西会津上野尻の大廃橋 

公開日 2006.07.09
探索日 2006.06.25

 この探索劇は、次のメールから始まった。
 差出人は、498氏。

(略)阿賀川をまたぐ白い道が上野尻ダム(柴崎橋)です。ダムといっても、大きい堰という感じです。 そこより南、写真では目立ちませんが航空写真で黒っぽく写っているトラス橋があり、廃橋です。西側の橋げたが落ちています。 トラスの大きさからすると、ちょうど森林鉄道サイズに見えなくもないですが、その生い立ちはまったく不明です。 前述の知人によれば「線路ではなかった」。 私はこの廃橋がずっと気になっているのですが、インターネットで探しても全然ヒットしません。 まるで存在自体が認められていないか、箝口令がしかれているのではないかと思うほど、実に見事にスルーされています。

 もし、ここに述べられているような橋が実在するとしたら、これは是非確認する必要がある。
トラス橋は非常に高価で、また耐用年数も大きな事から、そうおおく廃橋として現存する物はないのだ。
廃止されても、他の場所へ部材が転用されたり、または屑鉄として売却されたりすることが殆どだ。

 私は、福島市で万世大路の視察会に参加あと、自身にとって初となる会津地方入りを果たし、そのまま橋があるという西会津町上野尻を目指した。
車中泊があけて翌朝、私は始発列車前のJR上野尻駅で自転車を組み立てていた。
目的地は遠くないが、何かを探しながら車でうろちょろするのは性に合わない。


仰天! 巨大廃橋出現!

衝撃の出会い

 498氏からの情報や、航空写真などによれば、右の地図の位置に廃橋はあったようだ。
橋が跨いでいるのは阿賀川の本流そのもので、阿賀川は全長210kmと日本第10位の大河であるから、中流に位置するこの西会津付近でもその川幅は150m〜200mはある。

 これまで私が遭遇し得なかった巨大な廃橋の姿が、様々にイメージされたが、思いがけないほど呆気なく橋は発見された。



 この道は県道338号「上郷下野尻線」。
とりあえず廃橋の姿を肉眼で捉えるべく、廃橋があると思われる地点より500mほど下流に架かる柴崎橋を目指していた。
柴崎橋はこの県道の橋である。

 磐越西線を踏切で渡ると、阿賀川沿いの短い北上区間となるが、川と道の間には帯状の緑地公園があって、直接水面は見えない。
私は、逸る気持ちを抑えきれず、芝生の公園を横断して川岸へと近付いてみたのだが……。



 あ…。

 あるよ。
一部をツタに覆い隠され、見るからに異様な姿を晒す巨大なトラス橋が……たしかに、ある。
対岸は一面の杉林、こちら岸には近付く道さえ見つけられず。
こっちから近付くためには、朝露にまみれた背丈より深い草原を相当に歩かねばならなそうであった。

 私は、情報提供者の弁に従って、まずは対岸からの接近を試みる計画を変えなかった。



 ほぼ同じ地点から下流方向を見ると、阿賀川を少しだけ足止めするかのような、本流堰の上野尻ダムが。
まだ日没前の時刻、分厚い雲が垂れ込めているせいもあって、景色は全てがシルエットのようだった。
或いは、水墨画のようだ。
目の前の大河さえ堰き止められ、そこに動きのある物は何一つ無かった。
私は、凄まじい廃橋を目にしてしまった直後ということもあり、緊張に身を固くしていた。



 ダム方向へ県道をさらに北上すると、見たこともないような重厚な東屋が。
機能はただの公園の東屋だが、明らかに異なる由来を持っていそうな物体だ。
それが何であるかは想像が付かないが、これと似た物で見たことがあると言えば、鉄塔の土台だろうか。
だが、ここは水面からかなり遠い場所であり、浸水用に高床式にしている鉄塔が日本各地にあるとはいえ、そのような名残でも無さそうである。



