http://yamaiga.com/road/mituno/ の公開中コメント一覧

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コメント
22,6952016-05-11 12:43:17/road/mituno/main5.html10
お疲れ様でした、現在から過去を推測する廃道探索の醍醐味味わえました、実際に歩いて初めて感じるものがたくさんあったでしょうね、他…ここはあくまで廃道探索の場所、後だし粗捜しなら誰でもできます
22,6922016-05-11 01:34:06/road/mituno/main5.html10
正面突破を諦めた谷筋を振り返った写真に直角に削った足場の跡みたいなのが見えますね
22,6912016-05-11 01:32:49/road/mituno/main5.html5
んー、ちょっとネトウヨの方々がコメントされていますけれども
私は別に朝鮮人労働者の擁護の立場でもないし歴史修正主義でも何でもありませんが、
当時の社会情勢については、朝鮮人労働者側の証言以外にも、日本人側の生の声も
各地方でたくさん残っていますので調べてみてください。
(まあでも、ネトウヨの人々はそれも後世に修正されてるとか言い出すのかもしれませんが)
私は祖父が炭鉱の機械設計技師だったため、戦時中の炭鉱労働者の状況を生で聞いていますが、
大陸から騙して連れてきて安い賃金でこき使い、死人が出ても沢に投棄して終わり、
なんていうことが実際に行われていました。これは間違いありません。
無論、集団脱走なども発生しています。
今回の慰霊碑が建てられたのには、資料や証言には残っていない、何かしら重大な事実が
あったはずです。それを現地の当時の生の状況も知りえない我々が、非常に少ない
状況証拠から勝手に類推して分かったような気になるのは失礼なことかと思います。

間違いなく言えることは、過去その場所で慰霊碑を設置するに値するほどの"何か"があり、
今現在は当時に比べればはるかに安全で安心できる社会である、そこに至るには
先人達の努力や反省などが積み重なった結果である、ということでしょうか。

合掌。
22,6902016-05-11 01:29:12/road/mituno/main5.html10
52年地形図の青部のあたりの大崩壊が気になる。
22,6892016-05-11 00:39:17/road/mituno/main5.html10
この手の話で不思議なのが、2等国であった朝鮮人がコキ使われた。っていう話はあるんですが

3等国だった台湾人の話が一切ないのが不思議です。
22,6882016-05-10 22:50:51/road/mituno/main5.html7
江戸時代の街道を見に行ったら、
昭和戦前のタコ部屋伝説を掘り当てるとは。
下請け孫請けを噛ましてコンプライアンスをブン投げる悪習は、
21世紀の今日も完全には排除しきれていない土建業界ですが、
戦前の時局逼迫期ともなると、いかほどの物だったか?
(昭和十二年から日中戦争ですもんね)
ただ朝鮮人徴用問題を掘り下げて行くと、
朝鮮人々買いによる同胞搾取と虐待という
藪蛇どころかヤマタノオロチが出てくるので、
大手メディアは触れたがりませんね。日韓ともに。
「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ世界遺産登録へ
横槍を入れてきた韓国当局が急速にヘタレたのも
このへんの問題が関っているようだし。
先般、大きく解決が報じられたにも関らず、
不自然な停滞状態にある従軍慰安婦問題とも通じる話ですが・・・。

それはさておき、今回探索した道が、
どの程度主題の川根街道旧道であるのかという点が、
どうにもハッキリしなくてスッキリしませんね。
特にオチイ沢より先には地蔵等も無かったのですね?
古い航空写真を見ると、問題のエリアは
稜線まで全部植林地になっているようですから、
それに掻き消された別ルートがあったという可能性も・・・。
あの途方もない石垣が本当に導水トンネル工事に
関る物かどうかも未確定ですし。

それと、「本川根町史」の手書き地図の精度が不明ではあるものの、
現行地形図の地下導水路との位置のズレは
ちょっと大きすぎるような?
航空写真では現行導水路の明かり区間らしき物は見当たらず、
地下深くを通っている可能性がありそうなので、
ひょっとすると戦前生まれの廃水路隧道があるかも???
22,6872016-05-10 21:14:28/road/mituno/main5.html9
>村に「募集」がきて日本に行けばいい仕事があるというのでそれに応じた。

こういうひとも時が経てば“無理やり連れて来られた”と言うのでしょうか。本人ではなくとも、子孫はそう言い張って(以下略)。

>日本の監督がたくさんいて、その下で朝鮮人の親方が下請けして、

例の問題もこれが物語ってるというか、下に対して無関心な点なども。あれの実行部隊はやっぱり(以下略)

