その2 | 響橋 | 2002.9撮影 秋田県山本郡二ツ井町 |
二ツ井町の中心街から、米代川にそって南下すると、まもなく一本の長い橋が現れる。
これは銀杏橋といい、かつて秋田杉の一大集散地であった仁鮒に渡る。
この橋の上からは、きみまち坂から七座山にかけての、一幅の水墨画のように雄大な山河が眺められる。
そして、この橋の下流1km程の地点には、現在の橋が竣工する以前に使われていた旧橋の遺構がある。
私は当初、これから紹介する旧橋の名も「銀杏橋」であったものと安直に考えていたが、実はまったく別の名であったという事を、相互リンク先サイト「YOHBUN」の作者であるYOHBUN様よりご指摘いただいた。
これを受け、本文の一部を訂正している。
その旧橋の名は、響橋といったそうだ。
すぐ上流には、現在では旧道だが、当時は国道7号線の琴音橋が架かっていて、これらの命名の妙には唸らされる。
響橋のあった場所は、今でも県道が通っている。
ただ、橋は撤去されており、袂の部分でご覧のような直角コーナーになっている。
ガードレールやカーブミラーに紛れ込んでしまっているが、良く見ると、しっかりと親柱が現存している。
残念ながら、銘板は消えていたが、風化してはいたものの、現役当時の雰囲気を十分に残している様に思えた。
チャリをおいて、ガードレールを跨ぎ、親柱によじ登る。
そこから、対岸を見渡すと、かなり長い橋であったことが偲ばれる。
奥には白神の山々が、霞んでおり、これまた美しい眺めである。
なお、現在の銀杏橋が架けられている場所には昭和40年代頃まで、二ツ井を発し仁鮒を経て濁川を目指す長大な林用軌道の白いトラス橋が架けられていたという。
そして、その橋の名が、銀杏橋だった。
すなわち、軌道用だった「銀杏橋」の名は継承されたが、旧車道であったところの「響橋」の名は捨てられたことになる。
どちらも良い名であるだけに、惜しいといえば惜しい。
一方の親柱の上から、他方を撮影。
幅は、4mほどしかなく、何時まで現役であったのか分からないが、自動車のすれ違いは困難だったかも知れない。
親柱には、皹や削れが目立ったが、白さは失っておらず、シンプルながら美しい造形である。