大層な名の橋だ。
しかし、名に負けぬ橋である。
昭和9年に国道7号線の道路橋として、現在の位置に完成。
その後、70年間近くも現役で活躍し続けたのだから。
東北第二位の大河雄物川の河口部を一跨ぎにするその延長は、驚きの578m。
現在でこそ、さらに長い橋が数本生まれたが、竣工以来長い間県内最長の橋梁であった。
しかし、その年代からくる幅の狭さと、絶対的な老朽化はいかんともしがたく、ついに、架け替えが計画され、2001年、その使命を終えた。
それにしても、押しも押されぬ重要路線国道7号にこれ程の旧橋が存在し続けてきたことのほうが、驚きだが…。
この老兵へ静かな余生をとの願いもむなしく、取り壊しが決定している。
2002年中には、その歴史に幕が下ろされることだろう。
お疲れ様の気持ちを込めて、ラストランをせねば、と繰り出したのが、つい先日のことだ。
以下はその時の記録である。
まずは、少し袂から離れて、全景を撮影。 よかった! まだ無事のようだ。 それにしても、長い。 川面に映る影も美しい。 そそるぜ!! | |
予想はしていたことだが、やはり封鎖されている。 しかも厳重だ…。 が! 私も何も考えなしで来たわけではなかった。 工事員がいると厄介なので、あえて早朝を選んでここに来たのだ。 ここで引き返すわけには行かない! しかし…、すぐ背後で信号待ち中の車や、犬の散歩中の人の視線が痛い…。 どうする。 まさか、通報されることもないだろうが…。 大胆な行動をとらざる得ないのか…それとも、ここは慎重に、反対側の入り口のほうが入りやすいか、確かめに行くべきか…。 | 少し悩んだが、結局は、こうなった。 親柱が平らで大きくてよかったー。 まずはここにチャリを担ぎ上げて、ストック。 次いで自分もバリを越え、チャリと一緒に着地。と相成ったわけだ。 すんなり入れてよかったぜ! ちなみに、この写真には他にも興味深いものが映っている。 なんと、親柱にあるべき「銘板」が、何者かに剥ぎ取られているっ!!(その上、跡をコンクリで埋められている) 左側の親柱も、おんなじ状態であった…。一体何ゆえ…に。 |
バリを越える前に、既に供用されている新橋のほうを撮影したのがこれ。 少し高い位置にあるんですな。 手前には、旧橋の一部(なんて呼べばいいのかな?近年の橋ではあまり見たことのない構造物だ。)が映っている。 年代を感じさせるパーツですな。 このパーツについて、何か情報をお持ちの方、よろしく御教授ください! | さて本題に戻って、バリを越えた私の目の前の景色は、こんな感じ。 どう見ても、つくりが今風ですよね。 昭和9年に完成してから、なんど改修されたのでしょうね。 歩道がないですが、橋の両側に、別に取り付けられています。 後から、増設されたようですね。当然そちらも封鎖されてます。 |
少し進むと、右側に役目を終えたキロ表示と、「建設省」の文字を発見。 奥に映る新橋は、早朝だというのに、びゅんびゅん車通ってました。 チャリからも見下ろされていたのでしょうが、夢中になっていた私は、それどころで無かったです(笑)。 | いよいよ、トレードマークである、鉄橋部分へ到達。 ここまで50mぐらいか。 さすがに、長い橋だと実感。 この写真は、地べたにはいつくばって撮影したが、国道現役時代では、危なっかしくてとてもできないことだったでしょう。 こんなにいい橋なのに…、通うものがまったくない…廃される道の悲しさがこみ上げてきましたよ。 |
<←> この辺はもう、完全に一人の世界の中でした(笑)。 気持ちイイーーーーーッ! 国道とか、現役時代に一人きりになりにくい道ほど、こうして独り占めできると、格別にうれしいし…、 また、とても小さな自分ひとりでは受け止めきれないほどの、なんていうか ……情のような、そういうものを、感じますね。 「お疲れ様でした!」 の言葉を、幾度も心の中で唱えました。 | |
ついに578mを渡り終え、反対側に到着。 こっち側のバリケードは、ずいぶんと簡素なものです。 でもそんなことはもうどうでもよいことでした。 再び渡ることのできないない、この橋に敬礼。 以後二度と、自転車でわたるものもないでしょう。 やはりこちら側の銘板も消えています…悲しいことですが、どこかで無事なのでしょうか? 情報求む、です。 | 少し走り、振り返る。 次来る時には、新橋が一人でお迎えしてくれるでしょう。 |