廃線レポート  
森吉森林鉄道 その1
2003.10.13



 それでは、謎多き森吉森林鉄道跡を、その起点であった阿仁前田より辿っていこう。
 

森吉町 阿仁前田
2003.10.8 8:28


 森吉町の中心地で町役場も在る阿仁前田。
写真は、今回の調査の主役である森林鉄道とは概ね並走している一般県道309号比内森吉線が阿二川をまたぐ小又大橋よりの眺め。
前方に見える住宅街の中に、今回私が輪行を解いた秋田内陸線阿仁前田駅も在る。

さあ、それでは調査開始だ!

 森吉森林鉄道は、その起点が旧国鉄阿仁合線の阿仁前田駅であったようだ。
阿仁合線は現在の秋田内陸線の前身であり、現在でも阿仁前田駅の裏手には貯木場がある。
多分、このあたりに軌道線の起点もあったのだろう。
残念ながら宅地化によって、このあたりの痕跡は薄い。

県道を小又川に沿って東へ進む。
前方にどっしりと裾野を広げる山が森吉山(標高1454m)である。
目的地はあの山頂よりもさらに奥である。
…遠い。



新屋布地区
8:43

 阿仁前田を離れると田んぼが広がるが、それも長くは続かず、両脇の低い山々が小又川に接近してくる。
このあたりで、はじめて軌道跡と思われるものが見られる。
新屋布(あらやしき)地区から北側山中に伸びる林道もりよし線があるが、この入り口には写真のような築堤があって、林道はこれを暗渠でくぐっている。
まさに、鉄道の痕跡らしい物件だ。
昭和5年に開通し、同43年ごろまで利用された軌道は、小又川流域に当時はまだたくさんあった集落の大切な足でもあった。
比較的ちゃんとした鉄道だったことが想像できる遺構だ。


刺巻地区
10:30


 さらに進んで刺巻地区。
ここにも目立たないが、遺構がある。
現県道は何度も小又川を橋で渡り単純な線形を実現しているが、旧道は小又川の流路に沿って小刻みなカーブを繰り返している。
その旧道脇の法面に、はっきりとわかる橋桁が二本残されていた。
その細さは、間違いなく軌道用のものと思うが、橋本体は撤去されたらしく存在していない。
粗悪なコンクリートを用いているのか、ひどく風化しており、今にも崩れ落ちそうだ。

また、現在の県道が小又川の川原を整地して低い位置に道を通していることに比べて、軌道がわざわざ崖をよじ登って通過していたというのも、面白い。
この高さを稼ぐための先ほどの築堤だったのだろう。
なお、私は今回これ以上は精査していないが、これらの遺構の合間にもまだまだ細かい遺構が残されている可能性は高いと思われる。
ただ、多くが個人の敷地内や山林と同化しており、発見には労力を要しそうだ。



 橋桁に続く部分。
たぶん県道を建設した後に全体がコンクリで覆われたのだろうが、そのおかげで森に隠されること無く、かつて軌道が通っていたはずの地形がわかる。

ここに上ってみようという気合は、ちょっと私には無かった…。


根森田地区
8:49


 さらに進んで根森田地区。
ここまで県道で約5kmほど。
そして、ここから先の景観はここ数年でまるで変わってしまった。
さらに、まだまだ景色は変貌を続けるだろう。
根森田では、平成23年竣工予定の森吉山ダムの建設が急ピッチで進んでいるのだ。 この先の旧県道は工事用道路として占有されており、しばし軌道探索どころではなくなる。
残念ながら、しばし付け替えられた県道から遠めに観察するよりほかは無くなる。
もう数年もすれば、それすらも適わなくなるのだが。



 県道は一気に50mほど高度を上げる。
チャリにはしんどい直線的な登りの最後に開通したばかりの四季観橋があり、ここからの工事現場の眺めは圧巻である。
ショベルカーやダンプカーが、まるで働きアリのようにそこかしこで動いている。
巨大な山河を、その小さな体で改変していく様子には、土木の底知れぬ力を感じさせられる。
ダム工事の是非はおいておいて、純粋にスゴイと感じさせられる景観だ。



 しかしまだまだダムの形は見えてこない。
現在は主に付け替え道路の建設や、ダムの基礎部分を建設している模様だ。
ここに誕生する森吉山ダムについては、こちらに詳しい。

7810万立方メートルの総貯水量を想定する、ロックフィル形式としては国内有数の巨大ダムとなる予定だ。



 ダムの付け替え道路の工事はまだまだ途中であり、現在の経路はもう数年でまた変更され、いずれ一部は水没して消えてしまう定めだ。 この写真の場所なども正にそうで、固定に沈む部分を南北に横切っている。 中央には小又川を渡る立派な仮設橋があって、県道として活躍できる後わずかな時を謳歌している。

ここで交差する旧県道は工事用道路として蹂躙されており、一般者の立ち入りは適わない。
それに並走しているはずの軌道跡についても、調査できる状況に無い。
虚しく走る現道のなんときついことか…。

って、キツイに決まっている。
だって、50m上ってまた50m下って、またまた50m上って、こんな繰り返しである。
だから、ダムの付け替え仮設道路はヤナンダヨナー。


