昭和51年に竣工した一般国道46号「仙岩道路」は、当時最新鋭の土木技術の粋を結集した道路で、秋田と岩手に跨る道程の内でも、特に生保内川が奥羽山脈に刻んだ深いV字峡谷に沿って県境を目指す秋田県側の道は、大変な難工事であったそうだ。
仙岩道路に供される8つのトンネルの全てと、21の橋の大半が秋田県側に集中していることからも、その厳しさがお分かりいただけると思う。
そして実際ここを走ってみていただければ、その厳しい地形は体感できる。
なんせ、秋田県側は殆ど地上を走るということが無い。
トンネルと橋の繰り返しである。
さらには、そこにある橋もそれぞれに個性的であり、まるで橋の見本市のようである。
さて、秋田と盛岡を最短に繋ぐ同路は、今でも両県間交通にとって最大の要衝であり、それだけにこの仙岩峠に纏わる話題は豊富である。
こと、旧道・廃道コミュニティにおいては、仙岩道路竣工以前に利用され、今日では雲上に廃墟をなす旧国道が有名である。
これまでも多くの同志によって旧国道は攻略され、熱いレポートが作成されている。
無論、私もその魅力に取り付かれた一人であることは言うまでも無い。
しかし、今回紹介するのは、これまでに無かった仙岩峠の姿である。
それは、雲上の旧国道ではなく、また空中と地中を梯子する現国道でもない。
そこは、峠で最も低い場所。
深い深い生保内沢の谷底である。
そこにもまた、仙岩峠と共に生き、そして消えていった道があったのだ。
その23 | 生保内峡谷 と 仙岩道路 | 2003.4撮影 秋田県田沢湖町 |
ちょっと大袈裟な前説をしてしまったが、仙岩峠をこれまでと違う角度から観察してみようというのが、今回の趣旨である。
そのために、田沢湖町の中心地である生保内から国道46号線を仙岩峠方向へ進行後、間も無く旧国道へ入り、さらに、民家が途切れたところから写真の林道へ右折する。
ちなみに旧国道は左折であり、未完ながらも当サイトにもこの旧国道のレポートがあるので、併せてご覧いただけると良いと思う。(道路レポート「仙岩峠」)
荒い砂利の敷かれた林道は、早速生保内川の川原へと降りる。
そこは、砂利の採取場のようで、大変にひらけた景色だ。
谷底でありながら、取り巻く雄大な峡谷風景を大パノラマで楽しめる。
きっと、初めてここに来た人は驚くだろう。
私は、度肝を抜かれてしまった。
さっそく、今回のミニレポートの核心といえる写真である。
この景色を見るためだけにここに足を運ぶ価値が十分にあると思う。
少なくとも、仙岩峠を愛する方にはぜひともご覧頂きたいと思う。
この景色の何が良いって、仙岩峠が如何に要衝たるかを肌で感じられる雄大さ、ダイナミズムだ。
手前から昭和41年開通のJR田沢湖線の鉄路。
山腹に目を遣ると、長い桟橋がひときわ目立つ、現国道46号線「仙岩道路」。
現国道より上部の山肌には、まるで等高線のような模様が見えるが、それこそが気違い染みた九十九折で峠を目指した旧国道、別称「南八幡平パークライン」の痕跡である。
空と山の境目に点々と連なる高圧鉄塔は、秋盛幹線といって、秋田岩手両県の電力生命線である。
目に見えるだけでも、これだけ多くの“みち”が、この山を越えているのだ。
それを一緒に見られる唯一の場所が、この生保内沢沿いだ。
もう今回のレポートの多くを語ってしまったが、更なる絶景を求めこの林道を進んでみる。
まるで川原のような広場を抜けると再び林道らしくなる。
この先、急激に生保内川の両岸は切り立ち進路を狭める。
そこを林道と、JR田沢湖線の単線の鉄路が絡み合いながら、上流へ向かう。
峡谷から左手の崖に目を遣れば、遥か頭上に現国道の長い長い桟橋が渡っているのが見える。
普段、現国道を走っていると、確かに橋とトンネルの連続に「険しい場所」とは思いつつも、まさかこれほどの“つなわたり”をしているとは思わない。
この景色を見てしまうと、地震は当然としても、大雨の日には余り通りたいとは思えなくなるはずだ。
そしてまた、取り付く島もなさそうな断崖にハイウェイのような道をこしらえた技術者たちの逞しさに頭が下がる。
仙岩道路に対して私が持っていた、「橋とトンネルばかりな安易な道という」、全くもって身勝手な印象は、誤りであったと知った。
