わたしは、これまでの三話で、廃道の姿のある一面を、あえて避けてきた。
しかし、廃道をモニタの中の世界ではなく、現実のフィールドとして迎えたとき、絶対に切り離せない一面がある。
そこに目をそむけたまま、さらにこの連載を続けることも可能であったろう。
しかし、私は、語ることとした。
廃道の、真実の姿を。
より深く、知っていただくために…。
右の写真の道、これはもう明らかな廃道である。
これ以上ないほどに朽ち、原型を失った道の姿は、まさに、自然に還る一歩手前の、最期の姿にほかならない。
既に何の用も成さなくなってしまった落石よけネットが、そこに車道があったことを、物語る。
あなたはきっと、この景色にも、哀を感じるだろう。
右の二枚の写真も、遠く離れた2箇所だが、やはり廃道と化した道の姿だ。
かつて、どんな歴史を刻んだ道かと、興味をそそられよう。
あなたなら、これらの景色にも、哀を感じることが出来るのではないか。
しかし、そこは地獄だ。
見るものに、哀愁と慕情を感じさせる、美しくも懐古的な、半身。
そして、
辿るものに、容赦ない制裁を与え、生をも奪わんとする凶暴な、半身。
私がはじめに廃道に持った感情は、憎しみと、後悔だった。
…その行為は、サイクリングの風切るような爽快感とは、余りにもかけ離れていた。
背丈よりも高い路上の雑草に視界を遮られ、余りの悪路にサドルからも引き摺り下ろされ、愛車すら鉄くずのように思えてくる、押し歩き。
不愉快に絡みつくツタ、触れるとぞわぞわするような異形の植物たち、露出した手足を、頬を切り裂く、無数のススキ。
その上あたりに風もなく、ぜぇぜぇと喘いでみても、ぬるま湯のような空気が、不愉快な虫の羽音と共に顔を包む。
一歩踏み出すたびに鈍い苦痛が体を包み、じわりじわりと、肉体と精神を疲弊させる。
戻るも地獄、さりとて、先に道もない。
いつ終わるとも知れぬ、拷問のような時間。
進めども進めども、さらに荒れ果てる道に、引き返す決め手も見つけられず、1時間、2時間…。
貴重な、最も貴重な旅の時間を、毟り取られてゆく。
遂にたどり着いた行き止まりも、すっきりしない草の壁、一面の森。
ここまで来て、本当に終わりなのかと、言いようのない脱力感。
当然、引き返しの最中も、容赦のない暴力は続く。
全身を汗と、血と、土と、種子と草汁にまみれさせ、終わってみれば、僅か数キロ。
誰に自慢しても、誰も知らない、名前もない、そんな道だった…。
一日の大半を、こんな廃道につぎ込んでしまった経験も、一度や二度ではない。
そして、廃道の大半が、こんなもんだ。
写真の景色も、そんな道の一つだ。(写真のは、名前のある道だが)
あなたが、廃道に挑むとき、これだけは忘れないでほしい。
廃道は、最も危険な、最も困難な道だということを。
そこは、既に人の手を離れた、“道”であって、道ではない場所である、ということを。
そうすれば、いつかは巡り合える、愛すべき、廃道に。
私は、廃道ほどに困難な、山チャリの舞台をいまだ知らない。