数字が何だか…当時の朝鮮は日本だったから、彼らも日本人だったのでは。募集でやって来た“日本人”も数多かったと思うのですが。または監獄から動員された例は…ここではないか。

世が世ですし、こういうことは裏を取ってくださ…もう無理か。

レポ自体は面白すぎました。
22,6862016-05-10 21:05:15/road/mituno/main5.html10
今回の探索により、こうして歴史に再び光が当てられたことは、この道で遭難された方、工事で遭難された方への慰霊になると思います。
本当にお疲れ様でした。
22,6842016-05-10 18:23:20/road/mituno/main5.html10
埋もれつつある歴史に光を当てた労作ですね。殉職者の冥福を祈ります。
22,6832016-05-10 13:45:28/road/mituno/main5.html10
ヨッキさんお疲れ様でした。
22,6822016-05-10 13:35:02/road/mituno/main5.html9
大井川発電所の敷地にあるという慰霊碑に名前が刻まれたのは偉い人だけ?
ゼネコン管理の建築現場に入ると監督がゼロ災とかKYとかいちいちウルセーと思うが
こういった反省の上にある活動の一部だと思えば素直に従うのが道理なのか
22,6812016-05-10 13:08:06/road/mituno/main5.html10
関係者の方々のご冥福を、お祈りいたします。また、川根本町に、こんなドラマが、あったとは、山々を、歩き、資料を、求めて歩き、本当に、足で、集められたモノに、感激しました。お疲れ様でした。
22,6802016-05-10 11:00:12/road/mituno/main5.html10
今回もとても興味深く読みました
22,6792016-05-10 10:01:03/road/mituno/main5.html10
いろいろと考えさせられるレポートでした。
22,6782016-05-10 09:23:49/road/mituno/main5.html10
明らかにしてくれてありがとう。
22,6772016-05-10 09:11:20/road/mituno/main5.html10
鉄道工事だけでなくこんな所にも「タコ部屋」があったのかもしれないですね。
22,6762016-05-10 06:37:12/road/mituno/main5.html10
あの場所にある慰霊碑の存在とかつて多くの人が命を削っていたのかが
今回の探索から分かりました。
こういう発見も後世に残すためにも素晴らしい事だと思います。
無事に探索終了でき嬉しく思います。
22,6752016-05-10 05:55:01/road/mituno/main5.html8
引用の最初のだと「働いてたのは全員が朝鮮人」だったはずなのに
落盤事故では、なぜ朝鮮人労働者の3倍もの内地人が埋まったんでしょう?
また、毎日二桁の死人が出るのが普通だった現場ならば
”たった45人”で慰霊碑が建てられたのにも合点が行きません。

各地の難工事現場の「当時建てられた慰霊碑」自体には
本土の内地人とまったく並列に、〜道という朝鮮内の行政区分まで含め、普通に朝鮮半島出身労働者も記載されてる例が多数あります。
たとえ当時を生きてた人のものであっても、後世の「証言」は政治的偏向が加わってる気がしてなりません。
ほんのここ数年を除いては
戦後一貫し、それら「証言」に疑念を挟むことすら許されてこなかった
日本の特殊な社会事情も鑑みて。
22,6742016-05-10 04:04:56/road/mituno/main5.html10
GWに寸又峡に行って来ました。ここの道の駅にも寄ったので大変興味深く読ませて頂きました。
 
