正式路線名「大曲営林署宮田又沢林道船岡支線」は、大正7年から翌年にかけて建設された森林軌道(2級)線である。
最長期の延長は14823m。
これまで本線に関する物としては、右の地図中にもある「
宇津野隧道」区間を隧道レポートにて、また、路線終点である「
滝ノ又支線」全線を、道路レポにて紹介してきた。
今回は、宇津野隧道区間に接する芋台地区をご覧頂こう。
この区間の特徴は、淀川に削られた険しい河崖である。
滝ノ又支線を腹一杯満喫した帰り道、私は淀川沿いの県道を淡々と下り、協和町の中心地境へ向かっていた。
その足はチャリだ。
道は船岡森林軌道の通った同じ川沿いと言うことになるが、実際には現在の県道は殆ど重なっていない。
県道は集落を結ぶように通っており、もともとあった街道を利用していることが感じられるが、森林軌道は大正時代に全く新しく建設された物で、山肌を切りひらいて築かれた場所が多い。
そしてこの芋台地区においても、県道と森林軌道とは、淀川を挟んで反対側にある。
写真は、対岸に見える林鉄跡。
しかしこの程度では、いちいち行って調べてられない。
この地域では、こんな物はよく見られるからだ。
しかし、その軌道跡の行く末を注意深く観察しながらさらに県道を下っていくと、思いがけず谷は狭まる。
そして、対岸に目を遣ると、
高っけーとこにある!
かなりアツイ場所に、軌道の石垣が見えていた。
目測だが、河床から30mほどの高さはあるだろう。
これは、是非自分の足で、どんな景色になっているのか、見てみたくなった。
そうなったら、後は手持ちの地図をひらき、可能なアプローチを検討する。
余り時間に猶予がないので、最も短距離のアプローチが可能と思われる、広域基幹林道を利用することとする。
その入り口へと県道を下る最中も、終始、眼力を込めて対岸の軌道跡を瞠る。
県道から淀川の谷を見下ろす。
典型的な河川狭窄部となっており、現在はその途中に砂防ダムがあるために、全体が淵になっている。
ここから500mほど下流に県道を進んだ場所から、広域基幹林道が左に別れる。
まずは、これに入ることにする。
林道の分岐点に至る前、対岸には落差のある滝が落ちていた。
軌道跡も、あの支流を渡っているはずだ。
もしや、橋も現存するのだろうか?
期待から、漕ぎ足に力がこもる。
県道316号線、協和町芋台から分かれ、同町荒川鉱山経由、同町水沢で国道46号線に至る、広域基幹林道沢内水沢線は、全長20kmを数える、県内有数の長い林道である。
全線砂利道の林道を、起点から500mほど進んだ場所で、林鉄跡と十字を切る。
ちょうど、写真では車が停まっている場所が、そこである。
この車は、山菜採りと思われる。
ここからの林鉄跡はやや不鮮明で、充分に確信がないと立ち入れないムードである。
林道から分け入った林鉄跡を、さっき対岸に見た崖地目指して西へと向かう。
初めは、あまり手入れのされていない感じの杉林の斜面を、グネグネと蛇行しながら進む。
間もなく、杉林の下に、淀川の流れが現れ始め、と同時に、県道は対岸へと渡ってしまい孤独となる。
早くも、さっき対岸に見た道らしきムードになるが、まだ石垣は現れない。
軌道敷きはかなり荒れており、崩土で半ば埋もれている。
人が通っている様子も、殆どない。
これと言った人工物も見られない。
この辺りから、早くも危険なムードになってくる。
軌道敷きは土砂崩れに埋もれており、斜面と殆ど一体となっている。
なお、チャリは林道に置いてきている…念のため、お断りしておくが。
対岸には県道と、広大な採石場が見渡せる。
ちょっと日本離れした規模である。
まるで米大陸の露天掘り鉱山のようだ。
ダンプトラックが、ミニカーのように見える。
さきほど対岸に滝を落としているのが見えた支流を、確かに軌道敷きは橋で跨いでいたようだが、残念なことにその橋は、僅かな痕跡を残して消えていた。
お陰で、藪を漕いで斜面を登って降りて、沢渡をする羽目となった。
写真は、支沢の上流に見えた小滝。
支沢に架かっていた橋は、完全な木橋であった模様。