 小又川を渡る仮設橋から見下ろす小又川。
この清流も、あともう少しで永遠に過去のものとなるのだ。

それにしても、遠くまで見渡せる…余りにも視界が利くのも違和感がある。
一帯には桐山沢をはじめ、惚瀬や向様田などの集落が連なっていたのだが、すでに全戸移転を終えている。
家屋はすべて更地となり、田畑は放棄され、木々は伐採され、一面の荒野が丸裸で水没のときを待っている。
渡すべき電線の取り外された鉄塔が、錆色になって放置されている。

これが、水没する地域の寂しさだ。

鷲の瀬トンネル付近
9:15


 次に県道は小又川の左岸に取りつき、やっと水没をま逃れる高度まで上ると、再び景色を楽しめる快適ルートとなる。
写真は、来たほうを振り返って撮影。
対岸には旧県道の道筋も見えるが、軌道跡は判然としない。


 今度は向きを変えて、上流方向。

完成したばかりの付け替え道路が右手の山裾に続いているのがわかるが、そこから降りていくダイナミックな九十九折は見覚えがある。
というか、ほんの1年前にはそれが最新の付け替え道路であり、私も実際にここを通っていたのだ。
現在では一般者立ち入り禁止の道路と化していた。

また、遠くに見える法面にも見覚えが。
あそこは、元来の旧県道が通っていた場所で、2002年の時点でも既に利用されていなかったが、初めてチャリで太平湖に行った1994年には間違いなくそこを通っていた。




 最新の道路には一本のトンネルが新設されていた。
扁額の無いことが特徴なのか、ほかには何の変哲も無い、鷲の瀬トンネル(延長262m)である。

森吉山ダム建設のため、今では根森田より上流に一人も定住するものはおらず、平日の午前ともなれば通行量は少ない。
こんな立派な道が遊んでいる。
ダムが建設され道は立派になっても、それを喜ぶべき人はどんどんと離れているという現実…。




 鷲の瀬トンネルを過ぎてすぐの場所から、さきほど遠くに見えた旧県道の法面が少し間近に見える。
その僅か手前に見えている大きな橋は、2002年当時は現道だった仮設道路である。

法面に注目していただきたい。
右のほうに、なんとなく軌道跡を感じさせる模様が無いだろうか?
法面の左右に走る木々の列は、もしや、かつての軌道跡ではないだろうか??

古い地形図によれば、この付近に一本の隧道が存在していた模様だが、未発見である。
というか、もう二度と発見でき無そうなのだが…、無念。


2002年10月の森吉付近
2002/10/10


 2003年現在では一般者の進入がで着なくなってしまったの森吉の旧県道部を、2002年10月の記録から紹介しよう。
分かりにくいので補足説明すると、この“森吉”とは、森吉町大字“森吉”のことである。
ずばり、町名の由来となった地名にも、今では人一人住んでおらず、間もなく水没するのだ。

丁度ここは鷹森林道の森吉側起点であり、レポートとしては「廃線レポート:鷹森林道」に続く部分といえる。
写真は旧県道に立って、東側を見ている。
奥に見えているコンクリの法面は、今回のレポートの「NO.13」の一番下の写真にも写っているものだ。
さらに奥へと進んでみよう。



 見えてきたのは崖に阻まれひときわ狭くなった道と、濁流と化した小又川に突き出た橋脚である。
橋脚の高さを考えると、道路用のものだったとは考えにくい。
奥の法面にくっきりと浮き出た段差からこの橋脚へとかつての軌道が敷かれていたと考えるとつじつまが合う。
これが正解だとすると、なんともアスロバチックな鉄道だったものだ。




 橋脚跡の全体像。
川に対する角度からは、対岸右奥から伸びてきた軌道が、こちら岸手前へと続いていたようにも見えるし、ちょっと判然としない。 悔しいが、この時に十分な調査をしていなかった以上、今後さらなる実地調査を行うことは困難そうだ。


 崖下の旧道を進むと、一本の“ヘキサ”が残っていた。
私の知る限り、現在では欠番となっているこの「213番」のヘキサは、ここ一箇所しか現存していない。
この213番は「小滝阿仁前田線」であり、平成7年にその全線を含む森吉・比内間が新たに一般県道309号線として指定を受け、欠番となったのである。
多分、これもこのまま水没だろう。




 さて、舞台は少し移って、2002年当時には現道として利用されていた仮設道路の様子である。
この写真は、旧道と小又川を一挙に跨ぐ仮設橋であり、それはそれで気持ちのよい道であった。
ここも、もう二度と走ることはできない道となった。


 うえの写真ではダムサイト方向を見ているのだが、そのまま進むと今度はこの写真の景色。
このアスファルトの道路は旧道をそのまま利用していた部分であるが、この先は巨大なヘアピンカーブを伴いつつ、眼前の青い橋に至る。
そして、驚くべきことにこの青い橋までもが、仮設道路なのである。
ダム建設中の一時県道として利用されただけで、もう数年で解体される定めなのだ。
ああ、ダム建設にお金と時間かかるというのも …納得。

ちなみに鷲の瀬トンネルを供する現道は小又川の右岸(ダム湖の南側)にあるが、対岸となる部分にも道路が建設されつつある。
いずれはダム湖を渡る長大橋を含めた快適な県道が誕生するのであろう。




 そして、真っ直ぐな青い橋を上りながら渡ると、九十九折ののぼりがそこに続き、最後には鷲の瀬トンネル付近に合流する。
そこで仮設道路は終了となる。

写真は九十九折を行き来する工事車両たち。




その2へ

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