山チャリが楽しいかと問われれば、答えは「YES」。
しかし、山チャリの最中に問われれば、おそらく、「NO」と答えるだろう。
山チャリ中は、辛いことばかり。
平凡な道はたるいし、尻は痛いし、疲れて眠い、大抵寒いか熱いし、なんと言っても、上りが地獄だ。
ではなんで山チャリが楽しいと答えるかといえば、山チャリは”終わった後”に快楽が訪れるからである。
例えば、旅が終わり無事帰宅したとき、上りが終わり峠に立ったとき、道が終わり終点に達したとき、などである。
やり遂げた充実感、困難への勝利による達成感、そして征服感。
これらが大挙して訪れることによる、快楽。
まるでこの道は、鞍部をわざと避け、このまま山頂に至るのではないかと思えてくるような、執拗かつ、急峻な上り坂。
一体幾つの九十九折のコーナーを曲がったのだろうか、もう数え切れない。
「これで最後だ…、きっと。」
全身を奮い立たせ次のコーナーを曲がっても、その先にはまたも同じ光景が繰り返される。
次も、その次も、またその次も…。
一際きつい上りだ。
地面を見ながら一心に漕ぐ、額から滴る汗で、目が痛い。
その先に見えてきたのは、またも九十九折。
「多分また…。」
峠など、このまま永遠に無いのでは?
不安になる心。足は鉛のように重く、力も入らない。影も明らかに伸びてきた。
コーナーを曲がる、前を見る。
その先には、空が現れた。
これまでずっと登りを見つづけてきた視角には、空が。
その左右には、深くえぐられた切り通しの崖が見て取れる。
今、登っているものこそ、この峠の最後の上りなのだった。
「ピ、ピークだ!」
観念したのは、山だった、道だった。
勝利者の名は、山チャリストだった。
うっひょーーーー、サイコーーーー!
山チャリ中の食生活とは如何なるものなのか?
その謎に迫ってみたい。
とは言ったもののなんてことはない、普段の食事と大して変わらないものを食している。
日帰り程度だから、好きなものを食べていても、特に栄養が云々といった問題は起きないと思う。
何を食べるかよりも、どれだけ食べるかが重要である。
まずは飲み物だ。
暑い時期などは特にその消費量はすさまじく、
一日で1,5リットルのペットボトル2本程度はいってしまう。
万が一にも、飲料の欠乏だけは避けねばならない。
生死に直結するのはもちろん、飲料が減ってくると精神的なプレッシャーは相当のもので、もはや山チャリを楽しむ余裕はなくなる。
水場の存在が絶望的な稜線林道などではもはや生きた心地はしない。
よって、麓で十分な量の飲料を調達しなければならないが、どの飲料も比重は水に殆ど等しいようなので(あたりまえ)、好きなドリンクを買う。
当然1,5リットル一本は確実に買うが、それだけでは心許ないので、予備として500mlペットも1,2本買うことが多い。
あまり早い時期に買うと、入山までにぬるくなるし重さも大変堪えるのだが、変にけちけちして農村部に入ってしまうと最悪自販機すらない状態に陥るし、自販機があっても缶ジュースしかないのでは終わったも同然だ。
余裕を持って調達するほうがよい。
一応私の好みも記しておこう。
…、とおもったが、
山で飲むドリンクはどれもあまりうまくはない。
意外かもしれないが、ぬるま湯のようになれば味にどうこう言いたい気持ちはなくなってくる。
甘くてもいいし、炭酸でも茶でも、好きなものを買ってよいだろう。
山での飲料は、ただ生きるために飲むものだ。味をどうこう言っている猶予はないのだ。
とはいいつつ、俺的には、茶は甘くなくて物足りないので、ポカリスエットなどの機能性飲料や果汁飲料をよく買う。
ちなみに山中で飲料が尽きた場合だが。尽きそうだと思ったら、できるだけ早く水場を探すことだ。
尽きてしまった後に探すのは、精神衛生上良くない。
稜線やよほどの日照りでなければ、山には水がいたるところにある。
飲んで腹を壊すこともありえるが、飲まなければたおれるから、
選択の余地はない。
運良く水場にありついたら、浴びるように飲むだけでなく、空のボトルなどにできるだけ汲んでおくことも忘れぬように。
