東北有数の都市近郊鉄道であるJR仙石線は、その各所で路線の近代化が行われてきた。
その中でも、昭和56年に塩竃市街地を縦貫していた路線を高架化した工事は、廃止延長2900mにも及ぶ大きなものであった。
この時に、合計三本の隧道が廃止されている。
現在では、市街地にあるこれら廃隧道はいずれも封鎖されてしまっているが、唯一、この杉の入隧道のみ、内部を確かめることが出来る。
敢えて詳細な場所は伏せるが、塩竃市杉の入の仙石線の高架の傍に、隧道はある。
時刻は夕暮れ。
隧道とは、仙台に仕事で出張した帰りに、おもむろに連れてきていたチャリに跨って一路三陸を目指した、そのスタート直後の遭遇であった。
え?
コウシコンドウでないかって?
…。
とある民家の物置小屋。
しかし、その背後にちらりと見える、なにやらコンクリートの壁。
ア レ は まさか?
間違いない。
坑門が隠されている!
直前に仙石線の旧隧道を既に2本を発見していたが、いずれも完全にコンクリで埋められており、残念な気持ちだった。
最後の一本であるこの杉の入隧道は、果たしてどうか?
正直言って、小屋の裏手に坑門を見た瞬間には、確実に埋められているのだろうと覚悟した。
だが。
小屋の壁と坑門を塞ぐコンクリの壁との隙間は、僅か1.5mほど。
よもやこの様な光景を見ようとは思わなかった。
塞がれたはずの壁に、縦横1m×60cmほどの長方形の穴が、開けられているではないか。
…誘っているのか?
一度は築かれたコンクリの壁を、再度切り崩したような、ざらついた断面。
坑門を塞ぐコンクリを取り除いて得られたスペースには、小屋の持ち主の物らしい工具やら、ペンキやら、発動機らしい物やらが、所狭しと置かれている。
そして、その奥の壁の足元にある、わずか30cm四方程度の正方形の穴が、今度こそ隧道内部へと私を誘うようだ。
流石に、立ち入るのは憚られるが…
内部には光も音もなく、暗闇に家主はいないだろう…か?
これは、恐い。
内部の様子が殆ど窺い知れないのも恐いし、明らかに管理下にあるのに、何か得体の知れない穴の様子が余計に恐い。
意を決して、足からするっと進入。
いきなり足からガブッとやられたらどうしようかと思ったが、幸いにして、浮遊感のある暗闇が、周囲に広がった。
入り口が極端に狭かっただけに、単線規格の鉄道隧道が、妙に広く感じられる。
ライトを頼りに、数歩内部へと進入。
足元には廃材が散乱しており、不安定だ。
出口は見えず、風も音もない。
濃密な闇に、まるで目の前に衝立を置かれたかのような圧迫感を感じる。
…先入観も多分にあると思うが、いや、やはり閉塞隧道は分かる。
入り口で、分かる。
間違いなく、閉塞している気がする。
目がおかしくなりそうだったので、振り返って光を補給。
そして、少し暗さに目を慣らすことにした。
…できれば、長居はしたくないのだが。
また数歩奥へと歩くと、靄っぽい。
足元は透き通った水が10cm程度の深さで溜まっており、足をぬらしたくない私は、極力壁際のバラストが水面に顔を出しているところを歩いた。
また、散乱する廃材を飛び石にのように伝えたが、非常に足元は悪く、長く歩くと必ずミスを犯し、靴を浸水させることになると思われた。
この日の探索は始まったばかりで、明日の午後まで続くことを考えれば、ここではさすがに濡れたくない。
夜を前にして濡れるのは…、寒さの面でもきつい。
いつになく濡れを懼れる私は、そのせいで思うようにペースが上がらないばかりか、私有地と思われる隧道の閉塞感やプレッシャーにも気圧され、ほんの30m程進んだだけで、もう良いと思えてきた。
これ以上進むには、足を濡らさざるを得なくなる。
…撤収だ。
最終到達点は、坑門から50m程度の地点だった。
いよいよ本当に水位が高くなり、この先は飛び石状の廃材もない。
写真はかなり明るく加工しているものの、実際には、相変わらず目の前に黒いカーテンを下げられたような感じで、疲れる。
なんで、癒される、落ち着く闇もあるのに…、ここは駄目だ。
めちゃくちゃ居心地悪い。
造りとしては、平凡なコンクリートの単線電化規格の鉄道隧道だ。
調べてみると、仙石線の同区間が開通したのは、昭和2年と、想像以上に古い。
新線への切り替えによる廃止は、昭和56年である。
コンクリの壁は、相当に風化している。
コンクリとしてはかなり初期の製造であろうから、やむを得ないと思えるが、現在の水準から見れば明らかに粗悪品だと分かる。
なんせ、親指大の丸石がゴロゴロと露出しているのだから。
目立った崩壊がないのは意外だと思えるほどの、傷み方だ。
振り返ると、もともと小さかった出口は、すぐそこの筈なのに妙に遠くに見えた。
後ろめたさも手伝ってか、何やら疲れる杉の入隧道だったが、同線の旧線廃隧道3カ所の内、一カ所だけでも内部を知り得たのは収穫だった。
他の2隧道は、コンクリで完璧に塞がれていたので。
外へ戻り、国道45号線を通って、山の反対側に回り込む。
少し迷ったが、5分かそこらで(迷わねば1.2分)反対側の坑門を発見した。
右に見えるのは、現在線の高架だ。
ここで高架は終了し、新旧路線は一体となり松島方面石巻を目指すことになる。
都会って疲れると思うのだ。
アパートの裏を徘徊する私へ向けられた住人達の視線の冷たい事よ。
別に人様の庭を歩いている訳ではなくて、裏山の土の斜面をよじ登っているだけなのに…子供達なんて、逃げていったのだよ。
そのうえ、お母さん達を連れてくるし…。
通報されかねないと思った私は、事を急いだのだった。
上記は、迷っている間の出来事で、結局そこからは引き返したのであるが、人が多いというのは疲れるな。
まあ、私の挙動が怪しくないとは言わないが…。
たいした土被りのない杉の入隧道、石巻側坑門。
こちらは、完璧に塗り込められている。
封鎖は平成に入ってしばらくたってのことらしい。
今回の「一度はコンクリで封じられたっぽい隧道の内部が明らかになった探索」は、貴重な体験だったかも知れない。
一度は人間世界に割譲された地下の空間が、用無しとなって、再び地球に還される。
その一連の物語の最終章で、どのような意向が働いたものかは不明だが、まるで外界から隠さんとするかのような穴をもって、まだ人界の一部であり続けた闇…
どうりで、濃い訳である。
おおよそ100m程度の短い隧道だったようだ。
坑門の一画には、『●(←不明文字)
2分』とのペイントが残されていた。
おそらくは保線夫向けの、徒歩通過に要する時間の目安だろう。