 千頭といえば、千頭森林鉄道で探索済みで未公開区間がありますね。
そちらの方の公開も宜しくお願いします。
22,6722016-05-10 01:03:23/road/mituno/main5.html9
踏破目標区間の千頭側の最終地点が、途中までの図(map_26)では地理院の破線に従って、千代橋への現道と交流する地点までになっていますが、実際の経路は、最終地点の100m程手前で、北に折れて、千頭集落の茶畑のなかの農道で終わっています。
そのあたりは「適当に斜面を下れば千頭駅近くに脱出出来るような状況になったが、・・・そこへ下ろうとはまるでしない。・・・道はあくまでも昔からの千頭集落を目指し、・・・」と報告されているとおりで、現状ではそのような道がつけてあり、件の導水路工事関連で、こちらが作業道の本線になったのかもしれません。下記のとおり、旧道の最終地点は階段ですから、作業道は別につけたのだろうと推測されます。
しかし、戦前の地図をみると、やはり旧道は北に折れず、そのまま川に沿って降下し、地理院の地図にあるとおりの目標最終地点で現道と直角に交わり、さらに川根大橋方面への交差点へと続いています。
この最終地点をストリートビュで見ると、お堂のような建物が石垣の上にあり、そこへの階段が道路に対して直角に切ってあるので、戦前の地形図の表現と合致しており、やはり、こちらが川根街道の旧道だったのではないでしょうか。
さらに、地理院の地図を見ると、この地点には石碑の記号がありますが、本編で触れられていないところからすると、こちらは踏破して調査されなかったようですね。この石碑がいつの時代のものなのか、碑ではなく石仏や墓石なのか、よくわかりませんが、旧街道の歴史調査としては、一度はこちらの石碑を調査して、完成するのではないか、と思います。
途中の慰霊碑も、この道について語る際に欠くべからざる重大なものには違いありませんが、「川根街道旧道(三ツ野古道)」の調査報告としては点睛を欠く感があります。もちろん、調べても特にとりたてた情報もないとか、石碑そのものがない(お堂のなかの石像だったり)とか、結果的に意味がないかもしれません。もし既に調査済みで、内容上省略ということでしたら、〆として、無駄という結果だけでもお示し戴くと、調査としても完成しますし、読む側としてもすっきりすると思います。ということで、9点。
22,6712016-05-09 23:50:56/road/mituno/main5.html5
ダム建設について、朝鮮人労働者の賃金について述べられていません。
辛い仕事であったことを殊更に強調しがちで、公平な視点に欠ける資料と感じました。
また、李氏の証言にある、毎日のように何人も死体を運搬するような職場環境で、社会的な問題にならなかったことが不自然であり、同時に暴動が起きなかったのか疑問です。
李氏の証言どおりでしたら、あらかじめ予算組みした補償金も、通常、限度を超えます。
労働者の数にも千人も離れがあり、信憑性に欠けます。
李氏の証言は後世になって「盛られた」ものではないでしょうか。
22,6702016-05-09 23:25:34/road/mituno/main5.html10
やはりそうでしたか。この手の話になりますと、朝鮮人を徴用して人間以下の扱いをしたという話になりがちですが、開けた場所を選んで慰霊碑を立てるなど、当時の責任者の心遣いは感じられます。

飯場付近に索道中継箇所がありましたが、先はオチイ沢を渡る橋から上った場所に終点があり、ここから作業用軌道で導水トンネルまでつなげていたのではないでしょうか。

一方の山麓駅は、おそらくは旧国道の裏山。ここから骨材やセメントを運搬したはずです。オチイ沢を上るのは大変そうですが、山麓駅は機会があれば探されたらどうでしょう。

その他、導水トンネルが横沢川を横断する場所に小さな池がありますが、ここには工作物の存在が航空写真から確認できます。ここにも何かあるかもしれませんね。
22,6622016-05-08 19:58:11/road/mituno/main4.html10
続き、お待ちしております。

歴史的に、とても興味深い街道です。
22,6092016-05-04 13:02:36/road/mituno/main4.html9
人が暮らした跡にしては便所が見つかっていないが
22,5942016-05-02 22:23:10/road/mituno/main4.html6
この先はまた等高線が密に・・・美味しい道はあるかなぁ?

ところで “害獣捕獲ゲージ” ですけど、
[ゲージ(gauge)] じゃなくて [ケージ(cage)] ですよね?
22,5902016-05-02 14:33:58/road/mituno/main4.html10
植林地の杉は枝打ちはされているみたいですが、間伐されていないからなのか鬱蒼としていますね。薄暗い杉の植林地は憂鬱です。
22,5892016-05-02 14:23:26/road/mituno/main4.html9
ネタバレでまずい、と思われたら公開しないでください。

青部の大井川発電所に、同時期に建立された殉難者慰霊碑があります。これに関連したものではないでしょうか。

二つ碑があることが謎ではありますが、寸又川ダムからの導水路がこのあたりを通っておりますので、これに関わるものかも、、、
22,3812016-04-04 17:02:53/road/mituno/main3.html9
ヨッキさん、お願いですから崖地を登るときはヘルメット被ってください。
22,3692016-04-04 00:01:41/road/mituno/main3.html8
黙祷!
もしかしたら、ヨッキさんがここに来なかったら、この慰霊塔は半永久的に日の目を見る事はなかったかもしれませんね…

川根本町は吊橋のあたりまでは私もよくハイキングがてら行きます。最近はヤマビルが出るので行ってませんが…
新東名が出来て行きやすくなったから、ふれあいの里の温泉目当てにまた行こうかな?
22,3632016-04-01 22:08:04/road/mituno/main3.html10
続き早くみたいみたい。

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