http://yamaiga.com/tunnel/totikubo/ の公開中コメント一覧

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コメント
26,3372017-08-19 22:40:01/tunnel/totikubo/main2.html7
ワルクードとルーキィに人格が与えられた!
26,3612017-08-21 19:06:30/tunnel/totikubo/main3.html7
やっぱりプロはタダでは撤退しませんね。
26,4952017-08-29 23:43:50/tunnel/totikubo/main3.html7
トンネル自体は朽ちた支保工はともかく坑口付近と路面の泥土を取り除けばすぐにでも復旧できそうなのに
椿田川上流の谷沿い道は相当なコストを掛けないと通れるようには出来そうにないですね
(地理院地図も最大倍率では廃道部分を描いていないし・・・)
仮に谷道が直っても繋がるトンネルが細すぎるので現代の道としては貧弱すぎるし
トンネル拡張までするなんてコストパフォーマンス悪すぎで無理っぽいし
このまま朽ちて潰えてしまうしかないのでしょうか
悲しいね

昭和30年代といえば戦後復興から成長に向かう時代で
この道を作った人たちも今は予算が少なくてこの程度の作りながら
いずれもっと立派な道に成長すると信じていたでしょうに
その暁には石碑ももっと分厚い物が並び立つ事になったかも
(現状の石碑は薄すぎてびんぼっちゃまみたい)
ああ悲しいね

新旧の航空写真を見ると道が生きていただろう頃は谷の斜面が明るく開けていて
里山としての利用がされていた気配がありますが
平成に入るとジャングルみたいに放置されているようで
生活が便利になって山野に頼らなくて済むようになった事の裏返しとはいえ
やっぱり悲しいね
26,3222017-08-19 06:11:00/tunnel/totikubo/main.html8
2004年というと中越地震ですね。
まあ結局は、廃屋見ても判る通り、放棄されたら朽ちていく豪雪地帯ですが。
26,3932017-08-24 01:24:26/tunnel/totikubo/main3.html8
×刈矢田川
○刈谷田川
ですよ。
26,4112017-08-24 20:51:49/tunnel/totikubo/main3.html8
残念ですね…アレだけ水没してたら無理です。石碑は思いの外,熱い思いが感じられました。ご苦労さまでした。
40,3802019-02-02 18:36:05/tunnel/totikubo/main3.html8
初見ですが大好物の所で笑ってしまいました。変態ですね(褒め言葉)
26,3262017-08-19 17:08:21/tunnel/totikubo/main.html9
年代をさかのぼり、久しぶりに強烈なの来ました!
26,3332017-08-19 21:55:42/tunnel/totikubo/main2.html9
>>それはそうと、私は昔から疑問に思っているのだが、こういう木の支保工は、どの程度役に立つものだったのだろう。
木製支保工という物を知った時から同じく
天井付近が左右から押される時は横の棒がある程度突っ張る力を作用させられるかもしれないが
天井が落ちる時は斜めになっている縦の棒が上から倒されて何の力も作用させられないのではないかと
支保工の上にトタン板を載せてあれば通行人を天井の落石から守るためと納得できたが
丸太に穴を内側から支える力を期待するなんて水戸黄門の時代の悪い奴が庶民をこき使う鉱山かよと
26,3382017-08-19 22:45:51/tunnel/totikubo/main2.html9
↓こーゆー↓サイトあるけど、
http://oldpar.web.fc2.com/report/fomerTotikubo_01.html
ヨッキさんに触発されて訪問されたようですよ(苦笑)。
26,3472017-08-20 10:49:21/tunnel/totikubo/main2.html9
旧利賀村の栃折隧道を思い出しました。

あちらは豪雪期のライフラインを担った人道トンネルでしたので、今回の物件も似たような役割なのかなと思いました。

栃尾の辺りも豪雪地帯ですし・・・。
26,3652017-08-21 20:16:10/tunnel/totikubo/main3.html9
>>この右岸から左岸へ戻る地点には、昭和30年代のものとはとても思えない、もっと新しいアーチ暗渠があった(←写真に写っている)。
その辺を境に明らかに道路の規格が違う感じがする
下流側の頑丈な部分が砂防ダム建設のため強化されたのだとしたら何故目的地まで施工しなかったのか
工事用道路が別に存在したとしたら砂防ダムの底へ突っ込んで行く痕跡が見つかりそうだが
報告が上がっていないということは無かったのだろう
26,3682017-08-21 22:20:15/tunnel/totikubo/main3.html9
要灯油ポンプですな
26,3692017-08-22 00:00:28/tunnel/totikubo/main3.html9
なかなか興味深い展開っすね。ゴクリ
26,3972017-08-24 05:18:29/tunnel/totikubo/main3.html9
碑文の文字おこしについて、幾つか疑問があります。

栃窪の石井善松氏の肩書きが、功労者の項では「副区長」、世話人の項「区長」と二様になっている点。

※なお、次のサイトに石井善松氏の事跡を記した碑の画像がありました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-184681.html

また、沿革の、「要望シタ所」「貫通ヲシ」「喜ビノママ」は、
ほかのサイトをみると、
「要望シタル所」「貫通セリ」「喜ビノアマリ」と読まれ、または、推測されています。

