その11雄物川橋跡2002.4/2002.10撮影
 秋田県雄物川町 大沢



 国道107号線が、出羽丘陵を乗り越え広大な横手盆地に降り立つ場面には、大河雄物川が横たわっている。
古くから、太平洋と日本海を結ぶ交通の要衝であったこの地には、明治のころより、木橋が掛けられるようになった。
一時期、日本一の木橋として知られたその橋も、氾濫のたびに、何度と無く流出した。
時は流れ昭和32年、5年に及ぶ工事の末、延長378mの鉄筋コンクリート製の永久橋が架かった。
それが、雄物川橋であった。
地元の人々にとっては、なにより戦後の復興を感じられる出来事ではなかっただろうか。
その後、昭和63年に国道107号線の現道である「新雄物川橋」がすぐ近くに竣工し、交通の表舞台からは降りたものの、その飾り気のない姿には、地元を中心にファンが多かった。

 私が、初めてこの地を訪れた平成14年。
一歩遅かった。
ちょうど、老朽化した雄物川橋の取り壊し工事が、最終段階を迎えていた。
ついに、私はこの目で、生きた雄物川橋を見ることができなかった。


 2002年(平成14年)中に、ここは2回訪れている。
それぞれ4月と10月だが、これは10月の写真だ。
かつては、手前の道から、分岐して右の道へと国道107号線が通っていた。
左の道は今も昔も、県道36号線である。



 右に曲がると、桜の木が左右に立ち並ぶ浅い切通となる。
まっすぐ200mほど進むと、ご覧のように、道は川原の手前でブッツリと切れていた。
すっかり橋は消えており、はるかに横手盆地の景色が広がっているのみ。

…一歩、遅かったのだ。




 この橋の袂には、一軒の民家が建っている。
辺りには、ほかに民家はまったく無く、不思議な感じがした。
現在では、先ほどの分岐点からここまでの道は、このお宅の専用道路と化している。
もしかしたら、雄物川橋がここに竣工する以前からお住まいなのかもしれない。
そんな気がしたが、真相は謎である。




 これと、一つ前の写真は4月に撮影されたものだ。
道が途切れるその場所に、なにやら標識の基礎と思われるコンクリが地面に残っていた。
現役当時、「雄物川橋」と書かれた標識がここに立っていたのではあるまいか。




 これも4月の写真だ。
引き返し、再び県道との合流点に戻った。
ここに建つ青看も、橋の袂にお住まいのお宅専用である。
なんか、うらやましいような…。

 肝心の橋がすっかり消えてしまっていたばかりか、その痕跡も、殆ど残っていなかった。
まさに、取り付く島もないとはこのことで、そそくさと立ち去るよりほかは無かった。
(それでも、10月に再訪しているのだが…)





 この橋、県の発行している『ラルート』という小冊子で、初めて現役当時の姿を見たが、
うーーーーん、惜しかった…。
昭和32年竣工という、比較的新し目の古橋(?)だったのだが、予想以上に老朽化は進んでいたらしい。
やはり、国道107号線の殺人的交通量にやられてしまったのであろうか。

 今回、小ネタとして、この橋を紹介したが、実際、期待して現地に赴いてみたら、すっかり消失していたというのはよくあるのことです。
そんなネタの一つに、やっと、少しですが光を当てられて、なぜか肩の荷が下りたような気持ちになりました。

2003.3.17作成
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