この写真。
なにやら、時代錯誤な景色であるが、紛れも無く、先日の景色である。
一応、今回の主役は、明らかに古臭いこの橋なのだが、奥に写る巨大な工場。
この迫力には、かなりマイッタ。
一目見た瞬間に、もう、私は骨抜きにされてしまった。
一目ぼれというやつである。
奥に写る沢山の建物は全て同じ敷地無いにあるものなのだが、一際目立つ正面の工場は、一見して廃墟かと思った。
その全体が赤錆に覆われ、その屋根の上の一部は草地と化してさえあった。
さすがに、これで現役とは思えない。
そう思ったのだが、周辺の工場は、稼動しているようであり、これでも現役なのかもしれない。
手持ちの地図には何の施設も描かれていない一角に、この工場群を含め、国道を挟んで反対側にも、同規模の巨大な工場があった。
こんな内陸の、山間の地に、なぜこれほどの巨大工業地帯が形成されているのか、甚だ疑問である。
ともかく長い歴史を持つ工場のようで有るから、私などには与り知らぬ、深い訳がありそうだ。
この魅力的な、そしてなぞめいた一角は、岩手県北上市は、湯田ダムのすぐ下流、JR和賀仙人駅が最寄の、国道107号線沿いである。
ここに私は、この巨大工場を背景に従える、大変に荘厳な、廃橋を発見した。
北上市へ向かって、国道107号線を進んでいた私と、この旧橋との出会いは鮮烈であった。
錦秋湖畔の道なりは、水面に沿ってほぼ平坦であるが、湯田ダムを越えると途端、まさしく堰を切って勢い良く落ちる水のごとく、和賀川に沿う国道も、急な下り坂となる。
その水面に日の光が届かぬのではないかと言うほどに、極めて深く険しい和賀川の峡谷に目を奪われる。
そこで現れる、同じ名を冠した数々の道路構造物。
スノーシェード、スノーシェルター、そしてトンネルが、急な下りのさなか、あっという間に過ぎ去ってゆく。
共通の名は『和賀仙人』。
何とも美しい名、である。
そして、長かった奥羽山脈越えの終端。
険しい峡谷から、人里へと景色が変わる、その境界に待ち受けていたのが、『和賀仙人橋』であったのだ。
さながら、仙人の住む世界と、人界を分け隔つ門のように…。
この橋を勢い良く駆け抜ける私の目に飛び込んできたのが、まずは先ほどの巨大な工場の姿。
そして、すぐ隣を併走する、石と鉄を組み合わせた旧橋の姿であったのだ。
湯田ダム側から、北上市街方向を望む。
橋の前後には車止めが設置されているが、徒歩や自転車ならば容易に通行する事ができる。
こちら側の親柱は失われているか、損傷が激しく、橋名などを得る事は出来なかった。
今度は、反対側から。
奥に見える赤い屋根の建物は廃屋であった。
かつてはどうやらドライブインか何かの商店であったように見えもしたが。はてな。
そして、こちら側の一方の銘標が辛うじて存続!
これにより、この橋の竣工を知る事が出来た。
昭和7年…以下判読不能(現橋のコンクリの一部が邪魔!)やはり、見た目どおりの古い竣工であった。
幅は、5mほどで、アスファルトで舗装された形跡は無い。
現道の橋(同名)の竣工は、確か昭和50年ごろだったと思う(確かではない)が、ずいぶんと長い間風雨に晒されていたものだ。
なぜ撤去されなかったのかは、不明。
この橋で、最後に撮った一枚。
何とも印象深い、青い鉄橋である。
近年ではなかなか見られない組み合わせではないか。
精緻な施工がなされた鉄橋部と、何とも平素なコンクリの橋の組み合わせが、なんとなくユーモラス。
味のある橋である。
美しい橋の名と、背景の廃墟のような工場とともに、ここは私にとって、忘れ難い遺構となった。
私がナマの記憶としては持ち得るはずの無い、昭和40年代くらいのイメージ…。
狭い砂利道国道をボンネットバスがゴトゴトと登ってゆく…、そんな長閑で、おおらかで、それでも一生懸命な、幸せ(と言って良い?)日本の原風景が、いや、あくまでこれらは私のイメージに過ぎないのだが…。
そんな景色の実在を、少しだけ、確信させてくれた。
2002.8.21