今は、西側の岸辺に、犬釘が突き刺さったままの朽ち木が一本立ち尽くしているのみで、これすら触れば折れそう。
現存すれば、おそらく県道からも見える、好遺構となっていただけに、残念だ。
この橋の跡を過ぎると、いよいよ本区間のハイライトゾーンが始まる。
ここまで林道から早足で5分少々である。
いっそう斜面は険しくなってくる。
素堀のままの岩壁が屏風のように連なる区間。
まるで、意を持つかのように、ツタが絡み合い、行く手を阻んだ。
昭和30年代後半頃までは、ここをガソリンカーが往来していたと言うが、さすが2級の森林軌道線だけあり、簡素な施工であったことを伺わせる。
一旦、険しい崖地を終えて、良く育った杉林となる。
しかし、すぐに崖は再来する。
そして、今度はいよいよ、対岸から私を誘った、石垣が、現れ出す。
これが見えていた為に、わざわざここまで来たのだ。
楽しませて欲しいものだ。
浅い笹藪となった、石垣により崖と区切られた軌道跡を進む。
なんじゃこりゃ。
軌道敷きは、路肩の石垣ごと崩れ、谷へと落ちていた。
たったそれだけのことなのだが、たまたま、路肩の上端の石垣の一部だけ、落ちずに残ってしまった。
それで、このような奇妙な造形になっている。
さすがに、この石垣を渡ってみたいという気持ちには、ならなかった。
おそらく、こんな安っぽいトウモロコシは崩れるだろうな。
谷底には、砂防ダムと、その落ち口の人工滝。
斜面に轟音が響いている。
県道を通る車も稀で、人家に近いとは言え、ここで滑り落ちても、誰も助けてはくれなさそうだ。
なかなかにスリリングである。
楽しい。
石垣は苔生し、良い感じに同化している。
森は、その躯を傷つけた軌道跡を、既に消し去りつつある。
ここまで林道から15分ほど。
距離にして、500m程度だ。
この探索は2004年の4月29日。
秋田市近郊の低山とはいえ、まだまだ冬から目覚めたばかり。
日に日と萌え鮮やかになる森も、今こそが探索の好機である。
開放的な森の軌道跡は、小動物との遭遇を期待させる、平和な空気が満ちている。
時折現れる崖にさえ気をつければ、なかなかに心地よい探索が出来る。
石垣が無くなると、軌道跡は再び不鮮明となる。
写真は振り返って撮影。
そろそろ、対岸から見えていた区間の最後の辺りだと思われ、杉林に再び入れば、引き返そうと決めていた。
杉林の先は、特に面白みが無さそうな、採石場の残土捨て場になっていることを知っていたので。
おわー!
かなり来てます。
ここは、かなり来ています。
進むことを一瞬躊躇ったが、困難の後にはご褒美があるかも知れないという考えがよぎり、崖に生えた薄い木々を手がかりにして、一歩一歩慎重に進んだ。
行く手には、終点の杉林が見え始めていた。
その直前で引き返すのが悔しかったというのも、もちろんある。
こんな軌道跡、誰からも見すてられていて、通る人など絶対いないだろうなー。
困難な場所を通った時には必ず思う、廃道マニア共通の変な優越感に浸る。
…どうも、コンニチワー…
老夫婦が、軌道敷きを反対から歩いてきた。
呆けた表情の私が、ぎこちなく営業用スマイルを取り戻した時には、もうすぐそばまで迫ってきた。
そして、にこやかに挨拶をよこした。
前言撤回。
どうやら、この軌道跡は、近くのおばあちゃんおじいちゃんの、山菜採りルートになっている模様です。
いままでも、薄々感じることはあったが、
山菜採りジジババの駆動力は、我々の常識を遙かに超えている!!
奢る事なきその脚力は、比類なき也。
(ただ…この光景見て少し理解したよ。何で毎年何十人もジジババが山中で遭難死するのか…、こんな所普通来ないと思うよな、実際。)
老夫婦とすれ違うと、間もなく目標の杉林に到達。
片道25分間の軌道歩きであった。
老夫婦により、なんか己の力量への自信が喪失した感じがした私は、無表情のまま引き返しに入った。
帰りは、何とかジジババを追い越してヤル。
そんな、情けない大人げない目標を立て、早足で来た道を戻る。
直後、その老夫婦の、2枚上の写真の崖を平然とすたすた歩いているのを目撃し、さらに自信喪失。 orz