 いよいよダムに接近。
その下流の流れを見ると、やはり流れは殆ど感じられず、大河の大河らしい姿である。
水位がかなり低いのか、水面ぎりぎりにはコンクリートの堰の残骸のような物が露出している。
阿賀川は長い水利の歴史を持つ河川であり、福島会津地方、新潟北越地方の生活とは切り離せない存在であり続けている。
役目を終えた施設もまた、流域には数多く点在している。



 現在の上野尻ダムは、昭和33年に竣功した重力式コンクリートダムで、阿賀川中流域に連なる本流ダムの一つとして東北電力が建造した。
このダムに付随して上野尻発電所、同第二発電所が運用されている。
鋼鉄製トラスの洪水吐水門の連なりが、大きな存在感を有している。
そして、この堤体と一体化しているのが、県道の柴崎橋である。
車一台分の狭い橋だが、現在は歩道橋が下流側に増設されている。



 柴崎橋から上流を見渡せば、そこに今にも霧の中に消えてしまいそうなトラス橋の姿。
有無を言わせぬ迫力がある。
渡ってみたいという気持に先だって、何か怖い。
長大な径間を有する2連のプラットトラスと、桁橋の複合橋であるが、桁部分の様子のおかしさは一目瞭然である。
よく見ると、陸に接していないみたいだし。
そもそも、かなり傾いている?



 柴崎橋を渡り、阿賀川右岸へ。
川霧も晴れ始め、いよいよその姿は鮮明に見えはじめた。
美しい景色だと思いはしたが、橋のあまりに異様な佇まいは、私を長く立ち止まらせはしなかった。
私は急かされるようにして、川沿いの舗装路を南下していった。

 私の中には、確信めいた物があった。
この橋はおそらく、一筋縄ではいかないという。



 最大限望遠で撮影。
明らかに、桁橋は傾いている(ゲルバー桁橋だろうか)。
陸側が低くなっているのは元々かも知れないが(いや、おそらく元々なのだろう。陸が遠すぎる)、桁橋部分に一つだけある橋脚が、橋をねじるような有らぬ方向に傾いていることが見て取れる。
その上、陸に触れているべき部分は忽然と姿を消しているではないか。
渡らせまいという処置なのか、あるいは流出してしまったのか。
いずれにしても、あの場所へはたどり着けないような予感がした。
(見たくない現実!トラスに路盤が見えない!!!)



 真の孤独とは……


 あっけなく、橋の袂へと近付くことが出来た。
そこは、川沿いの道の一角で、杉の林の中にトラスの一部が見えている。
橋の袂までは、ほんの30mほど森の中を歩くだけでいい。
有るべきもの、例えば立ち入り禁止の看板だとか、柵だとかは一切無い。
それはもう、この道を道として考える者が誰もいないことを意味する。
鉄道なのか、道路なのか、はたまた。
何がこの橋を利用していたのかさえ分からぬ状況で、私は遂にその袂へと立つことになった。



 道の痕跡はやはり森の中にも認められず、ただ、いよいよ水面が見えてくると、ご覧のような親柱と思われる巨大なコンクリの構造物が両側に一本ずつ現れた。
銘板は見えず、コンクリート製であることから時代は大正より遡らないと思われる。
鉄道の単独橋である可能性は、この発見でかなり小さくなった。

 いよいよ、眼前にトラスが現れる。



 無い! 
橋桁無い!!(涙)

 いやーー、渡れっかなー?
困ったぞ。これ怖い



 まずは、ツタが橋に絡み付いている辺りに一歩を踏み出してみる。
橋の構造を自分の目で邪魔の入らない位置からよく観察したい。

 さて……。分析完了。

 橋の強度的には全く不安はない。
まるっきり橋桁が存在せず、骨組みだけである。
もし、渡り始めたら、ターンできる場所は限られるだろう。余計に慎重にならざるを得ない。
3本の鋼鉄の主桁は滑らかそうで、躓くことは無さそうだが、滑るかも知れない。
何よりも嫌なのが、主桁同士が離れすぎていて、バランスを崩したときに他の桁を頼れず落下する畏れがある。
ただただ平均台よろしく一本橋渡りをするより他にないだろう。
かつて細田氏と開発した蟹歩きは、もう少し桁が幅広なら有力な渡り方となり得るが、足の大きさ(26.5cm)よりも明らかに桁幅が小さく、前後のバランスに難があって蟹歩きは不可能である。



