廃線レポート
真室川森林軌道 その5
2004.2.3
前進!
2003.12.3 13:47
また、私の悪い虫が騒ぎ出した。
「まあ、何とかなるだろう…」
あの松ノ木峠でも、そんな安易な考えから涙を流すほどの恐怖を味わったというのに、懲りていない。
しかし、私も何でもかんでも無茶をしているわけでもない。
どれだけのリスクを冒す価値があるかは、探索の対象によっても異なる。
その点で、この真室川林鉄は、私を「ムキ」にさせた。
はるばる遠征してきたのに、いまのところ隧道の一つも発見できていない。
そんなの、悔しい。
そんな素直な気持ち(自分勝手な理由?)で、私はこの崖に牙を持って挑んだ。
沢に下り、上部を見上げると、そこは稜線まで一気に上り詰める滝になっていた。
この、鍋の底の様な崖に下りたはいいが、どうやって対岸に登るかだ。
私は、やり遂げた。
3mほどの垂直に近い崖を、フリークライムで攻略に成功。
全くの素人でも、根性と度胸で何とかなる。
あっ、真似しないでね。
このときの私は、ここで死んでもとまでは言わないが、怪我ぐらいしてもやむをえない、とにかく先に行きたい。
そういう覚悟と自己責任の下で遂行しているので、大げさでなく、気楽に辿れば落ちます。
やり遂げた先にあったもの、
それは、崖の中の僅かな平坦地であった。
これで、一歩先へと進んだ。
今度は、膨大な土砂崩れが軌道跡を飲み込んでいた。
しかも、何年も前に崩れ落ちてきただろう土砂には、ご覧のようにびっしりと植物が生え、まるで天然の有刺鉄線のように行く手を遮る。
崩落地は非常に広範であり、一旦崩落地の下へと迂回したのが悪かったか、そのままずるずると高度を下げさせられた。
余りにも笹や小枝の密集が凄まじく、上るということが出来ないのだ。
そのまま、なし崩し的に下方の杉林へと運ばれていく私…
ああ、軌道跡はもうどこか分からないよ。
ここにきて、ついに見失う!
さっきの命がけの突破は、一体何の為だったのか…。
それでも、可能な限り進路を上にとり、軌道跡への復帰を狙いながら前進した。
しかし、一向に地形は改善せず、再び小さな小川に行く手を遮られる。
滑りやすく、大変に慎重さを要求されたが、ここもアドリブで突破。
私はこんなことをしながら、「ああ、冒険してるな。」という悦楽を感じ始めていた。
道なき道を、目的を持って突き進む。
まさに、探険隊。
私が憧れてきた、「木曜スペシャル」の「川口探険隊」の姿だ。(ネタが古くてすまない)
そして、私が隊長兼カメラマンだ。
対岸に見下ろす名もなき集落。
最後には生きてあそこに帰りたい。
来た道を戻ることは考えてはいなかった。
とりあえず、隧道さえ発見したら、あとは強引に崖を下り、川を泳いででも、集落へ出よう。
あそこまでいければ、あとは道路がチャリまで運んでくれるから。
帰りのことを考えないというのは、ベテランならきっとしない、危険な賭けである。
だが、私はこの真室川に賭けている。
このときの心境は、まさにその通りだった。
再び進路を著しく急な斜面が阻んだ。
まだ軌道跡よりも低い位置にいると思われるが、とても登っていける感じはしないし、どうせ軌道上もここと大差は無い状況にあるだろう。
ちょっと前には、あんなに「探険隊だ!」なんて高揚していたのに、一向に改善されない状況(ちなみに入山から25分経過)に、かなり参っていた。
そして、目の前の困難は、私を燃えさせるタイプのそれ(例えば見通しの利く崖とかだ)ではなく、だらだらと続く深くて急斜面の藪である。
参った。
参ったぞ。
どうしようか。
悔しかった!
だが、耐えられなかった。
私は、進路を下にとった。
軌道跡から離脱する。
一旦下まで降りて、仕切りなおしだ。
あのまま無理やり軌道跡を辿ろうとしていたら、夜になるのが早いか、事故死するか。
そんな気がしたゆえの、ぎりぎりの撤退…いや、
作戦変更
である。
仕切りなおし
14:06
入山から30分を経過したが、結局軌道跡で見つけたものは、最初に見つけた石垣だけであった。
あんまりにも、痕跡が薄い。
廃止年度は、昭和39年と言う理解で探索していたが、実はこの情報は誤りである可能性が出てきた。
詳しくは後述するが、本路線の廃止は、もっと早かった可能性が高いと思う。
それと、本林鉄跡の探索にて、先鞭となったあの『山形の廃道』fuku氏のレポートは、現在でも氏のサイトで拝見できるが、そこにはコンクリート製の橋梁が現存している姿などが収められている。
私も当然これを見て探索に赴いているわけで、いや、氏が紹介されているのはここではなくて、起点釜渕に近い「一号隧道」前後の区間なのであるが、それでも、まさかこれほどまで同一路線上で現存度に差があるというのも、不自然だし、全く予想していなかった。
まあ、地形的にも沿線中ではこの万助川付近が最も険難であるとは思うのだが…。
見てくれ、前方のこの斜面を。
軌道は、この上部を通過しているはずなのだが、とても見つけられない。
川に降りた私だが、正直万策尽きていたから、長靴が完全に浸水を許したことにも気を留めず、ジャブジャブと冷たい川を太ももまで浸かりながら歩いた。
幸いにして水深はその程度であり、水流も早くは無い。
このような裏技で一気に距離を稼ぎ、坑口が最も疑われる付近の直下まで進んだ。
なぜ河原を歩かなかったかといえば、そんなものが無かったからだ。
なにやら集落から小道が河原に伸び、そこには小さな木橋が架けられていた。
なんと、もしや坑口へと向かう道かと期待が膨らんだが、辿るとすぐに行き止まりだった。
