夕暮れ
JR花輪線、十和田南駅から大館に向って一つめの駅は、末広(すえひろ)という。
かつて十和田村の中心地だった末広地区にある駅だが、なんとも、良い名前の駅だと思う。
そしてこの駅、以前たった一度見ただけで、心底惚れ込んでしまった駅なのだ。
私が陶酔した話は後回しにして、まずは駅の歴史だ。
前回紹介したとおりこの花輪線には、国鉄花輪線として開業する以前に、民営の秋田鉄道によって敷かれた区間があるのだが、この末広は秋田鉄道時代の駅の1つである。
大館から伸びてきた鉄路が3度の部分開通を経て、1915年大正4年に辿り着いたのが、この末広の地だった。
その後5年間は、秋田鉄道の終点駅として「毛馬内」という駅名だったが、実際に大正9年に毛馬内まで鉄路が延び、そこに毛馬内駅(現:十和田南駅)が出来ると、ほぼ同時に当駅は末広という現在の名前に改名されている。
余談だが、「毛馬内」という駅名は、場所を変えながら当線で2度も使われているにもかかわらず、結局は消滅してしまった駅名なのだ。
さて、末広駅には俗に言う停車場線県道が、かつて存在した。
その道は、一般県道139号「末広停車場末広線」といい、昭和34年に全長169mと僅かな延長ではあるが、確かに県によって県道に指定を受けている。
しかし、昭和52年にどういう訳か、県道指定を解除されたまま、現在までこの番号は欠番となっている。
おそらくは、駅としての重要度が下がり、駅前の道を県道として整備する必要が無くなった為なのだろう…。
ともかく、その指定延長から考えると、同県道は国道103号線との分岐から、駅までの道が指定されていたものと思われる。
いまも、分岐地点には草臥れた白看が佇んでいる。
また、この国道自体もバイパスの開通により、とっくに国道指定を解除され、市道となっている。
私の日常の生活のなかでは、もう何十年生きようとも、まず利用することも、おそらく車窓の外から見ることも無いだろう駅を、一度は直に見ておこうと思い、2004年のある日の夕暮れ、私はチャリに跨りここへ来た。
そこにあった駅舎は、別に貴重な物とも思われない、いたって平凡なものだったが、なんとなく惹かれるものを感じた。
駅前の駐輪スペースに無造作に置かれた、数台の通学用ママチャリ。
淡い夕暮れの空に照らされた、背後の山影のしんと静まりかえった様子。
涼しい空気が、優しい風景にとけ込んでいる。
吸い込まれるように無人の母屋をくぐり、島式のホームに立ってみる。
もっとも、島式ホームの片側だけに単線のレールが敷かれているだけで、ホームの片面は草に覆われている。
開業当時は、地域最大の集落毛馬内の名を冠し、少し遠いが同地域からの旅客や貨物を欲しいままにしていた、終着駅。
沢山の施設があったに違いない。
しかし、現在残っているもので、当時を少しでも偲ばせるのは、単線の無人駅にしては妙に立派な、ホームの一部を覆う上屋くらいなものか。
廃レールを利用した上屋は、元々あった物の一部分だけが残っているらしく、ホームの中央付近の僅かだけしか覆ってはくれない。
それでも、建っているホームの規模や、普通列車が一日数度止まるだけの当駅にとっては、とても立派なものだ。
その代わりか、ホームに待合室はない。
ホームの反対側に線路を背にして待っている、猫背のお客。
もっとも、本当に彼も列車を待っているのかは分からないが。
いつまで待っていても、列車などこないのではないか。
そんな気にさせる、無人のホーム。
本当に、静かだ。
もう、一日など終わったかのように。
駅の母屋からは離れになっていたトイレ。
国鉄時代に掲げられていた、「便所LRAVATORY」の表示が、何とも言えない存在感を醸し出していた。
しかし、トイレの周囲は盛りを終えた夏草によって囲まれており、一般の人がここで用を足そうとは思わないだろう。
その上、何の説明もなく、唯一の入口が薄板によって×の字に塞がれている。
中を覗くと、異臭がするわけでもなく、もはや完全に時の止まったような暗がりがあった。
片隅には、緑色で描かれた十字のマークと、清潔の二文字。
トイレだった廃屋は、このまま取り壊されることもなく、鉄道が廃止されるまで、ここに存在し続けるように見えた。
私にとって、この駅が特に印象深い物となった理由は、駅の母屋の壁にあった。
コンクリートの敷きっぱなしのガランとした待合室だが、かつては有人だった駅だけ有って、窓口がある。
もっとも、日焼けしたカーテンと小さな窓ガラスが、かつての栄華と現実とを隔絶するかのように閉じられていた。
いくつかの椅子が並ぶ殺風景な待合室だが、片隅には本棚があった(様に記憶している)。
また、落書きが一杯の「駅ノート」もあった様な気がするが、自信がない。
ただ、間違いなくこの駅にあったのは、壁に描かれた、2編の誌だった。
内容からは、おそらくこの駅を使い続けた地元の高校生が、卒業に際して悪戯書きしたものと思われた。
一部を抜粋して紹介するが、文中にはこんな素直な心情が吐露されていた。
陸上一筋 青春賭(ママ)けて
目指すは男 インターハイ
(中略)
叫ぶ拍手と歓声に
紛れて見えた 母の顔
(中略)
我が青春に 悔い なし
H15.3.21 PM3:16
卒業式のあと、自宅への最後の汽車を降りた“彼”が、
高校生活を振り返って刻んだ言葉だったのか。
昔は本当に バカだった
意味もなくカッコつけてばかり
クソみたいな歌を毎日歌ってた
おまけにいつも夜明けまで外で遊んだ
随分ひどいこともした
君を見つけるまで
今夜は果てしなく、一晩中続くだろう
誰が残して行ったのか、愛のない悔しさ
朝日が目を覚まして
俺らを包み込んで また一日が始まる
そして俺らが目を覚ます頃に
ラジオはあの曲を流すだろう
俺の中には、俺が濃厚に詰まっていて
時々、それが多い
H15.8.8 AM5:21
その彼は、卒業後おそらくは上京したのだろうか。
だが、その年の夏には、この地に戻ってきて、再び詩を書き記した。
半年前を惜しむような、詩を。
そして、2005年10月。
あの詩の続きを探しに、当駅を訪れた私が、見た姿。
そこには、
すっかり分相応な姿に変貌した、
真新しい駅があった。
壁は、真っ白だった。
ただ、
停められた自転車の台数だけが、
変わっていなかった。