 おそらく、この橋を攻略するための最大の敵は、いまこの体を押しつぶそうとしてくる恐怖心に間違いない。
平均台で落ちたことはないから、100mだろうが200mだろうが、休みながら行けば転落の危険はない。
ただ、恐怖心に負けて、足が思うように動かなくなれば万が一もある。

 はたして、この橋はどれくらい怖いだろう。
それを正確に判断するためには、さらに前進してみるより無い。
もしも、もしも転落しても、この辺りなら岸まで泳いで生還できる。






視界、オールグリーン。

橋と、己の恐怖心との一騎打ち。

この橋を渡れれば、おそらく自分の大きな自信となるだろう。
そして、なによりも、味わいたいのだ!
あの、ヒリ付くような戦慄を!
事を成し終えた後だけに味わえる、
昇天するような恍惚感を!!

末期的恐怖中毒者。

いま、引き返せぬ一歩を、

踏み出す。
(コワイヨー)





 橋は決して高くない。
だから、落ちても溺れなければ助かるだろうが、私には流れのないエメラルドグリーン一色の水面がえらく恐ろしく見えた。
この、波紋ひとつない水面をしたたかに打ち据え、屈辱の波紋を広げた瞬間、私の旅がそこで終わってしまう様な予感があった。
絶対に、絶対に落ちてはいけない。
そう心に誓って、摺り足で進み始める私だった。

 始めに選んだ主桁は、中央。



 私は、危険なことをしている自覚はあったが、別に今回は何も咎められるような事はしていない筈だ。
通行止めとも書いていないしね。

 それなのに、なんなんだこの背徳感は!
遙か遠くの柴崎橋に車の姿が見えるたび、こわばった体をより硬くする私があった。
世間一般の良識から考えて、命を粗末にしかねない行為は、やはり背徳そのものなのか。
この時の私は、恐怖を楽しむ余裕がなかった。
一言で言えば、テンパイである。
テンパっていた。
挫けそうだった。
マジ怖い。



 マジ怖い。マジ怖い。マジ怖い。マジ怖い。マジ怖い。マジ怖い。マジ怖い。マジ怖い。マジ怖い。マジ怖い。マジ怖い。マジ怖い。マジ怖い。マジ怖い…


本当に怖えーや。
でも……、
   大丈夫。
   大丈夫。
   大丈夫。
      行ける。
      行ける。
      行ける。

ただの平均台だから。
大丈夫。
あと、三分の二。



 あそこで一息付ける。
あともう2ブロックで休憩できる。

 私は、最初に渡りだした中央の主桁を早々に見切って、それも怖かったのだが、思い切って左の桁に移っていた。
なぜなら、中央の桁や右の桁の上には、朽ちた材木が重なっている場所があって、遠目に見ても、それを跨ぐようなイレギュラーな足運びが如何にリスキーかを予想できたからだ。
とにかく、この橋は長い。
2径間合わせて100m以上あるだろう。
だから、パターン化してしまうことが最大の安全策である。
私の場合、自分の歩幅を考え、左足踏みだしから始まる11歩で一つのブロック(横桁と横桁の間だ)を通るようにパターン化した。
幸い、左の桁はその歩き方を完全に許した。
すべてはそのカウント11の繰り返しに帰結したのである。



 橋の規模の割りに、華奢な印象の中央橋脚。
スラリとした垂直の壁を、動きのない水面に落としている。
ここで私は腰を下ろし、伸びをして体を解した。
ここで引き返せば、おそらく無事に帰れる。
進めば背負うリスクは倍になるが、いちばん難しいのは、ここまでの最初のステージであったはず。
もう、気持ち的にはだいぶ冷静になっていたし、どうせここまで来たのなら、おそらく何年も誰も近づけなかっただろう、傾いたコンクリート桁橋へとたどり着きたい。