私の最大の飲料欠乏経験は、お恥ずかしいがあの河北林道であった。
何を思ったか、他のメンバーよりもハイピッチに手持ちのコークを飲み干した私だが、そこは郡境の峠のはるか手前、やっと稜線上にたどり着いた地点であった。
8月である、直後に汗も絶え絶えになってきた私は
光速の速さで限界を超越し、血眼になって辺りに水を求めるもそこはガレた稜線。
どうやって峠にたどり着いたのか良く覚えていないが、(多分チャリを押して歩いたのだろう…)どういうわけか峠を少し下った場所で我が後輪は
パンクし、強制的に止められたそこで初めて小川にありついたのだった。
このときすでにメンバー全員が水不足になっていた。
”野聖水”なる造語はこのときに生まれたもので、「野聖水のお世話になる」とは無計画を恥じる意である。
初の河北の苦い思い出である。(むしろ本当に苦かったのはこのパンクだったのだが…)
次に食べ物だが、昔はお弁当スタイルだったが、近年はオニギリスタイルになった。
要するに、明確な食事タイムを設けず、食べたい時にオニギリをひとつずつ食べるスタイルだ。
朝などは止まらずに食べながら走るのが爽快だ。
(上り坂でこれをやると、オニギリを握る手に力が入り、
オニギリがクラッシュするのでやってはいけない。)
この方法で一日にオニギリを5つから6つ位消耗する。
たぶん消費カロリーから考えると異常に少ないと思うが、あまりのハードさゆえ大量には喉を通らないし、食べすぎは俺を鈍くする(気がする。)。
しかし予備はたくさん持っていくのがやはり鉄則だ。
常に、2つは余裕を持って行動したい。
ちなみにオニギリは
ローソンのものに限る。
「オニギリ ビー デリシャス」
もちろんこの私も、山での食事がオニギリだけでは寂しい。
そこで登場するのがチョコレートだ。
100円前後の12個入りくらいのチョコを食べるのだが、これもオニギリ同様、ひとつずつ食べるのが定番だ。
がんばった肉体へのご褒美の様に、峠を攻略するたびにひとつずつ与えるのが、楽しい。(文にしてみると怪しいなー…これ。)
私がタブーとしているのは、まず「スルメ」である。
塩を舐めながらの旅は苦痛であった。
「ガム」もいただけない。
どうやら、ハードな山チャリに於いて咀嚼運動ですら体力の消耗を早めるらしい。
果物は大好きだが、飲料同様
生ぬるい果物はあまりに不味く、その上副作用として大切なリュックを開けたくない場所へと変貌させやすいのであまりオススメしない。
特に
「バナナ」は絶対に避けるべきであった。
ちなみに過去数度の食べ物の欠乏は、私を野生に変えた。
あるとき私の野生は、巨大な飴玉を次々と歯牙にかけ、粉々に砕き去った。
あまりの空腹に、最後の食料であったそれを悠長に舐め続けることができなくなった瞬間、
口の中の飴玉と共に理性も砕け散ったのだった。
「クレイジー」の発露である。
食べ物ではないが、お金も大事なアイテムである。
何に使うのか?
当然食料である。
後は輪行の運賃も必要だ。
しかし山チャリは本当にリーズナブルな趣味だと思う。
秋田から仙台までチャリでは20時間はかかるが、お金は食料代の2000円くらいで何とかなる。
しかし、一時期そんな山チャリですら続行不能なほどに金銭に尽きたことがあった。
日帰りでどこまで遠くにいけるかを目的に青森県碇ヶ関村に行った帰り、人生最大の屈辱に甘んじたことがある。
この日の手持ちは(=全財産)700円だった。
あっけなく全てを使い切った私は、ついに空腹に耐えかねて…。
…さすがにこれは掲載不能ですぅー。
ちょっと、逃げちゃった(てへ)。
訓戒:
回胴遊技機は、ほどほどにしましょう。
特に「ぴゅー」などという音が鳴り、その音と脳汁の放出音をシンクロさせるような機種が危険である。
3連絵柄などもってのほかだ。
話がいささか脱線したが、私の山チャリに於いては、総じて食事は脇役も脇役、食べなくてもいいのならば食わないくらいのものでしかない。時間ロス。
睡魔と食欲は、私の最強伝説の足かせとしてたびたび襲い来るものである。