碑文の高解像度の画像を示して戴けると、みなさんに正誤を判断してもらえるのではないでしょうか。
蔦が生えていたりするので、どうしても読めない部分もありそうですが。

欲を言えば、隧道の建設費用についても、もはや門外漢などとおっしゃらずに、
各時代の資料を集めて、だいたいの距離単価を把握されても、損はないと思われます。

上記の石井善松氏の句碑等によると、栃窪は(田井町・栃栄町・椿澤町へ、のようだが、不確か)集団移転したそうです。
栃窪隧道の完成後、5年ほどで峠越えの林道が着工されている、という事実は重いと思われます。
完成時の「喜び」は、正味のところ、隧道を通って見附へと外出した栃窪のひとたちに、何をもたらしたのでしょうか。
26,4042017-08-24 13:21:25/tunnel/totikubo/main3.html9
石碑を建てる程待ち遠しかった隧道だったのでしょうね。しかしながら、痛みがことのほか早く進んでしまい使われなくなったという経緯なのでしょうか。それともスペックが低く通りにくかったからか。もっと隧道が立派に役目を果たせていれば集落の人工が減るのも止められたかもしれませんね。 石碑の他に開通式の様子を収めた写真とかが残ってないのかなあ。 あ、それと廃道本第二弾を予約済なのです。見るのが楽しみです!
26,4052017-08-24 15:09:46/tunnel/totikubo/main3.html9
石碑とても良かったです。
ご安全に。

愛知県犬山市在住46才
26,4072017-08-24 17:11:56/tunnel/totikubo/main3.html9
26397様

>栃窪の石井善松氏の肩書きが、功労者の項では「副区長」、世話人の項「区長」と二様になっている点。

これについては、次のような事情だと思います(資料にあたったわけではありませんが)。

「功労者」というのは、「隧道工事」の功労者です。
隧道の計画から竣工まで。つまり遅くとも昭和31年時点での肩書きを記したはずです。
「世話人」というのは、石碑を建てる事業での世話人です。石碑は昭和33年に建てられているので、隧道完成とは時期がズレています。
昭和31年から33年の間に石井氏が副区長から区長になったと考えれば矛盾はありません。
26,4102017-08-24 20:37:44/tunnel/totikubo/main3.html9
>>西口から見る、東口の光…。

“かそけき”という言葉の用法の手本だと思いました。

>>東京との関係性など皆無に思える隧道の貫通記念碑へ、なぜ少なくない東京在住者が寄付を行ったのか。

おそらくそうでしょう。これ、いい話ですね。
26,4122017-08-24 21:14:28/tunnel/totikubo/main3.html9
石碑の文面の正確さについて読者コメントがありますが、totikubo_93.jpgではなかなか読み取りづらいところがあります。ただ、totikubo_93.jpgを拡大してみたら「喜ビノママ」の部分はそのように読み取れました。
他サイトにある「喜ビノアマリ」は誤り(読めないところの補い間違い)だと思うので気にされなくても大丈夫だと思います。
26,5972017-09-10 03:06:50/tunnel/totikubo/main3.html9
千頭林鉄みたいな冒険ものもいいけど、こういうレポ大好きです!
道路造ったぜ!とか隧道貫通させたぜ!っていう住民の熱い思いが伝わってくるやつ!
29,0312018-05-29 23:52:17/tunnel/totikubo/main3.html9
合併が西隣の北谷村より半年遅れという点と、
26,424さんの
〉栃窪地区は見附が市制施行にあたり、僅かに人口が足らなかったのでここを持ってきた
という話から妄想してみる。

平成の大合併でもそうだが、合併は県主導だったはず。
上北谷村では、西の見附と合併したい北部と、東の栃尾と合併したい南部(栃窪・小貫・土ヶ谷)とが対立していた。
(見附町を含む)南蒲原郡が選挙区である県議が、県や見附町の意を受けて、交通不便だった栃窪に対して「見附と合併すれば、同じ市内ということで(駅もある)西側へ抜ける道路に補助が出やすいぞ」と勧誘した。
結果、栃窪は見附との合併に同意。トンネルもでき、"功労者"としてその県議の名前が石碑に刻まれた……、とか。
26,3002017-08-18 00:58:59/tunnel/totikubo/main.html10
あっ...オエッ! orz (ぜ
26,3012017-08-18 01:45:51/tunnel/totikubo/main.html10
Google mapとマピオンで確認しながら読んでいたのですが、「見附市山の家」は、件の栃窪トンネルのすぐ袂、自動車工場の隣にあるみたいですね。
後編期待しています!
26,3022017-08-18 02:52:37/tunnel/totikubo/main.html10
うわーん
26,3032017-08-18 03:11:42/tunnel/totikubo/main.html10
遠くから隧道を眺める画像を見てまさかと思いましたがそのまさか。
久々の木造支保工ですね!
あまり楽しい思い出レポはなかった記憶してますが、久々の登場に読む方は楽しみです
てんぱっぱ
26,3052017-08-18 05:11:10/tunnel/totikubo/main.html10
うわっ、今日買ったツーリングマップル関東甲信越にもしっかり載ってる!!
26,3062017-08-18 07:30:30/tunnel/totikubo/main.html10
久々に強烈なのが来ましたね。
例の如く“地中は安定”しているわけですが、極小断面と木製支保工の組み合わせは完全に廃坑ですね。
しかし帳簿上は戦後生まれのクセに、アーチでは無い上に木製支保工とか、サバ読んでませんかね? 明治隧道の成れの果てとか云われても驚きませんよ。
26,3072017-08-18 08:51:18/tunnel/totikubo/main.html10
写真だと這って進まなきゃいけないようなサイズのトンネルに見えますが、これでも高さ2メートル×幅2メートルとけっこうでかいんですね。
26,3082017-08-18 09:02:12/tunnel/totikubo/main.html10
・・いやぁ、久しぶりに”廃”ですねぇ。

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