 ここまでのテンションが下がる前に、私は再び命と向き合った。
テンポよく一気に進むことが、コツである。



 あと半分だ。

 帰りがないなら、だいぶ気楽なのだが……。

 どうせ行き止まりの橋。
 我ながら、無意味なことに情熱を燃やしていると思った。
 でも、この川面で頭を冷やす気はない。
 



 振り返ると、行く手と同じだけの距離が出来上がっていた。

 ちなみに、この橋の渡り方として、三本の主桁ではなくて、その外側の梁を渡る事も検討し、実際に体を預けもしてみたのだが、上から下りてくる斜めの桁をかわす方法が難しすぎて、実用にならなかった。
平均台よりは、かなり体の支持性は良さそうなのだが、あんまりノロノロと面倒な渡り方をしていると、警察に通報されかねないような気もした。



 テンポを崩したくないし、景色もワンパターンなので、写真を撮ることも止め、一気にスタスタと渡りきってしまった。
人間の慣れというのは恐ろしいもので、すでに私の足元にあるものは、ただの通路と思えるようになっていた。
ほんの数分前までは、直視したくないほどに細く見えていたのに。
ただ、気が緩むことはなかった。
むしろ、引き返しも同じだけの長さをこなさねばならないという、大きな背荷物が私にのし掛かっていることを意識せざるを得なかった。
正直、楽しい橋渡りではなかった。
もう、いい。
はらいっぺーだ。



 よっしゃ! きたどー!

 かなりの急傾斜で岸へと下りていくコンクリートの古びた桁橋。
遠くからは気付かなかったが、一応欄干もある。
大半がへし折られ消失しているが。

 この橋の正体。
どうやら、道路橋のようであるな。



 滅茶苦茶苦労してたどり着いたにもかかわらず、橋の上にはただ朽ちた路面と、崩れた欄干、夏草の茂みなどがあるばかり。
遠くからレンズ越しに見た景色以上に興奮できるようなものは見当たらない。
ちなみに、一切ゴミなどはなく、やはり誰も来ていないのかな。
そう思うことで、精一杯自己満足するより無かった。

 ともかく、もう二度と来ないだろうこの景色。
目とカメラに焼き付けておかなくちゃ。



 遠目に見たとおり、橋はやはり陸に繋がってはいなかった。
上からだとまるで水面上に浮かんでいるように見える。
陸までの高さはもう3m。水面の幅も同じくらいだろうか。
跳べば陸に辿り着けそうだが……。



 もの凄い川岸の薮を見ていると、まだ恐怖の橋渡りの方がいい解決方法に思えた。
遠回りだしね。
橋の上ではこれといった興奮もなく、再び私は一本橋へと挑むことになった。



 行きは渡りきるのに9分を要していたが、戻りは3分だった。
おそらく、これと同規模か、さらに長いようなトラス廃橋が日本各地に存在すると思うが、自分なりに、廃橋を渡るという行為に対する、スケールアップを感じることが出来た。
 次はどんな橋が私の前に立ちはだかるのか。
でもいつか、失敗しそうで……。
橋に興味を感じなくなったら、長生きできそうなのにな〜。 と思ったり。





 で、最後にこの橋が何だったのかについてだが、近くを散歩中のおばあちゃんに伺ったところ、昭和33年に現在の柴崎橋が供用される前に使われていた道路橋とのことであった。
敢えて言うなら、「旧柴崎橋」ということか。
おばあちゃんは、この橋を渡ってお嫁入りしたと話していた。
ダム工事と共に現柴崎橋が出来てから間もなく使われなくなったが、取り壊す予算が付かず、代わりに渡れないよう橋桁を外したのだという。
……おばあちゃん、ゴメン渡っちゃった。
また、旧橋がいつ頃完成したのかは分からないとのことであった。
見た感じでは、昭和初期、10年代初頭くらいだろうかと思う。

おばあちゃんの、最初橋の話を切り出したときに
「あやー、あれはわたらぃねもんだ」と慌てたのが、妙に印象深かった。


思い出したように一言。 出来れば真似しないようにお願いします。 渡れば怖いぞぉ。