http://yamaiga.com/rail/kubo/ の公開中コメント一覧

(平均点 8.99点 / 投票回数 860人)

2ページ中 2ページ目を表示(合計51件)    1 | 2    [前のページ]  
番号▼書き込み日時書き込みURL点数
コメント
6,4672011-03-06 13:00:05/rail/kubo/main.html9
この記事は興味深かったです。私は昔、外房線沿線に住んでいて祖父母の家が波花にあったこともあり波花駅から鴨川にかけての見慣れた景色に使われないトンネルが複数存在していることを知っていました。
最初は「土気〜永田」の間にしか存在しなかった複線が延長されるものだと思っていたのですが。
1970年代〜80年代から真新しいトンネルだけが完成して長らく手つかずで放置されて、しまいには快速の運転区間短縮。特急の停車駅変更。本数の減便。など利益最優先のJR東日本はいすみ市に複線化するには乗客を3000人?増やせと要求したらしいですし。このトンネルが使用されることはないでしょうねぇ。
鎌取〜蘇我など電化されてから線路改良された区間では新しい路盤が完成するとその都度線路を付け替えて運転。上り下りが別の線路を走る時期もありましたが波花〜御宿のトンネルは使っていなかったと思います。
6,3362011-02-20 01:05:23/rail/kubo/main.html10
おお!
6,2312011-02-07 12:43:44/rail/kubo/main.html10
御宿が田舎なもので、当時年に10回以上は該当区間を利用していました。久保トンネルの工事の様子をずっと見ていましたが、結局、久保トンネルはずっと旧トンネルを使用しています。
勝浦までの複線化事業として、線増分として新久保トンネルや御宿・勝浦間の諸トンネルが完成しました。夷隅川橋梁も複線規格でかけ替え。その後、御宿・勝浦間は新線に切替され、ました。しかし、国鉄末期の諸問題により工事凍結。御宿・勝浦間の旧線、新久保トンネル、夷隅川橋梁の路盤半分は放置。その後、地元市町村や寄付で複線化の費用を半分以上負担するという条件で、必要最低限の軌道強化と複線化をした経緯があったハズです。地元からの情報で、具体的な情報の出所はないのですが・・(地元の広報の古いのがあればわかるのですが)
当時、長者町・御宿間は複線用路盤もなく、複線化の対象にするには費用面で断念したと思いますが、なぜ新久保トンネルだけを使用せず、旧久保トンネルを使い続けているのかは残念ながらわかりません。
6,2162011-02-05 15:40:53/rail/kubo/main.html10
 先日某掲示板でこのトンネルが話題になった際、別件と勘違いされた方のリンクでこのサイトを知った者です。当時この記事はまだありませんでしたが、今回とうとう取り上げられたということで、大変興味深く拝読しました。
 『鉄道廃線を歩く<8>』の記載についてですが、これは1駅南の区間(御宿-勝浦間)の複線化の経緯との混同によるものではないでしょうか。そちらでは昭和のうちに殆どの範囲で新線が供用開始されていたらしく、複線化までは御サイトで紹介されている現在の伊東線や奥羽本線の一部区間のように、新線のみでの単線運行がされていました。うちは母の実家が鴨川にあり、自家用車を持っていないため年に 2、3回の帰省の手段は外房線に頼らざるを得ませんでしたが、当時特急わかしお号の車窓に見える草生した旧線跡や古びたトンネルは、幼心に『となりのトトロ』に登場する秘密のトンネルを思わせて非常に冒険心をそそるものでした。その後、最も勝浦寄りのトンネルの2本目が開通し、そこに旧線を&#32363;ぐ格好で複線化が完成したと記憶していますが、鉄道しか利用しない者にはこの新久保トンネルもそれらの旧トンネルと同様に古びてみえます。公開コメントで指摘されている部分的な平場も時期によっては列車内から確認できるため、それと併せてこの2区間を一連のものと解釈している人がいても不思議はないと感じます。
 平成元年生れのため、昭和55年頃の実状が分からないのが悔やまれます。長々と駄文を失礼致しました。
6,2122011-02-05 00:42:02/rail/kubo/main.html10
もし実際に使用した事があったとしたら、レールや架線はおろか道床まで撤去しますかね。
私も未使用説に一票入れたいところです。
6,2102011-02-04 23:21:01/rail/kubo/main.html9
30年間も、一度も遣われずに放置とは・・もったいないですねえ
6,2052011-02-04 12:26:29/rail/kubo/main.html7
タイトルが嘘をついているな・・。
6,2042011-02-04 02:45:03/rail/kubo/main.html10
見るからに往時の鉄建公団の手によるトンネルですね。未成となっている理由ですが、このトンネルが竣工した昭和55年というのは未成線ファンにはグサリと感じる年です。S55年12月の国鉄再建法により当時鉄建公団が建設中だった国鉄新線はほぼ一律建設ストップに追い込まれました。ここの複線化工事ももしかしたらその余波で建設ストップになったのかもしれませんね。
6,2022011-02-03 23:02:23/rail/kubo/main.html6
ここが複線開業する日は来るのでしょうか…
6,2012011-02-03 22:36:17/rail/kubo/main.html10
スラブ軌道わざわざ剥がすとは思えないので、1回も使っていないでしょうね。
6,2002011-02-03 22:07:38/rail/kubo/main.html9
近所じゃん…
よくこの激藪下りましたね…
6,1992011-02-03 21:13:00/rail/kubo/main.html9
ごにょごにょしちゃいけません ^^;
6,1972011-02-03 17:05:55/rail/kubo/main.html10
面白いですねえ。
>来ていたジャケットに痛恨の穴を穿ちながら(涙)、
着ていた ?
6,1932011-02-03 13:33:22/rail/kubo/main.html10
風呂場の椅子はスラブ軌道の路盤を止める杭です。
京葉線の線路を見るとよく判ると思いますよ。
横浜:なまちゃん
6,1922011-02-03 13:22:25/rail/kubo/main.html7
編成の向きが変わってしまうと言う事で安房鴨川を越えて房総を一周する様な列車も無くなりましたし、人口も列車の本数も決して多いとは言えませんし、わかしおも12月改正で減便ですし、海水浴列車を運行する時代でもありませんからね。巨費を投じて複線化しなくても現状の交換設備で問題ないのでしょうね。
6,1902011-02-03 10:25:47/rail/kubo/main.html10
最初からスラブ道床なら、床がもう少し汚れていても良い様な気もしますが、作った当初はバラスト道床で、旧線へ路線変更・新T休止直前にスラブ道床用に改良したのなら判らなくもない気がしますw
国会図書館で、時刻表や鉄道雑誌を読み返すと、何か出てくるかもしれませんねw

