つ、地上らしい色や、臭い、音などがもたらされない。
本来、光の満ちた地上の中の、一点に過ぎぬ闇が、この隧道だ。
だが、今の私から見れば、その関係はまるっきり逆なのだ。

私は、強烈な孤独感を感じた。




 再び、闇と、白が、辺りを支配した。
もう、フラッシュ撮影は断念せざるを得ないようだ。

取材には大きな大きな痛手であったが、カメラのフラッシュを停止し、代わりに感度をISO1600の上限まで上げた。
これで、フラッシュ無しでもLEDの明かりで、輪郭ぐらいは撮影できるだろうと判断した。
この、 ISO1600という超高感度撮影は、愛用するFinePixF401の特徴である。
後継の機種ではISO800までに抑えられてしまったことからも伺えるとおり、実用性はというと、通常低い。
所詮コンパクトカメラの性能であるから、この感度ではノイズが乗ってしまって、精細な映像は到底得られないのだ。
それでも、この場面では、まるで「私のためのカメラ」と思わせるような、説得力のある機能に思えてきた。
フラッシュが焚けない場面での撮影といえば、おおよそCMでは「子供の寝顔を撮影」なんかがモチーフだが、霧に覆われた廃隧道での撮影というのは、需要が無さ過ぎなのだろう。





 苦肉の策、ISO1600モードオン!

とっ、撮れてる!
撮れてるよ!!
しかも、フラッシュを焚いていない分だけ、肉眼で見ている印象に近いかも。
こんなノイジーで、しかもライトの当たっている場所しか写っていないなんて、失敗写真といわれればそれまでだけど、この場面ではこれ以外に撮影の手段がなかったとご理解頂きたいのである。

被写体は、これまで見てきた人の背くらいの信号機ではなく、広くなった洞内に合わせたのか、背格好も立派になった信号機(でも2灯)である。

製鉄所を出てきたばかりの鉱滓というのは、まだ高熱で、暗闇では赤々と発色する程らしい。
待避口以外には一切灯りのない隧道だが、鉱滓を満載した列車は、それ自体が隧道を薄ら赤く照らし上げていたのかも知れない。
今は冷気に支配された漆黒と沈黙の空洞も、かつては創世記の地球のように、熱とガスに覆われ、あの入り口の巨大ファンの送風が働く人たちの命を守っていたのだろう。

どんな音がしていたのだろう。
どんな臭いだったのだろう。
信号機の双眼は、ここで全てを見ていたはずだ。





 入洞から18分を経過。
ここまでは殆ど立ち止まらず歩けているので、大釈迦の通過経験を踏まえて、3分の2くらいは進んだのだろうかと思った。
しかし、もはや前にも後ろにも一切の明かりはなくなっていた。
それもそのはず、この辺りは全体で緩いS字を成す隧道の、中の線の部分だった。
光からは最も遠い場所だ。

相変わらず霧は晴れず、LEDに照らされた粒子は、一意の方向に絶えず流れていた。
体では感じられない程度の風だが、確かに空気は、私の歩く方向に吹いているようだった。
内壁は相変わらず広々としていたが、レールは単線のままだった。
正確には、ときおり3条目、4条目のレールが現れた。
しかし、それらは単線の内側に置かれた予備のレールのようだった。
洞内保線の光景も、二度と見られない。

金属の支保工が、僅かな区間だが、組まれていた。





 定期的に現れる待避口とは別の、鉄の扉の在るを見逃さなかった。
両開きの重厚な扉は、錆のせいだけではないようで、ビクともしなかった。
上部には蛍光灯が取り付けられており、待避口に扉をしただけではないはずだ。
どこかへと通じているのか…。

東側に向かっているこの扉の先は、もしかしたら地上かも知れない。
真っ直ぐこの方角へ進めば100m以内で地上に脱出できると思われるのだ。




 惜しむらくは、説明が絶対必要な写真しか撮影できない、この超近視眼的なISO1600撮影なのだが、この映像は何かと申しませば…。


隧道内分岐
である。

そう、ここにも在ったのである!
萌える隧道の印、隧道内分岐が!
しかも、想定されていた分岐ではない。
地図上でも、出口付近に分岐が存在しているが、分岐の方向が明らかに違う。
本線に対し、寄り添うようにして合流してくる、一回り小さい隧道があったのだ。
一回り小さいと言っても、今の本線が太いだけで、恐らく分岐先の隧道は、通常の単線サイズの断面である。
狭いという印象はなく、むしろ、堂々とした、正真正銘の隧道二分岐である。




だが!

問題があった。

立ち入れない、大きな大きな問題が!

次の写真を見て欲しい。






 恐すぎる!

これは、素直に撤収である。
恐すぎるのだ。
リアルすぎるのだ。

今まで、多くの廃隧道を歩いてきたが、一番懸念してきたのは落盤などではなく、ガスや酸素欠乏による窒息死だった。
その、常に頭のどこかにはあった危機感を、これほどまでにズバリと警告されては、流石に一歩たりとも踏み込めない。

見える範囲の話をしよう。
分岐の先、バリケードが1カ所在る。 1箇所目に、この写真の警告書きが設置されており、さらにその奥3mほどの地点にも、全く同じ造りのバリケードがあった。
バリケードというよりも、鉄のフェンスである。
高さは1m程度、錆び付いており、押せば倒れそうな上、そんなことはしなくても、突破は容易だ。
足元は泥っぽい土で、レールは延びていない。
ゲートの先にも、確かに空洞は続いていて、闇に消えている。
風は一切無い。臭いもない。
ただし、音がある。
コウモリ達の発する、あの独特な音である。
数匹の物ではなく、相当の数が犇めいている様な、気色の悪い音が、分岐の奥から絶え間なく響いていた。



かつて、これほどに感じの悪い穴は少なかった。
確かに、悔しい!
かつて、こんなに先が見たい穴は少なかった。
確かに、悔しい!!
どこへと通じているのか。気になる!!
風もないし、しかも、「酸欠注意」というからには、閉塞しているのであろう。
ならば、何のための穴だったのか?
レールも敷かれていないし、全くもって、訳が分からない。

確かに悔しい!!


だが、命は大事だ。





 分岐点の傍には、小さな小屋が在ったが、扉は固く閉ざされていた。
分岐の正体についての手がかりはなく、息苦しさを感じ始めた(心理的な物だと思うが)こともあり、遂に、そこを離れ歩き出した。
入洞から20分目の遭遇だった。

歩き出して4分後。
『出口500M』の標識を、今度は進路方向で目撃した。
この間、隧道の幅は再び入ってきたときのそれに戻り、枕木や、バラストの様子も元に戻った。
次第に、霧も薄くなり、何とかフラッシュ撮影が再開できるまでになった。
四分間もの間、私は黙々と歩いた。
頭は、さっきの強烈な遭遇の事を反芻するばかりで、いまの洞内の様子はなにかもう、平凡にさえ思えた。
だから、撮影もしなかったし、早足に近い速度で、一挙に出口500m手前まで歩いたのだった。






 そして、S字最後のカーブ。
そこを越えると、唐突に出口が現れた。
出口まで目測300m。
その途中にあるはずの、地図に描かれている分岐は、まだ見えない。






次回、いよいよ脱出!

 そして…、 最終回。

 


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2004.8.16