そこには、大量の榾木が斜面に並べられていた。
橋と道は、この圃場のためのものだったようだが、地形的にここなら登れそうだ。
私は再び上を目指すことにした。
入山から45分を経過していた。
圃場を壊さぬよう、その脇の笹薮の中を直線的に登っていく。
斜度は30度以上あり、濡れたズボンやプールになった長靴が重たい、一気に足に疲労感を感じる。
榾木は、みな思い思いの衣装に身を包んでおり、おしゃれだ。
見た瞬間は、ギョッとしたが。
死体がいっぱいあるのかと思って。
圃場が下に消えていけば、あとはまた一人の戦いだ。
しかし、木々が大きい。
「巨木巡り」を観光の売りにしている真室川町だからということも無いのだが、里山とは思えない勇壮な森である。
この景色には、少し癒された。
5分掛けて斜面を攻略。
何とか軌道跡に復帰することが出来た。
思えば、あの崩落地帯で我慢して軌道跡を歩き続ければ、ここまで直接来れたのだろうが、振り返ってその部分を見るに、結果的に迂回は正解だったような気がしてくる。
軌道跡などという生易しいものではなく、そこはただの崖だったので。
さて、過ぎたことは忘れ、いよいよ前進だ。
願わくば、坑口が現存しますように…。
行く手には、いくらか軌道跡らしい掘割が。
しかし、それ以外には何も無い。
レールの一本くらい残っていたら、嬉しいのに。
それでも、歩いていて楽しいのは、いよいよ“そのとき”が近いという予感からか。
確かに稜線は近づいてきた。
もうちょっとで、届きそうだ。
駄目だ。
おもわず、私は目を伏せた。
掘割の先には、坑口どころか、軌道跡など存在していなかった。
そこにあったのは、これまでで最も深い谷。
そこを覆い尽くす、蔦のネット。
谷を駆ける飄々とした風が、私にぶつかって来る。
断崖絶壁。
行く手には、道なし。
もう、諦める。
それしかない。
私は、ここで実際に一旦引き返している。
だが、圃場に向かって下りている最中。
どうしても悔しくて、踵を返したのだ。
そして、またも崖の縁に戻ってきた。
なんとか、ならないのか。
悩んだ末に、私は強引に突入することを選んだ。
確かに斜面は猛烈に急だが、これだけの蔦である。
前進の障害である蔦だが、滑落を防止してくれるのではないか。
身動きが取れなくなる恐怖はあったが、意を決して、私は蔦のネットに飛び込んでいった。
そして、軌道跡などあるはずも無い谷を、体一つで突破するのだった。
そのとき、谷底に、あるはずが無いと諦めていたものを、見つける。
土に埋もれかけた丸太が何本も谷底にあった。
そして、そこには、もはや役目を果たさぬ釘が、幾つも残されていた。
諦めていた軌道の痕跡を見つけた瞬間だった。
ここには、確かに木の橋が架けられていた証拠だ。
発見に勇気付けられた私は、全身を絡み取る蔦に抗いながら、一歩一歩谷から這い上がった。
そして、再び軌道跡に戻った。
ここが一番の難所である。
軌道敷きの路肩には、僅かに石垣が残されていた。
こうしてみると、軌道敷きは非常に狭い。
後年の崩落等によって狭くなっている部分もあろうが、それでも、せいぜい幅1m程度のスペースを軌道が駆けていたと思われる。
手押し軌道ならいざ知らず…ガソリンカーが走っていたとは、とても信じられない。
石垣も、橋も見つけた。
あとはもう、お前だけだぞ。隧道よ。
その姿を現せ!
3号隧道
14:26
集落を再び見下ろす。
先ほどと比べると、だいぶ北上してきたのがお分かりいただけるだろうか。
もう、体力的にも、精神的にも、時間的にも限界は近い。
これぞまさしく三重苦。
この隧道は、これまでで最も困難な一つに数えられるだろう。
私の行き当たりばったり的なアプローチに問題もあったのだろうが、それにしても、酷い場所にある。
軌道の進路が変わった。
崖に沿うことを諦め、立ちはだかる稜線をしっかりと正面に据えた。
まるでお椀のように凹んでいるその場所めがけて、軌道跡の狭い平坦部は続いている。
間違いなく、この先に坑口がある!
私は予感した。
枝が狂ったように私を拒んだが、私も狂ったようにすり抜けた。
震えながら、“その瞬間”に備えた。
その瞬間は、やって来た。
だが、その光景に私は背筋が凍りついた。
まさか、また。
…また、埋没なのか。
埋没の嫌なところは、内部に入れないということ以前に、本当にそこが坑口だったのかと特定できないということだ。
そのせいで、私はいつまでも「もしかして別の場所にあったんじゃ…」とか、気になり続けるのだ。
それはとても辛いのである。
頼む。
坑口と断定できるものが、在ってくれ。
期待した安堵のため息は、一旦飲み込まされることになった。
期待と不安にガクガクになりながら、斜面に近づいていく。
あった。
まずは、その事実だけで十分だった。
あったのだ。
とても、内部に入ろうという気まではおきなかった。
不思議だ。
もう、この発見でお腹一杯になってしまったのだろう。
こんなに苦労した隧道は、本当にはじめてだった。
こちら側の坑口も大変だったが、最初に反対側に行って半日近く費やしたのだし。
感無量
感激のあまり、しばしは硬直していた私だが。
せっかく来たからには…
ねぇ。
次回、最終回。
あれれ、2号と1号隧道は?
いえいえ、ご安心ください。確認済みです。
が、レポートが長くなってきたんで、次回で一旦仕切ります。
最終回へ
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