2001年総括と、2002年に向けて。

 あれよあれよと今年も終わり。
この原稿を書いているのが、まさに12月31日、しかもこれから仕事に行く前というのだから、本当にあわただしい。
2001年は、慌しい一年であった。
山チャリについて振り返ると、当初の予定通りには行かず、時間が許さずに実行できなかった計画が多くあった。
駆け足になるが、2001年の山チャリを振り返ってみたい。


 2001年に一発目は、4月の寒風山行き101号探索行であった。
半日程度の簡単な旅であったが、“酷道”101号線の実走調査がメインの内容で、この頃から既に当HP へのUPを相当意識して山チャリしていたことがわかる。
思えば、この年の山チャリは、HP用の情報収集というのが最大の目的になっていたように思われ、デジカメゲット以前のひたすらにストイックな、求道スタイルは過去のものとなった。

 4月はさらに行っている。
出羽丘陵の、地図上からは平凡で、興味をあまりそそられもしない一帯の攻略作戦出羽丘陵低山行だ。
この回でも、ひたすらに各地で写真を撮っているのだが、特に旧道探索に余念がない。
むしろ、各地の旧道を転々とした旅だった。
これは、この頃出会った、現在では相互リンクを張らせていただいているHP、[Quatoro-NET (AKITA-SITE JAPAN)]様や[山形の廃道]様に影響を受けたところが大きい。(もともと旧道大好きであったのだが。)
また、日帰りできる範囲に初めて行く場所というものがほとんどなくなってしまった為に、情報収集中心の旅が多いのも、00年後半からの傾向といえる。
実際、この日に走った場所の半分くらいは、既に攻略済みの場所であった。

 なんと、4月はこれで終わりではなかった。
さらにもう一発あった。
またも半日の小旅行となった県道15号探索行である。
この回では、私の山チャリ史上初の初出の場所がまったくない旅となった。
しかし、充実していないわけでもなく、知ったる場所だからこその安心感や、深い探求を行える満足感が、未知の世界への好奇心を満たすという、私の山チャリのもともとの理由に静かに置き換わりつつあった。
この頃から、必ずしも初めての場所にこだわらない姿勢を身につけたと思われる。
しかし、問題なのは、一回は生還した危険行為を、無謀にも同じ場所で同じように繰り返すことがあるという点だが。

 ついに月が替わり5月だが、急ピッチで行っている。
県道28号不通調査行は、近場の不通区間として名高い(?)、同線の不通区間の徹底調査をメインとした回であった。
攻略済みと思われていた地域にいくつもの新発見線や、建設中の道路を発見し、燃えた。
しかし肝心の県道28号の調査では、一部県道指定されていない区間を必死こいて攻略するなど、空回った部分もあった。
ほぼ2週に一度のペースで比較的小規模の山チャリを繰り返し、HPのコンテンツの拡充に奔走していた。
今年で最も山チャリが充実していたのがこの頃であったろう。

 5月中旬には、この年最も過酷であったと私が考える萩形最終行が実施される。
このタイトルのとおり、県内でもかなりの交通僻地である萩形地域の、これまでの多年にわたる攻略の最終弾として企画されたもので、計画の性格上、やりのこしが許可されないため、非常にタイトで、昔(98年から00年)のスタイルに近い旅となった。
相当なボディーへの負担を強いたが、辛うじて持ちこたえてくれた。
天敵、蛭への恐怖に耐えながらの廃道行。
林業親父からの制止を振り切っての突入。
撮影データの消失事故。
など、山チャリ元来のイベントが満載された、見所の多い、しかし繰り返したくない一発だった。


 この5月の強行軍を最後になんと、9月までのほぼ4ヶ月、まったく山チャリに行っていない。
実際には、山チャリと呼ぶほどのものではない半日クラスの周辺探索行を繰り返したものの、私生活のスタイルが仕事中心にならざる得なかったことが最大の原因といえる。
残念なことだが、体力的にも、少ない休みを山チャリにささげることができなかった。
…大人になってしまったのだ。


 ついに久々の山チャリとなった9月の田沢S林道3重行は、県内有数の長大&過酷林道である同林道の3回目の実走となった。
始めてこの地にデジカメを持ち込んだ私は、心置きなく、ある種神聖な秘境を感じさせた『黒崎森隧道』ほかの数々の遺構を夢中で撮影した。
規模の大きい計画であったが、一回での完了が難しいと判断、急遽この月の回の旅に一部を持ち越した。
この回も初出の場所はほとんどなかったのだが、やはり山チャリの楽しさを再確認させてくれた。

 9月末に実施された仙岩峠撮影行は、ファンの多い国道遺跡である、仙岩峠旧道とその周辺の徹底調査であった。
そしてこの年唯一の県外遠征となった。(わずかな区間であったが。)
仙岩旧道と半日をかけて戦った熱い記憶が、今も目を瞑るとよみがえってくるのだ。
二度三度と取り組んだ道は、たとえどれ程に過酷な試練を課してくるとしても、もはや敵ではなしに、旧知の友のように感じられてくるから不思議だ。
それを実感した、9月の2回の旅であった。

 そしてこの年の山チャリとして記録されているものは、以上である。
わずか7行である。
山チャリに目覚めた95年頃から数えて、最も少ない一年であったと思う。

 しかし、意外に後悔はない。
それはひとえに、このHP のおかげだと思う。
さらにいえば、更新の稀なこんなHPに足しげく通ってくれた、数名の常連の方々と、掲示板で励ましの言葉をくれた方々。
そんな皆様の存在こそが、2001年の最大の収穫であったと感じます。
だからこそ、辛うじて、このHPの灯を消さずに、…そして、何度か消えかけた山チャリへの情熱も絶やさずに来れました。

 2002年も当分は、自由にできる時間は増えることはなさそうです。
しかし、去年の今頃も宣言したアノ言葉を今年も繰り返させていただきます。
これは、皆様への感謝の言葉です。自身へのエールです。

 生涯現役


 この言葉を、このHPにお越しいただいたすべての皆様と、(今年は結局一度も山チャれませんでしたが)トリオの同志にささげます。
来る年も大自然の牙に怪我などせず、皆様の山チャリ…すべての旅、が、無事でありますように祈りつつ、

 どうかみなさま、よいお年を!
「山さ行がねが」を、来年もよろしくおねがいしたします!!



2001.12.31