実は、この生保内峡谷に沿って奥地にまで伸びる林道は2003年現在、長い長い通行止めの最中にある。
というか、既に廃道である。
もともと、脆弱な地質であったようであるが、放置された林道は至る所で決壊し、徒歩以外での進入は不可能である。
今回自転車で望んだが、幾度と無く運びを要求された。
そういった場面では大抵、深い和賀山地の雪解け水を集め激流と化した生保内川が足元に迫り、危険なことこの上ない。
私も命の危険を感じたほどなので、先ほどの景色を堪能したら、その先には立ち入らないほうが無難と思う。
実際、死亡者が出ているとの警告文が入り口付近にあったし。
交通を遮断する大規模な崩落点の先は荒れ放題であり、林道としては機能していない。
ちなみにこの林道、メジャーな登山道という物を有さない和賀山地への比較的主流の入山コースに当っているそうだが、取材時はまだ林道にすら残雪が残り、とても登山者が入山している気配も無かった。
また、JR田沢湖線の車窓からこの林道をご覧になったことがある人も多いはずだ。
なんせ、線路が長い県境の隧道に入るまで、幾度となくこの林道を跨ぐので。
私もこれまで、「あー、いい林道があるなー」なんて思っていたが、実際に踏み込んでみると、一筋縄でいかない暴れん坊であった…。
とてもミニ規格とはいえ新幹線が通っているとは信じがたい田沢湖線の鉄路。
もともとがローカル線(本線で無い)だったのに新幹線というのが、今更慣れたとはいえ、当初は大変な違和感があったものだ。
ところで、この区間には大小さまざまのトンネルがあるが、昭和41年の開通時からずっと同じ物が利用されている。
ミニ新幹線化の工事の際にもし更新が行われたりしたら、大変な廃隧道群の出現を期待できたが、残念である。
まあ、もし旧隧道がこんな場所にあったとしても、かの有名な『奥羽本線福島〜米沢間』のように、見えれども近寄れない遺構となった可能性も高いが。
そして間も無く林道は深い残雪に閉ざされ、私の侵入をも拒んだ。
地図上ではさらに細々と道は伸び、現国道にまで合流しているように描いている地図さえあるが、これは今後の探索課題とした。
ものすごい廃道が予想され、探索には相当の覚悟が必要だが。
そしてその帰り道、やはり目に付くのは仙岩道路の圧倒的な道である。
あなたがもし仙岩道路を車で通行するなら、ぜひ普段以上に安全運転を心掛けてほしい。
なんせ、ひとたびガードレールを突き破れば、ほぼ間違いなくこの崖下まで、100mほど転落することになるのだから。
路上からの眺めでは知れなかった現実が、この谷底から見えた。
さて、来るとき途中に1箇所だけあった分岐点が気になったので、立ち入ってみた。
その道は、現国道の方へと登っているが、これまで現国道で下から来る林道との合流点に気づいたことは無く、一体どこまで登っていけるのかが気になる。
恐ろしいほどの急勾配&九十九折である。
普通の林道ならコンクリート舗装が成されるだろう20%程度の勾配が、休むことなく続いている。
一気に先ほどまでいた河原が足元へ遠くなり、代わりに生保内平野を展望できるようになっていく。
この調子なら、まさか本当に現国道にも合流できるかもしれない。
距離にして300m足らずだが、稀に見る険しい登りであった。
しかし、なんと本当に現国道に合流した。
場所は、峠の茶屋と樹海トンネルの間、普段国道からは死角に入り見えない場所に、その入り口はあったのだ。
しかも、この場所はといえば、ちょうど彼の旧国道との分岐点である。
そのまま旧国道に踏み込むというのも乙かもしれないが、残念ながらこの日は帰りの電車時間が近付いていたので、このまま現国道を下った。
さて、現在の地図には記載されていない九十九折の連絡路だが、どうやら仙岩道路の工事に伴って建設された工事用道路の名残りらしい。
確証はないが、古めの道路地図にだけ描かれているなど、その怪しい挙動から考えると、その可能性は高いと思う。
生保内川の峡谷に残る林道こそが、前人未到の絶壁にまったくの新道を僅か6年間で竣工させたスピード工事の、縁の下の力持ちだったのかもしれない。
だとしたら、これこそが、
もう一つの 仙岩峠だった
と言っても、過言では無いだろう。
2003.5.25作成