ただ、人工物が人手に無い期間が長過ぎますと、屋外は黒く、屋内は白く、風化が進んでしまうのが、房総ならではでしょうか・・・
6,1892011-02-03 09:54:37/rail/kubo/main.html7
以前、外房線の列車の写真を撮ろうとこの付近に行った際、本線から見て新久保トンネル側に波花駅の南側の踏切付近から御宿方向に向かって準備用地と見られる平場の存在を確認しています。この平場は草刈りされないことも多いので、このときに行くと凄まじい藪になっていてわかりづらいのですが、草刈りの直後に行くと綺麗な未成路盤を見ることが出来ます。
6,1882011-02-03 09:03:00/rail/kubo/main.html10
昭和55年頃というと横浜線の複線化が橋本まで北上していた頃かな?と思って調べてみたら町田まででした。
ちなみに原町田駅が現在地に移動して町田駅に改称したのが前年の昭和54年。
外房線とぜんぜん関係ない話しでごめんなさい。
6,1872011-02-03 08:12:16/rail/kubo/main.html7
トンネル内にある「風呂場の椅子」ですが、これはスラブ軌道における軌道スラブ(レールを取り付けるコンクリート板)を設置するための突起かと思われます。
6,1862011-02-03 06:13:17/rail/kubo/main.html9
洞床に一定の間隔で築かれた出っ張りはパラスト(砕石)軌道ではなくて、スラブ軌道(高架などでよく見る軌道)の準備物にだと思います。
そこまでして 未使用なのはもったいないですが…
6,1852011-02-03 05:27:54/rail/kubo/main.html9
いつも楽しく読ませていただいてます。
トンネル内はスラブ軌道にする予定だったようですね(あの10m
間隔のでっぱりはそのためだと思います)
ですのでもし線路を敷いていたとしてもバラストではなかったのではないでしょうか?

2ページ中 2ページ目を表示(合計51件)    1 | 2    [前のページ]  

この画面の説明